〜時の交差後伝 番外編〜

力なき勇気(前編)

「お前、一体どんなタイプが好みなんだよ?」
少年が友人にそう聞かれたことは何度かあった。けれど彼には
「別に・・・」
くらいしか答えようがない。何か隠してるんじゃないかとか勘ぐられたこともあったが、実際こう
としか答えようがなかった。少なくとも今日までは・・・



「おいジャン!そろそろ行くぞ!準備できてんのか!!」
「できてるよ、昨日のうちに。」
下の階から自分をそう呼ぶ兄の声に少年は静かな、しかし少しうんざりしたような口調で答え
た。幼さの残る顔立ちに長すぎず短すぎず、無難にまとめたストレートの茶色い髪、そして銀
色の薄い金属の縁をもつ眼鏡をかけたその少年の名はジャン・フラン、マークの三つ年下の
弟である。彼の兄やエヴィンがダークファルスとの決戦を終えてからはや二ヶ月、夏休みの終
りから数えてももう一ヶ月近く経っていた。けれど兄が戦いに行く前日、ジャンが感じた悔しさ
は今も脳裏に焼きついている。

ジャンは兄よりも遥かに勉強熱心で、彼らの曾祖父である初代総督、ティーズ・ド・フランに関
しても知りうる限りのことは調べていた。自分の家柄に対する意識や自負心は、長男であるマ
ークよりも全然強い。財産とかではなく心の問題として、フラン家の後取りは自分だと自認して
いた。だから具体的なプランこそまだないが、いつの日か偉大な曾祖父のように歴史の表舞
台に立ちたいと思っていた。だが、その歴史の舞台に先に立ったのは兄だった・・・

(よしとけよ、お前がついてったって、どうなるモンでもねえ。)
(兄さん・・・)
(はっきり言って、足手まといだ。)

「・・・・・・」
ジャンはまた、そのときのことを思い出した。それを思い出してまで泣くようなことはないが、それ
でも当時、兄がクルウェルと戦い、そしてダークファルスとも戦いに行くのだと知った瞬間は、しか
もそんな歴史の大舞台に対して自分が何もできないと思い知らされた瞬間は、涙が止まらなかっ
た。今まで年齢以外は自分の方が上だと思っていた兄が、ひどく大きく見えた。

「僕だって、いつかは・・・」
そんなことを考えながらジャンは財布をポケットに入れ、黒い手さげ鞄を肩から提げた。今日は
格闘技のオープントーナメントの予選会、それにマークはテオから許可と推薦状を得て申し込ん
でいた。マークがいつの間にかそんな著名人ともコネを持っていたこともジャンには悔しかった。
けれどとりあえず、そんな負の感情は胸にしまいこむ。そして彼が表に出るとエヴィンとリビア、
ジェシカにメルが家の前に集まっていた。

「おはようジャン君。」
「おはようございますエヴィンさん。」
最初にそう挨拶してきたエヴィンにジャンは笑顔で返事をした。お互い歴史好きということもあり
この二人は知り合って以来わりと仲が良い。エヴィンはジャンという弟分ができて嬉しかったし、
ジャンも歴史という共通の趣味で深い知識を持つエヴィンを尊敬していた。少なくとも、兄に対し
てよりは。

「どうなのマーク?調子は。」
「ん〜、まあまあってトコかな。とりあえず体調は万全だし、気抜けもしてねえよ。」
少し心配そうに聞いてくるジェシカにマークは軽くそう答えた。実際、今はそんなに緊張していな
いようである。そんなマークに次はメルが話しかけた。
「頑張ってよマーク、アンタが絶対勝つって言うから、先輩説得して校内報のスポーツ特集記事、
 一面あけてもらったんだから!」
「へぇ・・・あ、そうか。そういやメルって生徒会所属の新聞部だったんだよな。」
「そ、アンタもようやく覚えてくれたみたいね。今回は私も散々大見得切って、ダメだったときは
 生徒会の雑用一ヶ月の交換条件でページもらったんだから。」
「ほう・・・んじゃオレが負けた方が個人的には面白い展開に・・・」
メルの顔を見て、ニヤリとした表情でマークは言った。と、今度はエヴィンが口をはさむ。

