薄暗い部屋の中で、男の問いかけに対し女はパソコンのキーボードを
叩きながらそう答えた。二人の年齢や体格は分からない。だがその話
の内容がおよそ常人には理解しがたい物である事を疑う者は恐らく
いないだろう。暗がりの中、女は男の方に首を向けた。
「しかしよろしいのですか？このまま行くと例のエラーが出る可能性は
５０％を超えていますが・・・」
「・・・そのエラーの可能性は知っている、だが、そのエラーが生じた事に
よる状況への影響は、水面に落とされた小石のような物、一瞬の波紋を
起こすだけだ・・・何ら支障は無い。現状のプランに手を加えるな。」
「了解」
「ところで、トライデント二枚目の刃はどうなっている？」
「残存データから推測される能力の６５％レベルには達しています。」
「そうか・・・多忙だろうが、そちらも引き続き頼むぞ・・・」
「了解」
女がそう言って頷くと、男は無言で部屋を出た。そして男が部屋を出ると、
女は口元にニヤリとした笑みを浮かべた・・・
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「それじゃ、お疲れ〜」
放課後を告げるチャイムが鳴ると、既に帰り支度を済ませたエリーは
足早に教室を去ろうとした。しかし、そんな彼女を級友が呼び止める。
「ねえエリー。」
「何？フェイ？」
「今日さ、ナウラでショートケーキの半額セールがやってるけどちょっと
寄ってかない？」
「ごめん！今日ちょっと急いでるの。」
エリーはそう言って頭を下げ、フェイの誘いを断ろうとしたが、そんな
彼女の態度にフェイは少しムッとした顔をした。
「急いでる、って・・・エリー最近付き合い悪くない？」
「え？そう？」
「そうよぉ・・・あ！もしかして彼氏でもできたとか？」
とぼけようとするエリーを、フェイはそう言って追い打ちする。そして
その言葉に対しエリーは大きく頭を横に振った。
「バカな事言わないでよ！ペット飼い始めたの！！」
「へ？ペット？」
「そう、ペット。それでその世話が忙しくってさあ。ゴメン！」
エリーはフェイにそう言って別れを告げると、駆け足で校門を後にした。
彼女の住む町「カオウェイ」はその背後にある山の名前から来ている。
そしてエリーの住んでいる所は、その山の中腹で、登下校にはエリーの
脚をもってしても一時間以上かかるのであった。
「ただいま〜」
「キュッ！」
ドアの鍵を開け、エリーがそう言うとほぼ同時に、内側で彼女の帰りを
待っていたリスが鳴き声をあげながら肩に飛び乗った。この動物の名は
ミーシュ、エリーの家に来る直前にエヴィンが洞窟の中で拾ったリスの
子供で、最近はすっかりエリーになついている。そしてそんな一人と
一匹の声を聞くと、エヴィンも台所からエリーを出迎えにやって来た。
「おかえり、エリーちゃん。」
学校から帰ってきたエリーを、エヴィンも笑顔で出迎えた。彼がここの
世話になりはじめてから、もう一週間以上になる。普段のエヴィンは、
ここでトレーニングの他に家事一切もエリーに押しつけられやらされて
いた。それが彼女の、警察に通報しない条件だった。
「どう、調子の方は？」
「ん、まあまあかな。」
「そう、ちょっと待っててね、こっちも着替えて準備してくるから。」
エリーはそう言うと自分の部屋に戻って行く。そして数分経ち、再び表に
戻ってきた時、彼女の腕には二本の樫の棒が握られていた。
「んじゃ、始めよっか。」
エリーは明るい声でそう言うと二本の棒を構えた。エヴィンもそれを見ると
両腕を構え、防御の姿勢を取る。それから数分、エリーが動いた。
「えいっ！」
エリーの右腕の棒が上段からエヴィンを襲う。その攻撃に対して彼は自分の
左腕を使いエリーの腕の攻撃の進路を防ぎ、間髪入れず来た左腕の下段
打ちも右腕で防いだ。
「それっ！」
両腕の棒を受け止められてもエリーの攻撃は止まらない。今度はスネを狙った
蹴りである。エヴィンはそれをバックステップでかわすと、エリーも彼を追いかけた。
「それそれそれそれぇつ！！」
エリーの怒濤の攻撃がエヴィンを追い詰める。残像が出るほどのスピードを
