朝の七時を告げる目覚ましがの音が鳴った。そうでなくとも、何度も夜中に起きては寝てを
繰り返していたが、今度こそ本当に起きなくてはいけない時間である。
「ふぅわぁ〜あ・・・」
ベッドから半起きの状態で一つ、大きく伸びをするとジニーはベッドから飛び起きた。そして
ハンガーにかけてある、中学校の真新しい制服をチラと見る。
「今日から本当に中学生なんだ・・・」
制服を見てジニーはつぶやいた。昨日まではあんなに楽しみで、何度も着ていた制服だが、
今日は袖を通すのが怖い。
「大丈夫なのかなあ・・・やっていけるのかなあ・・・」
そんなことを考え、ジニーは一人嘆息した。そんなジニーを廊下からリビアが呼ぶ。
「ジニー、起きてる？」
「起きてるよぉ！」
「じゃあ、はやくご飯にしなさい。手ぇ洗って、顔洗って・・・」
「分かってるって！」
少しムキになったような声でそう言うと、ジニーは部屋を出た。
「おはよ、ジニー。」
「お姉ちゃん・・・どうしたの？こんな朝はやく・・・」
食卓にいるシェリーを見て、びっくりした顔でジニーは言った。
「どうしたの、って・・・別に深い意味は無いわよ。それとも何？朝の７時の食卓に、私がいる
のがそんなに不自然？」
「うん。」
シェリーの言葉にジニーは迷わずうなずいた。そして隣にいたアーサーは、ジニーの言葉に
ククッと笑いを噛み殺してからジニーの方を見た。
「ともかくジニー、進学おめでとう。」
「う、うん・・・ありがと・・・」
シェリーとアーサーが異口同音に言うと、ジニーはぎこちなく頷いた。
「どうした？昨日までとはエラく様子が違うけど？」
「緊張してんでしょ。いつもと違って、食欲もなさそうだし。」
いぶかるアーサーに、シェリーが横から口をはさんだ。そしてシェリーの言葉を否定できない
ジニーを見て、アーサーはまた苦笑する。
「なんだ、そんなことかあ・・・」
「そ、そんなことって・・・」
「だって今日は式だけなんだろ？」
「・・・そうよ・・・そうだけど・・・」
少しムスッとした口調でジニーは言った。
（そりゃお兄ちゃんみたいに勉強とか出来れば気も楽だろうけどさ・・・）
「でも本当に食欲ないなら、お砂糖入れた紅茶だけにしとく？緊張で、式の最中にお腹でも
痛くなったらいけないし・・・」
まったく進んでいないジニーの朝食を見て、心配そうにリビアがそう言うと、ジニーはコクリと
うなずいた。
「ところでパパは？」
紅茶を飲み終えたジニーはリビアに聞いた。
「部屋にいるわよ。ネクタイとかスーツとか、どれを着て行こうか迷ってたみたい。」
「そうなの？」
「ええ、ジニーの入学式ですもの。そわそわするのも、無理はないわ。」
「そうなんだあ・・・」
リビアの言葉に、ジニーは嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃ、そろそろ着替えてらっしゃい。」
「うん！」
リビアにそう言われ、ジニーは席を立った。
「それじゃ、行ってきま〜す！」
「ああ、行ってらっしゃい。」
「ドジ踏むんじゃないわよ、ジニー！」
「大丈夫よぉ！」
リビア、そしてエヴィンと一緒に出かけるジニーをシェリーとアーサーはそう言って見送った。
そしてクルと振り向くと、シェリーは大あくびをする。
「ふぅわぁ〜あ・・・それじゃ、二度寝に入りますかあ・・・」
「やっぱり姉さん、ジニーを見送るために起きてきてたんだ。」
「まあね。」
「優しいじゃん。」
「当然でしょ？」
涙目をこすりながらシェリーは言った。
「あんた今日休みなんでしょ？昼前になったら起こしてよ・・・昨日は遅くまで歴史の総合学
習してたから眠くてさ。」
「・・・単に歴史物の深夜映画見てただけでしょ。」
「分かってないわね。とにかくおやすみ〜」