「マーク、あんまり調子に乗ってると負けるよ。世界は広いんだから。」
「分かってるよ。隠れた強豪が、どこにいるか分からねえってことくらい。」
軽く舌打ちをしてマークは言った。そしてそのままマークは言葉を続ける。
「あ、そうそう、お前にゃ言い忘れてたけど。」
「・・・?」
「エリーも来てくれるってさ。」
「え!?」
マークの言葉にエヴィンの表情が変わった。嬉しさとか気まずさとか驚きとかの雑多な感情が
入り混じった、何とも形容のしがたい顔つきである。そんなエヴィンの顔に、エリーを知らない
ジェシカとメルが不思議そうな表情でたずねてきた。
「誰なの?そのエリーって・・・」
「女の子・・・よね?エヴィン君の親戚か何か?」
「いんや、エヴィンの昔の同棲相手。」
「!?」
「ど・・・ドーセーアイテ!?!?!?」
マークの一言にジェシカとメルは目を白黒させ、ジャンはマークの言っている意味が分からずに
ポカンとした顔をする。リビアは言っている意味が分かっていて笑いを噛み殺した。
「マーク!」
一瞬の空白の後、顔を赤くしたエヴィンがマークに掴みかかる。と同時にマークはケタケタと笑い
だした。
「冗談だよ冗談、コイツが同棲なんてガラかよ?」
「そ・・・そう言われれば・・・そうよね。」
うなずきながらジェシカは言った。
「あ、でもエヴィン君、一学期の途中でいなくなってた時期があるし・・・今の妙な慌てぶり・・・」
「それはそういう意味じゃないから!呆気に取られただけ!!」
メルの指摘にエヴィンは真っ向から否定しにかかった。だが「じゃあ長期欠席の理由は」と聞かれ
ると言葉に詰まってしまう。戦いのことなんて言っても信じてくれるわけがないし、第一エリーの家
で二人で一月近く暮らしていたという事実も、受け取られ方によっては同棲以外の何物でもなくな
る危険がある。と、間もなくリビアのフォローが入った。

「時間は大丈夫なの?遅刻したら元も子もないじゃない。」
「あ、それもそうだな。次の特急に乗らないとヤバそうだし・・・いっちょ走るか!」
そう言うとマークは駅に向かって小走りに走りはじめた。そして他のメンバーもそれに追随する。
この二人の助け舟で、エヴィンは何とかとりあえずの危機を乗り切ることができた。

そして移動の電車の中・・・

「エリーのヤツは会場前の駅で待ってるってさ。」
電車の中でエヴィンの隣に座ったマークは、思い出したように彼に言った。その言葉にエヴィン
はコクリとうなずく。ちなみに電車は比較的長距離を走る特急列車なので真ん中に廊下があり
座席は廊下を中心に左右に二席ずつ十数列配置されていた。エヴィンは窓側に座りマークは
廊下側に座る。そして反対側の廊下側でリビアの隣に座っているジェシカがマークに話しかけた。
「それで、そのエリーってどんな子なの?」
「中学二年の女の子よ。私とエヴィン君、それにマーク君の共通の友達。ちょっと、ジェシカさん
 に雰囲気が似ているかもね。」
ジェシカの問いにそう答えたのはリビアだった。そんなリビアの答えに、ジェシカは少し驚いた
ような顔をする。
「雰囲気が私に似てる・・・?」
「ええ、明るくて元気で・・・」
「んで口が悪くて喧嘩っ早い。そのへんはお前に似てると言えなくもないかな?」
リビアの言葉にマークはそう言って割り込んだ。と、途端にジェシカの顔色が怒気に染まる。
「ど〜ゆ〜意味よそれ!」
「どういう意味って・・・別に掛詞の類は使ってないけど?つまり、言葉のとおりの意味って事。」
「あんたねえ!」
「二人とも電車の中でケンカしないでよ・・・他のお客さんもいるんだからさ。」
「・・・・・・」
エヴィンがそう言うと、ジェシカはピタと言葉を止めた。そして「ま、せいぜいケガでもしないこと
ね。」とだけ言うと顔を背けた。

