「お前さんの名前も教えてくれんか？」
微笑みながら自分にそう言うギゾに、エリーは少し緊張しながら答えよう
とする。と、その時、外廊下から響いてきた数人分の慌ただしい足音が、
二人のいる書庫の前で止まった。
「会長！」
ドアを開けた警備員の男は焦りを満面に浮かべ、叫ぶような口調で言った。
しかしギゾの方は、それとは対照的な呑気な姿勢を崩していない。
「なんじゃい騒々しい。」
忌々しげな口調でギゾが言う。
「今し方、不審者が脱走して屋敷の中を徘徊しています！ご無事ですか！？」
「ワシが無事かどうか、見りゃ分からんか？」
ギゾの意地悪な返事に、警備員は思わず言葉を詰まらせた。そして更に不審者の
容姿を尋ねるギゾに彼が「中学か高校生くらいの栗色の髪の女の子です！」と
答えると、ギゾは不機嫌そうに机を叩いた。
「そんな子供相手に大騒ぎするバカがおるか！さっさと通常業務に戻れ！！」
「え？いや、しかし・・・」
「問答無用！」
怒鳴り散らすギゾの剣幕に、彼らはほうほうの体で書庫から出る。そしてドアが
再び閉まるのを確認すると、ギゾは机の下のエリーに出てくるように促した。
「ありがと！でも、なんで私をかばってくれたの？」
不思議そうな顔でエリーが尋ねる。
「なに、単なる気まぐれじゃよ。しかしお前さんみたいな子供一人捕まえられん
とは、奴ら相当たるんどるな。ところで、話はどこまで行ってたっけ？」
自分にそう聞いてくるギゾに、エリーはまず自分の自己紹介をする。と、ギゾは
何かを納得したかのようにウンウンと頷いた。
「エリー・ロックフィールド、前に写真を見た事があるから多分そうじゃとは
思っておったが、やっぱりそうじゃったか。」
「え？知ってるんですか？私の事・・・」
「うむ、エヴィンとの絡みでな。」
「！！」
ギゾの言葉に、エリーは顔を強くこわばらせた。
「それ、どういう意味です？テオさんは何も教えてくれなくて！」
顔に焦りの色を濃く浮かべながら問い詰めるエリー、そんな彼女を前にして
ギゾはしばらく考え、そして口を開いた。
「エリー、テオがお前さんに何も話さなかったのは、お前さんを傷つけたくは
なかったからだ。決して、意地悪をしようと思ったワケじゃあない。」
「・・・・・・・・」
「テオは優しいからな、子供が傷つくのは耐えらんのだ。」
「・・・で、でも・・・私が、傷つくって・・・？」
「ただ、ワシの考えは違う。時には嫌な事に直面し、悩みに悩んでこそ人は
成長する、そしてそれを助けるのが大人の役目だと・・・」
ギゾはそう言うのだが、エリーには彼の言葉の意味が掴みきれない。そして焦り
気味にギゾに更なる発言を促すのだが、そんなエリーを無視するかのように彼は
手元の受話器を手に取り、ボタンを数回押した。
「・・・ん？ああ、ワシじゃ。ちょっと話があるんで書庫まで来てくれんか？あ、
ついでにマークのヤツにも声をかけといてくれ・・・」
電話の相手にそう言い終わると、ギゾは受話器を置きエリーにもう少し待つように
言い、そして待つ事数分、書庫のドアが開き二人の少年少女が入ってきた。
「爺さん一体何の話・・・あ！」
「あ、あなたは・・・」
気だるそうな足取りでギゾの前に来た少年は、驚きの目でエリーを見た。当然その
驚きは、エリーも一緒である。
「てめぇ！さっきの金的女！！」
「き、きんて・・・何よ！喰らう方が悪いんでしょ！」
「んだとぉ！それじゃあさっきの続きするか！？」
「望む所よ！！」
「やめんか二人とも！！」
出会い頭に一瞬にして一触即発ムードになる二人をギゾは一喝して止める。そして
咳払いを一回するとまた自分の言葉を続けた。
