「おはよ！エヴィン、今日は珍しく朝寝坊なのね。」
エリーがドアをノックしてから間もなく、眠たそうな目を擦りながらドアを
開けたエヴィンを見てエリーは言った。
「あ・・・エリーちゃん、おはよ・・・」
「どうかしたのエヴィン？昨日の午後から調子が悪そうだったけど・・・」
「いや、大丈夫だよ。ただ、昨日はなかなか寝付けなくて・・・」
言いながらエヴィンは部屋から出て、、二人で朝食の準備に取りかかる。
やがて朝食の準備が整い、焼きたてのトーストを半分食べ終えた所で、
エリーはエヴィンに話しかけた。
「ところでエヴィン」
「なに？」
「そろそろ山の上の方でラエルの実がなる頃だと思うんだ。」
「ラエルの実？何かの木の実か何か？」
「うん！この山のてっぺんの方で、この時期に少しだけなる実で、すごく
薬効が高いの！エヴィンにあげた薬だって、それが原料だったのよ。」
エリーはエヴィンに「ラエルの実」についてそう解説する。そしてそんな
彼女の説明を聞いたところで、エヴィンは前々から思っていた疑問を彼女に
投げかけた。
「へぇ・・・ところでエリーちゃん。」
「ん？」
「エリーちゃんの薬作りって、誰に習ったの？」
「・・・・・・」
エヴィンがそう聞くと、エリーは少し顔をうつむかせ、何か考え込むような
顔つきをした。
「エリーちゃん？」
いつもと少し違う表情のエリーに、エヴィンは再び、恐る恐る声をかける。
そしてエヴィンの問いかけから少し間をおいた後、エリーは静かに口を開いた。
「知らない・・・」
「・・・？」
「気がついたら、分かるようになってた・・・」
「気、気がついてたら、って・・・」
「・・・ごめん、今はこれ以上言いたくないの・・・」
エリーの『気がついたら分かるようになっていた』という言葉の意味が全く
飲み込めず、更に質問を続けようとするエヴィンに、エリーは寂しげな瞳と
口調で静かに語る。そしてそんな雰囲気のエリーに対し更に質問を続ける
ほど、エヴィンも無神経ではなかった。
そんなわけで朝からエリーはテンションが低く、エヴィンもまだ前日の気味の
悪い「声」の事をを引きずっている、そんな日に出かけたくないのは二人とも
やまやまなのだが、薬効が高く稀少価値の高い木の実を手に入れる入れない
というのは今の二人の生活に直接関わってくる問題である。だから二人は、
当初の予定より少し遅れながらも仕度を整え、山頂目指し出発した。
エリーの家のある山、「カオウェイ」は高さはほんの七・八百メートルの山である。
だがその斜面は急角度で、しかも上に行けば行くほどその角度は厳しさを増し、
山頂前の１００メートルを切ると、ロッククライミングさながらの装備を要求
される山であった。
「フゥ・・・」
自分がこれまでに経験した事の無い急斜面を登り続ける事約二時間、岩場に
腰かけ、水筒の水を一口飲み、キャラメルを一個口に放り込んで一息ついた
エヴィンは、エリーにあとどれくらいの距離かを尋ねた。
「そうねぇ、慎重に進んであと二時間ってトコかしら？これから先は斜面も
更にキツくなるだろうし。」
「しゃ、斜面もキツく、って・・・これ以上？」
「な〜に言ってるのよ！こんなのまだ序盤戦よ序盤戦！」
「うそ・・・」
エリーの言葉を聞き、上を見てエヴィンは愕然とした。これまでは目の前の
道を登るだけで手一杯だったので、残り何ｍかなんて考える余裕は無かった
のだが、一息ついて改めて見ると山頂はまだ遥か上にあったのである。
だが、余裕の表情のエリーを前にここで自分だけ引き返すのも、エヴィンの
プライドが許さなかった。
それからエヴィンは、角度が更に急になって行く斜面を必死に登り続けた。
そして登り続ける事約二時間半、ようやく山頂に辿り着いたのだが、そこに
着いた時のエリーの表情はパッとしない物であった。
「あちゃ〜、まだ一週間早かったみたいね・・・」
目の前にある、まだ青くて堅そうな実を見て頭を掻きながらエリーは言った。
