「神子を、あの場から引き離す事は、一つに残る者の対クルウェル戦の勝率を更に
下げ、同時に神子の力を完全に我が物とする事にも有利に働く。」
「さてと、今はただ果報を待つとするか・・・我が子の運ぶ、果報をな・・・」
言い終わると、ディルナはゆっくりとした足取りで自室へと戻った。
そしてその日の夕方、ネオアリサ南西部に位置する都市、タリナ・・・
「う・・・う〜ん・・・」
「おお、気がついたか。」
「爺さん・・・」
目が覚めるなり、周囲を見渡しながらマークは言った。どうやらここは病院らしい。
だが、いつ自分がここに運び込まれたかマークはまるで分からなかった。
「オレ・・・なんで、こんな所にいるんだ？」
「それを聞きたいのはワシの方じゃよ。」
ため息と呆れの入り混じった声でアレンは言い、そしてマークのカルテを彼の目の前に
突きつけた。
「肋骨の骨折が八本、頭蓋骨のヒビが三箇所に右の拳も骨折、関節の八箇所が靭帯損傷、
それに内臓も破裂しかかっている部分が六ヶ所、打撲傷や擦過傷（すり傷）に至っては
計測不能・・・何をしとったんじゃ一体。」
「ケンカ。」
マークが素っ気無くそう答えると、アレンはまた顔をしかめた。
「お前さん・・・ヴァルグとの戦いをケンカの一言で片付ける気か？」
「！？」
アレンの一言にマークは目を見開いた。
「爺さん、なんでそれを・・・見てたのか・・・？」
「いんや、カマをかけてみただけじゃよ。そ〜かそ〜か、やっぱりそうじゃったか。」
「げ・・・」
アレンの言葉に、マークは慌てて口をつぐむが、時すでに遅し、である。そしてそんなマークに
アレンは大きくため息をついた。
「まったく、無茶をしおってからに・・・その身を大切にしろ、というテオさんの言葉が、全く身に
ついておらんようじゃな。」
「・・・・・・」
「で、結果はどうなった？」
アレンがそう聞くと、マークはニヤリとした笑みを口元に浮かべた。
「結果、ねぇ・・・どうだったと思う？」
「まあ、十中八九お前さんの負けだとは思っておるが。」
「そっか、じゃあ、爺さんボケてねぇな。アンタの言う通りさ、完敗だったよ。完敗・・・」
マークはそう言うと、フゥとため息をついた。だがそんなマークの言葉に対し、アレンは
『だが、その敗北は無駄にはなっておらんじゃろう』と返す。
「・・・どうして分かるんだ？それが・・・」
「分かるさ・・・今のお前さんの顔は、昨日までの物とはまるで違う・・・その身から湧き出る、
『気』の勢いもな。」
「・・・そういう、モンなのか・・・？」
「おお、こういうのは、本人よりもむしろ、他人の方が分かるモンでな。それに、さっき言った
全身八箇所の関節のダメージ、それは恐らく『武神の咆哮』を放った物じゃろうしな。」
「！！じゃあ爺さん、アンタ、あの技の正体が前から・・・？」
マークの問いに、アレンはコクリと頷いた。そして「まあ、見ただけであの技の正体を掴める
奴なんぞ、この世界にそうはおらんじゃろうがな」と言いニヤリと笑って見せた。
「だがマーク、『武神の咆哮』はあくまでヴァルグのような、完成した肉体を持つ人間が使う技、
成長期のお前さんが乱発して良い技では決して無い・・・封印する事じゃ、お前さんの肉体が
自然の成長を止め、生物としての肉体が完成する年齢・・・そう、せめて二十歳まではな。」
「・・・・・・」
アレンの言葉に、マークはすぐに返答する事ができなかった。そして話を逸らそうとアレンに
自分を病院まで運んでくれたのはアレンなのかと尋ねる。だがアレンは首を横に振った。
「いや、ワシじゃなくて、どうやらエリーちゃんらしいな。」
「どうやら、って・・・？」
「実は、朝から姿が見えんのじゃ・・・ここの医者の話じゃと、傷だらけのお前さんを、栗色の髪の
