医師の話によるとリビアは間もなく目が覚めるだろうし、リィズも一両日中には完全に
回復するだろうと言う。しかし、それでもエヴィンは、シーレンを相手に二人を守り切れ
なかった事への自責の念を自分の頭から切り離す事ができなかった。
「一ヶ月後の自分とか、一週間後の自分とかが強いんじゃダメなんだ・・・今の自分が、
今この瞬間の僕が強くないと・・・」
それはエヴィンにとって、かつてない程に切迫した危機感と切望感であった。強く
「なりたい」のではなく強く「ありたい」という願望・・・しかもそういった感情を腹を
割って打ち明け、ぶつけられる相手がそばにいない事が、エヴィンの心をますます
追い詰めた。
「ダメだ・・・このままじゃどうにかなりそうだ・・・」
病室の中で一人でいる事に耐えられなくなったエヴィンは、そう言うと表に出た。時間は
既に正午を過ぎ、地面に写る影も少しずつ長くなってきている。そんな中をエヴィンは特に
行くアテも無く歩き出し、そして体内に鬱積した感情を洗い流そうと、新鮮な空気を胸一杯に
吸い込みながら伸びをする。だが次の瞬間、向こうからやってくる人物の姿に、彼は目を疑った。
「あ・・・あなたは・・・」
「情けない顔してるわねぇ、負け犬さん。」
二人連れのうちの一人である女性は、嫌味をたっぷりと含んだ口調でエヴィンに言った。
対するエヴィンは、無言で歯を食いしばったまま動く事ができない。二人組は、そんな
エヴィンの事は放っておいて病院の中へと入ろうとするが、エヴィンは二人の前に回り
込むようにして立ちふさがった。
「あら？まだ何か用があるのかしら？」
「・・・はい・・・」
「どんな？」
「どんなって・・・その・・・」
「言いたいことをハッキリと言えないのなら、悪いけど私達も子供の相手を長々としてる
ヒマは無いの。どいてくれる？」
「・・・嫌です！」
あくまで冷たい、見下すような口調のその女性に対し、強い口調でエヴィンは言う。
そしてもう一回、大きく息を吸い込むとエヴィンは彼の意志を表に出した。
「もう一回・・・今この場でもう一回シーレンと勝負させてください！エレナさんっ！！」
「・・・・・・」
エヴィンの言葉に、今度はエレナが黙り込んだ。予想していなかった反応と言葉
ではないが、それでもこの場ですぐにと言われる事は意外だった。
「三回も負けたのに？しかも負けたその翌日に？」
エレナの口から、正論と言えばあまりに正論な言葉がついて出る。だがエヴィンは
そんなエレナの言葉に素直に「その通りです」と答えて見せた。
「壁なんです・・・シーレンさんは今の僕にとって・・・絶対に乗り越えなくちゃ
ならない壁なんです・・・自分の身と、そしてリビア先輩やリィズさん、自分と
一緒にいる人達を守るために・・・僕が、前に進むために・・・」
「そう・・・」
エヴィンの言葉に、エレナは静かに頷き、ため息をついた。
「・・・本当は、リィズの始末を優先したかったんだけど・・・どうするシーレン？」
「・・・私は、戦闘を拒否しない・・・マスターが戦えと命ずる相手と戦うのみ・・・」
呆れ混じりの声のエレナに、シーレンは相変わらず抑揚のない口調で答える。そして
一瞬の沈黙の後、シーレンは背中から翼を展開させた。
「ただしこの場所での戦闘は周囲からの影響が大きいと予想されます。戦うのであれば
場所は変えた方がいいと判断しますが・・・」
「・・・それもそうねぇ、どうせここで神子を叩くなら、徹底的に叩いた方がいいだろうし。」
「それは、僕からお願いしたいくらいですよ・・・邪魔も、助けもいらない・・・」
エレナの挑発的なセリフに、エヴィンはそう切り返した。とは言っても、彼に勝利
への根拠があるワケでは全くないのだが。
ともあれエレナとエヴィンはスカイシーレンにつかまり山の中腹部にある空き地へと
移動する。そこでシーレンは着陸し、エヴィンとエレナから腕を離すと、エヴィンは
サッと後方に飛び退きシーレンとの間合いを取り身構え、戦いの開始を告げる合図の
声を自らあげた。
「それじゃあ・・・いきます！」
だがエヴィンがそう言っている間にもシーレンは突進し、その強烈なパンチが頬を
かすめる。エヴィンはそれを受け流しながらシーレンの顔面に肘撃ちを叩き込むの
だが、その一撃がダメージを与えたようには見られない。しかし元から一撃程度の
打撃が効くとも思っていなかったエヴィンは、そこから素早く両手の拳を握り合わせ
シーレンの顔面めがけスレッジハンマーを振り下ろしで一発、振り上げでもう一発と