「まったく、元気なのは結構だが時と場所をわきまえんか！しかしお前さん達が
もう顔見知りだとは思わなかったぞ・・・にしても、金的じゃと？」
不思議そうな顔をするギゾにマークは少し渋りながら事の次第を説明する。と
ギゾは大声で笑い出し、そしてその笑いが止まるのに数分を要した。
「そーかそーか、金的ねぇ・・・マーク、お前もまだまだ詰めが甘いようじゃの。」
「・・・・・・・・・」
「しかしエリー、リビアにドアをブチ当てといて一言も言わないというのはあまり
感心せんぞ。」
「え？リビア・・・？」
ギゾにそう言われ、エリーはハッとした表情で後ろを振り向いた。自分が思い切り
開けたドアに頭をぶつけ気を失った少女、彼女がリビアだったのである。その事に
気がつくとエリーは、さっきまで持っていた彼女に対する申し訳の無さよりも別の、
あらゆる意味で自分をムカムカさせる感情がこみ上げてくるのを抑えずにはいられ
なかった。だから最初のエリーの謝りの言葉はまるで心がこもっておらず、ギゾに
叱られ今度はようやく、きちんとリビアに謝った。
「ごめんなさい・・・痛く、なかった・・・？」
「いいのよ、気にしなくて。もう治ってるから。」
頭を下げながらそう言うエリーにリビアはかえって申し訳なさそうにそう言う。
そんなリビアの態度を見て、エリーはリビアが悪い人ではないという事はすぐ
理解した。だが、そんな好印象と、リビアに対する嫉妬が一瞬のうちに複雑に
交錯したエリーは脳味噌を激しくシェイクされるような感覚に襲われ、軽い
目眩を感じ、近くにあった椅子に腰をかけた。
「んで、そろそろ本題に入っていいか？」
ギゾのその言葉に三人は改めて彼の方を向き直す。そんな三人に対しギゾはまた、
問いかける「嫌な事実であっても目を向ける勇気があるか？」と・・・そしてその
問いかけに対する反応の所要時間こそ各人若干の差があったが、それぞれが出した
結論は同じである。全員「知りたい」という回答をした。
「勿体ぶってねぇでさっさと教えろよ！爺さん！！」
なかなか話の中心に向かおうとしないギゾに苛立ち、荒々しい声でマークがせかす。
そんなマークの言葉を受けてから数秒、ギゾはようやく口を開いた。
「そうか・・・ならば結論から言おう・・・エヴィンが、行方不明になった。」
「！？」
「どうやら、拉致された可能性が高いらしい・・・そして、その場所の詳細は・・・
ウェンフィールド財団の全力の調査をもってしても掴めていない。ただ・・・」
「ただ？」
「拉致の実行犯にして相手組織の主犯格のと思われる人物の名はディルナ・
ロックフィールドと言い、ここにいるエリー・ロックフィールドの父親の可能性が
極めて高いという事だ。」
「・・・・・・・・・・！」
ギゾのその言葉に、三人とも言葉を失った。しかし、同じ言葉を失うのでも、
マーク＆リビアとエリーではショックの重みが違う。エリーは暫くの沈黙の後、
「何を根拠にそんな事を言うのか」と食い下がったがそれに対するギゾの答は
非常に明瞭な物であった。
「お前さんの家に盗聴器を仕掛けさせてもらったんでな。」
「え？」
「エヴィンが自分の中にあるもう一つの力に気付いて逃げ出したという事を
アレンのヤツから聞き、こちらでも調査を開始したのだが、エヴィンの性格
からして素直に帰るとも、また帰ったとしてもそれで全てが丸くが収まる
とも思えなかったんでな。だから財団の精鋭部隊を見張りにつけ、２４時間
体制で監視していた・・・まあ、その精鋭部隊がディルナという人間一人に
歯が立たなかったのは計算外だったがな・・・」
「そんな・・・エヴィンが・・・？しかも、パパが犯人・・・？」
