こんなに翌日が楽しみで、かつ緊張したのはいつ以来だろうか？いや、
もしかしたらここまで楽しみでかつ緊張した晩はこれまで人生の中では
無かったかもしれない。
「リビア先輩とデート」
その言葉が頭をよぎるたびにエヴィンの心臓は高鳴り、ベッドの中で
顔が自然と紅潮するのを感じずにはいられない。ベッドに入り、電気を
消しても、眠くなるどころか目は冴える一方で、消し忘れた腕時計の
「チチッ」という小さな時報が何度も何度もエヴィンの耳に飛び込んできた。
それからしばらくしてやっと寝付けたが、翌日目が覚めたのは昼をとうに
過ぎてからだった。
「約束の時間が夕方で良かった」
これが時計を見た時のエヴィンの素直な感想だった。
それからエヴィンは準備にとりかかったのだが、まず困るのが服装だった。
エヴィンは「正装」と言うにふさわしいような服はほとんど持っていない
のである。強いて挙げるのなら父方の親戚の結婚式の時用に買ったブレザー
があるのだが、それは真冬の結婚式用に買った物である。
五月半ばの今着るのにはただでさえ季節的に暑いのに、今日は今年に入って
からの最高気温、七月中旬並の気温を記録している。昨日は寒いくらいの天気
だったのに、である。
「いっその事制服で行ったら？制服が学生の第一礼装なんだから。」
クリスはそう言うのだが、エヴィンにそんな事ができるわけもなく、
結局かなりの暑さを感じながらもそのブレザーを着る事にした。
----------------------------------------------------------------------
「ふぅ・・・」
額ににじむ汗をハンカチで拭いながらエヴィンは駅でリビアを待っていた。
約束の時間までは一時間近くあり、彼自身早く来すぎたという気もするが、
家にいても落ち着かないので結局こうなった。
そして、そういう時に限って、妙に色々な人に会ってしまうものである。
「お？エヴィンじゃねぇか」
「あ・・・マーク・・・ジェシカ・・・」
その二人に出くわした時、エヴィンはほんの少しだけ、自分の体の血の気が
ひくのを感じた。
「どうしたんだ？妙にめかし込んで。」
ブレザーを着てネクタイを締めたエヴィンを見てマークが言った。
マークの服装は黒のＴシャツにジーンズ、ジェシカは白いジーンズに黒と白の
チェック模様のタンクトップとエヴィンとは対照的な「ラフな夏服」である。
そしてそんな二人を前にしたエヴィンが何も言わないうちにジェシカが横から
口を挟んだ。
「あ！もしかして例のリビアって人とデートとか？」
「え・・・あ・・・」
ジェシカはほんの冗談のつもりで言ったのだが、その一言でエヴィンの顔は
みるみるうちに赤くなる。そしてその顔が十分すぎるほどに正解をあらわしていた。
「本当にそうだったのか・・・」
ちょっと驚きの表情を浮かべながらマークは言った。そしてマーク達が次の
言葉を言わないうちに、今度はエヴィンの方がマーク達こそ何をしてたのかと
質問をした。
「ん？いやジェシカが親父さんから映画のタダ券二枚貰った、って言うから
それ見て、これからゲーセン行ってメシでも食おうかって、それだけだけど？」
「そ、それだけって・・・」
マークの返事を聞くと、エヴィンは言葉に詰まった。早い話状況がエヴィンの
それと何ら変わる所が無いからである。それなのに完全に舞い上がっている
自分に対し、それをさも当然の事としていられる二人の関係がエヴィンには少し
羨ましく思え、そして「そっちこそデートなんじゃ」とボソと言ったその瞬間、
ジェシカの放った渾身のローキックがエヴィンのスネを直撃し、エヴィンは
低いうめき声をあげながらその場にうずくまった。
「バカな事言ってると蹴るわよ！」
「だから・・・蹴ってから言うなってそのセリフ・・・しかも思いっきり・・・」
呆れ顔をしながらマークは言った。そしてそれからしばらくの間、三人は立ち話
をし、そして「しっかりやれよ！」と言い残してゲームセンターへと向かった
彼らと入れ替わりに、約束の時間の十分ほど前にリビアがやって来た。
「待った？」
少し不安げな表情でリビアがそう言うと、エヴィンは慌てて首をブンブンと横に
振り、そしてリビアの方に目をやった。
リビアの服は黒を基調に、シックにまとめられていた。よく似合っているし、
エヴィンより大人びた雰囲気を漂わせてはいるが、この陽気に着るのには少し
厚手のように思えた。
「この時期にあう服が家になくって。」
リビアは苦笑いしながらそう言うのだが、それは同じ状況のエヴィンにとって
ある意味ラッキーな事のように思えた。
今の時間は四時、そしてコンサートの開演時間は七時である。コンサートの前に
軽く食事を済ませておこうというのは、昨日のうちからもう決めていた。二人は
少しその場で立ち話をしてから、ちょっと早めの夕食を取るために駅のそばの
ファミリーレストランに入った。
