二つの「闇」 〜時の交差後伝〜

第十話 忠義の意味

「お食事をお持ちいたしました・・・」

レガードに仕える執事、ヘインはドアをノックしてからそう言うと、
腰に下げていた鍵束のうちの一つを使い地下室の扉を開けた。

「少しは召し上がられないと、お体にさわられますぞ・・・」
前回持ってきた食事が全く手がつけられていないのを見て、心配
そうな声でヘインは言う。しかし、そう言われても言われた相手は
顔を背けたまま、何も言おうとはしなかった。

その地下室は、書斎のような作りをしていた。ただでさえ人里離れた
山奥なのに、その地下に書斎を造るなんて、作った人間は余程外部の
騒音を嫌ったのだろうか?石で造られたその部屋には一脚の机と、机
備え付きの椅子、部屋の中の別室的に一角を区切って作られた水洗
トイレ、それに空きが目立つ大きな本棚があり、この本棚がただでさえ
あまり大きくない部屋を妙に圧迫している。

そんな一室に、ヘインの手により拉致されたリビアがここに入れられて
から、既に二日が過ぎていた。ヘインが一日三度、食事を持ってくる
以外は、ずっとここに一人でいる。丸一日、何かを尋問される事も無け
れば、特に監視されているというような様子もない。もっとも鋼鉄製の
扉には常に外から鍵がかけられている事にくわえ、右足首には鉄製の鎖
つきの足枷がはめられており、部屋から一歩も外に抜け出す事はできない。

「・・・人の体の事を心配してくれるのなら、早く家に返してよ!私の家に
 身代金になるほどのお金なんてないんだから!」
壁に目を向け、じっとヘインがいなくなるのを待っていたリビアだったが、
なかなか部屋からいなくならない相手との何とも言えない嫌な空気にたまり
かね、震える声でそう言うと、ヘインは小さくため息をつき、そしてもう
何度も言った言葉をもう一度繰り返した。

「いえ、ですから何度も申し上げておりますように、あなたの身内から
 金銭を脅し取ろうなどと考えているわけでは・・・」
「じゃあ、例の「闇の神子」とかっていうののためだっていうの?」
リビアの問いかけに、ヘインはコクリ、とうなずいた。
「さようでございます・・・そして、レガード様が神子をこの場に連れて来て
 くださった今、もう少しで貴方もご自宅に帰してさしあげる事ができる
 かと・・・」
「神子が・・・来た?・・・その神子って人なの?・・・誰なのよ一体?その
『神子』がここに来るのに、なんで私が関係あるの?・・・もしかして、
『神子』って私の知っている人・・・?」
「・・・申し訳ございませんが、その質問へのお答えは、黙秘させて
 いただきます。『知らぬが仏』という言葉もありますゆえ・・・」
ヘインはそう言うと足早に部屋を出て、そしてまた表から部屋の鍵をかけ
ようとする。リビアはそれを何とか止めようとするのだが、足にはめられた
鎖がそれを許さなかった。

「闇の、神子・・・誰なの?一体・・・それに、私はどうなるの・・・?」
再び誰もいなくなった部屋で、その場にペタンと腰を降ろすと、リビアは
力無くつぶやいた。

そして、場面は同じ館の別の場所・・・

「・・・ここは、どこだ?」
気がつくと、エヴィンとマークは見知らぬ、かなり古そうな建物の中に
いた。テレポートしようとするレガードに無我夢中でしがみついた結果が
これなのだが、途中で振り落とされたのかレガードはこの場にはいない。
二人はそんな屋敷の中をキョロキョロと見回した。