叩き込む。そして一連の連続攻撃の締めに、両手の掌を重ね合わせての掌打を
相手の顔面へと撃ち込んだ。
「・・・・・・」
人間が相手なら、脳を揺らされ立っていられないであろう打撃の連続だったが、
それもシーレンには用を成さなかったらしい。ゆっくりと足の位置を直すと無言の
ままシーレンの拳がエヴィンのこめかみをかすめた。
「くっ・・・」
かすっただけなのに、エヴィンは自分の視界が一瞬グラつくのを感じた。こんなのが
直撃したら元も子もない。だが今回エヴィンは、ある考えの元「リーインフォース」を
使わずにいた。
闇の力を全身に纏い身体能力を爆発的に向上させるリーインフォースだが、時に
それは自身の限界を見誤らせる事を、エヴィンは自覚し始めていた。
有象無象の雑魚相手なら、勢いに任せ一直線に叩きのめしにかかるのも戦法として
悪くないかもしれない。しかし、目の前にいるシーレンや「四傑」クラスを相手にする
場合、一瞬の判断ミスが命取りにもなりうる。だからエヴィンは今回の勝負で闇の
力を乱発する事を敢えて禁じた。そのおかげで今は、これまでのように体の動きに
精神の反応が追い付かなくなるような感覚は無い。攻め時と引き時を的確に掴める
ようになっていた。
だが、ここまでなら前回のリィズにもできていた。そう簡単に負けはしないが、決して
勝つ事もできない戦い方である。しかも決定的な体力差ゆえに均衡していた戦況は
次第にシーレンの方へと傾きだして行った。
「ハァ・・・ハァ・・・」
息が上がり始め、相手の動きに反応するのも辛くなってくる。距離を取れば腕に
内臓してあるハンドガンからの弾丸が容赦なく飛んでくるし、接近戦ではヘビー
級のボクサーをも上回る打撃がダース単位で襲って来る、しかもエヴィンは生来
回復テクニックが得意ではないため、受けたダメージは着実に蓄積されていった。
「やっぱり・・・勝てないのか・・・？」
エヴィンの心を不安がよぎる。実際、戦力差は最初っから分かり切っていた。逃げ
られる物なら今すぐ逃げ出したいとも思う。だが、それでも今のエヴィンには、自身を
奮い立たせる根拠が一つだけあった。
「でも・・・前はシーレン相手にここまで粘る事はできなかった・・・」
「あと少しだ・・・あと少しで、きっと何かが掴める・・・」
エヴィンが自分にそう言い聞かせている間にもシーレンの攻撃は続いた。エヴィンは
それを一つ一つ、ヤケを起こさず観察し、そしてかわす。そんな事を何十分も続ける
中でエヴィンは、シーレンの攻撃の前に肌に来る空気の動きで、次の攻撃を予測する
事ができるようになってきた自分に気がついた。
「中段の蹴り・・・上段の突き・・・これをバックステップでかわすと正面１５度の
方向からのハンドガン・・・分かる・・・分かるぞ、シーレンの動きが・・・」
「・・・シーレン！何をいつまでも手間取っているのよ！早く勝負をつけなさい！」
「了解・・・」
その言葉とともにシーレンの右の拳がエヴィンを襲う。だがエヴィンは、自身の左腕で
それを内側から弾き飛ばすと、右脚の先端を相手の両脚の間に入れ、足を引っかける。
そして自分の体を反転させながら、強烈なショルダータックルを相手に浴びせた。
「鉄山靠！」
６０キロ近い物体による全身への衝撃に、さすがのシーレンも一瞬足下をグラつかせる。
だがエヴィンはそこで攻撃を止めず、体を完全に反転させるとそのまま両腕でシーレンの
右腕を掴んだ。
「一本背負いぃっ！」
「！？」
その瞬間、横で見ていたエレナは我が目を疑った。６０キロにも満たない体重の少年の
投げ技により、重さ数百キロのシーレンが宙を舞ったのである。仕掛けるスピードと
インパクトのタイミング、そして技量が完璧であれば投げ技に体重差は関係無くなると
聞いた事はあったが、まさかそれを目の当たりにさせられる日が来るとは思わなかった。
直後に、轟音とともに土埃が舞い上がる。その中でエヴィンは、シーレンが立ち上がる
のを待った。
「・・・・・・」
無言で起きあがり仕掛けるシーレンを、エヴィンは再度投げ飛ばす。そして今度また
立ち上がった時には、シーレンは距離を取り、背中の砲身へと手をやった。
「Ｆ型九一式ツインライフル・・・発射・・・」
強烈な二本の光線がエヴィンを襲う。しかしかつて祖父アレンがそうしたように、空気の
流れを掴みきったエヴィンには遠距離からの単発の銃撃はまず当たらない。シーレンも
それを察知すると一発撃っただけでツインライフルをしまい、口を開いた。