「・・・やれやれ・・・仕方ない・・・今日は図書館じゃなくて自宅だな。」
さっさと部屋にこもる姉を見て、ため息をつきながらアーサーは言った。
「・・・・・・」
家を出てから３０分後、ジニーは１年Ｂ組の教室にいた。学校には小学校の級友も何人か
入学していたが、運の悪いことにジニーはその誰とも同じクラスになれていない。話しかけ
る相手もおらず、ただただ緊張した面持ちで、どんな人かも分からない担任が来るのを待
つしかなかった。
「・・・・・・」
ジニーは椅子に座ったままクラスをグルリと見回した。なんか全員、自分より大人びていた
り、頭が良さそうに見えて、自分がここにいるのが、ひどく場違いな気さえした。
「はやく先生来ないかなあ・・・でも、怖い先生だったらどうしよう・・・」
正面を向きなおし、ジニーは一人ため息をついた。
「皆さん揃っていますか？」
待つこと数分、入ってくるなりクラス全体を見渡しそう言った担任は、ジニーの両親と同い
年くらいに見える、長めの金髪に眼鏡をかけた、少しやせている優しそうな中年の女性教
師だった。
（良かった・・・怖そうな人じゃなくって・・・）
大柄でコワモテな先生だったり、ヒステリックな先生だったらどうしようと思っていたジニー
は、懸案が一つ解消され、ほっとため息をついた。先生の名前は、ビアンで、担当は社会
科とのことだった。そのビアン先生の先導で、ジニー達はクラスを出て講堂に向かった。
・
・
・
「ジニー大丈夫かなあ・・・」
二階席にある来賓席でそわそわしながらエヴィンは言った。そんなエヴィンを、隣に座る
リビアが笑う。
「そんなに心配？」
「まあね・・・ジニー、昨日まではハイになってたけど、今日になってかなり緊張してる風が
あったから・・・」
「それは、ねえ・・・」
エヴィンがそう言うと、リビアも少し心配そうな顔をする。そしてそのまま言葉を続けた。
「あの子は・・・プレッシャーに強くなるような育て方しなかったから・・・ともかく、あの子に
とっての転機になるのは間違いないわ・・・中学生・・・」
「そうだな・・・しかし、いつまでも小さい小さいと思ってたジニーが中学生だよ・・・」
「もう中学生と言うべきか・・・まだ中学生と言うべきか・・・」
「きっと、両方なんだろうな・・・難しい年頃だよ。シェリーやアーサーもそうだったけど。」
エヴィンがそう言うのとほぼ同時に、講堂に「新入生の入場です！皆様大きな拍手でお
迎えください！」というアナウンスが鳴り響いた。
「うわあ・・・」
万雷の拍手の中、担任の誘導で講堂に入ってきたジニーは驚きの目で周囲を見た。先
月行われた、小学校の卒業式の倍くらいの人数が入っている。ジニーは急いで来賓の
席に目をやり、エヴィンとリビアを探そうとしたが、周囲に押されてできなかった。
「ちゃんと・・・見てくれてるよね・・・」
ジニーはそう思って自分の心を落ち着けようとした。
その後、入学式は滞りなく進んでいった。ネオアリサの星歌（国歌に相当）の斉唱に始
まり校長の、椅子に座っていなかったら耐えられないんじゃないかと思える長話、在校
生の祝辞、担任の紹介に新入生の紹介・・・新入生の名前は全員読み上げられたので、
ジニー・ハランツという名前が呼ばれたときは少し胸が熱くなった。それから最後に校歌
を斉唱（と言ってもジニーら新入生は基本的に聴くだけだが）し終えると、ジニーらは講
堂から退場した。
（ふう・・・何とか無事に終わってくれた・・・）
教室に戻ってきたジニーは自分の席につくと、ため息をついて言った。基本的にただ座
っていただけなのに、ひどく疲労感がある。朝食を抜いたので、空腹感もかなりあった。
