「あの・・・エリーさん。」
「ん？どうかしたのジョン君？」
相変わらず少し緊張した声で話しかけるジャンにエリーは言った。そんな彼女の言葉に、ジャン
の体の力が少し抜ける。
「あの・・・ジャンなんですけど・・・」
「あ・・・ごめんごめん。で、どうかしたの？」
「え？いや・・・どうでした？兄さんの試合・・・」
とりあえず話しかけたくて、それでも何を話したらいいか分からなくてそう言ったジャンだったが、彼
はすぐに心の中でそれを後悔した。女の子に格闘技の試合の内容を聞くなんて、と。しかしエリー
は「そうね・・・」と言って右手を顎に当て少し考える。
「私じゃ、全員一分切るのは難しいかもね。一撃の威力が低いから相手によっちゃニ・三発かかる。
まあ、スピードは私のほうが上だし、足技も上手く絡めればそこで差は補えるけど。」
「え？？？」
エリーの回答にジャンはキョトンとした顔になった。言っている意味がまるで分からない。からかって
いるのかとも思った。
「あの・・・言ってる意味が・・・」
（あ、そうか・・・）
戸惑うジャンを見てエリーは気がついた。
（この子は私も戦えるってこと知らないんだ・・・じゃあ・・・ちょっと猫かぶるのも面白いかも）
エリーの心がニヤリと笑った。そんなことで空いた間に耐えかねジャンが聞き返す。
「あの、エリーさん？」
「え？あ、ごめんね。ちょっとジャン君の言葉の意味取り違えちゃって。」
「やっぱりそうだったんですか。」
少し安心したような表情でジャンは言った。
「うん。ちょっと呆然としてたから。格闘技なんて、実際に見るの初めてだったから、少し刺激が強
かったみたい。」
（・・・・・・・・・・・・・）
（・・・・・・・・・・・・・）
エリーがそう言うのを横で聞き、リビアとエヴィンは世にも奇妙なことを聞いたような顔で互いの顔
を見た。口をぽかんと開け、眉間に少しシワがよる。そしてその顔を慌ててエリーの方からそらす。
この場面でツッコミを入れるノリも度胸も二人には無かった。そして、そうこうしているうちに決勝戦
開始の時間が訪れる。
「マーク・フラン、ホウ・モータン、両者前へ！」
主審がそう言うと、両者は枠内に入った。マークの相手は身長２ｍ超、体重も１３０ｋｇはゆうにあり
そうな、文字通りの巨漢である。彼もまた、この大会を圧倒的なペースで勝ち上がってきた。
「エヴィン君・・・あの人のこと、なんか知ってる？」
少し不安そうな表情でメルが聞くと、エヴィンはコクリと頷いた。
「うん、たしか去年の全国大会でベスト８まで行った筈・・・準々決勝は反則負けで。そのおかげで
勝ち上がった人が、たしか優勝してたような・・・」
「・・・ヤバくない？それ。勝ち負け以前にケガとか・・・」
エヴィンがそう言うと、ジェシカの顔にも不安の色が濃く浮かんだ。けれどエヴィンはニコと微笑む。
「大丈夫だよ、マークなら。」
そう言うとエヴィンは試合場の方へ目を向けた。
「今年はいつもに増してレベルが低い・・・」
マークの対戦相手、ホウはそう思いマークを睨みつけた。
「こんな何てことなさそうなガキに決勝まで全員秒殺とはな・・・まあいい、こんな世の中ナメきった
ガキは骨の一本でもヘシ折ってやらねばならん・・・戦うことの恐ろしさを教えるためにな。」
「お互いに、礼！」
マークを前にそんなことを考えていたホウだったが、主審の礼の合図に睨みながら頭を下げる。
そして続く「はじめ！」の合図とともに、ホウは一気に間合いを詰めた。
「フンッ！」
風を切る音を立て、ホウの豪拳がマークの顔面を狙う。マークはそれを上段受けで跳ね除けると、
そのままガラ空きのボディに正拳突きを叩き込んだ。だがホウの表情は変わらない。
「折れろ！」
丸太のような足の中段蹴りが、今度はマークの脇腹を狙った。素直に右腕でガードしたら骨が折れ
そうな蹴りである。だがバックステップは間に合いそうもない。
「それなら！」
そう言うと同時にマークは飛んだ。右手を相手の蹴り足の上に乗せ、そのまま自分の腕の力と、相
手の蹴りの勢いを利用して後方に大きく跳ぶ。アクロバティックなマークの動きに、場内が沸いた。
「普通のパンチじゃ、カウンターで急所に入れても通用しない、ってか・・・」
相手を見据えながらマークはつぶやいた。
「ブロンコラッシュみたいな連撃じゃ技の途中に割り込みで攻撃を喰らいそうだし、かと言って手数
を稼いでの判定や合わせ技の勝ちなんて趣味じゃねえ・・・それなら・・・」
そしてマークは自らの身体を構えなおした。足をやや大きめに開き、どっしりと構える。そんな彼の
構えの変化を見て、ホウはニヤリと笑った。
「早くも小細工を諦め攻撃に転ずるか・・・いいぞ！そのまま俺にぶつかって来い！一瞬で骨を砕い
