二つの「闇」 〜時の交差後伝〜

第三部第三十六話 避けられぬ痛み

「もう一度、きちんと言っておきたかったから・・・」
動揺する声の震えを隠そうと、できる限り小さな声でエリーは言った。だが、それでも震えは
隠しきれていない。しかし真っ白になったエヴィンの頭の中には、そんな声はほとんど入って
きていなかった。もっともエリーの方も、しゃべりながら意識の半分以上がどこかに飛んだ状
態だったのだが。
「エリーちゃん・・・」
時計の時間で十数秒、二人の体感時間で数分間の沈黙の後、エヴィンはやっと口を開いた。
でも相変わらず頭の中はほとんど真っ白で、自分がこれから何を言おうとしているのか自分
自身もよく分かっていない。これから何がおきるのか、二人ともまるで分からなかった。

と、突然ドアをノックする音が二人の耳に飛び込んできた。

「「!?」」
口から心臓が飛び出さんばかりに驚くエヴィンとエリー。それでもエヴィンはよろよろと立ち上
がり、上ずった声で「はい?」と聞きながらドアの覗き穴をのぞく。と、そこでエヴィンは驚きと
喜びが入り混じった、音程のズレた大声をあげた。
「マーク!」
「!!」
エヴィンの一言に、エリーも立ち上がった。そしてエヴィンがドアを開けると、マークが入って
くるよりも先にエリーは部屋の外に出ていってしまった。顔は真っ赤で無言だったが、怒って
いる風ではなく、恥ずかしさと気まずさで部屋から逃げ出した風だった。

「エリーちゃ・・・」
「んじゃ・・・私・・・313号室だから・・・」
そう言い残すとエリーは足早に廊下を歩き去ってしまった。

「・・・なんだぁ?」
間の抜けた声で言いながらマークはドアをくぐって部屋に入る。ちなみにその間、エヴィンは
ずっと硬直していた。
「もしかしてお邪魔だったかな?オレは。いや・・・それとも救世主か?」
ニヤリとした意地の悪い笑みを浮かべながらマークは言った。エヴィンは慌ててマークの言
葉に反論する。
「ワケの分からないこと言わないでよマーク!!」
「ワケの分からないこと・・・?」
「そうだよ!だって・・・」
「だってエリーから愛の告白を受けてたんだろ?」
「ぅ゛あ゛・・・」
声にならない声をあげ、エヴィンは石化した。本物の石像と違うのは、体が肌色だという点と
額から膨大な汗が噴き出していることくらいである。そしてそんなエヴィンを見て、マークは
もう一度ニヤリとした笑みを浮かべた。
「カマかけただけなんだけどね〜」
口笛を吹きながら言うマークのその台詞にエヴィンは別の意味で石化した。マークはそんな
エヴィンのもとに歩み寄ると、肩に手を回して笑いながらポン・ポンと叩く。

「悪ぃ、ちょっとからかいすぎた。」
「今さら言わないでよ・・・」
マークの明るい声とは対照的な、いじけまくった声でエヴィンは言った。マークは人差し指で
こめかみのあたりをポリポリと掻き、少し困ったような顔をする。
「しかしまあ・・・なんだ。とりあえずお互い無事に、犠牲者ゼロで帰ってこれたな。」
「うん。」
ようやく表情を和らげながらエヴィンは言った。マークも、そんなエヴィンに応じて口元に笑み
を浮かべる。
「エラく、腕を上げたみてぇだな。」
「マークこそ。」
そう言うと二人は、右の拳同士を軽くぶつけ合った。
「どうだ?お互いどれだけ強くなったか・・・一つこの場で試してみるか?」
「・・・やめとくよ。」
「なんで?」
「部屋が壊れるから。」
「違いねぇ・・・下手したらフロアごとかもな。んじゃエヴィン、話を元に戻すとするか。」
「え゛・・・」
「だから石化すんなっての!」
漫才のツッコミよろしくエヴィンの後頭部をはたきながらマークは言った。

