「エヴィン君、私・・・」
リビアがそう言って口を開くと、エヴィンの全身の感覚は更に一段と鋭さを増した。
心臓の音はうるさいくらいに耳に入ってくるし、どんなに沈めようとしても呼吸が
荒くなっていくのを抑える事ができない。そして身体は、本当に指一本動かす事さえ
できなくなった。
「私、エヴィン君のその言葉、すごく嬉しいわ・・・でも・・・」
「でも・・・？」
「今のエヴィン君には、自分を守る事を第一に考えてほしいの・・・」
「・・・・・・」
「だから今は、私の事は考えないで・・・」
そう言うとリビアは席を立ち、音もなくスタスタと歩き出し、ドアを開けて何処か
へと去って行く。そしてそれと入れ替わりに、マークが部屋の中へ入って来た。
「・・・・・・」
マークが部屋に入ってきた事も全く気付かず、ただただ背中を震わせるばかりの
エヴィンに、さすがのマークもすぐに声をかける事はできなかった。
（なんて声をかけたらいいモンかねぇ・・・）
（守らせてくれ、って言う相手に『自分の事を第一に考えろ』だもんなぁ・・・結構、
男の尊厳に関わるって言うか・・・キツイ事言うよな、あの人・・・）
「『気にすんな』『世の中女は一人じゃねぇ』『例のエリーって子にしたらどうだ』
『あきらめんな』『お前がもっと強くなればいい』どれも違うな・・・さて、なんて
言ってやったらいいものか・・・」
「・・・マーク・・・声に出てるよ・・・」
「え゛・・・」
後ろを見せたままのエヴィンの、そのボソッとした一言に、思わずマークの目が
点になる。そして直後に、点になった目に涙でグシャグシャになったエヴィンの
顔が飛び込んできた。
「マーク・・・僕って、そんなに頼りないかな・・・？」
「・・・・・・」
「どうなんだよ！答えてよ！！」
言いながらエヴィンは、半狂乱の表情でマークの服の襟首を掴み上げる。だがその
直後に、わずかながら平静を取り戻すと両手を離し、マークに向かい頭を下げた。
「ごめん・・・ちょっと、混乱してた・・・」
「・・・気にすんな・・・悪かったな、お前をけしかけるような事言っちまって。」
「・・・別に、そういうワケじゃ・・・マークが気にする事じゃないよ・・・」
「ま、とりあえずメシにでも行かねぇか？目ぇ醒めてからまだ何も食ってないん
だろ？バーガー屋のモーニングくらいならオゴるからよ。」
マークの誘いかけに、エヴィンは無言で首を縦にふる。そして二人は無言のまま
リビアの部屋から出て行った。
そしてその頃、邸内の化粧室ではリビアもまた、思い悩んでいた。
「あれで、よかったのかな・・・」
洗面台の前でリビアは一人、さっきの一連の出来事を思い返していた。エヴィンの
言葉は未だ耳にこびりついて離れないし、胸の鼓動もまだ平静には戻っていない。
「エヴィン君が私の事を好きだっていうの、本当だったんだ・・・」
周囲の人間から見たらかなり今更な事実が、当のリビアには最大級の衝撃だった。
そして『好き』と言っている相手に『自分の事は考えないで』と言うのは、考えように
よってはかなりキツイんじゃないかという事も、よくよく考えると気付かされるのでは
あるが、ならば何て言ったらよかったのかも、リビアには分からなかった。
さらに言うのならば、リビアは自分にとってエヴィンが何なのかもよく分からなく
なり始めていた。『単なる部活の一後輩』よりは明らかに親近感を持っているが
『恋人』ともまた明らかに違う。だが『友人』という感覚とも、『弟代わり』という
感覚ともまた違う・・・
色々な事柄が複雑に頭の中を駆け巡り、しかもそのどれも結論に辿り着けない。
そんな状況の中でリビアはひどい精神的疲労感を覚えた。無論この疲労感は、先の
テレパスの使用とも無縁ではない。リビアは洗面台の蛇口をひねり、冷水で顔を