それでもなんとか、ボーッとしそうになる意識を何とか持ちこたえさせ、先生の話を聞く。
話の中身は明日の行動予定や持参品、小学生とは違うんだという中学生としての心構
え、そして生徒達の緊張をほぐすための、少しの雑談だった。
「まあ、みんな今は緊張してるみたいだし、最初っからあまりリラックスされるとこっちも
困るけど、とにかく１年、みんな仲良く、そしてお互いを磨きあいながら頑張りましょう。
それでは、今日はここまで。」
ビアン先生はそう言うと、続いて生徒達に起立させ、礼をさせた。
「ふう・・・やっと終わった・・・」
みんながゾロゾロと教室を出る中、ジニーもため息を一つついて鞄を手に持った。半日
にも満たない時間だったのに、いつもより何倍も疲労感がある。
「こんなんで・・・これからやって行けるのかな・・・」
ジニーは心の中でつぶやいた。この半日、クラスの誰とも、一言も口をきいていない。
気がつくと、自分の両隣のクラスにも小学校時代の友達はいないので、体育の時間
とかも顔見知りはいそうにない。
「友達づくりも一からか・・・」
そう思うとジニーの不安はさらに大きくなった。と、そんなジニーの前にビアン先生がいた。
「どうしたのハランツさん？」
「先生・・・？」
急に声をかけられ、ジニーは何を言っていいのか分からず、口ごもってしまう。そんな
ジニーを見て、ビアン先生はクスと笑った。
「三者三様ね。ここまで性格が違うとは思わなかった。」
「？？？」
「ハランツさん、あなたシェリーやアーサーの妹でしょ？」
「え！？」
ビアン先生の言葉に、ジニーはびっくりした顔をした。
「お姉ちゃんとお兄ちゃん、知ってるんですか？」
「シェリー・ハランツは二年のときに私のクラスだったから。アーサー・ハランツは学年
のサイクルが１つ違うからあんまり面識はないけど・・・二人とも色んな意味で伝説よ。
あなたの姉さんと兄さんは。」
「そう、なん、です、か・・・・・・」
笑いながらそう言う先生に対してそう言いながら、ジニーは顔をうつむかせた。
「でも私は・・・お姉ちゃんみたいに運動神経良くないし機転もきかないし・・・お兄ちゃん
みたいに頭もよくないわ・・・だから・・・」
「そう。」
ジニーの独白を、ビアン先生は軽く流した。
「たしかに、あなたの上の二人はティリア一中の伝説よ。けど、それはあなたが気にする
ことじゃない・・・自分で言っておいてなんだけどね。まず、ここに慣れることから始める
ようにしたらいいわ。同じ小学校の子がクラスにいなくて大変だと思うけど・・・頑張って
ね！先生、期待してるから！」
「は・・・はい・・・」
ビアン先生の言葉に、ジニーは自信なさそうにそう答えた。
「すっごく可愛がられてきたんだろうなあ・・・エヴィン達に。」
ペコリと一礼して立ち去るジニーの背中を見て、ビアン先生は微笑みながらつぶやいた。
「あ、出て来た！」
校門の外でジニーが出て来るのを待っていたエヴィン（とリビア）は、ジニーの姿を見ると
そう声をあげた。
「結構出てくるのに時間かかったじゃない。」
「友達でもできたのか？」
「ううん、先生と話してたの。」
エヴィンの質問にジニーは答えた。それを聞いてエヴィンとリビアはうんうんと頷く。
「ジニー、お前の担任、ビアン先生だったみたいだな。」
「うん。」
「良かったわねジニー、いい先生に当たって。」
「うん！」
リビアの言葉にジニーは力強く頷いた。ビアン先生は良い先生、そのことは自信がある。
そしてジニーの返事を聞くと、エヴィンとリビアは顔を見合わせた。
「しかしつくづく奇遇よねえ。」
「ああ、メルが僕らの子供のうち二人の担任になるなんてな。」
「え？」
エヴィンとリビアの会話に、ジニーは驚きの視線を向けた。
「パパとママ・・・ビアン先生と知り合いなの？」