「どうやら、人生初めての状況に頭がフリーズしてるみたいだな。」
ため息をつきながらマークが言う。と、ようやくエヴィンも反論しだした。
「・・・マークだって、そういう経験ないクセに・・・」
「なんだとエヴィン?おいお前そりゃど〜ゆ〜意味だ!?」
「だってマークには昔からジェ」
エヴィンがそう言いかけた瞬間、マークは再び、彼の後頭部に平手打ちを放った。
「本気で痛かったんだけど今の!」
「るせぇ!テメェがくらだねぇ事言うからだ!!」
顔を真っ赤にしながらマークが言った。
「これじゃちっとも話が前に進まないだろうが!」
「誰も話を進めてくれなんて頼んでないでしょ!それにずるいよ!」
「ずるい・・・?オレが?」
エヴィンの一言にマークは呆気に取られた。彼の人生、バカだのアホだの山猿だのと言わ
れたことは枚挙にいとまが無いが、『ずるい』と言われたのは初めてに近い。そして二人の
会話の中で、エヴィンが精神的に優位にたったのも恐らくこれが初めてだった。エヴィンは
その好機を逃すまいと無意識のうちに思ってか、いつもよりだいぶ早口でまくし立てる。

「だってそうじゃないさ!僕のことはやたらと問い詰めるくせに、自分のことになるとヒトの
 頭ひっぱたいて誤魔化そうとしてさ!」
「ぐ・・・」
「マークが誤魔化さないのなら、僕だって・・・」
「わかったよ。」
ソファにドカと腰かけ、足を組み、ため息をつき、うんざりしたような口調でマークは言った。
「オレはジェシカのことが好きだよ。ガキのころから、ずっとな。」
「マーク・・・」
「中三の時は、必死で勉強したよ。あいつと離れ離れになるのがイヤだったからな。しかし、
 今回はジェシカに嘘ついて旅に出ちまったからなぁ・・・フィルさんからオレと一緒に謝りに
 行ってくれるって約束は取り付けたが、はてさて無事に行くことやら・・・」
苦笑いしながらマークは言った。そして彼の表情は再び、さっきの意地悪そうな物に戻る。

「・・・んで、今度はお前の番だぜエヴィン君。」
「・・・・・・」
「まさか自分はばっくれようとか、オレがあっさりお前の条件を呑むと思ってなかったとか、
 そんなことは考えてなかったよなぁ?」
「い、いや、べっべべべ別にそんなことは・・・」
「ほぉ〜う?まあいい、言語不安定になっているお前のために、オレの方から聞いてやる。
 イエスなら首を縦に、ノーなら横に振るんだ。わかったか?」
マークの言葉に、エヴィンは首ふり人形のような動きで、首を数回縦に振った。
「よぉし・・・じゃあ質問その1だ。これから始まるラストバトル、そいつが終わって全員無事
 だったとして、だ・・・お前エリーとつきあうつもりなのか?」
「僕が・・・エリーちゃんと・・・?」
そう言うとエヴィンの顔がみるみる紅潮しだした。彼はそのまま立ち上がり、幽鬼のような
足取りで洗面室へ入り、バタンとドアを閉じて鍵をかける。そんなエヴィンを見て、マークは
鼻でため息をついた。

「しょうがねぇなぁ、あいつも・・・まあ、オレから逃げるくらいならナンボでも構わんが・・・」

「自分以外の何者も傷つけることなく場を切り抜けられる・・・人生そううまく行く事ばかりじゃ
 ねぇってのによぉ・・・」
そう言うとマークは右の拳を軽く握り、それをじっと見た。

「そうだろう?・・・ヴァルグ・・・」
小さな、さびしそうな声でそうつぶやくと、マークは眠りについた。彼もまた、疲れきっていた。

そしてエヴィンは、洗面室の中で、バスタブの縁に腰かけて頭を悩ませていた。両腕は腰の
あたりで軽く組み、首はうつむいている。エヴィンはそのまま、力なくつぶやいた。『卑怯者』
と・・・

「マークは僕の質問に答えたのに、僕はマークの質問から逃げた・・・いや、それ以前に、僕
 はエリーちゃんの言葉からも逃げた・・・」

「僕は・・・リビア先輩のことが好きだ・・・」

「けど、怖かった・・・それを口にしたら、エリーちゃんの幸せを・・・ずっと一人で寂しい思いを
 してきたエリーちゃんの幸せを壊すことになるって・・・でも・・・」

「もっと怖かったのは、エリーちゃんっていう友達を失うことと・・・嫌われることだったのかも
 しれない・・・それに・・・」

「これで先輩に好きだって言って、フラれたらどうしようって気持ちも、たぶん心の中に・・・」

「僕は・・・卑怯者だ・・・」

エヴィンはそう言うと深く、そして静かにため息をついた。

一方エリーも部屋に戻っていた。エリーとディルナのためにアレンが取ってくれた物だが、当
のディルナがアーパスによらずそのままトライデント解散に行ってしまったため事実上エリー
一人の部屋である。しかもそのエリーも、これまでずっとリビアと同じ部屋にいたので、ここに
入るのは初めてだった。マークが戻ってきているということはリィズも戻ってきている可能性
が高い、そう踏んだエリーはリビアのいる部屋には行こうとはしなかった。そして無言のまま、
エリーはその身をベッドに投げ出した。

