「落ち着いて！　走らないでください！」
「慌てなくてもまだ時間はありますから！」

　ＡＷ１２８５年１月２２日。
　ここ、バヤマーレ平原は混乱の極みにあった。

　無理もない。
　あと十数時間後には、この星は消えて無くなってしまうのだから。

　アルゴル太陽系・第１惑星パルマ。
　その衛星軌道に据えられた監獄衛星『ガイラ』が、突如この星めがけて落下を始め
　たのである。
　その大規模さゆえ破壊もままならないこの衛星が地表に落下すれば、動力である対
　消滅反応炉の爆発により、パルマは崩壊する。
　宇宙船の航行が、惑星管理システム『マザーブレイン』によって禁じられている以
　上、この星に住む人々の命はもはや風前の灯火かと思われた。

　だが、この危機的状況に際し、いち早く対策を講じ、動いた者たちがいた。
　『ＡＭＰ（エイ・エム・ピー／Anti Motherbrain Partisan）』
　――反マザーブレイン地下組織の面々である。

　全ての人々を救うため、彼らはまず、古の時代に起きた惑星直列現象の際、
　人々が一時退避のため使ったといわれる『ドーム型宇宙船』４００隻を手配。
　そして次に、マザーブレイン・ネットワークからの
　宇宙船航行管制システム切り離しを試み、見事に成功させた。

　準備は整った。
　あとは宇宙船のことを人々に知らせ、この星を脱出するだけだ。

「地上班！　収容作業はどこまで進んでる！？」
『９割９分は！　あと１０分程度で完了すると思われます！』
「１分１秒でも惜しい！　できる限り急いでくれ！」
『は！』

　宇宙船のうちの一隻。そのブリッジに、１人の青年がいた。
　名はオハリオ・サ・リーク。ＡＭＰの実質的なリーダーを務めている。
　彼の尽力がなければ、この計画も実行段階まで至らなかったかも知れない。
　オハリオは、まさしく功労者だ。

　だが。

（……悔やまれるな……）

　彼の心は暗鬱として自らを苛む。

（出来うることなら、最悪の事態は避けたかったが……）

　本来なら、パルマ星の破壊そのものを阻止できるはずだった。
　しかし、闇は想像以上に強大だったのだ。

（ラ・シークの復活は予想外だった……奴さえ現れなければ、
　ここまで追い込まれはしなかっただろうな……）

　約１０００年前、狂王と呼ばれた男、レイバード・ラ・シーク。
　闇の力により甦った彼の者は、闇配下の異形の者たちを野に放ち、ＡＭＰを
　圧倒する力を見せつけた。
　これはＡＭＰにとって想定外の出来事で、必死に応戦はしたものの、　結局
　敗走せざるを得なかったのである。

（くそ……せめて、『ネイ・アームズ』の使い手が揃っていれば……）

　どうにかなったかも知れない。
　ソードとボウ以外の、残り３つのネイ・アームズ――ネイクロー、ネイスラ
　イサー、ネイショット――は、　その真価を引き出せる使い手に恵まれなか
　った。
　もしＡＭＰの中に、これらの力を存分に生かすことの出来る者がいたなら……。

『オハリオ様！　民間人の収容作業、完了しました！』

　暗い思考に沈みかけていたとき、地上からの通信が飛び込んできた。
　気分を奮い立たせ、胸くそ悪さを振り払うように指示を出す。

「よし！　防衛ラインのアイナたちを呼び戻せ！　すぐに発進するぞ！」
『はっ！』

　この船が最後だ。この『アリサ３世号』さえ離陸すれば、計画は完遂する。

　ふと、窓から遠くの空を見やる。
　そこに浮かび上がるは、蒼天を裂きこの星を射たんとする、赤き破滅の矢の姿。

　わき上がった憤りに任せるまま、オハリオは拳を肘掛けに叩きつけた。



　　　　　　　　▽▲　　　　　　　　　　　　▽▲



　星が、崩れていく。

「ああ、パルマが……私たちの故郷が……」

　ＡＷ１２８５年１月２３日・１８時０６分、ガイラはパルマ地表に落着。
　対消滅反応炉の爆発により、一瞬で星の３分の１が消滅し、
　そこから続く地殻変動で、アルゴルの政治・経済の中心地は
　粉々になって消失してしまったのだった。