洗うとふらついた足取りで自室に戻り、ベッドに倒れ込むとそのまま深い眠りに
つき、目が覚めた時、時間は既に午後三時をまわっていた。
「エヴィン君、あれからどうしたかな・・・？」
寝起きの髪にブラシをかけ、リビアは部屋を出た。まず一番心当たりがあるのは
マークの部屋だったが、そこにはいない。次にギゾとテオの部屋に行ってみたが
二人とも不在だという事で、ここにもいそうになかった。それから書庫なども
まわったが彼の姿はあらず、玄関の守衛に聞いたらエヴィンはマークと一緒に
朝から出かけ、まだ帰ってきていないとの事だった。
「と、なると・・・帰ってくるのを待つしかないかぁ・・・」
ため息混じりの声でそう言うとリビアは部屋に戻り、椅子に腰をおろした。
しかし考えてみると会ったところで何を話すのかもまるで考えていなかった
ので、すぐにエヴィンと会えなかった事はむしろ幸運と考え直し、後で会った
時に何て言おうかという事に考えを巡らせはじめた。
と、その時、リビアの部屋の表の廊下にある、警報装置のけたたましい音が
彼女の耳に飛び込んできた。
「なに！？まさか、また・・・」
警報機の音にリビアはガバ、とその身を翻し、反射的に身構える。そして窓の
外を見た瞬間、リビアは不幸にも自分の予感が正しかった事を知った。
「神子だ！神子を出せ！！」
「エヴィン・ハランツを奪還しろ！」
「いいか！発見するまでとことんやれ！！」
「・・・・・・」
リビアは戦慄した。表にいる敵の人数は、どう少なく見積もっても二百人はいる。
それに対し屋敷の警備についている人間の数は十数人、全員が武装している
上に格闘技のプロであるとは言っても、多勢に無勢である事は明白であった。
「こんな時に、リィズさんがいないなんて・・・」
リビアは一瞬そう思ったが、いない人間を頼りにしても始まらない。しかも外を
見ると負傷者は、戦闘員非戦闘員を問わず増えて行く一方なのである。そんな
光景にリビアは、いてもたってもいられなくなり、身一つで負傷者の救援へと
走り出した。
そしてその頃、ニーヤの市街地には、既に襲撃の報が伝わり始めていた。敵も
それなりに隠密行動と言う物を心がけてはいたのだが、世界最大級の財閥の
会長の邸宅を百人単位の人数で襲撃する、などというニュースが伝わらない
筈は無い。そしてそのニュースは、気晴らしのためにゲームセンターに遊びに
来ていたエヴィンとマークの耳にも即座に伝わってきた。
「・・・聞いたかエヴィン！」
「うん・・・きっと、トライデントだ・・・トライデントが、僕の事を・・・」
「・・・だろうな・・・おいエヴィン！ボヤボヤしてないで・・・！」
マークがそう言いかけた時、エヴィンの姿はすでにそこには無かった。彼の後ろ
姿は、ウェンフィールドの邸宅目がけ真っ直ぐに遠ざかって行っている。そして
その後ろ姿を見ると、マークはニコと微笑んだ。
「そういやあいつ、こういうシチュエーションで後先考えずに突進する事は
あっても、逃げ出すような輩じゃなかったよなぁ・・・大人しそうに見えて、
あれで結構ムチャクチャしやがる・・・って、オレものんびりしてられるかよ！！」
そう言ってマークも走り出し、駆ける事十分足らずで二人はウェンフィールド
邸の近くに戻ってきた。だが、現場は警官隊と野次馬のために混乱を極めて
おり、そこから近づく事は容易ではない。
「くそ・・・どうにかして近寄らないと・・・」
「・・・マーク、こっちに来て・・・」
エヴィンは一言そう言うと、頭を抱えるマークの腕を引っ張り物陰へと連れ込む。
そして周囲を数回見回すと、マークに自分の身体に掴まるように言った。
「？お前につかまる・・・何が悲しくて野郎にしがみつかなくちゃ・・・ってお前、
まさか・・・」
エヴィンの言動に対し、最初は不審に思いながらも直後に何かにピンと来た