「私って卑怯だ・・・」
枕に顔をうずめながらエリーはつぶやいた。

「リビアさん、命がけで私の事助けてくれたのに・・・その疲れで動けなかったのに・・・自分の
 気持ちに負けて、抜け駆けした・・・」

「私って、卑怯だ・・・」

力なくもう一度、エリーはつぶやいた。そしてそのまま、エリーも眠りについた・・・

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一時間あまりして、エヴィンは洗面所から出た。

ずっと、考え続けていた。長い一人ぼっちの生活の末、ようやく幸せを掴もうとしているエリー
のことを考えていた。自分のために頑張ってきてくれた、エリーのことを考えていた。そして同
時に、あふれて抑えることのできないリビアへの想いを考えていた。これまで、戦うことなんて
全く経験が無かった筈のに、戦いの中で我を忘れた自分を命がけで止めてくれたリビアの事
を考えていた。

「二人とも・・・僕にとって大切な人だ・・・」

エリー、そしてリビアと過ごした日々を思い返し、エヴィンは改めて思った。そしてまた考えた。
何を決めるために考えているのか、それさえもエヴィンには分からなくなりかけていた。今、自
分が悩んでいることに結論を出したくない、そういう気持ちが、たぶんあった。

それでもエヴィンが部屋を出たとき、最初に彼の耳に入ってきたのはマークのいびきだった。
本当は最後に一言、マークと相談してからと思っていたのだが、寝ているのではしょうがない。
それにマークの質問から一度逃げたのに、自分の都合で彼を起こすのは図々しいと思った。
「おやすみマーク。」
エヴィンはそう言い、かたわらにあった毛布をマークにかけると静かに部屋を出た。

自室を出たエヴィンは、そのまま廊下を数メートル歩き、エリーのいる筈の部屋、313号室の
ドアをノックした。
「エリーちゃん・・・起きてる?」
ノックすると同時にエヴィンは声をかけるが、返事がない。そこでエヴィンがもう一回、前より
少し強めにノックすると中から慌しい足音が聞こえてきた。

「!エヴィン!?」
「うん・・・」
中からエリーの声が聞こえると、エヴィンの胸は高鳴った。ドアが開き、その顔を見ると、胸は
もっと高鳴る。エヴィンは小さく息を吸い込むと、目をそらさずに口を開いた。
「ちょっと、話があるんだけど・・・」
「・・・話?」
「うん・・・」
エリーの問いに軽くうなずくと、エヴィンは自分の言葉を続けようとした。だが彼の言葉は、すぐ
にエリーに遮られてしまう。
「ねえ!話もいいけどさ、エヴィン、お腹すかない?」
「え?・・・あ、そういえば・・・」
エリーにそう言われてようやく、エヴィンは自分の空腹に気づいた。ラシュートでディルナ配下
の魔族数十体と戦い、クルウェル麾下最強の者、ミュートと戦った。そして最後にディルナと
戦い、その後はずっと寝続けた。腹が減ってないはずがない。そして、エヴィンの腹が大きな
音を立てた。

「ね!じゃあさ、とりあえず食事に行きましょうよ!話はそこでもいいじゃない。」
ニコニコと笑いながらエリーは言った。話を聞きながら、エヴィンはポケットに手を入れてみる。
幸い、財布はポケットに入りっぱなしだった。
「そうだね、じゃあ・・・行こうか。」
「オッケー、それじゃ、私も支度するからちょっと待ってて。」
そう言うとエリーはドアを閉めた。そしてドアの外でエヴィンが待つこと10分、エリーが中から
出て来た。

「お待たせ!」
いつも通りの元気な声でエリーは言った。エヴィンはそんなエリーと一緒に町に出る。時計を
見ると時間は夜の七時を少しまわったところだった。
「昨日エリーちゃんがここに来た時から、まだ一日半しか経ってないのかぁ・・・」
「うん・・・なんか、異常に長い一日半だったけどね。ましてエヴィンにとっては、普通の一年分
 くらいはあったんじゃないの?」
「う〜ん・・・一年とは言わないけど・・・半年かそれ以上くらいには感じたかも。」
腕を組み、考えながらエヴィンは言った。そんなエヴィンを見て、エリーはクスクスと笑う。
「妙なところが細かいわね〜」
「え?いや、本当にそんな感じだったんだけど・・・」
「まあいいわ。それより、どこかいいお店ないかなぁ・・・空腹は、私もエヴィンの事言えないの
 よね。精神世界での戦いってのも、案外疲れるもので。脳も身体の一部、それを酷使する
 ワケだから。」
街並みをキョロキョロと見回しながらエリーは言った。そしてしばらくするとエリーは小洒落た
定食屋を見つけ、二人はそこに入った。

