古都・ジンドゥ、その霊的磁場の強さから旧リーク王家が多くの神殿を設営した地
である。そしてそれらの神殿は、当初王家の人間のためだけの物であったが、王朝
崩壊後はその多くが一般にも公開され、瞬く間に一大観光地となり、中学・高校の
修学旅行の定番スポットにさえなっている。ちなみにエリーも今年の秋の修学旅行で
行く予定であった。
「・・・こんな所で、情報ゼロで建物一つ、人間一人探すって言ってもねぇ・・・」
ジンドゥの、予想を大きく上回る人の多さと街の広さに、エリーは頭を抱えずには
いられなかった。血気に逸った行動をしなければ良かったかと、今更ながらの事が
頭をよぎる。
「それじゃあ、とりあえず警察に・・・」
エリーはまずそう思ったが、すぐに足を止めた。学校をサボって一人でこんな所に
来ているなんて事が知れたら、強制送還は間違いないのである。結果エリーはアテ
もなく市内を数時間歩き続け、日も暮れそうになった所で安宿を探し、結局何の
収穫も無いままジンドゥ最初の一日は暮れて行ってしまった。
そしてその晩、エリーは夢を見た。夢の中のエリーは一人、ジンドゥの町を歩いて
いる。しかし不思議な事に通行人は一人もおらず、店に店員もいない。閑散とした
町中をエリーはただ一人歩いていた。
「みんな、どこに行っちゃったんだろう？それに、ここってどの通り・・・？」
夢の中のエリーは、自身が夢の中の世界にいる事に気付く筈もなく、アテもなく
町中を歩き続ける。と、エリーは遠くに人影がある事に気付いた。
「あれ？あんな所に人が・・・誰だろう？」
エリーはそう思うやその人影目指して一直線に走って行き、すぐに追い付く。
と、そこにいたのはエリーに背を向けたままの、朱色の髪を持つ若そうな女性
であった。
「すいません、ちょっと道を尋ねたいんですけど・・・。」
女性に対し特に深い考えも持たず、エリーはそう声をかけた。だが次の瞬間、
エリーは言葉を失う事になる。眼前の女性は、鬼のような面をその顔につけて
いたのであった。
「あ、あなたは・・・」
そのあまりにも禍禍しい面を前に、エリーは完全に言葉を失った。そして驚きと
恐怖で言葉を発する事のできないエリーに、女性は言葉を発した。だがそれは、
顔の鬼面からは想像もつかない、美しく、そして透き通った声だった。
「・・・逃げなさい・・・」
「・・・え？」
「ここから逃げなさい・・・今すぐにでも・・・」
「逃げる？私、が・・・？誰？あなたは誰なのよ！！」
「私は、約束の子を見守る者・・・私は・・・」
・・・
・・
・
「・・・ハッ！！」
夢の中の途切れ途切れの声を聞き終わらないうちに、エリーは目を覚ました。
声の主が誰なのか、エリーには全く想像がつかない。ただ、綺麗な声で自分に
退避を促している事だけは、はっきりと理解する事ができた。
「ただの夢？それにしちゃ・・・」
そう言いかけた所でエリーは寝汗で体がぐっしょりとしている事に気付いた。
エリーはベッドから起きあがるとポットに入っていた水を一杯飲み、窓を少し
開け、そして再び眠りについた。
翌日目が覚めても、エリーの頭の中には昨日の夢の事が鮮明に残っていた。
街の中を歩いていても、夢の中の事が頭の中にこびりついて離れない。
昨日の夢の中の街並みは、たしかにジンドゥのそれと酷似していた。予知夢の
一種かとも思えるし、ただ単に今日見た物がその日の夢に出てきただけかも
しれない。しかし夢の中に出てきた街並みは、昨日自分が歩いた通りのどれ
とも異なっているのである。そんな通りが、何の脈絡もなくいきなり夢の中に
出てきたりする物だろうか？エリーはそんな事を考えながら、とりあえず休憩
するために喫茶店に立ち寄ろうとする。そしてその喫茶店の看板を見た時、
エリーは「あれ？」と思った。