「なんか、古いお屋敷みたいだけど・・・」
「んな事ぁ見ればわかるんだよ!俺が知りたいのは、もっと具体的な事!
 この家の場所とか、誰が住んでるのかとか!!」
「そんな事言われたって・・・僕に分かるわけないじゃないか・・・」
「分かるわけ無いって・・・お前あのオッサンと知り合いじゃないのか?」
「・・・違うよ・・・」
「じゃあ、なんであんなにムキになったんだ?」
マークがそう言うと、エヴィンはしばらく考え込み、そして口を開いた。
「あいつは、誘拐犯なんだ・・・」
「ゆ、誘拐?誰を?」
「先輩・・・」
「先輩、って・・・もしかして例の、お前が好きなリビアとかって人か?」
マークの言葉に、エヴィンは無言でうなずく。
「そっか・・・それでお前、あんなに不機嫌だったのか。ま、何はともあれ
 このあたりを見て回らないと始まりそうにないな。ここでボケッとしてて
 どうなるってモンでもなさそうだし。」
マークの言葉にエヴィンはすぐに同意する。そして二人は、建物の中を慎重に
歩き始めた。

「しっかし、見れば見るほど古そうだな、この家。」
「うん・・・でも、掃除はちゃんとしてるみたい。」
「どこどう見ても人が沢山住んでるようには見えないってのに、掃除してる
 人間はご苦労な事だな。俺なら絶対しねぇぞ。」
呆れ声でマークが言う。と、その瞬間、別の人間の足音と思しき音が二人の
耳に聞こえてきた。

「・・・人?」
「ああ・・・しかも、複数・・・」
瞬間的に身構えるエヴィンとマーク、そんな二人の前に、物陰から数人の
人間が姿を現した。しかも、それは一カ所からではない。数カ所ある物陰
から数人ずつ、合計で二十人になろうかという大人数である。そしてその
者達は全員、手に刃物などを持ち武装し、そして虚ろな目をして二人を
見ていた。

「な、なんなの?この人達・・・」
彼らの尋常ならざる様子に、一歩後ずさりしながらエヴィンは言った。
「こいつらの雰囲気・・・マズいな、俺達二人じゃ歯が立たない・・・」
以前、自我を失って自分に戦いを挑んできた不良達と全く同じ様子である
彼らを前に、舌打ちしながらマークはそう言うとエヴィンの方を向いた。

「エヴィン!強行突破するぞ!!」
「え?う、うん!」
その一言とともにエヴィンとマークは、なるべく手薄そうな一方面に向かい
突進した。相手を倒す事は考えず、ひたすら防御を堅めての突進である。
二人は、脇目もふらずに敵中を駆け抜け、そして追い続ける敵の声を背に
しながらも後ろを振り返りもせず駆け続けた。結果包囲網は突破し、敵から
かなり離れた所まで逃げられたが、二人ともある程度のダメージを受ける
のは避けられなかった。

「ふぅ・・・」
敵の急襲から逃げ延びた後、物陰に隠れ、二人は呼吸を整えていた。所々
傷はあるが、特別深い傷はない。エヴィンは自分の事をそう思っていたの
だが、マークに言われ背中にかなり大きな切り傷があり、そこから相当の
血が流れ出している事に初めて気がついた。どうやら痛みを感じるだけの
心の余裕も無かったらしい。そんなエヴィンの傷口に、呆れ顔のマークが
自分の手のひらを当てた。

「サンフォース!」
マークの手が光ると、見る間にエヴィンの傷がふさがって行く。単体での
回復力が最も強いサンフォースにしてもかなりのスピードである。そんな
事をマークができるのが、言っちゃ悪いがエヴィンには信じられなかった。

「ま、俺もガキの頃はよくケンカでケガしてたからな。それで『自分のケガ
 くらい自分で治せ』って親父にドヤされて、独学で覚えちまった。」
苦笑いしながらマークは言う。そして彼の「独学」という一言は、自分の
体に変な副作用を起こしやしないかと言う不安をエヴィンに駆らせさせ
たが、一応ケガは治った事だし、とりあえずよしとする事にした。

そしてまた二人の屋敷内部の捜索が始まった。いつまた敵に出くわすか
分からず、本当は大声でリビアの声を叫びたいのだが敵地なのでそれも
できない。そんな、かなり精神的に圧迫感のある状況での捜索である。
そしてそんな状況の中で、エヴィンはマークに話しかけた。