食事をしながらも、エリーは色々と話し続けた。この店の食事の味の事やアーパスという街
の事、そしてエリーにしては珍しく、テレビやスポーツ、芸能といった分野の話も振ってきた。
もっとも、元より二人とも芸能とかの話題には詳しくないので、そういう話はすぐに詰まって
しまうのだが。けれど自分達二人についての話は、意図的かと思えるほどエリーはしてこな
かった。

そして食事を終え、店を出ると今度はエリーは雑貨店に行きたいと言い出した。ここに来る
道の途中で、興味を惹かれる場所があったらしい。エリーは閉店間際の店に飛び込むと、
店員に数回注意されるまで物色を続けた。しかし、結局何も買わなかった。

「エリーちゃん・・・だったら早く出ようよ・・・店員さん、困ってたよ・・・」
少し呆れ顔でエヴィンは言った。だがエリーは何も答えず、無言のまま歩き続ける。時計の
針はもう九時を回っている。避暑地であるアーパスの商店の閉店時間は早いらしく、殆どの
店のシャッターがもうおりている。そして閉店した店ばかりの中心部を抜け、人影の少なく
なったところで、エリーはピタと足を止めた。

「大人はいいなぁ・・・こういう時、明け方までやってるパブやカラオケにいられるから・・・」
「・・・エリーちゃん?」
「・・・引き延ばしたかったから・・・」
「・・・?」
「エヴィンが・・・何を言いに来たのか・・・ドアを開けた瞬間の顔で分かってたから・・・」
「エリーちゃん・・・」
エリーの言葉に、エヴィンはゴクリと唾をのんだ。
「教えて・・・エヴィンの答え・・・」
エリーがそう言うと、エヴィンは足の震えを抑え、立ち位置を直す。大きく息を吸い込んだ。



「ダメなんだ・・・僕・・・、エリーちゃんに誠実になりきれる自信がない・・・」
小さく、ゆっくりで、けれど聞き取るには十分な大きさの声でエヴィンは言った。その一言で、
エリーの顔が少し青くなる。
「・・・ごめんなさい・・・」
「エヴィン・・・」
顔を見せないように、うつむきながらエリーは言った。その声は、これまでのエリーのどの声
よりも弱々しい。
「・・・あれから・・・リビアさんに会わずに私の方に来てくれたんだよね・・・?」
エリーの問いに、エヴィンはコクリと頷いた。
「悩んでて・・・くれたんだよね・・・?リビアさんに対して、打算とか勝算とかを作ってから来た
 ワケじゃないんだよね・・・?」
その問いにも、エヴィンは再度、コクリと頷いた。

「よかった・・・さっき、何も買わなくて・・・気に入った物あったけど・・・買ったもの見ると、思い
 出しそうだから・・・私、そういうの捨てられないから・・・」
「・・・・・・」
「・・・さよなら、エヴィン・・・」
震える声でそう言うと、エリーはそのまま前進し、エヴィンの横を早足ですり抜け歩き去った。
「っエ・・・」
エヴィンも振り返り、エリーの名を叫ぼうとした。だがそこで金縛りにかかったかのように声が
出なくなり、足も根が生えたように動かなくなる。そしてエヴィンの中に、耐え難い自分への嫌
悪感が生じてきた。

「行ってどうなる・・・声をかけてどうなる・・・掴みとめてどうなる・・・」

「エリーちゃんを傷つけるだけじゃないか・・・」

「よせ・・・そんな真似は・・・」

エヴィンは歯を食いしばり、両手を左胸に押し当てた。胸を激痛が襲い、掻きむしりたくなる衝
動に駆られ、背中を丸め、歯を食いしばる。涙が頬をつたい、やがてそれは声も混じった嗚咽
になった。

「馬鹿野郎っ・・・」
涙を流しながら、声にならない声でエヴィンは言った。どんなに自分を責めても、痛みは消え
ない。それでもエヴィンは、何度でも自分を罵倒し続けた。

「馬鹿野郎っ・・・エヴィンの馬鹿野郎っ・・・」

第三部第三十六話 完

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