「あれ？この喫茶店の名前・・・どこかで聞いたような・・・」
目の前にある「喫茶ミュー」と書かれた看板を見て、エリーは妙な感覚に
襲われた。別にミューという名の知り合いがいるわけではない。また特に
語感が好きな言葉というワケでもないのに、エリーはその名前にある種の
デジャブ（既視感）を感じずにはいられなかった。
ともあれエリーはそこに入り、チーズケーキセットをせわしげに口に入れると
足早に店を出る。そしてそこで彼女を襲った衝撃は、喫茶店の名前云々などと
いう些細な物とは比べ物にならないくらい強烈であった。
「うそ・・・」
周囲を見渡し、エリーは言葉を失った。北東の方面に塔が見え、左手には不機嫌
そうな老婆が店番をやっている土産物屋がある路地、街に人がいる事以外、全て
エリーが昨日見た夢の物と同じだったのである。
「じゃあ・・・もしかして、この先に夢の中の女の人が・・・？」
エリーは胸の鼓動を異常なスピードに高めながら路地に入ると、全力疾走で
狭い路地を駆け抜ける。だが、辿り着いた先にいたのは鬼面の女性ではなく
一つの、建築年数が結構経っていそうなビルであった。
そのビルはそこそこ大きいのだが、テナントは一つしか入っていない。そして、
そのテナントの名前はタルデント、発音的に『トライデント』とかなり近い。
「これって・・・まさか、まさか！？誰かに・・・誰かに連絡しないと！って
言ってもエヴィンの家の電話番号なんて知らないし・・・そうだ！ギゾ
さんの所に電話すれば！！」
そう決めるとエリーはポケットのサイフからテレホンカードを取り出し、電話
会社に連絡をしウェンフィールドコーポレーションの本社番号を聞き出した。
しかしこれまでも散々街の中を歩き回っていたため時間は既に夕方をまわって
おり、電話会社に教えてもらった番号は既に明日まで通じなくなってしまって
いる。だからエリーは逸る気持ちに押さえられない物を感じつつも宿に戻り、
明日に備えるしかなかった。そしてエリーはその晩、フロントで少し話をして
から部屋に戻り、数時間の後に眠りについた。
だがその日の夜もエリーは目を覚ました。いや、覚まされたと言った方が適当
かもしれない。
「誰！？・・・うっ・・・！」
自分目がけて急接近する鋭い気配に対し、反射的に飛び起きたものの防御の
姿勢も整えきれないうちに、エリーは謎の敵によってみぞおちに一撃、強烈な
パンチを入れられ、音もなく崩れ落ちる。そして敵はエリーが気絶した事を
確信すると彼女を麻縄で縛り車に乗せ、大急ぎで走り去って行った。
そして車を走らせる事数分、エリーと誘拐犯を乗せた黒い乗用車はジンドゥの
外れにある、夕方にエリーが訪れたビルの地下駐車場へと降りていく。だが、
エリーを降ろそうとしたその瞬間、犯人はエリーの鋭い膝蹴りをその顎先に
叩き込まれていた。
「はいご苦労様！」
不敵な笑いを浮かべながらエリーは言った。しかもその両手には、愛用の
ダブルロッドが握られている。
「ば、バカな・・・寝込みを襲ったのに・・・」
鼻血を抑えながら相手は言う。しかしそれはエリーを余計得意満面にさせる
だけであった。
「あ〜ら残念、生憎私も、無防備で寝るほど可愛げ無いの！やっぱりここが
トライデントの本拠地だったのね！エヴィン、返してもらうわよ！！」
「くっ・・・なめるな小娘！！」
顔を汗だくにしながら、ヤケを起こして男は向かってくる。だが、所詮彼は
エリーの敵ではない。自分の攻撃を全て弾かれ、その上でエリーのロッドと
蹴りの攻撃を全て喰らうと、いとも簡単に地面に倒れ伏した。
「ちょっと初めの予定と違っちゃったけど・・・ま、仕方ないわよね。」
そう言いながらトライデントのビルに潜入したエリーだったが、当然敵の方も