「エヴィン・・・エヴィン・ハランツ・・・」
「・・・？」
「変わったな・・・私がお前と戦ったのはほんの二日前・・・機械ならば全ての機構を
改修する事もできるだろう。しかし人であるお前に、そんな事はできない筈だ・・・」
「ええ・・・」
シーレンの言葉に、エヴィンは素直に頷く。そんな彼を見ると、シーレンは口元に
うっすらと笑みを浮かべた。
「・・・千年前も思ったものだった・・・人とは、不思議な物なのだと・・・お前を見ると
私も昔の記憶を呼び覚まされそうになる・・・」
「シーレンさん・・・」
「エヴィン、私のエネルギーとて、無限ではない。そしてお前も、限界が近づいて来て
いるのだろう？ならばお前と私と、いずれもが全力をぶつけ合う事ができるうちに、
決着をつけたい。」
「はい・・・」
シーレンの言葉に、エヴィンは再度うなずいた。シーレンは、そんなエヴィンの反応を
見るとネイショットをその腕に装着させ、一気にエネルギーを充填させた。
「ガルバナイズバスター・・・」
「！もらったぁっ！！」
シーレンのネイショットが火を吹く寸前、エヴィンは銃口の直前にまで接近していた。
そして先の掌打と同じように掌をあわせ、それをネイショットから発せられる光の軌道
へとあわせる。だがその手には、極限まで凝縮された闇の力が宿っていた。
「決まってくれ・・・ゼロ射程シールド！」
エヴィンの言葉と共に、闇の力は光沢を持った盾となった。現存する物質に例えるのなら
アメジストが最も近いが、その輝きはアメジストとは比べ物にならない。そしてその盾は
ネイショットの力を全て受け止めながらシーレンの方へと弾き返した。
「！？」
何が起きたのか、一瞬のうちには全てを理解する事はできないままシーレンは自分の体を
強烈な熱量が襲い、そして重力感を失ったまま何メートルも吹き飛ばされるのを感じた。
そして岩盤に叩きつけられたその身は、動かそうと思っても動かす事ができず、間もなく
シーレンは二人の人間が自分を呼ぶ声を聞いた。
「シーレン！」
「大丈夫ですか！シーレンさんっ！！」
「・・・エヴィン・・・マスター・・・」
「よかった・・・意識があって・・・」
シーレンの言葉を聞くと、二人はホッと胸を撫で下ろした。
「しかし・・・派手にやってくれたわね。ここまで来るとシーレンの自己修復機能だけじゃ
完治しないわね・・・歩行機能の回復を待って撤退するわ。」
シーレンが生きている事を確認すると、苦々しげな口調でエレナは言った。エヴィンは、
そんなエレナの言葉に一瞬申し訳なさを感じるが、その態度はシーレンにたしなめられた。
「勝ったのはお前だ・・・胸を張れ、エヴィン・ハランツ・・・」
「シーレンさん・・・」
「勝者は誇らしくあれ、気高く、されども驕らずにあれ・・・私のかつてのマスターであった
リーク王家に伝わる言葉の一つだ・・・私にはその意味を正確には理解できないが、
人間であるお前なら、理解する事ができるのではないか？」
「はい・・・」
シーレンの言葉に、エヴィンは小さく、しかし力強く頷いた。そして振り返り歩き出そうと
するのだが、そこでエヴィンはふと、エレナに聞こうと思っていた事があったのを思い出し
彼女に話しかけた。
「あの・・・エレナさん、最後に一ついいですか？」
「・・・なによ？」
「エレナさんが病院に来たのって・・・本当はリィズさんを始末するためじゃなくて
お見舞いに来てくれたんじゃ・・・」
「何言ってるのよ！」
エヴィンが言いかけた言葉を、エレナは焦り混じりの強い口調で否定した。
「私が？リィズを？これだから子供は嫌いなのよ！・・・もうさっさと戻りなさいよ！
・・・まったく調子の狂う・・・」
さっきまでの苦々しさとはまた違った、苦虫を噛み潰したような口調でエレナは言った。
エヴィンは、そんな彼女の反応に思わず微笑みかけるが、ギリギリの所でそれを抑え、
一礼をするともう一度だけ口を開いた。
「シーレンさん・・・エレナさん・・・僕の挑戦につきあってくれて、ありがとうございます・・・
あの、また、お会いできますよね・・・？」
「フン・・・私達はトライデントの一員、あなたは言うなれば敵対勢力・・・嫌でも顔を
合わせる時は来るでしょうね。」
エヴィンの言葉に、視線を逸らしながらエレナは言う。エヴィンは、そんな二人に再度
頭を下げると、振り向き、仲間達のいる方向へと歩いて行った。
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