持った波状攻撃、しかしエヴィンの体には当たらない。やがてエリーの振り
下ろした棒がエヴィンの背後の木の幹に当たり、彼女がその衝撃で棒を落と
すと二人はそこでストップをかけた。
「ふうっ。」
額の汗を拭い、水筒の水を一口飲むとエヴィンはようやく一息ついた。しかし
落ち着いた表情のエヴィンとは裏腹に、エリーの顔には不満の色が濃く浮かんでいる。
「ねえ？本当にこのままの練習でいいの？」
苛立った口調でエリーが尋ねた。二人の特訓は、いつもこうである。エリーが
攻撃し、エヴィンは避けに徹底する、彼が攻撃の練習をするのは、常に木の幹や
空気に対してと決まり切っているのである。
「だって・・・エリーちゃんケガさせたくないし・・・」
「だから、私は大丈夫だって言ってるでしょ！エヴィンの攻撃なんて、喰らいや
しないわよ。」
エリーはエヴィンをそう挑発するのだが、彼女がそう言い出すと黙殺する事に
エヴィンは決めていた。今、自分がどれくらいの力を持っているのか、彼には
分からない。エリーの攻撃をすべてかわす事はできるが、それはあくまで自分が
防御に徹し、一切の攻撃を放棄しているからである。もし真正面から行ったら、
どんな結果になるのか自分でも予測できない物があった。そして予測できない
行動の結果、エリーが傷つくのは絶対に避けたかったのである。
「自分のせいで誰かが傷つくのはもう嫌だ」
エリーを攻撃したくないのは、彼自身の優しさも勿論だが、闇の神子としての
自分の力が覚醒して以来の、反射的な感情がそこにはあった。
「また、だんまりか・・・ま、いいわ。ゴハンの仕度しよ！」
一瞬呆れた顔をしたものの、すぐにその事を忘れたかのような快活な顔に戻り
エリーは言った。食事の下拵えは既にエヴィンが殆ど済ませているのだが、
最終的なチェックはいつもエリーの仕事だった。二人になったからその分食費も
かかる。それを補うため山菜が食卓に乗るのだが、ここでの暮らしがまだ短い
エヴィンには、食用と非食用との区別がまだきちんとできていないからであった。
「えっと、これとこれはＯＫで、こいつは・・・やめといた方がいいわね。
エヴィン、これとこれ刻んで鍋に入れといて。」
「うん。」
「・・・これで、後は弱火で２、３０分煮込むだけ、ってトコね。今日は
毒草少なかったわよ。」
「まあ、一週間もこういう事やってればね。」
苦笑いしながらエヴィンが答える。そして鍋の中の物が煮終わると夕食の
時間になった。二人の前には山菜をふんだんに使ったスープの皿があり、
リスのミーシュも目の前のクルミを必死になってかじっている。やがて
夕食が一段落すると、エリーはカレンダーを見て、何かを思い出したかの
ようにポン、と手を叩いた。
「あ！エヴィン！！」
「な、なに・・・？」
「いっけない、すっかり忘れるトコだったわ。明日ね、町の方でフリー
マーケットがあるの！」
「フリーマーケット？」
「うん！個人や業者が入り混じっての、各地の特産品の即売会！家の物も
そこで揃えてる物も結構あるのよ。都市部まで行って買うより断然安いし
交通費も浮くしね。ま、その分型落ち品も多いけど。」
エリーは町のフリーマーケットの事をこう解説した。
「でさ、エヴィンも一緒に行かない？」
「え？ぼ、僕も？」
「いいでしょ？荷物持ち手伝って貰いたいし、こっちに来てからずっと
この辺にこもりっぱなしだったから気晴らしになると思うわよ。」
「で、でも・・・」
「じゃ、３０００メセタ。」
エリーの誘いに口ごもるエヴィンに対し、エリーはニッコリと笑みを
浮かべ言った。３０００メセタとは以前にエヴィンが飲まされた薬の
代金の事である。そしてそれを持ち出されると、彼は沈黙するしか
なくなった。居候の辛い所ではある。
「い、行きます・・・」
「ん、よろしい。じゃ、明日は六時半起床ね！」
エヴィンが渋々頷くと、エリーは嬉しそうにそう言った。
そして翌朝、二人は簡単に朝食を済ませると山を下りはじめた。この
時間の山の中は、まだうっすらとモヤがかかっており視界が悪い。
山道に慣れているエリーは目をつぶってでも大丈夫なくらいだが、
エヴィンの方は途中で何度も転びそうになった。だが、そんなこんなの