すぐに気付く。ビルがあまり広くない事が幸いし大勢によって一度に囲まれる
事こそ無かったが、敵は大勢こちらは一人、しかもビルの内部構造は一切不明、
それに対し敵はビルの作りを的確に把握しているので、エリーを袋小路に誘導
しながら包囲網を狭める事は難しい事でも何でも無かった。
「どうしよう・・・このままじゃ・・・」
自分を追って来る声の間隔がどんどん狭くなってくる事に、エリーは恐怖を
感じずにはいられなかった。体力はどんどん消耗してくるし、ロッドなどと
一緒に服に縫い込んでおいた回復剤もその殆どを既に使い切ってしまっている。
このままでは遅かれ早かれ捕獲されるのは、火を見るよりも明らかだった。
「・・・・・・」
エリーは自分の着ている服の左の袖を見つめた。夕方フロントで借りた針と糸を
使い縫い込んでおいた回復剤や武器、その中でもとっておき中のとっておきが
この左袖の中には縫い込まれている。しかし、その「とっておき」があまりに
危険である事は、当のエリーが誰よりも承知していた。そしてそれを使うべき
なのか、それとも使うべきでないのか躊躇している間に、とうとうエリーは
十人を超える敵の一群に発見されてしまった。
「もう逃げられんぞ！」
「覚悟しろ！！」
異口同音に怒声をあげながら追ってがエリーの前に迫ってくる。エリーは
咄嗟に逃げ出そうとするのだが、敵が大勢で向かってくる真正面以外の三
方向全てが冷たい石壁に囲まれている。その状況にエリーは意を決すると
自分の服の左袖を引き裂き、中から一粒の錠剤を取り出した。
「ええい・・・ままよ！」
そう言って薬を呑み込んだ瞬間、エリーの左腕は敵によって捕らえられた。
そしてそれは一人に止まらず、まるでボールを持ったラグビーの選手に相手
チームのメンバーは総出で群がるかのような動きで残る全員が一斉にエリーを
取り押さえようと飛びかかる。だが、その一秒後、彼らは信じられない現象を
身を持って体験する羽目になってしまった。
「ば、バカな・・・」
「我々が、押されているだと・・・１０対１でか！？！？！？」
己の勝利を確信していた彼らは、そう言うや言葉を失った。さっきまでただ
ひたすらに逃げるだけで、そしてついには捕らえたと思った少女によって、
自分達が圧倒されているのである。少女はまず自分の利き腕を掴んだ男に
蹴りを入れダウンさせると、自由になって右肘で三人を立て続けに打ち倒す。
そうして腕が完全に自由に動くようになると、今度はロッドを使い暴れ始める。
そのスピードも、パワーも、到底人間業ではない。やがてエリーは前線を突破し、
最後方にいた男の首筋を掴み上げた。
「死にたくなかったら言いなさい！エヴィンはどこ！？」
「え・・・エヴィン、だと・・・？」
「・・・アンタ達には、『闇の神子』とか『トライデント第一の刃』とかって
言った方が説明がつく？とにかく言いなさいよ！！」
「あ・・・そ、それだったら、五階のラボに・・・だが、ヤツはもう・・・」
男はそう言って言葉を続けようとしたのだが、それはエリーの耳には入って
来ない。エリーは男を投げ捨てると階段を一気に駆け上がり、そして五階の
研究室の前の廊下へとやって来た。
「ここに、エヴィンが・・・？」
言いながらエリーは一気に研究室の前へと走ろうとする。だが、そう簡単に
事が進むほど甘くはない。エリーの前に、身長２ｍ以上、体重は１２０キロを
ゆうに超えそうな、筋肉質の大男が立ちふさがったのである。
「小娘が・・・ここはお前の来る所ではない・・・」
そう言うや男は拳を振り下ろす。エリーはそれを紙一重でかわすが、それでも
風圧が髪を揺らした。直撃したら、無事ではすまなさそうである。だが、その
パワーへの恐怖以上に、今のエリーには自信があった。