ギゾの言葉を聞くとエリーの顔はますます青白くなる。そして呼吸を乱し、
よろめきながら立ち上がると、今にも倒れそうな足取りで扉に向かい、扉を
開けるとエリーは表に出た。そしてエリーが外に出ると間もなく、リビアも
エリーを追いかけるために書庫を飛び出した。
「爺さん・・・」
リビアとエリーがいなくなり、二人っきりになった書庫で、マークはギゾに
語りかけた。
「エヴィンがさらわれたって、本当なのか？」
マークの問いかけに、ギゾはコクリと頷く。
「しかし、第一あのエリーって子は何者なんだ？エヴィンの知り合いか？」
「ウム・・・エヴィンの同居人だ・・・」
「ど・ドーキョニン！？！？！？！？」
ギゾの答えにマークは唖然とした顔にならずにはいられなかった。
「ああ、お前さんやアレン、リビアと別れた後、エヴィンはカオウェイの山中で
栄養失調と風邪で倒れた、そして死にかけのエヴィンを発見し、介抱したのが
あの子、エリー・ロックフィールドだったというワケだ・・・」
「なるほど・・・」
ギゾの言葉を聞き、マークは小さく頷いた。
「これで、あの子のリビア先輩への妙にギクシャクした態度にも合点がいったぜ。
・・・二股かけてやがったのか、あの野郎・・・」
「いや、エヴィンはそんな器用なマネはできんよ。お前さんも分かるだろう？」
「まあな。」
ニヤリと笑いながらそう言うギゾに、マークもニヤリと笑いながらそう言い返す。
それから一呼吸おいて、ギゾはまた話し始めた。
「旅を続けるにも旅費も食糧も無かったエヴィンは、エリーの勧めに従い彼女の
家に厄介になり、そこで自分の腕に磨きをかける事にした・・・自分のせいで
危機に晒されそうな仲間がいても、それを全て守りきれるようにな・・・」
「・・・あのバカ・・・」
ギゾの話を聞き終えるとマークはため息とともにそう言い捨てた。
「何を、考えてやがるんだ・・・自分の仲間を全員守りきるだぁ？そんな事、
一人でできるワケねぇだろうが・・・オレとかと別れてから一ヶ月以上にも
なるってのに、そんな事もまだ気付いていやがらねぇなんて・・・」
「ああ・・・できるワケがない・・・できるワケがない無謀な事だ。だがエヴィンは、その
できるワケのない無謀な事に必死になって挑み続けた・・・だが『トライデント』の
実力はそんなエヴィンの力をもってしても、歯が立たないものだった・・・」
「・・・なぁ、結局その『トライデント』って何なんだ？何か、知ってないのか？」
「トライデント、本来は三つ又鉾を意味する言葉、これは現在、彼らの組織の
名称であり彼らの計画の一環と考えていいだろう。そして彼らはエヴィンの
事を『第一の刃』と呼んでいた・・・となると当然、第二第三の刃がある筈
なのだが、それが何を指すのかは不明・・・また、エリーの父は自らの事を
トライデント『四傑』の筆頭格と言っていた。となれば、ヤツに相当する力の
持ち主があと三人はいると考えていいだろう・・・」
ギゾは静かに語り続けた。そして話が一段落し、テーブルの上の冷めた紅茶の
入ったティーカップを手に取った時、さっき一度はギゾに追い返された警備員が
再びドアを開いた。
「会長！」
「今度はなんじゃ！」
「今、道場の方に乱入者が！既に道場内には多くの負傷者が出ており、現在は
総師範が対峙しておりますが・・・」
「なんだと・・・」
警備員の言葉にギゾはサッと顔色を変え、道場目がけ走り出す。当然マークも、
彼について走り出した。
そして場所は変わりウェンフィールド流格闘術の道場内・・・
道場の中心に二人の人間が正座をして対峙していた。二人のうちの一人はテオ、
もう一人は三十代半ば前後の男である。男の身長は１８０ｃｍ強、体は太っても