てやる！」
間合いの離れたマークに、ホウはそう思いながら突進した。凄まじい勢いで迫る相手に対しマーク
は微動だにしない。あまりの動かなさに、気の弱い観客は数秒後に起こるであろう事態を思い目を
背けた。だがそんな目を背けた観客達にも、場内に響いた風を切る音と、その直後の重低音は確
実に耳に届いていた。
「・・・？」
「なんだったんだ・・・今の音は・・・」
「普通の格闘技の技の音じゃないぞ・・・」
「・・・高音の後に重低音・・・？」
「なんか・・・どっかで聞いたような・・・」
「でも・・・なんだったっけ・・・？」
観客達はそう思い、音のした方向を見た。そしてその場所では、完全に気を失ったホウが前のめり
に倒れてピクリとも動かない。主審も息を呑んでいたが、すぐに我に返り高々と腕を上げた。
「し・・・勝負あり！それまで！！」
主審の一言で場内に、爆発でも起きたかのような大きな声の歓声が沸いた。そして試合線の外に
出た直後から、マークは数人の記者達に取り囲まれる。
「優勝おめでとう！」
「最後の技は！？」
「この気持ちを誰に伝えたいですか？」
記者達はマークに一気に質問とフラッシュの嵐を浴びせた。予想以上の事態に困惑するマーク。
エヴィン達はそんなマークの様子を半分笑いながら見ていたが、それからマークが控え室に引っ
込み、そして会場の外に出て来るまで小一時間ばかり待つハメになった。
「お疲れマーク！」
「ホントだよ・・・て言うか試合後の方が疲れた・・・」
「けど、あとで生徒会用の独占手記書かせてもらうから、協力よろしく！」
「・・・明日にでもな。今日はもう、取材なんて言葉は聞きたくねえ・・・」
憔悴した顔でマークはメルに言った。ヴァルグの心境が、０.１％だけ分かったような気がした。そして
一行は駅につく。出発は朝方だったのに、もう日が暮れかかっていた。
「それじゃあ、私はここでお別れね。」
駅につくなりエリーは言った。その言葉に、ジャンは少しだけ首をうなだれる。
（もっと、たくさん話したかったな・・・兄さん、電話番号とか知ってるのかな・・・でも電話したとしても
何を話せばいいんだろう・・・電話って、普通に話すより話しづらいし・・・）
エリーの顔を正視できずジャンは思った。だが、そんな彼の横でマークはエリーに声をかける。
「明日って祝日だろ？祝勝会やるからお前もティリアに来いよ。」
「え？」
マークの言葉に、エリーは少し驚いた顔で言った。隣にいたジャンも内心かなり驚き、そしてエリー
がマークの申し出を受けてくれることを内心強く祈る。そんなところにリビアがさらに口をはさんだ。
「そうしましょうよ、泊まる所は私の家の客間があいてるし。」
「いいの？」
「もちろん！大会が終わる前に、親には手回ししといたわよ。万一のことを考えてね。」
エリーの問いにリビアは笑顔で即答する。そこでエリーはようやくニコと微笑んだ。
「それじゃ、ちょっと待ってて。パパに電話してくるから。」
そう言ってエリーは電話ボックスの方に小走りに駆けて行った。
「感謝しろよジャン。」
右ひじでジャンの脇腹を小突きながらマークは言った。
「・・・兄さん？」
「分かってんだよ。」
怪訝な顔のジャンに対しマークはニヤリと微笑む。
「ま、その話は追々な。」
そう付け加えるとマークはジャンから離れた。そして今度はエヴィンの所に行き、彼にだけ聞こえる
大きさの声で
「あとでちょっとツラ貸せや。」
と言う。そしてそれとほぼ同時に、エリーが笑顔で戻ってきた。
「へえ〜、エリーちゃんもウェンフィールドのギゾ会長とかと知り合いなんだ〜」
電車の中でジェシカが言った。エリーは自分とリビア、マーク、それにエヴィンがあくまでギゾを起点
としたルートで知り合ったかのように話を進める。
「うん。パパの仕事が昔の超文明の研究とか、そういうのだから。」
「あそこ（ウェンフィールド）って本当に何でもやってるのね・・・」
「まあね。私も細かいことは分からないけど。それよりさあ・・・」
その言葉でエリーは話題を音楽とか芸能とか、もっと一般的なことに逸らすことに成功した。ここ数
年、そういう物にかまってる暇の無かったエリーだったが、ディルナが家に帰ってきて以来、まるで
ここ数年の空白を取り戻すのが目的かのごとく「日常」の吸収に躍起になっていたので、そっち方面
の話題でも詰まることは殆ど無い。それに何より彼女の人なつっこい性格もあり、ジェシカやメルと
は、またたく間に打ち解けていった。
そして、そんな女性陣の明るさの裏、車内のトイレの前ではエヴィンとマークの密談が進行していた。
「ジャン君がエリーちゃんを！？」