「今の私なら・・・あの技をできるかもしれない・・・」
「小娘！何をニヤニヤしてる！」
エリーの不敵な笑みに業を煮やした大男は、再びエリーに迫りその拳を振り
降ろす。だがエリーはそれを難無くかわすと、かわしざまに右脚の蹴りを
相手のみぞおちに叩き込んだ。
「バカめ！そんな攻撃が効くわけ・・・！？！？！？」
言いかけた所で男は己の目を疑った。目の前の少女は、自分の懐に食い込
ませた蹴り足を踏み台とし、左足を自分の右肩に乗せていたのである。
そして左足が肩にしっかりと乗った事を確認するとエリーは右脚を抜き、その
右足で大男の顎先に強烈な膝蹴りを叩き込んだ。
「がっ・・・！」
そのＳＦチックとも言える連続攻撃に、男は思わず足をよろめかせる。だが、
それでエリーの攻撃が終わったわけではなかった。
「こいつでトドメっ！！」
そう言いながらエリーが放った最後の一撃、それはＸ字状に振り上げた二本の
ロッドを、上空から相手の顔面に叩き込む事だった。本でその存在を知って以来
エリーがいつかは実現させたいと思っていた技、自称「ヴァルキリーストライク」
それを全弾叩き込まれた男は、さらに後頭部を地面に強く打ちつけられたため、
完全に気を失い動かなくなってしまった。
そして無我夢中で開けた研究室の扉の中で、エリーはついにエヴィンを発見
した。だが、そこにいたのはエヴィン一人ではなく、鋼鉄製のベッドの上に
横たわっているエヴィンに対し必死の形相で何かをしようとしている科学者
と思しき男の姿もあった。
「くそっ！何故だ！！何故脳波が戻らん！！」
そう言いながら男は目の前の大量の機械のあちこちのボタンを操作していた。
それがどういう機械で、何をするための物なのか、エリーには分からない。
だが、彼がエヴィンに何かしようとしていて、しかもそれが決してエヴィンの
ためにやっている行動ではないという事だけはエリーにもすぐに理解できた。
「あなた・・・エヴィンに何したのよ・・・」
「！？」
それまでエリーの存在にまるで気付いていなかった科学者と思しき男は、その
一言に心臓が飛びださんばかりに驚き、体を一瞬ビクン！と振動させてから
後ろを振り返る。そしていたのが一人の少女だと分かると、少しだけホッと
した表情を見せた。
「なんだ、ガキか・・・ディルナかと思って焦ったぞ。とっととどっかへ行け！」
「！あなた・・・パパを知ってるの！？」
「ん？パパだと・・・ま、まさか貴様ディルナの娘！？」
男は驚愕の表情と共にそう言うのだが、エリーはその態度に対して無言の圧力で
こたえる。そしてツカツカツカと数歩、無言のまま歩み寄ると、男の首筋めがけ
ロッドの一撃を叩き込んだ。
「ぐふっ・・・」
「エヴィンに何したのよ！！」
「ひっ・・・わ、わわわっわわ私はただ、ディルナ様に命令されただけで・・・」
「パパに！？」
「はっ、はいぃぃぃいぃいぃぃエヴィンに彼が苦しむような映像と刺激を与え
続けろ、と。そうすれば神子の力を引き出す事ができるから、と・・・そ、
それで実験していたら急に・・・植物状態になっちゃいまして・・・」
「！！！！！！」
男の言葉を聞くとエリーはサッと顔色を変え、今まで胸ぐらを掴んでいた男をまるで
生ゴミでも捨てるかのように投げ捨てる。そしてエヴィンの元にもう一歩歩み寄ると、
彼の耳元に大声で呼びかけた。
「エヴィン！ねえエヴィンってば！！」
エリーがいくらわめいても、エヴィンは何の反応も示さない。やむなくエリーは
彼の頬を数回叩き、さらに声を大きくしながらエヴィンの名を呼び続けるのだが、
それでも何の反応も見られなかった。
「どうするのよアンタ！責任取りなさいよ！！」
「ぐ・・・こ、こうなったら私にはどうする事も・・・」
「何無責任な事言ってんのよ！どうするもこうするもないでしょ！！」