マークに対し、エヴィンは首を小さく一回縦に振る。そして次の瞬間、彼の
背中に二枚の漆黒の翼がその姿をあらわした。
「行くよ！マーク！！」
「あ・・・お、おう！！」
睨み付けるような表情と、怒鳴るような声でそう言うエヴィンに、マークは半ば
反射的にしがみつく。するとエヴィンの背中の翼は大きく羽ばたき、突風とともに
二人の身体は空高く舞い上がった。
そして二人が屋敷の表庭に到着したのは、それからほんの一瞬の後の事だった。
空中から降り立った二人に、トライデントの突撃隊のメンバーは何が起きたのか
瞬時に理解する事はできず唖然とする。だが、目の前に降り立ったのが自分達の
目的である『闇の神子』である事を悟ると、彼らは一斉に襲いかかってきた。
「来た！」
「神子だ！！」
「ディルナ様の命令！捕らえろ！！」
そう言いながら襲いかかる彼らだったが、目的の物を前に功名心から我を失い、
統率も何も無くなった彼らは、エヴィンにも、またマークに恐怖の対象とはなり
えなかった。二人は背中をあわし、進むべき方向を声をあわせ確認しながら、
一人、また一人と向かい来る敵を薙ぎ倒して行く。そして数十人を瞬く間に倒し、
敵の表情に恐れと怯みが出てきたところで、マークがエヴィンに声をかけた。
「エヴィン！ここはもうオレ一人で十分だ！お前は先輩を捜して来い！！」
「！マーク！！でも・・・」
「でももクソもねぇだろうが！オレが大丈夫って言ったら大丈夫なんだよ！！」
「・・・マーク・・・」
「とっとと行け、このボケエヴィン！！」
マークがもう一回そう怒鳴ると、エヴィンもついに首を縦に振る。そして一言、
「気をつけてね！」とだけ言うと、エヴィンは全力で駆け出して行った。
「ようやく行ったか・・・さぁて、イッツ・ショータイムってか？」
かなりの数は倒したものの、いまだのこる十数人の敵に対し、マークは怯む
様子を見せるどころか、口元に微笑さえ浮かべながらそう言うと、再び敵の
まっただ中に、今度は単身で突撃していった。そしてわずか１６歳の少年の
その笑みと行動、そしてそこから発生する技の切れ味と破壊力に、場にいた
十数人は、等しく戦慄を覚えていた・・・
そしてそれと全くの同時刻、屋敷の中に突入したエヴィンは、大声でリビアの
声を呼びながら駆けずり回った。しかし、エヴィンの呼びかけに対し返事は
無く、エヴィンの顔はその焦燥の色をさらに濃くし始めていた。
「リビア先輩！いたら返事をしてください！リビア先輩！！・・・！？」
必死の形相でリビアの探し続けるエヴィンの耳に突然、スピーカーの館内
放送が飛び込んできた。エヴィンは首を上にあげ、そこから流れる音声に
耳を傾けるのだが、その声はいつもの館内放送の係員の声とは明らかに
異なっていた。
「あーあー・・・ゴホン！うぁ、『闇の神子』に告ぐ、『闇の神子』に告ぐ。
リビア・トウェインの身柄はこちらで確保した。単身丸腰で、放送室まで
来るように・・・繰り返す・・・」
「・・・・・・トライデント・・・これ以上、僕を怒らせるな・・・」
その放送はエヴィンの怒りを頂点に達せさせるのに十分すぎた。エヴィンの
全身から青黒いモヤが再び発生し、彼の全身を包み込む。闇の力により体の
運動能力を数倍に向上させる「リーインフォース現象」を発動させると彼は
そこから放送室までの一本道を一気に突き進んだ。
「来たぞ！」
「闇の神子だ！！」
「総員、戦闘用意！！」
猪突猛進という言葉そのままに突撃してくるエヴィンを前に、あらかじめ
万全の準備を整えておいた彼らは、余裕をもって身構えようとする。が、
そんな彼らの隊列がズタズタにされるのには、それから十秒の時間さえ
必要としなかった。
「ば、バカな・・・」