そしてエヴィンはそんなエリーに一つの提案をした。「枝ごと持ち帰るワケ
には行かないのか？」と・・・しかしエリーはあっさりと首を横に振った。
「生憎、この実はここでしか上手く育ってくれないのよ。私も種を使って栽培
しようかと何度か試してみたけどね。ま、ダメな物はしょうがないわ。また
出直しましょ。」
エヴィンと違い山登りに慣れている余裕からか、思いの外あっさりした口調で
エリーは言い、そして下山のための第一歩を踏み出そうとした時、二人の上に
突然大きな日陰ができた。
「あれ？雲・・・？今日は雲一つ無い天気だと思ってたのに・・・」
突然できた日陰に、二人は訝りながら空を見上げる。と、そこで二人は言葉を
失った。彼らの頭上にあって日陰を作り出したのは雲では無く、翼を広げた
状態での全長は５メートル近くあり、全身は青色と銀色の中間のような色を
持ち、皮膚の状態は爬虫類のそれに限りなく近い空飛ぶ生き物だったのである。
「うわ・・・」
「え、エリーちゃん・・・この辺りって、こういうのもいるの？」
「いるワケないでしょ！こんな非常識な格好したヤツ！アンタこの山の事を
どんな所だと思ってるワケ？」
「ど、どんな所って、別にそういう意味じゃ・・・！」
突然目の前に現れた、両者の常識を超えた生物の正体に対し、二人は状況も
わきまえず口論を開始する。そしてそんな二人を前に怪物はしばらく空中で
羽根をはばたかせ、様子を伺っていたのだが、間もなく怪物は二人の視界から
急に遠ざかっていった。
「何もしないのか？」
姿が遠くなった怪物を見て二人は一瞬そう思ったのだが、その考えが間違いで
ある事に気付くまで、ものの十秒も必要としなかった。一旦距離をあけた怪物が
そこから急加速して再接近し、強烈な体当たりをエヴィンに喰らわせたのである。
「ぐっ・・・」
「エヴィン！」
怪物の体当たりで弾き飛ばされ、エヴィンは山道を転げ落ちそうになり、そんな
エヴィンを助けようとエリーは慌てて彼の元に駆け寄ろうとする。だが、直後に
エリーは自分の足が空を蹴ってばかりで一歩も前に進まず、更に地面がどんどん
自分の視界から遠ざかって行くのを感じた。怪物が、その巨大な爪でエリーの体を
掴み上げていたのである。
「エヴィン！助けてっ！！」
ワラにも縋る思いでエリーは叫んだ。しかしそれと同時に、叫んだところでどう
なる物でもない事は、彼女の理性が何よりも理解していた。猟銃でも持ってない
限り、空を飛ぶ相手にはどうしようもないと言う事を、である。そして下で聞こえた
エヴィンの絶叫にも似た声は、自分がこの世で聞くエヴィンの最後の声になるの
ではないかとさえ思われた。だが、次の瞬間、エヴィンはエリーの目の前にいた。
「エリーちゃんを離せ！」
眉をいからせそう言いながら、エヴィンは怪物の顎に蹴りを一撃叩き込んだ。
そして僅かながら苦悶の表情を浮かべる怪物に対し更に二発・三発と蹴りを
叩き込むとエリーの両肩を掴んでいる足の握力は次第に弱くなり、やがてほぼ
完全にその足を離した瞬間、エヴィンはエリーの体を怪物から奪い返した。
「大丈夫？エリーちゃん・・・」
「う、うん、ってエヴィン、浮いてる・・・？どうし・・・え？羽根・・・？」
目の前にいるエヴィンの姿を改めて見た時、エリーは一瞬言葉を失った。彼の
背中に、紫と黒の入り混じり、そして半透明状の、鳥の羽根のような翼があった
のである。そしてその翼が一回羽ばたくと、エヴィンは自らの高度を一気に上昇
させ、怪物を下に見下ろす位置に自分の身体を持って行った。
「シャギャァッ！！」
エヴィンの一撃で完全にいきり立った怪物は、今度は口から炎を吐き出した。
しかし真下から来たその直線的な攻撃をエヴィンは難なくかわす。だが、間髪
入れずに来た次の攻撃は、まるで散弾銃のように広範囲の攻撃だった。しかも