「またケンカ・・・」
「ホント、飽きもせずよくやるわね。こんなこと言えるのも、ここがジェシカの攻撃の射程距離外
 だからだけど。」
自分達の前の列で起きている出来事に後ろを振り返ることもせず状況を完全に把握し、缶の
お茶を片手にジャンとメルは言った。そして特急列車に乗ること小一時間、電車は会場のすぐ
近くに止まる駅へと到着する。

「格闘技の大会ってこういう雰囲気なんだ・・・」
降りた駅で周囲を見渡しながらジャンは思った。全国大会の本戦出場者を決める地区予選、
大会が全国規模なので予選と言ってもそれなりに人は集まるし、中にはマスコミやスカウト関
係者と思しき人も多少はいる。参加者と思しき人はみんな体格がよく、精悍な顔つきの人間
や一癖も二癖もありそうな人間ばかりに見えた。
「兄さん、本当に大丈夫なの?」
ちょっと心配そうな口調でジャンは言った。するとマークはニコと笑う。
「ま、何とかなるだろ。こいつが出てたら、どうなるか分かんなかったけど。」
隣にいるエヴィンを小突きながらマークは言った。
「エヴィンさんが・・・?」
「ああ、こいつこんな顔してて結構強えからな。オレは一緒に出ようって散々誘ったんだが・・・」
「だってヤだもん、大勢の前で戦うなんて。」
「ガキの頃からテオ先生直々で拳法やってるヤツの言うセリフかよ。」
照れくさそうに笑ってごまかすエヴィンの方を向きながらマークは言った。と、それとほぼ同時に
少し遠くの方から彼らに向かって声がかかる。

「エヴィン〜!リビアさ〜ん!」
「・・・あの声は・・・」
その声にエヴィンとリビア、それにマークはすぐに反応した。声の主は、それからすぐに彼らの
方へと駆け寄ってくる。
「エリーちゃん!」
「久しぶり!」
二ヶ月ぶりの再会にエリーは嬉しそうな声をあげた。エヴィンら彼女を知る三人もまた、口々に
再会を喜びあう。エリーを知らない残る三人のうちジェシカとメルは「へえ、この子が。」くらいの
感情しか持たなかったが、ジャンの第一印象はそんな二人と全く違っていた。

「可愛い・・・」

見た瞬間心拍数が上がった。顔が紅潮するのを感じた。生まれてこの方、考えたこともなかった
自分の好みのタイプ、それがどんなものか、今わかった。もっともこの時、そんなことを考える余
裕など、ジャンには到底無かったのだが。
「ジャン?」
いぶかしげな顔をしたマークがジャンの肩をポンと叩いた。ビクとしたジャンの背筋が急に伸びる。
「は・・・はじめまして!ジャン・フランと申します!あ・・・兄がお世話になってます!!」
エリーの顔の位置に自分の顔の位置をあわせながらジャンは言った。その素っ頓狂な声に、さす
がのエリーも一歩後退するがすぐにニヤリとした笑みを浮かべた。
「へえ・・・あんたがマークの弟なんだあ・・・」
「はっハイ!」
「たしかにマークをイメージすると完全に別物ね・・・あ、私はエリー・ロックフィールド、よろしくね。」
エリーがそう言うと、ジャンはコクコクとうなずいた。そんな弟の横でマークは「ほぉう」と言わんば
かりの表情とともにニヤリと笑うが、とりあえず今は何も言わないでおくことにした。

駅から会場は目と鼻の先にある。会場の入り口に来ると選手であるマークと、観客のエヴィン達
は入り口が異なるためここでお別れ、エヴィン達はそれぞれ、マークに応援の言葉をかけた。

「負けないでね!」
「ま、せいぜい頑張りなさいな。」
「ケガしないようにね。」
「勝ちなさいよ!頼むから!!」
「兄さん・・・あの・・・」
「ま、お手並み拝見ってヤツね。」