「声がデカい！って言うか車内で素っ頓狂な声出すな！！」
目を見開いて驚きの声をあげるエヴィンの後頭部を、マークはそう言って叩いた。そんなマークに、
エヴィンは頭をさすりながら反論する。
「考えすぎなんじゃないの？僕が横で見ててもそんな風には全然・・・」
「それは、お前が鈍すぎだからだ。」
呆れ顔と深いため息とともにマークは言った。
「オレから言わせりゃ、ジャンのヤツ完全に一目惚れだよ。自己紹介の声も上ずってたし、顔が妙に
赤かった。それにさっきの駅でも、すごく気になってるんだけど、どうしたらいいのか分からないって
顔だったしな。」
「・・・そこまで言われて考えれば、席でもエリーちゃんに話しかけられたときだけは妙にたどたどしか
ったような気はしないでもなかったけどさ・・・」
「だろ？ま、かく言うオレもジャンのあんな顔を見たのは初めてだが。」
エヴィンがそう言うとマークはそう言ってうなずいた。
「それで、だ。オレは兄として弟の幸せのために手助けしてやるのが義務ってモンだし・・・」
「義務ってモンだし？」
「お前はエリーをフった人間としてあいつの新たなる幸せのために尽力するのがスジってモンだろ？」
「う・・・」
マークにそう言われ、エヴィンは言葉に詰まった。
「それとも何か？ジャンじゃエリーの相手は務まらない、そう言いたいのか？」
（ちょっと・・・そりゃ、色んな意味で不安はあるけど・・・）
「ん？何か言ったかエヴィン？」
「い、いや何にも！！・・・けど、て言うか僕らが勝手に話を進めても・・・こういうのは本人の意思が・・・」
「分かってるよそれくらい。」
軽く舌打ちをしてマークは言った。
「けど、色恋沙汰ってのは案外第三者の影響を受けるからな。ま、とにかくだ。お前からエリーにそう
いう話はしづらいだろうからお前はジャンの方をけしかけろ。エリーにはオレから話をする。それなら
いいだろ？」
「・・・分かった・・・」
マークの提案にエヴィンは渋々うなずいた。だがそれで立ち去りかけたマークに慌てて声をかける。
「あ、マーク！肝心なこと言い忘れてた！！」
「肝心なこと？」
「うん、エリーちゃん、ジャン君に少し猫かぶってたみたいだったから・・・格闘技なんて見たこともない、
みたいな・・・」
「・・・は？」
エヴィンがそう言うと、マークも口をポカンを開け、眉間にシワをよせた。先程のエヴィン＆リビアが作
った顔つきと、何ら変わるところはない。それからマークは深いため息をついた。
「・・・何を考えてるんだ？」
「・・・たぶん、深いことは考えてないと思う・・・」
「・・・だよなあ・・・」
そういい残すとマークはエヴィンより一足先に座席の方へと戻っていった。
座席の方に戻ると女性陣は女性陣だけで、リビアも巻き込み完全に盛り上がっていた。そしてそん
な空気の中、一人完全に蚊帳の外で窓の外の景色を見ているジャンの隣にマークはドカと腰を下
ろした。
「随分、暇そうにしてるじゃねえか・・・」
「兄さん・・・」
皮肉まじりのマークの一言に、ジャンは少しムスッとした顔でこたえる。
「随分、トイレ長かったね。」
「ああ、前のヤツがなかなか出てこなくってな。」
「ふうん・・・」
マークのウソに、ジャンは軽くそう言うとそれ以上追及してこなかった。けれど、今度は逆にマークが
ジャンに問いかける。
「あっちの輪の中に入らなくていいのか？」
親指でエリーたちのほうを指差しながらマークは言った。
「・・・いいよ、別に・・・ついてけるネタないし。」
「ふうん・・・」
さっきのジャンの言いぶりを真似た口調でマークは言った。
「まあ、お前がいいならオレはオレで別にいいんだが？」
「どういう、意味だよ・・・」
「さあねぇ〜？胸に手でも当てて考えてみたら？」
「・・・・・・」
マークがそう言うとジャンは言葉に詰まった。そしてそのまま、ほんの少しだけ頭を動かしてチラと
エリーの方を見るが、同時にマークのニヤついた顔も視界に入り、ジャンは慌てて顔を背けた。
（こりゃ今は何もできねえな・・・あとで別口にセッティングしてやらんと・・・しかし、それならそれで
そのときジャンがどう動くかなんて、オレにも想像がつかん・・・）
ジャンを見てそう思うと、今度はマークは左腕の腕時計を見た。
「ティリアまだあと十分足らずか・・・もうこうなったら、完全に勝負は家についてからだな・・・」
「・・・兄さん？何ブツブツ言ってるのさ？」
「なんでもねえよ。お前に悪くなるような事じゃねえから心配すんな。」
さっきから引き続きの胡散臭い物を見るような顔で自分のことを見るジャンにマークはニヤリとし
ながらそう答えた。
「時の交差後伝」のトップに戻る
トップページに戻る