「ねぇマーク・・・」
「なんだ?エヴィン・・・」
「その・・・何て言ったらいいか・・・とにかく、ゴメン。」
「は?何急に言い出してんだお前?」
「だって、僕がいなけりゃマークがこんな所に来る必要は無かったから・・・」
自分に対し申し訳なさそうにそう言うエヴィンに、マーク一瞬ハッとした
ような表情をしたが、次の瞬間にはまたいつもの、明るい表情に戻り、
右手でエヴィンの背中を思いっきり叩いた。

「んな事ぁ今はどうでもいいんだよ!第一、どうせそんな事言ったって
 本当は、好きな先輩の事が心配で仕方ないんだろ?」
「え?え・・・えっと・・・」
「ホレ見ろ、ま、気持ちは分かるけどな。俺だって、お前の立場だったら
 野郎に構ったりしねぇしな。」
「・・・マークが僕の立場だったら、って、これがリビア先輩じゃなくって
 ジェシカだったら、って事?」
「な・・・」
エヴィンの一言に、マークは顔を真っ赤にしながら、エヴィンの今度は
後頭部を思いっきりひっぱたいた。

「なんでそこでジェシカの名前が出て来るんだよ!」
「だ、だって・・・仲いいじゃないか・・・」
「だ、誰が誰と仲がいいんだよ!寝言は寝て言えボケエヴィン!!」
「じゃ、じゃあ、嫌いなの?ジェシカの事?」
「え?い、いや、別に嫌いってワケじゃ・・・・・・ま、その・・・
 何て言ったらいいか・・・!腐れ縁だ腐れ縁!!それ以上でも
 それ以下でもねぇ!!・・・ったく、次行くぞ次!!」
かなり狼狽しながらそう言うとマークは立ち上がり、一人スタスタと先に
進もうとし、目の前の角を曲がった途端、何か人と思しき物にぶつかった。

「また敵か!?」
そう思い二人は身構える。しかし、そこに立っていたのは二人とも知って
いる人間だった。

「まったく・・・何をこんな山奥でギャアギャア騒いどるんじゃ。」
「爺さん!」
「お爺ちゃん!どうしてここが?」
突然現れた自分に目を丸くし驚くエヴィン達に対し、アレンはニヤリと
笑いながら彼の着ている制服の二番目のボタンを見るように促した。
そしてエヴィンが言われた通りにボタンを見ると、小さな機械のような
物が、そこにはくっついていた。

「発信機じゃよ発信機。昨日のうちにお前の学生服に付けさせてもらった。
 レガードの狙いがお前さんである以上、お前とレガードがまた出くわす
 のは当然の成り行きじゃからの。」
少し自慢げな口調でアレンは二人にそう説明をする。と、そんな三人の
背後から別の人間の足音が聞こえてきた。今回は今までとは違い、足音は
完全に一つしかない。しかし、その足音と同時にやってくる圧迫感は、
これまでとは比べ物にならない。そして警戒を強める三人の前に、一人の
小柄な老人が姿を現した。その老人は身なりはきちんとしているし、顔は
優しい笑みを浮かべている。しかしさっきから感じていたプレッシャーは
間違いなく彼から発せられている物であり、その事が非常にアンバランス
なように三人には感じられた。

「・・・あんたは?」
拳を握り直し、強い警戒心をあらわす目をしながらアレンは尋ねた。
「わたくしはヘイン・ド・ウィルソン、今より五十年程前、流浪の身で
 あった所を当時の当主ロベルト様に拾われ、以来三代にわたり
 このベネット家に執事としてお仕えさせていただき、今はレガード
 様を主と仰ぐ者です。」
「レガード・・・ベネットだと?それは偽名ではないのか?」
彼の言う名前にアレンがいぶかしげな表情をしてそう言うと、ヘインは目を
数回またたかせてから意外そうな顔をした。
「これは異な事を。レガード様はレガード様、他の何者でもありません。」
「しかし、データを調べても20代でレガード・ベネットという名前を持つ
 者はおらんかったが・・・」
ヘインの言葉を受け、アレンがそう言葉を返すと、ヘインはアレンから目を
反らし、ややうつむきながらゆっくりと話し出した。