そしてそこでも二人は色々な事を話したのだが、話題の中心にあったのは今日の
コンサートのフルート奏者アバンチーノについてだった。
まだフルートを習いはじめてから日が浅いエヴィンは彼の事は何も知らなかった
のだが、リビアの話によるとこの世界ではかなりの有名人らしい。また、アバン
チーノというのは奏者の本名ではなく、大昔に実在したとされる大音楽家の名前
である事も、エヴィンはこの時初めて知った。
「いいんですか？僕みたいなのがそんなすごい人のコンサートに・・・」
「そんな事、別に気にする事ないわよ。」
エヴィンの心配を、「考えすぎ」だと言わんばかりな口調でリビアがそう
言うと、エヴィンは少し照れ臭そうに頭を掻いた。
それからも音楽の事や学校の事、趣味の事などを話しながら食事をし、一時間ほど
してから二人は店を出た。そして店を出た所の角を右に曲がった所で、エヴィンは
またもや、さっきのマーク＆ジェシカに続きあんまりこういう時に会いたくない
人間に出くわした。
「あら？エヴィン。」
「・・・父さん、母さん・・・」
両親に出くわした時、エヴィンの中の時が止まった。どうして今日と言う日に
限ってこうも、後から色々と自分をからかいそうな人に出くわすのだろう。
「エヴィン君の・・・ご両親？」
自分の方を向いてそう聞いてくるリビアに、エヴィンは一回、無言で首を縦に振る。
リビアはそれを見ると今度はエヴィンの両親の方を向き、会釈と挨拶をした。
「私、エヴィン君の部活の部長をしています、リビア・トウェインと申します。」
「リビアさんって、昨日エヴィンに電話をかけてくれたリビアさん？」
「ええ。」
「あら、やっぱりそうだったの。うちの息子が迷惑かけてませんか？」
「いいえ、何せ幽霊部員ばかりの部ですから、エヴィン君みたいに真面目に出て
くれる部員がいると本当に助かるんですよ。」
リビアは微笑みながらクリスに言った。それからもしばらくの間リビアとクリスの
立ち話は続いたのだが、その間のエヴィンは、いつ自分の両親が変な事を言い
出すのではないかと思うと不安でしょうがなく、一秒でも早くこの場を切り上げたい
気持ちで一杯だった。
幸い両親とも自分の変な過去とかを話す事は無く、時間にすればほんの五分にも
満たなかったがエヴィンには一時間くらいに感じられた時間は終わりを告げ、
いよいよコンサート会場に向かおうかと言う時に、リビアがエヴィンに一つの
質問をした。
「ところでエヴィン君？」
「なんです？」
「髪・・・染めてるの？」
「え？いえ・・・そんな事ないですけど・・・」
「そう。いや、エヴィン君の髪の毛ってお父さんの緑とも、お母さんの金色
とも違うから・・・」
リビアがそう言うと、エヴィンは少しだけうつむいた。
「ええ・・・父さんと母さんも最初見た時は驚いたらしくって・・・医者に聞いても
『突然変異』だとしか思えないって言われて・・・変ですか？」
「え？う、ううん！そういうつもりで聞いたんじゃないから・・・気にしてる
事言っちゃったらごめんなさい。」
「あ、別に全然気にしてなんかないですよ。この髪の毛とも十五年の付き合い
ですし・・・それにこの髪の色、結構気に入ってるんですよ。こう言うと何か
ナルシストみたいですけど。」
エヴィンはそう言うとニコと微笑んで見せた。
-------------------------------------------------------------------------
コンサートは大盛況だった。
あまり大きくはないものの新築でまだ壁にシミ一つついておらず、また床にも
埃一つ落ちていないコンサートホールは満員に膨れ上がり、そこで演奏された
曲は、その殆どをエヴィンは知らなかったのだが、曲名なんか知らなくても
選曲の良さと奏者の技術の凄さは直接肌に伝わってくる。ある時は静かに、また
ある時は激しく奏でられるフルートの音色にエヴィンは鳥肌を立てずにはいられ
なかった。そして演奏が終わり、奏者が観衆に対し一礼をすると同時に、、万雷
のような拍手が会場を包んだ。
「すごかったわね・・・」
「はい・・・思っていたよりもずっと・・・」
コンサートが終わり、会場を後にしてからもエヴィンとリビアは興奮を納める
事ができなかった。
もう日はすっかり暮れ、明日は平日なので人通りもそう多くはない。そんな
夜道を、二人は各々の家に向かって歩いていた。
-------------------------------------------------------------------------
「くそ・・・まったくついてねぇ・・・」
エヴィンとリビアの現在地からそう遠くない所で、マークとのケンカの連敗
記録を順調に更新中である不良グループのリーダー格の少年は、まだ新しい
傷跡にバンドエイドを貼りながら言った。
「なぁ、もうマークにちょっかい出すのやめにしねぇか？なんか最近のヤツ、