やせてもいない。だが、その一見中肉程度の浅黒い体は何重にも圧縮した筋肉を
凝縮したかのような感を与える。そして眼光は鋭く、がっしりとした顎を持ち、
無精髭を生やしている男だった。そんな二人の対峙を前に、テオの門下生達は
ただ遠巻きに事の成り行きを眺めている事しかできなかった。
「拳聖、テオ・ウェンフィールド・・・あなたとは同じ時代に生まれたかった・・・」
「ええ・・・あなたの名前を聞いた時、私もそう思いました・・・しかし、現実に
私が生まれたのは、あなたよりも二十年早かった・・・」
「確かに・・・しかしテオ・ウェンフィールド、その二十年の差を一瞬で埋める
方策があるとしたら、どう考える？」
「それが、あなたの若さと関係があるんですね・・・」
「いかにも・・・私はこの肉体のため、契約を結んだ、そして私は今・・・」
「テオ！無事か！！」
ギゾはその一言とともに息を切らしながら道場に飛び込んだ。そしてテオがまだ
無事である事を確認し、安堵の表情を浮かべるとともに、激しい警戒の視線が
眼前の男に向けられる。だが、そんなギゾの他に、眼前の男の事を強い驚愕の
目で見つめる者がいた。マークである。
「あ、あんたは・・・」
眼前の人物を前にマークは、まるで幽霊でも見るかのような目をした。手は
震えながら彼の顔を指さし、口調はひどくおぼつかない。しかしマークはそれ
でも何とか、絞り出すかのようにして自分の言葉を続けた。
「武神・・・ヴァルグ・レイナード・・・」
「そう、呼ばれた事もあったな・・・しかし、君のような少年が私の名前を
知っているとは思わなかった・・・」
「し・・・知らねぇワケねぇだろ・・・あんたは、テオ・ウェンフィールドと同じ
くらいにオレの憧れだった・・・」
「そうか・・・」
マークの言葉にヴァルグは満足そうな微笑みとともに頷いた。
「けど、あんた、もう６０近い筈なのに・・・」
「私が何故、若い肉体を保っていられるか知りたいか？」
ヴァルグの問いかけに、無言で頷くマーク。そんな彼の反応を見るとヴァルグは
再び口を開いた。
「トライデントと契約したからだよ！トライデントは私の力を求め、私は若さと
引き替えにそれを提供する事を承諾した。そして今は、トライデント四傑の
一人としてここに来た。」
「トライデントだと・・・？」
「そうだ。そして今回の目的はテオ・ウェンフィールドへの協力要請、もし拒むの
ならば殺しても構わないと伝えられている。」
「・・・・・・・・・・」
「失望したか？」
言葉を失ったマークにヴァルグ少し自嘲気味にはそう自分の言葉を続ける。だが、
そんなヴァルグの言葉に、マークは静かに首を横に振った。
「あんたは、ガキの頃からオレの憧れだった・・・あんたの戦うビデオや雑誌を、
ボロボロになるまで見てきた・・・そう、テオ・ウェンフィールドと同じくらい・・・」
「ここに来て、テオ・ウェンフィールドに会った時は、まぁ、本人を前にして言う
事じゃあないかもしれねぇけど、オレの心の中のテオとはあまりにも違った・・・」
「それでもテオさんには色んな事を教えてもらったし、本当に凄ぇ人だと思うけど、
けど、何か違ってた・・・けどヴァルグ、あんたはそのままの姿で来てくれた・・・
オレが知っている、オレが憧れた、全盛期そのままの姿で・・・こんなに・・・
こんなに嬉しい事はねぇ！」
「・・・面白い事を言う子だ・・・いいだろう、君が憧れたという武神の拳、存分に
堪能するといい・・・」
マークの言葉を聞き終わると、ヴァルグはニヤリと微笑んだ。
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