「・・・ご主人様は・・・レガード様は、戸籍が無いのでございます。」
「え?」
「レガード様は、ベネットの先代当主、カイン様の側室の子なのです。」
「お爺ちゃん・・・『側室』って?」
「・・・今はそんな事気にせんでいい・・・で、何故戸籍が無いのだ?」
「以前、ベネット家にはミリアという名の召使いがおりました。その方は
 慈愛に溢れるお方で、旧家独特のしがらみに心を痛めがちだったカイン
 様の何よりの心の支えでした。そしていつしかお二人は惹かれあい、
 ご結婚を望まれるようになりましたが、周囲の反対は抑え難く、別の方を
 妻として迎える事となりました。しかしミリア様への想いは捨て難く、
 またミリア様もカイン様を捨て難く、そして生まれたのがレガード様
 なのです。」

ヘインの話す言葉に、アレン達三人は言葉が出ない。そんな三人を前に、
ヘインは一回深呼吸をして息を整えると再び語りはじめた。

「カイン様が奥様以外の人間との間に子をもうけられた事はベネット家の間で
 大問題となりました。カイン様の必死の懇願により助命はなったものの、
 奥様の嫉妬などもあってレガード様は奥様との間の子とされる事も、別の
 家に養子に出される事も許されず、その青春の大半を暗い、地下牢のような
 部屋で過ごされる事になってしまったのです・・・」

「それで、歪んだと言うのか?ダークファルスの力を求めるほどに・・・」
ヘインの話が終わったのを確認すると、アレンは再び彼に質問を投げかける。
だがその質問に対し、ヘインは首をゆっくりと横に振り、言った。「レガード
様は、そのような事でくじけられる方ではありません」と・・・

「・・・ここ二十年の間に、由緒あるベネット家は没落しました。奥様の一族の
 事業が失敗し、奥様はベネットの財を持って逃走・・・しかも司法には全て先手を
 打たれ・・・それを見抜けなかった私にも、責はありますが。そしてカイン
 様は絶望の中で倒れられ、後を追うかのようにミリア様も・・・そしてベネット
 家に残されたのはレガード様ご本人と、既に老朽化が進んだこの家のみ・・・」

「それでも、レガード様は器以外何も残されなかったベネット家を立て直す
 ために日夜、様々な困難と闘いながら苦闘されていました。しかし・・・」
「しかし?」
「レガード様のお身体は病魔に冒され、余命いくばくも無いと診断されたのです。」
「!!」
「だからレガード様は闇の神子の力を手に入れようと・・・それを手に入れれば病を
 癒し、望む物の全てが手に入ると・・・」
そう話すヘインの言葉は段々と涙声になってきていた。その涙が何のためなのか、
自分を責めての涙なのか、それとも不遇の主、不遇の主家を思っての事なのか、
それは部外者である三人には分からない。だが、だからと言って彼のしてきた事を
許し、受け入れる事はエヴィンにはできなかった。

「でも!だからって無関係なリビア先輩まで巻き込まなくても!!」
「・・・リビア様は、地下の書斎にいます。神子であるあなたが来たからには、もう
 解放するつもりでおりました・・・そう、我が主レガード様があなたの中にある、
 闇の力を手に入れれば・・・もっとも、その後貴方がどうなるかは知りませんが。」
「僕の中の・・・闇の、力・・・」
レガードと同じ言葉を言うヘインに、エヴィンは言葉を失う。そしてそんな孫を
かばうかのように、アレンはエヴィンの前に出た。