「ああ、パパの高校時代のクラスメートだからな。」
「そうなの！？」
「ええ、シェリーの担任になったときも話たけど・・・覚えてない？」
リビアがそう言うと、ジニーはふるふると首を横に振った。
「ま、仕方ないよな。そのときのジニーにとっては他人事だし、その話が出たの自体、まだ
お前が八歳のときだからな。覚えてなくても無理は無いさ。」
笑いながらエヴィンは言った。そんな父につられ、ジニーも一瞬笑うがすぐに笑いを止め、
そして尋ねた。
「ねえパパ・・・ママ・・・」
「うん？」
「・・・やっぱりいいや、あとで本人から聞くから。早く帰ろ、疲れちゃった。」
そう言うとジニーはスタスタと歩き出した。
そして夕食時・・・
「へえ・・・んじゃジニーの担任、ビアン先生なんだ。」
夕食のフライをパクつきながらシェリーは言った。
「うん、それで先生が言ってたんだけど・・・」
「言ってたんだけど？」
「お姉ちゃん達って・・・伝説だったの？」
「・・・？？？」
ジニーの言葉に、シェリーとアーサーは狐につままれたような顔をした。
「ビアン先生が言ってたわ。二人は色んな意味で伝説の生徒だった、って・・・」
「・・・・・・」
ジニーの言葉に、まずアーサーが苦笑いした。
「伝説ねえ・・・でも姉さんの場合、伝説は伝説でも負の伝せ・・・ぐかっ・・・」
「あ〜らどうしたのアーサー？急に黙っちゃって。誰かにスネでも蹴り飛ばされた？」
「そういう風だから、僕もそう言いたくなるんだよ・・・」
しれっとした顔のシェリーに、痛みを抑えながらアーサーは言った。
「サボりの常習犯だったとか、体育以外全科目赤点だったとか、新入生いびりの上級生
グループ一人で壊滅させたとか・・・姉さんの動きが僕の耳に入らない日は無かったん
だから・・・」
「あら、そう？でも最初の２つはともかく、最後の一つは美談でしょ？」
「美談、ねえ・・・（同時に悪名も轟かせてたけど）」
「それに体育祭の時なんて、私引っ張りダコだったんだから。」
「はいはいそうですか・・・」
自慢げにそう話すシェリーを、アーサーはそう言ってスルーすることにした。実際は彼女
の弟というせいで苦労させられたことの方が、自慢できることより全然多かったのだが、
口ゲンカはシェリーの方が強いし、第一これ以上相手にするのも面倒だった。だがそん
なアーサーを、今度はシェリーが攻撃してきた。
「でもアーサー、あんたも人のこと言えないわよ。」
「何がさ？」
怪訝そうな顔をしてアーサーが言った。
「だってあんた、なんでも自分の納得が行くまで先生に食い下がってたでしょ。」
「そうだけど？」
「結構話題になってたのよ、あんたの行動。今日びの先生なんて、大半がアンチョコ頼み
の授業ばっかなんだから、突き詰めて質問すると逆切れするのも結構いて。」
「そりゃ向こうが悪いでしょ。そういうアンチョコ頼みの先生に限って、部活の顧問もしてな
けりゃ服装はジャージ同然、定時でさっさといなくなってたし、始業のベルから教室に来
るまでが遅かったし・・・」
「ま、だから案外、私の方が全体的に見れば手のかからない生徒だったのかもね。」
「・・・それは、絶対にありえないから・・・」
シェリーの言葉を、アーサーはそう言って否定した。そしてそんな二人のやり取りを、ジニー
は羨望の眼差しで見る。
（やっぱり凄いんだなあ・・・お姉ちゃんも、お兄ちゃんも・・・）
（私・・・そんな風に学校で話題になることなんて一度も無かった・・・）
（なれるかな・・・なれるといいな・・・）
具体性も実現性も何も心に描かぬまま、ジニーは心の中でそうつぶやいた。
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