女の子が担ぎ込んで来た。しかも、その時点で応急処置は済んでいた、と言っておった。だが、
それからすぐに走り去ってしまったらしく、この数時間目撃情報も入っておらん・・・」
「・・・それって・・・」
「逃げた、という事じゃろうな。ワシも一服盛られたし、隙を見て方々に仕込んでおいた発信機の
類も、一つ残らず取り外されていた・・・」
「・・・そっか・・・」
アレンが話し終えると、マークは、ため息まじりの寂しそうな声で短くそう言うと、アレンもまた
ため息をついた。
「甘かったかの・・・」
「済んだ事は仕方ないだろ・・・あいつも、色々事情があるんだろ・・・けどよ・・・」
「けど・・・？」
「ケンカしかしてなかったオレの手当てをしたヤツだ、惚れてるエヴィンに、変な事はしないだろ。」
「そう・・・だといいがの・・・ともかく、善後策は考えねばならん。」
そう言うとアレンは立ち上がり、携帯電話を使うために表に出た。
そしてそれから五時間ほど前、
「どうしたんです？リィズさん。」
朝から何か思案顔で、表情の晴れないリィズを見て、心配そうにエヴィンが尋ねた。
「僕も、朝から少し胸騒ぎがするんです・・・もしかして、リィズさんと同じ物が原因なんじゃ・・・」
「なんでも無いわよ、気のせいよ気のせい、エヴィン君、あなた疲れてるのよ。昨日のドルイド戦、
実質エヴィン君に任せっきりだったし。」
「え？ええ、まあ、疲れてないって言ったら嘘になりますけど・・・」
「だったら、今日くらいは休んでいなさいよ。そうでなくても、学生さんは今は夏休みなんでしょ？
天気も良い事だし、夜にはアーパスを発つんだし、リビアと何処か行ってくればいいじゃない。」
エヴィンにそう言うと、リィズはニコと微笑んだ。だが、なおも渋るエヴィンに対し、リィズは顔を
近づけ、ボソと言った。
「それに、戦う事以外でも、気が利くところ見せておかないと、リビアに逃げられても知らないわよ。」
「い゛・・・」
「まあ、『逃げる』って言っても今現在しっかりと捕まえてるワケじゃないから、それ以前の問題
でしょうけど。」
「う・・・」
その言葉は、他のどんな言葉よりも深くエヴィンの胸に突き刺さった。そして自分の言葉が確実な
ダメージを与えている事を確認すると、リィズはさらに話し続ける。若干、悪ノリしている雰囲気が
見られなくもない。
「エヴィン君みたいなのが、大人になっても仕事一筋で他の趣味を見つけられないのよね。」
「え・・・いや、別にそんな事は・・・」
「それで、家族仲もすっかり冷え込んで、残業から帰ってくれば奥さんは熟睡、子供は夜遊び、
テーブルで待っているのは、たった一個のカップ麺・・・」
「リィズさんっ！」
リィズの言葉に声を荒げ、半ベソをかきながらエヴィンは食って掛かろうとする。と、外から部屋の
ドアをコンコンとノックする音が聞こえてきた。
「リィズさん、今大丈夫ですか？」
「ええ、入っていいわよ。」
リィズが表の声にそう答えると、リビアがドアを開けて入ってきた。そのリビアに、エヴィンは
すかさず声をかける。
「あの、リビア先輩！」
「なに？」
「よかったら・・・ちょっと散歩にでも行きませんか？アーパスの景色を見ていられるのも今日
までですし・・・」
「？ええ、私は構わないわよ。ただ、ちょっとリィズさんと話したい事があるし、その後の支度も
あるから、一時間後にフロントでいい？」
「は、はい！」
やや緊張の混じった声でエヴィンは答えた。そして足早に立ち去ろうとするのだが、リビアは
そこでもう一度エヴィンに声をかけた。
「でも珍しいわね。エヴィン君から誘ってくれるなんて。」
「え？そ、そうですか？」
「うん。だから、どういう風の吹き回しかな、って思って。」