それぞれエヴィンとジェシカ、リビアとメル、ジャン、そしてエリーの言葉である。彼らの言葉を受け、
そして背を向けると同時にマークの表情は一変した。

「負けられねえ・・・一日一発の『武神の咆哮』以外は最初から全開で行く・・・オレのスタイルを研
 究しようなんてヤツがいようとな。常に全力で小細工なし、それが武神の名を継ぐ最低条件・・・
 そうだろう?ヴァルグ・・・」

誰にも聞こえないようにそう言い、拳をパチンと叩くとマークは控え室の方へと消えていった。

------------------------------------------------------------------------------------------

「あの・・・エヴィンさん?」
試合場の真正面ではないものの、最前列でそれなりに見晴らしのいい観客席にエヴィン達は陣取
ることができた。そして自動販売機の前で女性陣から離れ、エヴィンと二人きりになったところでジ
ャンはエヴィンに話しかける。
「ん?どうかしたの?」
「エリーさんって・・・エヴィンさんの友達なんですよね?」
「・・・そうだけど・・・?」
少し緊張したふうな顔でエヴィンは言った。そんなエヴィンの答えに、ジャンは少し不安になる。
「違うんですか・・・?」
「いや、違わなくはないよ。けど、なんて言ったらいいのかなあ・・・」
「・・・それって・・・!もしかして・・・その・・・昔つきあって・・・」
不安で声を震わせながらジャンは言いかけた。と、そこでタイミング悪くメルが飛んでくる。
「あんた達たかがジュース買うのにどんだけかかってるのよ!マークの試合、次よ!」
「え?そうなの?じゃ、行こうかジャン君。」
「は、はい・・・」
そう言って駆け出すエヴィン達に、ジャンは黙ってついて行くしかなかった。

一回戦はマークの圧勝だった。相手はそれなりに体格も良く、黒帯を締めていることからどこかの
拳法の有段者らしいが、開始の合図がかかると同時に男はマークが白帯であることと全くの無名
であること、そして参加選手の中では比較的小柄であることから侮り、そして無駄な体力の消耗を
避けるための短期決戦を狙い真正面からぶつかって行く。それに対しマークも真正面から挑みか
かっていった。
「フンッ!」
男はマークの顔面目がけ正拳突きを放った。だがそれよりも後から出したマークの正拳は速度で
それを遥かに上回る。カウンターで入ったマークの拳は相手のみぞおちを打ち抜き、そして前のめ
りに倒れさせた。

「一本!それまで!!」

主審が右腕を上げ、マークの勝利を告げる。あまりに鮮やかな決着に場内が少し湧いた。

「へぇ・・・」
一礼して試合場を去るマークを見てジェシカは少し驚いたように頷いた。
「けど、まだ一回戦だからねえ・・・大口に見合う働きはしてもらわないと。」
そう言ったのはメルである。この大会、一番他人事ではないのが彼女だった。そしてメルがそう
言うのとほぼ同時に、エヴィンがジャンに話をふる。
「どうだったジャン君?お兄さんの戦いぶりは?」
「え?え、ええ、はい・・・兄さん、か、勝ったんですよね?」
エヴィンにそう言われ、ジャンはビクとしてエヴィンの方に頭を振り向け答えた。だが言ってるこ
とはかなり的外れである。
「アンタよそ見でもしてたの?」
呆れ声でジェシカが言った。そんな指摘にジャンは言葉に詰まる。そんなジャンにエリーが追い
討ちをかけた。
「どっか試合以外のモノ見てたんでしょう。何か面白いものでもあったの?」
「え?いやエリーさん・・・いや・・・僕が見てたのは・・・その・・・」
言いながらジャンの顔がみるみる赤くなった。
「ちょ、ちょっとトイレに行って来ます・・・次は、きちんと見ますから・・・」
そう言うが早いかジャンは立ち上がり、洗面所めがけあたふたと足早に駆けていった。

「エリーさん・・・」
トイレの洗面台でジャンは火照った顔を冷水で何度も洗っていた。けれどいくら顔を洗っても彼
の脳裏からエリーの顔は消えないし、したがって顔の熱も全くひかない。齢十三にして生まれて
初めて抱いた感情に、ジャンはただただ戸惑っていた。

前編終わり

中編を読む

「時の交差後伝」のトップに戻る

トップページに戻る