　人々は、泣いた。

「畜生……俺達が不甲斐ないばっかりに……！」

　ある者は悲しみで。
　またある者は悔しさで。

　故郷の崩壊を目の当たりにして、彼らには泣くことしかできなかった。



　皆が悲嘆にくれる中、オハリオはひとり、ブリッジ上部にある目視観測室の窓
　から　母星があったはずの方向をぼんやりと眺めていた。無論そこにはもう、
　自然物と人工物が絶妙なバランスで調和していた、美しいパルマの姿はない。
　ひとつの星が、この宇宙から消え去ったのだ。

（無力だったな……）

　それは運命だったのか。どうしようもないことだったのか。
　できる限りのことはしたつもりだった。だが、押し止められなかった。
　何もかもが終わってしまったという脱力感。
　今はただ、自分たちの努力は無駄になってしまったのだという厳然たる事実を、
　茫然と、漠然と、認識することしかできなかった。

「オハリオ……ちょっと」

　突然、自分の名を呼ばれた。聞き慣れた、若干ハイトーンな声。ＡＭＰの副リー
　ダー、アイナ・ル・シールだ。
　振り向くと、彼女ひとりだけではなく、その後にアリサ３世の航法士、ジョゼフ・
　マーティンの姿がある。

「どうした？」
「ジョゼフが、話があるって」

　アイナの言葉と共に、その長身痩躯で眼鏡をかけた色の白い青年はオハリオの前に
　進み出、うやうやしく頭を下げた。

「何か問題でも起きたのか？」
「ええ……少々、判断に迷う問題が。それで、オハリオ様に指示を仰ごうとこうして
　参上した次第です」

　ジョゼフは、実に淡々とそう言った。
　もともと技術屋畑出身で、普段はメカニックをしているこの職人気質の青年は、自
　分の職務に忠実極まりない。　まるで精密コンピュータのようである。表情も、
　あまり豊かとはいえない。　今だって、このような状況であるにも関わらず、他の
　皆と違って冷静そのものといった風情だ。
　およそ『感傷』というものには縁がないのか、それとも意図的に遠ざけているのだ
　ろうか。　任せた仕事は１００％と言っていいほど完璧に仕上げてくるが、機械的
　な不気味さを与えるというのも　また事実だろう。
　その機械のようなジョゼフは、陰でそう揶揄されるとおりに、事務的に話を続ける。

「実はですね……パルマの重力圏を離脱する際に取った軌道が、
　手動コントロールだったせいもあるのでしょうが、予定のコースから外れたような
のです」
「それが、何か問題なのか？」
「当初計画では、パルマ脱出後にまっすぐモタビアへ向かう予定でしたよね？　です
　が現在、軌道のズレによりモタビア着陸コースを取ることができない状況に陥って
　いるんです」
「……何だと？」
「もう少し説明すると……現在、崩壊したパルマの破片が四方八方へ散っているので
　すが、　もし今の航路を変更してモタビアへの着陸コースを取ろうとすると、その
　中を突っ切らないと　いけないのです。さらに言えば、今期はモタビアとデゾリス
　がほぼ同じ方角に位置していますから……」

　ジョゼフは、そこで言葉を切った。
　その先には明らかに『決定的な一言』が続くのだろう。さすがの彼にも、
　それを口にするのは躊躇われるのだ。

「つまり……」

　オハリオも、内心では聞きたくはないと思った。だが、聞かなければ、
　自分たちの置かれている現状を把握することも、これからどうするのかという
　方針を立てることもできない。今は、たとえ嫌でも聞かなければならない時だ
　った。

「アルゴルに戻るのは難しい……と？」
「……そういうことになります」

　オハリオは嘆息し、思わず天上を仰いだ。
　何ということだろう。パルマが破壊されるのを阻止できず、その上　元凶を討つ
　こともままならないとは。　アルゴルに宿る神は、我々のことを見捨てたのだろ
　うかとさえ思えた。　我々自身の手で闇を祓うことができないというのならば、
　この無念の思いは　いったいどこへ向ければよいのだろう。

　できるならアルゴルへ戻りたかった。だが、それに伴うリスクは計り知れないほど
　大きい。　迂闊な判断は、乗り込んだ１０００万人もろともアリサ３世を宇宙の塵
　と変えてしまう――

（やむを得ない、か……）

　答えはすでに出ていた。我々は何のために母星を放棄したのか。
　それを考えれば、取りうる選択肢はひとつしかないではないか。

「仕方がない……アルゴルへの帰還は、諦めるより他にない、な……」
「オハリオ……それじゃあ」

　アイナは、オハリオ以上にその事実を認めたくないようだった。　非難と哀願が
　入り混じったような複雑な感情のこもった視線を、　交互に彼とジョゼフへ向け
　ている。　彼女のそんな様子を見ていると今しがたの決心が揺らぎそうになるが、
　事が事だ。私情をはさむわけにはいかない。

