そしてマークはヴァルグ目がけ一直線に、嬉々とした表情で突進した。二人の
間合いはすぐに詰まり、武神の姿がマークの攻撃の射程距離内に入る。すると
マークは飛び上がり、相手の首筋、延髄目がけ強烈な蹴りを叩き込んだ。
「そらそらそらぁっ！！」
延髄斬りの後着地したマークは更に攻撃を叩き込む。今度は内臓を狙った、
左右両腕を使ったボディアッパーの嵐である。そしてそれを十数発入れ終え
ると、今度は同じ所目がけトドメとばかりにミドルキックを叩き込む。これら
一連の攻撃をやり終えるのにマークが必要とした時間は、十秒に満たなかった。
「いい攻めだ・・・」
攻撃を終了し、額に汗をにじませながら拳を構え直すマークに、ヴァルグは
そうつぶやいた。
「なかなか、的確な攻撃だったぞ。世の格闘家と呼ばれる連中でも、こうも
素早く正確な動きはそうそうできないだろう。」
「けど、あんたには通用しないってか？」
ヴァルグの言葉に、マークは自嘲気味にそう言い返す。そしてマークの言葉に
ヴァルグがニヤリと笑ったのを見たかと思った瞬間、マークは全身に激しい
衝撃を感じていた。人間の反射速度をも凌駕するスピードのミドルキックが
マークの身体を捉えていたのである。
「ぐっ・・・」
衝撃で足が崩れ落ちそうになるところを、マークは何とか踏みとどまった。
どうやら、決定打とまではなっていないらしい。だが、それでも大ダメージを
受けた事には変わりなく、態勢が整わない彼の顔面目がけヴァルグは左腕で
数発ジャブを入れ、そのジャブへの警戒心のためボディへの警戒が疎かに
なったマークのみぞおちに、ヴァルグの強烈なボディアッパーがめりこんだ。
「ぐはっ・・・」
マークはその一撃で口から血を吐き、意識も朦朧としてくるのを感じずには
いられなかった。だが、それでもマークは倒れようとしない。
「今のを耐えきったか・・・」
やや意外そうな面持ちでヴァルグが言う。そしてもう一度マークの方へと
間合いを詰めようとしたが、そんな二人の間にテオが割り込んだ。
「もういいでしょう、ヴァルグ・・・あなたの、勝ちです・・・」
「拳聖・・・まさかあなたが一対一の真剣勝負の間に割り込むとは・・・」
「今の私は一人の格闘家である前に場の責任者です。彼が殺されるのを、
見過ごすわけにはいきません・・・もし、これ以上やると言うのなら！」
その言葉とともに二人の間に、張り詰めた空気が流れた。拳聖と武神、
ともに数多の格闘家にとって畏怖の存在であった者、その二人の発する
闘気のぶつかり合いは、二人を遠巻きに見つめる者達にさえ目眩を感じ
させる物である。だが、その二人の発するプレッシャーをも物ともせず、
マークはテオとヴァルグの間に再び割って入った。
「マークさん・・・」
「貴様・・・この場の空気にあってもなお・・・」
「・・・まだ・・・まだ、勝負は終わってないんでな・・・とっておきもまだ、
使っちゃいねぇ・・・喰らえっ！」
言いながらマークの右の裏拳がヴァルグの右頬を捉える。そして裏拳を
入れながら上昇した右腕はヴァルグの脳天を打ちつけ、再上昇する肘が
相手の顎先を痛打する。そして最後は顔面目がけての正拳突き・・・と、
思いきやさらに一発、左フックがヴァルグの顔面に激しくヒットした。
改良版のブロンコラッシュ、それを全弾受けたヴァルグは、ほんの僅か
ではあるが体勢を崩し、それを見たマークは更に追い打ちをかけようと
する。だがそれを許すほどヴァルグは甘くなく、次に来たマークの蹴りは
いとも簡単に防ぎ、マークの足をすくう、しかしマークも無様に転ぶ事は
せず、体をぐらつかせながらも踏み止まる。そうしてマークが体勢を再び
整え終えるのを見ると、ヴァルグはまた口を開いた。
「それが、お前のとっておきというワケか。なるほど、面白い・・・ただ、
最後の左はやや踏み込みが甘かったな。従来は四連発の技であった物に
改良の意味で付け加えたのだろうが、力の入り方、腰の入り方が他の技
よりも若干甘い。」
「・・・・・・」
「だが、どうやら、今日ここに来たのは正解だったらしい。楽しかったぞ、マーク。」
「へへ・・・」
「そんな君へのせめてもの礼だ。君がこれを受け、何を感じるか、楽しみに
待たせてもらう。我が最強の拳を、武神の咆哮を受けてな・・・」
ヴァルグがそう言った瞬間、マークは耳に爆音を聞いた。耳をつんざくような
強烈な破裂音・・・だがその音の終わりまではマークの耳に入って来なかった。
彼の身体は木製の道場の壁が割れるほど激しく叩きつけられ、意識を完全に
失っていたのである。
「テオ」
一瞬の沈黙が場に流れた後、ヴァルグはテオの方を振り返った。
「強くなるぞ、彼は・・・この武神より、拳聖、あなたより・・・また会おう、
マーク・フラン・・・」
ヴァルグはそう言って道場を去ろうとする。そんな彼の前に立ちはだかろうと
する人間も何人かいたが、ギゾはそれを制止した。そしてその間テオは、急ぎ
マークの元に駆けつけた。
「これは・・・」
マークを見た時、テオは瞬時にその怪我のひどさを悟った。内臓は破裂しかけ、