「なんて、動きだ・・・データが、まるで役に立ってない・・・」
「これが、本当に神子の力・・・ダーク・ファルスの力なのか・・・」
放送室の前で身構えていた連中は、自分におきた状況を瞬時に理解する
事はできず、その多くが、実状を理解した頃には気を失っていたのだが、
当のエヴィンはそんな人々を一顧だにしていない。そしてついに放送室の
前へと辿り着き、ドアを蹴り開けた瞬間、彼の頬を一発の銃弾がかすめた。
「来たか、闇の神子・・・」
「その声・・・あなたがさっきの放送の・・・」
エヴィンはそう言いながら男の顔を見た。浅黒い肌とやや大柄な身体、
髪の色は黒く顎には無精髭を生やしている男である。そしてその表情は、
自身の勝利と、そして今後の栄達を信じ込んでいた。
「そういう事だ・・・さあ、大人しく投降するんだな・・・」
顔に満面の、嫌らしい笑みを浮かべながらそう言うと、男は手にした拳銃の
先端をエヴィンから外し、男の隣で、椅子に縛り付けられて気を失っている
リビアの方へと向けた。
「これで、チェックメイトだな。こんな子供一人捕まえるのに走り回られるわ
投げ飛ばされるわで三十分以上時間がかかるわ、お前一人に俺の手下が
全滅させられるわで、苦戦した事は苦戦したがなぁ・・・だがこれで、俺の
出世は間違い無し、と・・・」
「・・・・・・」
「さ、早く降伏するんだな。貴様の性格は分かっているんだ。とんでもない
甘ちゃんだってなぁ！」
「・・・・・・言いたい事はそれだけか・・・」
「んだとぉ？貴様自分の立場ってモンが・・・！？な、お、俺の右手が、右手が
急にぃぃぃいいい！！」
途端に男は、自分の右手首が何か、強い力によって締め付けられるのを感じた。
その締め付ける力はどんどん強くなり、ついに男は拳銃を手から離してしまう。
すると手首を締め付けていた痛みは消えたが、今度はエヴィンが彼の目の前、
１メートルの距離に立っていた。
「ば、バカな・・・貴様は・・・」
「僕が何をできるのかも知らないくせに・・・これで、終わりにするっ！」
驚愕する男に、エヴィンは右の拳で二発、左の拳でも二発、計四発の正拳突きを、
人体の急所が集中する体の中心線、「正中線」に叩き込んだ。エヴィンが道場で
修得しながらも使おうとしなかったウェンフィールド流格闘術の正中線四連突き、
それをモロに喰らった男はうめき声らしいうめき声をあげる事もできず、頭から
地面に崩れ落ちる。そして戦いの決着を確認すると、エヴィンはリビアの元へと
走り寄り、セイバー状にした暗黒闘気で拘束を切るとリビアの身体を揺すった。
「先輩！リビア先輩！！」
「う・・・」
「大丈夫ですか！？リビア先輩！！」
「・・・エヴィン、君・・・？」
「！良かった・・・先輩、本当に、無事で・・・」
「・・・エヴィン君、あなた、なんで・・・」
自分を助けに来たエヴィンに、リビアは疑問と叱責を交えた口調で語りかけようと
する。だがエヴィンは、リビアが自分の言葉を続ける前に、自分の言葉を語り出した。
「先輩、さっき僕に『自分を守る事を第一に考えろ』って言いましたよね・・・僕、
そうする事にします・・・でも、今の僕は、自分の体よりも心が傷つく方が、
遥かに耐えられないんです・・・」
「エヴィン君・・・」
「だから、僕は先輩を守ります。これ以上、自分の心が傷つかないために・・・」
エヴィンがそう言うと、リビアは少し困ったような目つきをしながらも、顔はニコ、と
微笑みかけていた。なお、さっき「トライデント」の男が脅迫の時に使用した館内
放送のための全館放送スイッチが、この時も入りっぱなしになっている事に二人が
気付くのには、さらにしばらくの時を必要とするのであった。
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