「・・・カップ麺はイヤですから・・・」
「？？？」
エヴィンの言葉の意味が丸っきり掴めないリビアを背に、エヴィンはそそくさと部屋を出た。
ただ一人、全てを理解しているリィズのみが笑いを必死に噛み殺している。
「・・・何があってんですか？エヴィン君・・・カップ麺って・・・」
「さあ？」
顔にニヤリとした笑みを浮かべ、肩をすくませながらリィズは言った。
「で、話って？」
椅子に座り直してリィズはリビアに尋ねる。と、リビアの言って来た事もまた、エヴィンと同じ
物だった。
「なんか・・・すごくイヤな予感がするんです・・・胸騒ぎと言うか、悪寒が走ると言うか・・・」
「・・・？」
「リィズさんは、感じませんか？なんて言うか、昨日病院で私達を襲って来たドルイドタイプ、
あれなんかの持っていた嫌な部分を、遥かに大きくしたような物があるのを・・・しかも、
それが段々と大きくなってきているような・・・」
「考えすぎよ。」
柔らかい微笑とともに、リビアの肩を軽く叩きながらリィズは答えた。
「エヴィン君も似たような事言ってたけど、二人とも少し神経過敏になってるんでしょ。」
「そ・・・そういう物、なんですか・・・？」
「ええ、幽霊を恐れすぎる人間には、枯れ尾花でさえ幽霊に見えてしまう、それと同じよ。」
「・・・・・・」
リィズの言葉にリビアは黙りこんでしまった。リィズにそこまで自信満々に言われると、それに
対してはっきりと切り返すだけの根拠も、彼女にはなかった。
「まあ、エヴィン君にも言ったけど、ここで過ごすのは今日が最後なんだから散歩でもして、店でも
見てくればいいじゃない。気持ちが沈みかけてる時こそ、テコ入れが必要よ。エヴィン君、折角
誘ってくれたんだし。」
「は、はい・・・」
戸惑いとぎこちなさを含んだ声でリビアは答え、そして逆にリィズに予定は無いのかと尋ねる。
「そうね、私もちょっと出歩こうかなって思ってるわ。ガズニさんのご夫妻にも、もう一度お会い
しておきたいと思っていたし。」
「そうなんですか？だったら私達と一緒に行きませんか？」
「あなたねぇ・・・」
リビアの言葉に、リィズは思わず苦笑いをした。
「遠慮しとくわ。エヴィン君に恨まれたくないし。」
「？？？恨む・・・？リィズさんを？エヴィン君が？？？」
「あ痛たたた・・・」
リビアの言葉に、リィズは今度は頭を抱えた。そして椅子から上半身を乗り出し、自分の顔を
リビアにグッと近づけた。
「リビア・・・あなたも案外悪い女ねぇ・・・」
「な、なんですか急に！？」
「そうやってポワポワ逃げながら、男の子の純情を弄ぶんだ。」
「り・・・りぃずさん？」
目を白黒させ、若干声を裏返しながらリビアは言った。そして、そんなリビアにリィズは椅子に
座り直して自分の言葉を続けた。
「けど、逆に意外でもあるわね。」
「な、何がですか？」
「もっとエヴィン君の事、意識してるかと思ってた。」
「な・・・・・・」
リィズの言葉に、リビアは頬を赤らめて絶句した。そして暫しの沈黙の後、「・・・そう、見え
ますか？」と小さな声でリィズに聞いた。
「まあ、エヴィン君はあなたの事が好きみたいだから当然として、あなたの普段のエヴィン君に
対する気のかけ方も、通り一遍の先輩後輩、ただの友達よりかは上に見えるけど？」
「・・・・・・」
「リビア、あなた今まで男の子の友達とかいた事ある？」
「それは・・・ありますけど・・・」
「でも、特別付き合った相手とかはいないでしょう。」
「分かり・・・ます？」
バツの悪そうな顔でリビアは答えた。
「分かるわよ〜。あなたもエヴィン君も、その辺の度胸が無い顔してるもの。他の所の度胸は
人一倍だけど。」
「・・・・・・」