「う・・・あ、ここよりも設備の整った所ならばもしかしたら・・・」
「どこにあるのよ！そんな所！！」
「わ、私にもそれは・・・ただ、彼と深いつながりを持つウェンフィールド財団なら
何かできるかと・・・こ、この下の階に一方通行の転送装置があるから、それで
許して・・・」
「・・・分かったわ。」
男の言葉に、エリーは素直に頷いた。しかし、男は何も確証があってウェンフィールド
財団の名前を出したわけではない。ただ、この場の難を逃れるために苦し紛れで言った
だけである。が、今のエリーにそんな事を吟味している心の余裕がある筈も無い。結果
エリーはエヴィンを背負い、すぐにでも駆け出そうとしたのだが、研究室のドアの前で
エリーは再度足を止めた。
「ちょっと待って。」
「・・・？」
何とか一難をやり過ごしたと思い安心しきっていた男は、エリーのその一言に再度心と
体を緊迫させる。そしてエリーの次の一言を聞いた時、男は自分の予感が外れてはいな
かった事を悟った。
「あんたも来るのよ！」
「えっ！？ど、どどどどうして・・・」
「転移装置の使い方なんて、私に分かるワケないでしょ！自慢じゃなけど、ビデオの予約
録画だってロクすっぽできないんだから！」
「そ、そんな風に逆ギレされても・・・」
「とにかく！アンタも来るの！！」
「ひ、ひぃぃぃいいいいい！！！」
こうして操作員兼人質として男を連行したエリーは、四階の転移室に足を運ぶ。だが、
そこでもまた、エリーの予想外な事があった。転移装置が一人用だったのである上に、
一回使用したら一時間近くの充電が必要なのであった。
「どうして二人いっぺんに運べないのよ！」
男の首を絞めながらエリーが言う。
「そ、そんな事言われても・・・」
「・・・まあ、しょうがないわ。先にエヴィンを転送して。」
「は、はい・・・」
エリーにロッドの先端を後頭部に突き当てられて命令され、渋々ながら男は装置を操作
する。そして五分ほどすると巨大なカプセル状の形をしたその機械は振動しだし、直後に
エヴィンの体は跡形も無く消え去っていた。
「こ、これであと二分もすれば彼の身体はギゾ・ウェンフィールドの邸宅に到着します。
あの・・・もう失礼してよろしいでしょうか？」
「ううん、私がまだだもん。」
「ぐ・・・（こ、この小娘が、調子に乗りおって・・・）」
「ん？なんか言った？」
「い、いえ・・・」
そう言うと男は完全に観念した様子でその場に腰を降ろそうとする。が、その瞬間二人の
いる部屋の扉が開き、そして中に入ってきた人物の姿に二人は言葉を失った。
「パパ・・・」
「で、ディルナ様・・・」
ディルナの姿に二人は驚愕せずにいられなかった。だが相対するディルナの方は能面の
ように無表情で、喜怒哀楽という物がまるで感じられない。そして数秒にも満たない
沈黙の後、ディルナは右の掌を男の前に向けた。
「ひっ！ま、まさか・・・」
ディルナの掌が自分へと向けられると、男は慌てて立ち上がり、一目散に逃げ出そうと
する。だが、直後にディルナの掌から放たれた巨大な光弾が男を捉えると、男は一瞬で、
まるで蒸発したかのように消え失せてしまった。
「な・・・今のは・・・」
「久しぶりだな、エリー。」
「パパ・・・」
三年ぶりに出会う父親との、あまりに衝撃的な再会を前に、エリーは言葉を発する事が
できなかった。人一人を一瞬にして消し去った圧倒的な魔力、そして強烈なまでの威圧
感、全てが自分の知っている父ディルナのそれとは根本的に異なるのに、娘としての
直感は眼前にいる人物が千に一つの間違いもなく自分の父親だと告げていた。
「まさかお前が、ここまでの事をできるとはな・・・正直、若干予想外だった・・・」
