エスパーの館の朝は早い。
まだ朝日も昇らないうちに朝の礼拝が始まり、それから朝食に
なる。それに加え１６歳以下の者は礼拝の前に礼拝堂の掃除だの
食事の準備だのをしなければならない。
今年十七歳の誕生日を迎えたシェスはようやくそれらの雑用から
解放され、その分仕事は増えるものの少なくとも朝はこれまで
より少しは朝寝坊ができるようになった。そして礼拝が終わり
食堂に向かおうとする所で後ろからシェスに声をかけてくる者がいた。
「おはようございます！先輩！！」
「おはようアリス。」
後ろから元気な声でそう挨拶をしてきた後輩に、シェスは笑顔で
返事をした。後輩の名はアリス・ランディス、シェスより２つ年下
の１５歳でシェスと同じく神官見習いである。髪は金色で髪型は
ポニーテール、性格は明るくイタズラ好き、またシェスと同じく
館の無断外出の常習犯でもあり、そういう意味でもアリスにとって
シェスは「先輩」であった。二人はそのまま雑談しながら食堂に
行き隣同士の席に着いた。今朝の献立はバタートーストとデゾリス
ペンギンの卵の目玉焼き、それにホットミルクといういつも通りの
献立である。そしていつもならば食事を済ませた後すぐアルゴルの
歴史の勉強だのテクニック・マジックの修行だのとびっしりと特訓
メニューが入っているのだが、今日は月一回の安息日（休日）なので
平常授業は全て休みになる。もっともそんな日でも自習だの教官に
頼んでの補講だのに余念がない仲間も少なくないのだが、シェスは
「たまの休みなんだから楽しまなくちゃ損」という考えである。
しかも今日はリシェルの村で豊作祈願の村祭りがある筈の日であり、
こんな日にシェスに「大人しくしていろ」と言う事自体土台無理な
話であった。
そんなワケでシェスは外出着に着替えるとわずかばかりの小銭を
ポケットに入れ、腰の袋にスライサーをしまうと自室の窓を開け、
そこから抜けだそうと片足をかけた瞬間、「バタン！」という大きな
音とともに自分の部屋の扉が開いた。
「こらっ！シェス！どこへ行くつもりだ！！」
「げっ・・・」
突然の後ろからの声に窓枠に片足をかけ、両手で窓枠を掴み、既に
半身を乗り出していたシェスは文字通り心臓が止まるほどびっくりし、
手と足を滑らせてそのまま前のめりに表の地面に頭から落っこちる。
そして体中雪まみれになりながら立ち上がり、恐る恐る窓から自分の
部屋の中を覗くと、そこには雪まみれのシェスをおかしそうに笑って
いるアリスがいた。
「フフ、驚きました？先輩。」
「驚いたなんてモンじゃないわよ・・・寿命が縮んだわ。で、何か用？」
思い切り不機嫌そうな声で、服や髪の毛についた雪を払いながら
シェスが言うと、アリスはシェスをなじるような声で「抜け駆けなんて
性格悪いですよ、先・輩！」と言い返す。そこでシェスはようやくアリスも
完全に外出の準備が整っている事に気がついた。二人は顔を見合わせ、
お互いニヤリと無言のまま口元に笑みを浮かべると、一緒に部屋の窓
からエスパーの館を抜け出しリシェルの町へと一直線に全力で走って
いった。エスパーの館からリシェルまでの道はそう遠くないのだが、
その道のりさえも今の二人にはもどかしかった。
二人が着いた時、祭りはすでに始まっていた。
空には空砲の音が鳴り響き、村中に楽しげな音楽が鳴り響く。そして
服や食べ物、それに小物やゲーム等の露店が所狭しと軒を連ね、村の
内外の多くの人々が祭りを楽しんでいた。そんな人々の群れの中に、
シェスとアリスは我先にと入り込もうとする。しかしこれだけ人が多い
のにも関わらず、エスパーの館の人間は自分達二人以外にいないよう
であった。
「まったく、他のみんなは人生損してますね先輩。」
今し方屋台で買った、出来立てのクレープを頬ばりながらアリスが
シェスにそう言うと、シェスは大きくうなずいた。
「人生の損だけじゃないわ、ルツ様の教えにも『エスパーは常に世の
人とともに在り、彼らと苦楽を共にすべし』ってあるって言うのに
月に一度の買い出しかダークファルス関連と思しき事件が起きた時
でもない限り年中館にこもりっぱなしじゃルツ様の教えに反するわ。」
シェスの言葉にアリスはうなずき、二人は目を合わせるとクスクスと
笑いだした。相当に自分達に都合のいい解釈、という気はしないでも
ないし、事実それは二人にとって遊びに行くための方便にすぎない。
けれど、今のエスパーの館の持つ閉鎖性は初代ルツが望んでいた物と
別の方向にに行ってしまった物であるという事も事実ではあった。
ともあれそれから二人はしばらく祭りを楽しみ、久々の休日を堪能
した。そしてまだ祭りは続いているし、ものすご〜く名残惜しい物の
そろそろ引き上げないとマズいかな？と思いはじめた頃、事件は
おこった。
ドン！
一人の男が全速力でこちらに駆けて行き、シェスの体にぶつかって
謝りもせず駆け抜けていく。その衝撃でシェスは手にしていた食べ
かけの焼き鳥の串を地面に落っことしてしまった。
「大丈夫ですか？先輩」
アリスが心配そうにシェスに尋ねた。
「何よあいつ！ぶつかって行って知らんぷりだなんて！」
シェスはそう言うと地面に落とした串焼きに目をやった。もしこれが
誰も踏んでいない雪の上にでも落ちたのなら、まだ食べられるのだが
生憎落ちたのは泥の水たまりの中であった。けれどシェスがその事に
怒るよりも前に、一人の老婆が息を切らしながらシェスとアリスの方
へと駆け寄ってきた。
「今、茶色いコートを着た男がこっちに来ませんでした？」
年老いた女性はまだ呼吸も整わないうちに、非常に焦った面持ちで二人に
尋ねた。
「茶色いコート？そいつなら私にぶつかって、謝りもせずあっちの
方に行っちゃったわよ！」
ムシャクシャ混じりの声でシェスがそう答えると、老婆はシェスに礼を
礼を言い、また走り出そうとするのだが、彼女の様子にただならぬ物を
感じたシェスはそんな老婆を制止するようにして今度は自分の方が、
何が起きたのか質問をした。
「引ったくりが・・・私のカバンを盗んで・・・」
そう言うと老婆は非常に苦しそうな表情を見せた。見ると足を挫いて
いるらしい。シェスは自分の身をかがめ、老婆の足首に自分の右手を
あてるとメディスのマジックを使い傷の手当をした。そして怪我が
治ったのを確認するとスクと立ち上がった。
「アリス・・・」
「なんですか？」
シェスの瞳がさっきまでとはうって変わって鋭くなっている事に、
アリスはある種の戸惑いと嫌な予感を感じずにはいられなかった。
「義を見てせざるは勇無きなり！行くわよ！！」
「行くわよって先輩！何の手がかりも無いじゃないですかぁ！！」
「手掛かり？そんな物、自分で見つければいいのよ！」
「自分で、って・・・どうやってです？まさか手当たり次第・・・？」
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