攻撃の持つスピードその物が初弾のそれとは比べ物にならないため、完全に
かわし切るのはまず不可能、二人のうち最低一人は無傷ではいられないように
思われた。しかしエヴィンの顔に焦燥は見られない。
「かわしきれないのなら・・・これでっ！」
瞬間、エヴィンの背中から翼が消えた。そして翼が消えると同時に二人の前には
暗黒の色をした巨大な盾が現れ、怪物の攻撃を防ぐ。だが、翼が消えて盾が出た
という事は、二人が空中で止まる手段が無いという事である。そしてそうなると
当然、二人の高度は急速に降下して行った。
「エヴィン！」
落下して行く自分に恐怖し、エリーは思わず瞳を閉じ、そしてエヴィンの体に強く
しがみついた。だがそれでもエヴィンは翼を使わない。しかし、盾を盾のままに
しているのでも無かった。エヴィンの暗黒のフォトンは第三の形をなしたのである。
「これで決めるっ！！」
エヴィンのその言葉と共に、盾は今度は剣になった。全長が１メートル半ほどの、
暗黒のセイバー、エヴィンは左腕でエリーを抱えながら、右腕でセイバーを振り
かざした。
そして落下による加速力とエヴィン自身の腕力を加えた一撃は、眼前の怪物の
分厚い皮膚を切り裂き、全身を両断するのに十分だった。真っ二つに割かれた
その怪物は、断末魔の叫び声を上げる事もできず地表に落下して行き、同時に
エヴィンも剣を再び翼に戻し空中で急激にブレーキをかける、そして地表まで
あと僅か２メートルといった所で体を完全に停止させると、今度は静かに目下の
岩場にその足をつけた。しかし彼の顔には、再び地面を踏めた安堵感も、怪物を
撃退した興奮も見られず、ただひたすらに無言のままうつむいているだけであった。
「・・・・・・」
「エヴィン？」
「・・・・・・なに？」
「助かったの？私達・・・」
「うん・・・とりあえず・・・」
「そう、良かった・・・」
エヴィンの言葉を聞き、周囲の状況を見つめ、エリーの心にも少しずつ平静が戻って
行く。と同時にエリーは自分の両腕が地面の降り立ち一分以上経とうとしている今も
エヴィンの体を強く抱き締めている事に気付き、慌てて両腕をエヴィンの体から手放
した。心なしか、エリーの顔が少し赤い。
「大丈夫？エリーちゃん？」
自分に背中を向け、呼吸が不安定なエリーを心配してエヴィンが声をかける。だが、
エリーはすぐに返事をする事はできず、やがてようやく呼吸が安定しかけ、消え入り
そうな声で「だ、大丈夫・・・」とだけ言うと、今度はエリーがエヴィンに一つの質問を
投げかけた。
「今のが・・・エヴィンの言ってた『闇の神子』の力なの？」
「・・・うん・・・」
エリーの恐る恐るとした口調に、エヴィンは静かに答える。と、エリーは顔に
満面の笑みを浮かべ、エヴィンの背中を強く叩いた。
「いいモン持ってんじゃん！エヴィン！！」
「え？いい・・・物？それって、神子の力の事言ってるの・・・？」
「今のこの文脈で、それ以外何があるって言うの？」
あっけらかんとした表情でエリーは答えた。
「いや、無いけど・・・でも、邪神の力なんだよ？それをエリーちゃん・・・」
「アンタの力が元はどういう物だったのか、前にも聞いたけど私も細かい所まで
分かってるワケじゃないわ。でも、その力のおかげで私達が二人とも無事だった、
とりあえず、それでいいんじゃない？」
「う、うん・・・そりゃ、そういう見方もあるかもしれないけど・・・」
「それに、さっきのエヴィン、ちょっとカッコ良かったわよ！」
「え？」
エリーの言葉に、エヴィンは思わず赤面する。と、そんなエヴィンの顔を見て
エリーは面白そうに笑い出した。
「ふふ、す〜ぐ真に受ける。これだからエヴィンって、からかい甲斐がある
のよね。ま、今日はひとまず帰りましょ！」
言い終わるとエリーは再び、山道を歩き出した。
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