「ヘイン、ワシは自分の孫の中にそんな力があるかどうかは知らん。だが、
 お主は知らんだろうが、ダークファルスの力というのは、とても人の手に
 よって制御できる物ではないのだぞ?いや、もしかしたら、この世界その
 物を危機に陥れるやも・・・」
「構いません」
アレンの言葉を遮る形で、毅然とした表情でヘインは言う。そしてその言葉は、
アレンにとってかなりの衝撃を伴う物だった。
「!今、何と・・・?」
「構わない、と申したのです。レガード様の寿命を延ばし、ベネット家に過去の栄光を
 取り戻す可能性がある唯一の方策、それは私にとって、いかなるリスクを負おうとも
 賭けるに値する物なのです。」
「それが、多くの人を苦しめる結果となってもか!!お主の主人に、消えようのない
 悪名を残させる事になってもか!・・・ワシは若い頃から一人『忠臣』と呼ぶに値
 する者を知っておるが、彼ならそのような暴挙、止めさえすれど助長するような
 真似はしなかったぞ!!」
「アレン様、貴方のおっしゃる忠臣とはガズニ殿の事ですかな?」
「ウム。」
「ガズニ様は既に高齢を理由に引退され、故郷に隠居されていると聞きました。私は
 直接お会いした事はございませんが、非常に尊敬している人物です。」
「尊敬?ならば何故・・・」
「己の主人が悪名を被るのを全身全霊をもって防ぐ、これは忠義でしょう。しかし、
 己の主人が天意を裏切るのは許しても天意が主人を裏切るのは許さない、これも
 また、一つの忠義の形だと心得ております。」
アレンの目を見据えながらヘインは言った。その言葉にも、また瞳にも、迷いは全く
見られず、邪念も見られない。そんな彼の態度に、アレンは小さくため息をついた。

「・・・そうか・・・たしかに、そうかもしれんな・・・だが、その考え方は、理では
 認められても行いを認めるわけにはいかんのだ・・・」
「致し方ありませんな。ならばお互いの信念の下、一勝負と参りましょうか。その結果が
 いずれに味方するか・・・願わくば不遇の我が主に味方してほしい物ですが。」
その言葉と同時にヘインの闘気が急激に膨れ上がる。けれどどうも彼と戦う事に今一つ
釈然としない物を感じずにはいられないアレンは、何とか彼を押し止めようとした。

「まあ、そう焦る事もあるまい。ワシにできる事が何かあれば・・・」
「・・・お心遣いかたじけなく存じます。しかし、もう賽は投げられておりますゆえ。」
「賽は、投げられただと?それは一体・・・」
そう言いかけるアレンの喉元を狙いヘインの手刀が襲いかかる。アレンは間一髪で
それを見切るのだが、油断していたゆえに体勢に無理があり、反撃まではできない。
この場にいたってアレンはようやく、彼との戦いは避けられない事を感じ、そして
戦いが始まる前にエヴィン達に逃げるように促した。

「エヴィン、マーク・・・ここはワシが食い止める。ここから先、左手側の壁沿いに
 進んで行けばワシが侵入した所に辿り着ける・・・そこから逃げろ!」
「嫌だ!」
「エヴィン!」
「・・・リビア先輩がここにいる・・・そこまで分かってるのに、逃げる事は僕には
 できない・・・お爺ちゃんなら、分かるでしょ・・・?」
「エヴィン・・・」

「爺さん、俺もここで逃げる気はしねえぜ。何が起きてるのかてんで分からねぇが、
 抑えられねぇんだよ・・・武者震いってヤツが・・・」
エヴィンに続きマークもそう言ってこの場から離れる事を拒否する。そんな二人を
見て、ヘインは少しだけ笑ってみせた。

「ホホッ、方やアレン殿の孫、方やティーズ・ド・フランの、獅子の血を受け継ぐ者、
 激動を前に退く事はできない性分のようですな。」
「まったくだ・・・とんだクソガキどものお守りをするハメになったわい。」
アレンは苦笑いしながらそう言うと、拳を握り直し、目線をヘインの方へと向けた。