「それでいて妙な義侠心を持っている、そんなタイプは誰かと付き合う時には自分の恋愛感情
とかよりも他の物を優先させちゃう事が多いのよね。だから恋愛感情としては一途でも、最終
的な結果がそれと結びつくとは限らない・・・エヴィン君みたいなタイプ特にね。」
「そ、そういう物・・・なんですか？」
「ええ、だから捕まえとこうって気が少しでもあるんだったら、早めにしておいた方がいいわね。
後悔先に立たず、って言うし。」
リィズの言葉に、リビアはどう返せばいいのか分からなかった。
「まあ、これ以上は私がとやかく言う事じゃないけどね。早く行ってあげておやりなさいな。
あの子の事だから、一時間後って言ってもたぶん三十分前には来てるわよ。」
「はい・・・それじゃあ、失礼します・・・」
リィズにそう言うと、リビアは部屋を後にした。
「いい子達よねぇ、今時びっくりする位スレてないって言うか・・・」
部屋の中で一人、つぶやくようにリィズは言った。そしてため息を一つつくと、顔を引き締め
拳をグッと握り締めた。
「そして、あんな子達にこれ以上の重荷を背負わせるわけにはいかない・・・」
「クルウェルがいよいよ本格的に復活しようとしている・・・倒さないと！今度こそ、二度と
復活できないように、完膚無きまでに・・・」
そう語るリィズの瞳には、これまで以上に強い決意が宿っていた。
そして一方ホテルのフロントでは、あの後大急ぎで身支度を整えたエヴィンが、リビアの事を
待ち続けていた。手持ちの服の中で一番きれいな服を選び、整髪料は持ってないので水と
ドライヤーで髪を整えた。財布の中にはある程度の現金は入っているし、今はどのあたりが
見所なのかもロビーのパンフレットを見ながら受付の人に色々と尋ねた。この数十分で出来る
準備は全てしたと言っていい。そしてエヴィンは椅子に腰掛けリビアが来るのを待った。
と、そんな彼に背後から迫る腕があった。そしてその二本の腕はそっと近づくとぱっとエヴィンの
視界を塞いだ。
「うわっ！？」
「ふふ・・・だ〜れだ！」
「！？その声・・・先輩じゃなくて・・・えっと・・・でも、そんな筈は・・・」
「・・・制限時間はあと５秒・・・４・・・３・・・２・・・」
「もしかして・・・エリーちゃん？」
「ふふ、当たりっ！」
声の主はそう言いながら両手を離す。そしてエヴィンが慌てて立ち上がり後ろを振り向くと、そこ
に立っていたのは紛れも無いエリー・ロックフィールドだった。
「エリーちゃん・・・なんでここに・・・？」
エヴィンは自分の目が信じられなかった。昨日までアレン達と一緒にいた筈のエリーが今、目の
前にいるのである。そしてその事に対する頭の整理がつく前に、エリーはエヴィンに抱きついた。
「エヴィン・・・良かった、まだここにいてくれて・・・」
「いや・・・あの、エリーちゃん、僕、話が全然読めないんだけど・・・」
全てにおいて突然すぎるエリーの行動に戸惑いながら、体温が上がるのを感じながら、しどろ
もどろの口調でエヴィンは言った。そしてエリーは、そんなエヴィンの耳元でささやいた。
「・・・逃げて来たの・・・」
と・・・
「逃げて来た、って・・・お爺ちゃんとマークから？」
「うん・・・」
「なんで・・・」
「命、掴まれてるのよ・・・パパに・・・」
「・・・！！」
「お願い・・・ちょっと、時間くれる・・・？」
「う、うん・・・」
・・・リビアが自分の支度を整えてロビーに下りてきたのは、それから五分としないうちだった。
リビアは辺りを見回し、しかしエヴィンがいない事を確認すると、ため息を一つつきながら
そこにあったソファに腰を下ろした。
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