「アリサ３世は、このままアルゴル太陽系を離脱する。ジョゼフ、針路を外宇宙へ
　向けてくれ」

　感傷を抑えつけ、オハリオはハッキリと、言いきった。

「……本当によろしいのですか？」
「ここで無理に引き返せば、この船に乗る多くの人々の命を、　無駄に危険に晒す
　ことになる。それは、ダメだ」
「わかりました。ではすぐに針路を変更します」

　ジョゼフはそう言って、またうやうやしく一礼するとブリッジを出ていった。



　　　　　　　　▽▲　　　　　　　　　　　　▽▲



　彼の後ろ姿を見送った後、オハリオは腕組みをして壁に寄りかかると、思索を始
　め　た。このような事態に陥ったことを、いかにしてクルーや乗り組んだ人々に
　納得してもらうかについて、である。　アイナの方は、先程まで彼がしていたよ
　うに、窓の外をじっと見つめている。

　つい数時間前まで母星・パルマがあったはずの場所は、果てなく広がる漆黒の空
　間と同化し、　もはやそこに、かつての威容を感じさせるものは何もない。
　その向こう側、遠くに、パルマよりもひと回り大きな緑の惑星が見える。アルゴル
　太陽系第２惑星『モタビア』だ。　さらにその先には、白銀に輝く小ぶりな惑星。
　第３惑星の『デゾリス』である。

「タイラー達は……大丈夫かしら……？」

　ふと、アイナが言った。

「離陸直前に連絡は受けている。『彼ら』は無事に救出できたそうだ。……あとは、
　任せるしかないだろう」

　『彼ら』というのは、惑星モタビア自治州政府所属のエージェント、『ユーシス・
　ウッドワード』と　その仲間達のことである。ここ数年モタビアで続いていた異常
　事態の原因を調べるうち、　図らずしも星系管理システム『マザーブレイン』の持
　つ欺瞞性、そしてその裏側にある　危険な真実に迫りつつあった彼らのことを、Ａ
　ＭＰでは『貴重な同志』として陰でマークしていた。　真実を知られることを恐れ
　たマザーブレインの手によって彼らが逮捕され、現在ガ　イラで拘束されていると
　いう　連絡を、ユーシスと行動を共にしている工作員『シルカ・レビニア』から受
　けたＡＭＰは、　組織の中心人物のひとりである『タイラー・ソーンバーグ』が指
　揮する遊撃宇宙艦『ランディール』を派遣。　落下を始めたガイラから間一髪、ユ
　ーシスをはじめとした７人を救出したのだった。

「大丈夫さ。彼らなら、必ずアルゴルを護ってくれる」
「……そうね……そう、信じたいわ」

　だが、それは『祈り』や『願い』の類でしかない。
　自分たちはもう、この戦いを終わらせることはおろか、見届けることすらできなく
　なってしまった。
　もはや託すしかないのだ。あの、蒼い髪と瞳を持つ『アリサの末裔』の青年に。
　タイラーが、シルカが、無事に彼とその仲間達をアルゴル最強のエスパー『ルツ』
　師の下まで送り届けてくれたなら、アルゴルを救う道、未来へ繋がる道が開けると
　……開いてくれると思いたかった。

　それからまた、アイナは窓の外の宇宙――故郷の方向をじっと見つめ続けていた。
　まるで、遠ざかりつつあるアルゴルへ向けて、祈りでも捧げるかのように。
　一方のオハリオも、先程からの懸案について再び思索を始め、観測室には再び静寂
　が満ちていった。

「本当にお別れ、か……」

　しばらくして、静けさの靄を切り拓くように、アイナが呟いた。

「モタビアも、デゾリスも、もう二度とこの目で見ることはないのね……」

　その呟きには、母なる大地を護りきれなかった無念と、力不足だった（実際にはそ
　んなことはない。　彼女はよく頑張った）自分への悔恨と、そして閃光の中に消え
　ていった蒼き星への憐憫とが、　混ざり合っているようだった。
　――何か、言葉をかけたほうが良いか。
　オハリオが顔を上げたのを知ってか知らいでか、アイナは言葉を接ぐ。

「晴れた日の夜に空を見上げると、モタビアがたくさんの星を従えて、輝いていると
　ころとか……　明け方の、太陽が昇ってくる少し前に、デゾリスがひときわきれい
　に見えるのとか……好きだったな……」