「パパ・・・ねぇ、ここは一体何なの？トライデントって何なのよ！！」
「・・・大義・・・」
「え？」
「私が、生涯をかけてでも、あらゆる犠牲を払ってでも完遂しなければならない大義だ・・・」
「・・・・・・？」
「まあ、いい。子供のお前に話して分かる事ではないだろうからな・・・」
言い終わるとディルナは一つ、小さくため息をつく。そして今度はディルナが、エリーに
一つの問いかけをした。
「しかし、神子を追いかけここまで来るとは・・・お前は・・・」
「・・・？私、は・・・？」
「エリー、お前・・・神子の事が・・・エヴィン・ハランツの事が好きなのか？」
「・・・・・・・・・・！」
ディルナの言葉に、エリーはその瞳を大きくさせ、顔を真っ赤にして硬直する。
そして暫しの硬直の後、体を小刻みに震わせながら数回、小さく首を縦に振った。
「そうか・・・」
エリーの反応を見て、ディルナは再度小さくため息をついた。
「あり得る事だとは思っていた・・・作戦のためとは言え、思春期の子供二人を
引き合わせるのだからな。５０％以上の確率で、こうなるのではないかと
思っていた・・・」
「だがエリー、お前のそんな感情の暴走なんぞ、所詮トライデントの大義の前
では、大海に落とされた小石程度の波も起こせないという事を教えてやろう。」
「また大義・・・大義大義って一体何なのよ！！まさかママもその大義ってのに
協力しているの！？人を傷つけるような『大義』に！！」
「・・・セレナか・・・セレナは、大義のために死んだ・・・いや、大義のために、
私が殺した・・・」
「・・・・・・・・・・・」
あまりに突然なディルナの言葉に、エリーは放心状態になった。急にそんな事を
言われても、信じられる筈が無い。だが、父の表情と、ついさっき表情一つ変えず
研究員を消し去ったその行いが、ディルナの発言に強い信憑性を持たせずには
いられなかった。だがそれでも、エリーは父に対しこう言わずにはいられなかった。
「嘘でしょ？」と・・・
「エリー、人は誰しも、己に都合の悪い情報を一度は拒絶しようとする。そうする
事によって体に耐性をつけるためにな。だが、いかに足掻こうとも、真実から
目を背ける事などできやしないのだ。」
「・・・そんな・・・パパ、嘘でしょ？嘘だと言ってよ！パパァ！！！」
エリーは顔を涙でしわくちゃにさせ、半狂乱になりながら叫ぶ。だが、その声に
対してもディルナは数回首を横に振るだけで、やがてそれをも止めると全身の
姿勢を戦闘のための物へと切り替えた。
「話は終わりだエリー。今の私は、父であるよりも遥かに、トライデント四傑が
筆頭としてこの世に存在している。その人間を前に降伏を選ぶか、戦っての
敗北を選ぶか・・・好きにするといい。」
「・・・どっちでも嫌よ・・・」
「・・・悪いが、四傑の筆頭として私は、お前を見逃すという選択を与える事は
できん・・・」
「見逃してもらおうなんて思っちゃいないわ・・・」
「ほぅ・・・なら、どうすると？」
「私は、パパに勝つ！それでエヴィンの所に行く！！」
叫ぶような声でそう言うと、エリーもロッドを握り直し戦闘態勢を整える。だが、
満面に決意を浮かべたエリーに対するディルナの表情は、不気味なまでに静かだった。
「・・・挑戦する前から無理だとは言うまい。だが、一つだけ言っておこう。私は
拳の一拳、足の一蹴、そしてテクニック・マジック、そのいずれも使わずに、
お前に勝利する事ができる・・・」
「・・・バカにしてっ！！」
言うやエリーはディルナに飛びかかっていった。まずは鋭い飛び膝蹴りがディルナの
顔面を狙い、それが外れると今度は着地しざまに振り返りながらの回し蹴りを放つ。
だがそれもかわされると、今度は踏み込みざまに右手のロッドを振り下ろした。
「ちょこまかと！！」