そして戦いが再開された。エヴィンやマークが及びもつかない、かなり高レベルな
攻防である。しかし、攻撃においても、防御においても、ヘインよりもアレンの方が
少しずつではあるが上であり、時間が経つにつれてその差からアレンの方が目に
見えて有利になってきた。

「まだ、続けるつもりか?できる事ならワシはお主を倒したくはないのだが・・・」
息の上がりはじめたヘインを気遣いながらアレンは言う。
「・・・さすがはかつての英雄、その力に衰えは無いようですな。しかし、見れば
 私の腕でもかすり傷をつける事は不可能ではないようです。」
アレンの腕や顔についている、いくつかの小さな傷を見てヘインは言った。
「たしかにな。だが、この程度の傷では、いくつ付けた所で子供さえも倒れぬぞ。」
「ええ、たしかにそうでしょう。しかし、たった一つのかすり傷をつける事により
 あなたを死に至らしめる事ができる、そんな方法があったとしたらどうですかな?」
言うやヘインは自分の服のポケットから小さな箱を取り出し、更にその中から水晶で
できた、何か液体の入っている小瓶を取り出した。

「この瓶の中には、象だろうと数秒で絶命させるほどの猛毒が入っております。また、
 特殊な製法で精製されているため、シーフォースも受け付けません。」
三人に瓶の事をそう説明すると、彼は再び小瓶に目をやった。そして目を一段と
険しくさせてから小さくうなずくと小瓶の蓋を開け、中の毒を自らの右手にかけた。
毒薬がかけられた右手は黒く変色しだし、周囲には何とも言えない異臭が立ちこめる。
そして瓶の中に入っていた毒薬を全て自分の腕にかけ終えると、ヘインはどす黒く
変色した右手を前面に出し、再び戦いの構えを取った。

「これで私の右手は必殺の威力を持つ武器となりました・・・もっとも、血管に直接入れる
 ほどでは無いにせよ、私の体も確実に蝕みますが・・・恐らく、私の命はあと数分・・・」
「毒手、と言うわけか・・・」
「毒手・・・昔漫画か何かで見た技を本当に使うヤツがいやがるなんて・・・」
「では、私の全てを賭けた生涯最後の拳、味わって貰いますぞ!」
言うやヘインはこれまでより数段上の、驚異的な速度と鬼気迫る表情ででアレンの
体を狙う。アレンは横っ飛びでそれをかわすのだが、ヘインはアレンの動きを予測
していたかの如く、手刀の動きを変化させた。だがアレンはそれをも身を屈めて
かわすと、足払いでヘインの体をぐらつかせ、そこから更に一撃を叩き込もうと
したが、そこまでの隙が相手に無いと判断すると相手との間合いを離し、体勢を
立て直すに止めた。

「まだまだあっっ!!」
体勢を立て直し、再びヘインの毒手がアレンを狙い、アレンはそれを一発一発、
着実にかわす。反撃に転じる隙は相手にはなく、自分にできる事はただ、全神経を
回避に集中させる事だけである。そして攻撃の回避に専念する事数分、ヘインの
体の動きが目に見えて鈍ってきた。どうやら、毒が全身に回りはじめたらしい。

「くっ・・・」
「どうした?このワシにかすり傷一つさえも負わせる事はできぬのか?」
息を切らし、片膝をついたヘインを前にアレンは言った。しかし、もう余命が
いくばくも無い筈なのに、ヘインの闘気は全く衰えを見せてはおらず、その
事に気付いているアレンもその警戒を解いていない。そしてお互い一歩も
動かずにその場に止まる事約三十秒、ヘインは静かにその口を開いた。

「カイン様・・・ミリア様・・・あなた様方の愛する子を守るだけの力を・・・
 ロベルト様をはじめとする、由緒あるベネット家歴代頭首の英霊達よ・・・
 どうか、一族の血を絶やさぬための力を・・・力を我に!!」
その瞬間ヘインの闘気が爆発的に膨れ上がり、スピードもこれまでに無い
ほどの速度になる。しかしそんなヘインを前にアレンは逃げず、自らも
拳を構え直した。