　その言葉を聞いて、オハリオは気付いた。
　今アイナの瞳に映っているのは、窓の外に広がる果てない星の海ではなく、パルマの
　大地から見上げた星空なのだと。　オハリオの心の中にも、あの懐かしい風景――
　どこまでも広大に拡がる草原や、　理路整然としつつも決して無機質ではない街区の
　様子が思い返されて、　郷愁が胸の内を満たしていく感覚に、彼は絶句せざるを得な
　かった。

　――自分たちが失くしたものは、どれほど大きかったのか。

「…………」
「でも、もうそれも見られない……パルマは、なくなってしまって、私たちは……戻る
　こともできなくなって……」

　アイナの声が徐々にか細くなっていって、その肩が震えはじめる。

「オハリオ……」

　振り返ったアイナの、深いマリンブルーをした瞳は、潤んで、揺らいでいた。

「私、悔しいよ…………みんな、パルマを護りたくて、必死になって戦ったのに、結局
　護りきれなくて……」
「アイナ……」
「これから、あの恐ろしい化け物と戦わなければいけない人たちがいるのに、
　それを手伝うこともできずに、アルゴルから離れなければいけないなんて……」

　彼女の目から堰を切ったように涙が溢れて、ぽろぽろとこぼれ落ちていく。　慰めの
　言葉が見つからない。こんな時に何を言っても気休めにしかならないと思ったし、何
　より自分も、同じ気持ちだった。
　言葉の代わり。オハリオは手のひらに滲んでいた汗を上着の裾で拭うと、アイナの
　柔らかなショートのブロンドを、そっと抱き寄せた。
　彼女の震えが伝わってきて、それに呼応して、自分の中の無念の思いが増幅されて
　いく気がした。

　もう一度、窓の外を見やる。
　彼方に見える我らの故郷、美しきアルゴル太陽系。
　その星々に、闇の中から破滅の魔の手を伸ばそうとする者がいる。
　彼の者は、パルマを粉々の土くれと変えたのみにあきたらず、
　モタビアやデゾリスさえも、宇宙の塵と化さんと舌を舐めずっているのだ。

（闇の王『ダーク・ファルス』……！）

　オハリオの心の中に、不意に仄昏い憎悪の感情が、焔の如く吹き上がった。真っ暗な
　宇宙。その裏側にいる、全ての災いの元凶。それに対する怒りが、憎しみが、血流に
　のって　彼の身体を内側から灼き尽くさんとばかりに猛り狂い、駆け巡っていく――
　虚空を――直接は見えない彼の者を睨みつけるようにしながら、オハリオは強く、強
　く、思った。

（憶えていろよ……我らの故郷を奪った報いは必ず受けさせてやる！我らが血筋何代先
　になろうとも、いずれ必ずアルゴルに戻り、貴様に引導を渡してやるからな！その時
　まで……首を洗って、待っているがいい……！）



　やがて、アイナの嗚咽と肩の震えが少しずつおさまっていって、　彼女の頭が、オハ
　リオの胸から少し浮いた。

「落ち着いたか？」
「……ええ」
「じゃあ、ちょっと手伝ってくれ。みんなにこの事を伝えなくちゃならないからな」

　目尻に残った涙を拭うと、アイナは無言でうなずいた。
　オハリオは彼女を伴ってメインブリッジへ降りると、その中で一段高くなっている
　キャプテン・シートの所まで、歩を進める。
　そしてひとつ深呼吸をすると、周りにいる皆に向けて、言った。

「みんな、ちょっと聞いてくれ。……重要な話がある」



　　　　　　　　▽▲　　　　　　　　　　　　▽▲



　こうして、２０００年もの長きに渡る旅は始まった、と私は伝え聞きました。
　アルゴルを離れ、あてどもなく宇宙を彷徨い、そして『闇』と戦って……。

　しかし、われわれは勝ち取ったのです。新たな大地。新たな友。　真っ暗な
　トンネルを抜けた向こう側には、優しき人々が住んでいました。

　われわれを受け入れてくれた、『地球』という惑星……。



　旅の終わりを祝して、私はこの話を物語として書き記すことにします。多くは
　古き言い伝えから構成したものであり、あまり信憑性は感じられないかも知れ
　ませんが、しかし、これは本当にあったことなのです。

　この物語を、後世の人々へと捧げます。



　ＡＵＷ０００１年１２月１３日
　シドニーにて

　ルナ・ケイ・エシル


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