輪をかけて強くなってる気が・・・」
あまりの勝ち目の無さにいい加減うんざり、という口調でグループ何人かは
そう言うのだが、リーダーも「このまんま一泡も吹かせられず引き下がれるか！」
と怒鳴り返す。そしてムシャクシャ混じりに足下の小石を蹴り飛ばすと、また
歩きはじめたのだが、そこでタイミング良く（いや、悪くと言うべきか）１０
メートルほど先の人気のない通りを、エヴィンが歩いているのを発見した。
「・・・マークばかりか、あいつまで女連れ・・・許さん！！」
本来の恨みとは別の要素も加わり、１００％逆恨みな彼の怒りは加速度的に
増大する。そして他の仲間も半ば無理矢理引き連れ、一直線にエヴィンの方
目がけて駆け出して行った。
「よぉ・・・」
鋭い目でエヴィンの事を睨み付けながら不良のリーダー格の少年は言った。
しかしエヴィンは、生来あんまり人の顔を覚えるのが得意な方ではないと言う
事もあって相手が誰なのか、なんで自分に対してこういう態度を取るのか全然
理解できなかった。
「え・・・と、どちら様でしたっけ？」
「ふ、ふざけた事言ってるんじゃねぇ！俺とマークのケンカの時に不意打ち
喰らわせやがったクセに！！」
「あ！ああ、あの時の・・・でも、別に不意打ちってワケじゃ・・・」
右の拳で左の手のひらをポン、と叩きながらエヴィンは言ったのだが、そこで
自分とリビアが彼ら６・７人に完全に囲まれている事に気付いた。
正直、この時エヴィンは少し困った。リビアの前で暴力を振るいたくはなかっ
たのである。下手をしたらリビアにも危害が及ぶかも、と思うと尚更だった。
そうでなくても彼自身、彼の『某友人』と違い積極的にケンカをするような性格を
していない。だからエヴィンは、しばらく考え、ズボンのポケットから自分の財布
を取り出した。
「エヴィン君・・・」
不安そうな瞳でエヴィンの方を見つめながらリビアは言った。もしここで
素直にお金を渡したりしたら、彼らがまたエヴィンにたかってくるのは目に
見えている。かと言ってこの状況でリビアには他の打開策は思いつかず、
「それならせめて」とリビアが自分の財布を彼らに渡そうと思い、自分の
ポケットからも財布を出した瞬間、リビアは「えっ？」という顔でエヴィンの
方を見た。彼の手には、たった一枚の赤銅色のコインしか出されていなかった
のである。
「じゅ、１０メセタだぁ！？お前ヒトをなめるのもタイガイに・・・」
エヴィンが右手の親指と人差し指で持った１０メセタコインを彼らの前に
突き出した時、不良達は唖然とし、そしてエヴィン目がけて殴りかかろう
としたのだが、そこで拳を振り上げたまま彼らはピタとその動きを止めた。
エヴィンの持ったコインが、彼らの目の前でクニャッと曲がったのである。
「これで足りるかい？」
エヴィンはわざと嫌味を多分に含んだ声でそう言うと、半分に折り畳まれた
コインを親指で弾き、相手の額に直撃させる。自分の額にコインをぶつけ
られた不良のリーダー格の少年は一瞬怯んだ後、慌ててコインを拾い上げ、
調べたのだがそれは確かに、何の細工も施されていない、どこにでもある
１０メセタコインだった。
「ま、マジかよ・・・」
「こいつ・・・バケモノか・・・？」
「とりあえず、ここは・・・」
「三十六計・・・」
「逃げるに如かず！」
「きょ、今日はこのくらいでカンベンしといてやるぅ〜〜〜っ！！！」
お互いの目を合わせると、不良達はそれぞれ思い思いの捨てぜりふを残し
ながら一目散に、全力疾走で駆け出して行った。暴力を振るわず、それで
いて相手を調子づかせるような事にならない解決策は無いか、エヴィンが
そう考えて出した結論がうまく運んだ事を確認すると、エヴィンはホッと
ため息をつくと、心配そうな表情でリビアの方を振り返った。
「大丈夫ですか？リビア先輩」
目の前の状況が未だ信じられず、呆気にとられ目の焦点が定まっていない
リビアに心配そうな声でエヴィンは言った。
「う、うん・・・ありがとう・・・」
まだ驚きから醒めず、コクコクと首を縦に振りながらリビアは言った。
「ごめんなさい・・・僕が前にやったケンカのせいで嫌な思いさせちゃって・・・」
「気にしなくっていいわよ、別にケガとかしたわけじゃないし。それに、
エヴィン君がケンカするなんてよっぽどのワケ有りだったんでしょ？」
口元にうっすらと笑みを浮かべながらリビアは言った。
「え？ええ、まあ・・・ちょっと・・・」
「でしょ？エヴィン君が簡単に暴力を振るう人じゃ無いって事くらい、私
だってわかってるわよ。それじゃあまた明日ね！エヴィン君！！」
リビアのその一言で、エヴィンは自分の今いる所がリビアの家の隣だと
知った。そして二人は手を振りながら別れ、エヴィンも自分の家の方に
歩き出す。しかしこの時、自分のすぐ近くに「傍観者」がいた事を、
この時のエヴィンは知る由もなかった・・・
「時の交差後伝」のトップに戻る
トップページに戻る