肋骨の骨折も一本や二本ではない。しかも折れた肋骨が肺に突き刺さっている
ようなのである。テオは顔を真っ青にして道場の中の人間に叫んだ。
「救急車を！そして手術の準備をするように言って！彼の容態は一刻を争います！！」
テオのその叫びから救急車が来るのには二分とかからなかった。しかし当然、
そのサイレンの音はマークには聞こえていなかった・・・
マークの意識が戻ったのは、それから三日半を要した。手術は十時間以上にも
及び、それが終わってからも丸一日は集中治療室での看護を要したのである。
そしてマークがそんな事態になっている場所と極めて近い場所で、しかしリビアと
エリーはそんな事は全く知らず書庫の裏の、庭園の中に二人でたたずんでいた。
「・・・・・・・・・・」
ここに来てから、既に二十分が経過している。夕暮れの中、エリーは庭園の脇の
ベンチに座り、うつむいたまま何も話さない。リビアもまた、そんなエリーに何か
かける言葉はないものかと思案に暮れていたが、この、自分が何も知らない少女に
対して何を話せば良いのか掴む事ができず、ただ横に座っている事しかできない。
だがやがてその刺すような空気の痛さに耐えかね、リビアは一言だけ声をかけた。
「エリーちゃん？」
リビアのその一言に、後頭部を見せてうつむいていたエリーの頭がピクと動く。
その反応を見てリビアがもう一回「エリーちゃんって言うの？」と声をかけると
エリーはコクリと頷いた。
「大丈夫？顔色が悪いみたいだけど・・・」
「・・・うん・・・」
「あ、そう言えばまだ自己紹介もしていなかったわね、私はリビア・トウェイン
って言って・・・」
「知ってる・・・」
「え？」
エリーの返事に、リビアは目をほんの少しだけ見開いた。
「知ってる、ってどういう事？」
「エヴィンから、聞いた・・・」
「エヴィン君から？」
「うん・・・」
驚きで目を見張るリビアに、エリーはそう言いながらコクリと頷いた。
「そう言えば、エリーちゃんの家に盗聴器仕掛けてた、ってギゾさんがさっき
言っていたけど・・・どういう事？」
一呼吸おいてからリビアはエリーにさらにもう一つの質問をする。すると
エリーはしばらく考え込む素振りを見せ、やがて自分がエヴィンと一ヶ月
あまり一緒に暮らしていた事を告げた。
「エヴィン君と・・・一緒に暮らしていたの？」
「うん。」
エリーの言葉に、リビアは驚きを新たにせずにはいられなかった。しかも
さらに話を聞くと両親も不在なので二人っきりだったと言う。その事には
さすがのリビアも唖然とし、棒読みのような口調で「そ、そうなんだ」と
答える事しかできなかった。
「でも、エリーちゃんのお父さんって・・・」
エリーの言葉にしばらく混乱した頭に何とか整理をつけると、リビアは次の
質問を口にする。そしてその直後に、リビアはエリーの肩が小刻みに震えて
いるのを見る事ができた。
「わかんない・・・」
「・・・？」
「分かんないよ・・・パパも、ママも、三年も前に人をほっぽらかしにして家を
出て、やっと帰って来たかと思ったら誘拐疑惑？やめてよそんなの！！」
「エリーちゃん・・・」
「そんな、そんな事って・・・うっ・・・くっ・・・えぐっ・・・うわぁぁぁああああ！！」
エリーの口から出る物が怒声から嗚咽、そして嗚咽から号泣に変わるのに、
そんなに時間はかからなかった。そしてエリーは泣き続けた。恥も外聞も
なく泣き続けた。そしてリビアは、そんなエリーの隣で何も言う事ができ
なかったが、やがてエリーの涙が止むと、ポケットの中のちり紙をスッと
差し出し、エリーは一瞬のうちにその中の半分を使い切った。
「・・・ありがと・・・残りは返す・・・」
「あ、いいわよ持っておいて。それよりエリーちゃん？」
「なに・・・？」
「きっと何かの間違いよ！エリーちゃんのお父さんが犯人だなんて！ね？」
「・・・・・・」
「私、もう一度ギゾさんの所に行って来るわ、もっとよく調べてくれって。」
リビアはそう言いながらベンチから立ち上がろうとする。だがそんなリビアの
服の端をエリーは掴んでいた。
「いいの・・・」
「エリーちゃん？」
「もう一回調べてもらって、本当にパパだったら怖いから・・・」
「・・・・・・・・・」
エリーにそう言われると、リビアは次の言葉を告げる事ができなくなった。
確かに、そうであった場合の精神的なショックは察するに余りある。だけど
リビアは、それでも何かかける言葉は無いかと必死に考えたが、そのリビアが
次の言葉を言う前にエリーの方が口を開いた。
「ありがとう、話聞いてくれて・・・私、もう家に帰るから・・・・・・・・・・」
「そ、そう・・・でも・・・本当に大丈夫なの？」
「うん・・・リビアさん」
「なに？」
「あなたが、もっと嫌な人だったらよかった・・・」
「・・・・・・・・・？？？」
エリーの最後の言葉の真意が掴めず、リビアはその場に立ち尽くし、去って行く
彼女の背中を、ただ呆然と眺める事しかできなかった。
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