末に町についたエヴィンが見た光景は、間違いなく彼が初めて見る物だった。
「わぁ・・・」
目の前の風景にエヴィンは思わず感嘆の声をあげた。フリーマーケットと
言うから、ティリアの公園で月一でやっているような物を想像していたの
だが、そんな物とは比較にならない。町の規模はニーヤとは比べようも
ない、ごく小さな田舎町なのに、まだ朝早いのに、人の多さでさは故郷
ニーヤの週末に負けておらず、そこにいる人達の熱気と言ったらニーヤの
週末の比ではなかった。
「どう？なかなかのモンでしょ？」
エヴィンが呆気にとられたのを見て、自慢げにエリーは言った。
「う、うん・・・」
「ちょっと、いつもより来るのが遅くなっちゃったから人も増えちゃった
みたいね。ま、構わないけど。」
言いながらエリーはスタスタと歩き出した。そして色々な種類の露店の
店員から、エリーは声をかけられ続けていた。どうやら相当顔が知られ
ているらしい。衣類に雑貨、食料品、エリーに声をかける物売り達に、
業種の偏りは見られない。そんな中でエリーは心底楽しそうに物売り達と
話し、値切り、買った。そしてそれらの物を持たされるのはエヴィンの役目
だったのだが、エヴィンが荷物が増えて動きが鈍くなるのとは対照的に
エリーのテンションは一方的に高くなる。更に人もどんどん増えてくる
中で、いつの間にか二人ははぐれてしまっていた。
「あれ？エリーちゃんは・・・」
エヴィンは慌てて周囲を見渡したのだが、エリーの姿はどこにも見えない。
この右も左も分からない町の中で、完全にはぐれてしまったのである。
だが、ここで慌ててもどうにもならないだろうと思うと、エヴィンは路地の
裏に入り、両腕に持たれたスーパーの大型ビニール袋五袋分程度の荷物を
いったん地面に降ろした。
「マズいなぁ・・・」
空を見上げ、エヴィンはつぶやいた。はぐれた時の待ち合わせ場所は一応
決めていたのだが、そこへの行き方もまるで分からないのである。ただ、
どう動くにせよ長時間の大荷物持ちで腕がだるくなってきていたので、
路地裏で少し休んでから動く事に決め、地面に腰を降ろした。
「みんな、今頃どうしてるかな・・・」
エヴィンは最低一日一度はティリアの人達の事を考える。そしてその度に、
言い様の無い切なさや苦しさ、悲しさに襲われるのだった。
「でも、今の僕は・・・」
自分の友人や家族、好きな人に危害を加えさせたくないが為に、ティリアを
後にした筈なのに、今の自分はエリーの世話になってしまっている。ここ
しばらくは幸い誰かに襲われたりする事も無かったが、これからもそうなる
という保証はどこにもない。けれど、ここを去ったとして自分に何ができる
だろうか？無計画に飛び出しても、その場に野垂れ死ぬのがオチ・・・そう
考えるとエヴィンは、自らの無力を思い知らされずにはいられなかった。
「己の無力が口惜しいか？」
「！？」
背後からの背筋の凍るような声に、エヴィンはハッとして後ろを振り返った。
しかし、背後には誰もいない。エヴィンが空耳かと思い、正面をむき直すと
また、背後から同じ人物の声がした。
「貴様の根元は闇・・・根元・本性に抗おうとしても無駄な事・・・」
その声にエヴィンは再び振り返る。やはり、誰もいない。そしてまた正面を
むき直すと、そこにはエリーが立っていた。
「あ・・・エリーちゃん・・・」
「どうしたのエヴィン？なんか、顔がすっごく青白いけど・・・」
「う、ううん、何でもないんだ・・・ところで今、僕の後ろに人いなかった？」
「人？誰もいなかったと思うけど・・・」
「そう・・・やっぱり、空耳だったのかな？」
「空耳？エヴィン、ちょっと疲れてるんじゃない？私も大体買いたい物は
買ったし、お昼前だけどそろそろ帰る？」
エリーの誘いに、エヴィンは素直に頷いた。そしてエリーはエヴィンの５つの
袋のうち１つは自分の手に持った。エリー自身既に一袋持っていたので、数の
比率は４：２になる。
「それじゃ、帰りましょっか！」
明るい声でそう言うと、エリーはスタスタと歩き出した。
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