「うぉおおおおおっ!!」
「ぬうっ!!」
互いに必死の形相の中、拳と拳が交錯する。そして二人の間にポタ・ポタ、と
血が数滴落ちた。ヘインの手刀がアレンの左腕の付け根に突き刺さっていた
のである。そして逆にアレンの拳は、ヘインの体の1センチ前で止まっていた。

「お爺ちゃん!」
「アレン爺さん!!」
アレンとエヴィンの絶叫がこだまする中、アレンは後ろ向きに倒れ込む。
そして勝負の決着を確認すると、ヘインはニコと小さく微笑んだ。

「・・・まだ、敵は二人残されており、レガード様の雄飛も見届けておりません。
 お役目を十分に果たし得たとは言えませぬが、わたくしも皆様の下へと
 行かせていただきます・・・ベネット家に栄光あらん事を・・・」
言いながらヘインはその目を閉じ、そして床に倒れ込み、そのまま息を
引き取った。その死に顔は、どこまでも安らかな物だった。

「う、嘘だろ・・・」
「お爺ちゃん・・・」
目を閉じ、地面に倒れ伏したアレンを前にマークは呆然とその場に立ち
尽くし、エヴィンは大泣きしながらアレンの体を何度も揺さぶる。だが、
そんなエヴィンの背中を、ポン・ポンと叩く手があった。

「まったく・・・そんなに大泣きするんじゃない・・・」
「お、大泣きするなって!・・・え?」
その声で我に返ったエヴィンは、目の前の光景に我が目を疑い、そして大きく
後ろに飛び退いた。毒手の攻撃で死んだ筈のアレンが、目を開け自分の方を見て
話をしたからである。それからアレンは毒手の傷口に持ってきたナイフを刺し、
傷口を広げてからそこに口をつけ、血を吸い込んでから吐き出すと、同じく持参
していたモノメイトで傷口の手当をした。

「ふうっ、これでいい・・・」
自分のケガの手当てが終わると、アレンは「ふうっ」と軽く深呼吸をし、そして
右腕で額の汗を拭った。
「これでいい、って・・・爺さんあんた死んだんじゃないのかよ!」
「なんじゃい、死んだ方が良かったとでも言うのか?」
「だ、誰もそんな事言ってねぇだろ!シーフォースも受け付けない、象も数秒で
 倒す、そんな毒を喰らってなんで平気な顔してられるのかって、それを聞いて
 いるだけだろ!」
「タネが知りたいか?」
「え?あ、ああ。」
「なら、教えてやるか。だが、これはあくまでワシだからできる物だという事を
 覚えておくんじゃぞ。」
「うん・・・」
「実はな、最後のヘインの毒手を喰らったのはワザとなんじゃ。」
「え・・・?」
「オーバードライブの呼吸で毒手を喰らった部分の周囲の筋肉だけを急激に
 パンプアップさせ、その筋肉で血管を圧迫し、毒が全身に回るのを防いだ
 というワケじゃ。ああ言った鬼気迫る相手に対しては、その緊張の糸を
 切るのが最も有効じゃからの。」

「・・・本当に、それだけか?」
「ん?どういう意味じゃ?」
「それまでもあれだけの攻撃をかわしきっていたアンタだ、最後の攻撃だって、
 その気になればかわせたんじゃないのか?第一、最後だって分かっている
 相手の攻撃に、命がけで付き合う必要なんてなかったハズだし・・・」
「・・・・・・」
「・・・僕にも、ヘインさんは悪い人には見えなかったし、横から見ていて
 すごく痛々しかった・・・お爺ちゃん、もしかしてヘインさんに花を
 持たせるつもりだったんじゃ・・・?」
「さあなぁ、その辺はお前達の想像に任せるさ。だが、戦いの中でも相手の
 心を気遣える、そんな気持ちを少しでも持っているのなら、それは大切に
 しておくんじゃぞ・・・」

アレンはそう言うと、その場にドサと尻餅をついた。

第十話 完

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