防御一辺倒で何の手出しもして来ないディルナに対し、エリーは少し焦りを見せ
ながらも攻撃を仕掛け続ける。だが立て続けに十手以上繰り出したそれらの技も、
ディルナの服にかする事もできなかった。
「その程度か？」
少し息の上がり始めたエリーを見て、やや蔑みながらディルナが言う。そして
そんな彼に対し、エリーは左手に持っていたロッドを投げつけた。
「ヤケでも起こしたか？武器を投げつけるとは・・・！？」
最低限の動作でロッドをかわしたディルナだったが、直後に彼は背中に軽い
衝撃を感じた。投げつけられた後に壁に当たったエリーのロッドが反射して
向かってきた物であり、それ自体に攻撃力らしい攻撃力は無い。だが一方に
集中させていたディルナの神経を一瞬でも逸らし、僅かながらも隙を作り
出すのには十分な効果を持っていた。そしてその生じた隙は、今のエリー
には十分すぎる時間であった。
「もらったわよパパ！必殺のヴァル・・・」
一瞬の隙を見せたディルナに己の勝利を確信し、エリーはその確信を現実の物と
するための三段技「ヴァルキリーストライク」を叩き込もうとする。が、最初の
蹴りがディルナのみぞおちに命中しようとしたまさにその瞬間、エリーの体は
筆舌に尽くし難い激痛に襲われ、前のめりに地面に倒れ伏した。
「う・・・ぐ・・・あがっ・・・」
エリーには自分の身に何が起きたのかまるで分からない。何故、急に激痛が体を
襲ったのか、何故、こんなにも苦しいのか・・・だが、全身を支配する激痛は、
エリーにそんな事に考えを巡らせる猶予も与えない。痛みは波のように何度も押し
寄せ、やがてその痛みは強烈な吐き気も伴った。
「うげっ・・・ぐ・・・あああ・・・ゲホッ！・・・な、なんで・・・」
「言った筈だエリー。この戦いで私がお前に勝つのに、拳も、蹴りも、ましてや
テクニック・マジックも必要としないとな。」
「そ、それは・・・」
「今のお前の力が、これまでのデータと比べると明らかに異常だったのでな。
何か薬物を使い一時的に全身を強化している事は容易に想像がついた。」
「・・・・・・・！」
「薬物で全身を強化するような無謀に、いつまでも体がついて来る筈がない。
ゆえに私は、ただ一定の時間が過ぎるのを待ちさえすれば良かった。」
「そ、そんな・・・」
「私の勝ちだ、エリー。」
「い、イヤ・・・私は、負けな・・・エヴィ・・・」
言葉で自分の事を必死に叱咤激励しながら、エリーは立ち上がろうとする。
だが、全身を極限まで酷使した肉体は彼女の意志に素直には従ってくれず、
少し浮き上がっては倒れ、また起きあがろうとしては再度地面に倒れ伏す。
そんな事を幾度となく繰り返すエリーにディルナは静かに歩み寄ると、左腕で
エリーの首筋を掴んだ。
「もういい・・・諦めろ。」
言いながらディルナはエリーの体を地面に押し倒す。だがそれでもなお
立ち上がろうとするエリーの顔に、今度は右手をそっと当てた。
「身を休めるんだ、エリー。」
その言葉と共にディルナの右手が妖しく光る。と、エリーの意識は急速に
遠のき、ゆっくりと瞳を閉じるとそのまま動かなくなる。そして動かなく
なったエリーを、ディルナは無言で抱き上げた。
「エリー・・・」
立ったまま、ディルナは傷ついた自分の娘の顔を見つめる。そしてほんの
少しの間、何か考えるような表情を見せた後、彼はニヤリと微笑んだ。
「子が親に抗う事など、ごく日常的な事だ。それでお前を責めたりはすまい。
エリー、お前が私の大義を理解し、力を貸してくれると信じているぞ・・・」
気を失った娘にそう言うと、ディルナはエリーを抱きかかえたまま、何処かへと
歩き去っていった。
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