〜始まりの終わりとなる日々に〜

第五話 ユエリ

アーサーが意識を取り戻したのは翌朝早く、病院のベッドの上でのことだった。
「くっ・・・痛・・・ここは・・・」
「アーサー!」
まだ多分にボーッとした意識の中、アーサーはリビアが自分を呼ぶ声を聞いた。
「母さん・・・」
「よかった・・・気がついたのね・・・本当によかった・・・」
息子にそう言う母の目にはクマができていて、瞳には泣き腫らしたあとがあった。そんな
母親を元気付けようと、アーサーは少し無理して明るく笑う。
「大丈夫だよ母さん、別にどうってことないから。」
そう言うとアーサーはベッドから起き上がった。
「アーサー!無理をするんじゃ・・・」
「無理なんてしてないって、ほらこの通りダンスだって踊れるくらい・・・」
言いながらアーサーは妙なステップを数回踏むが、そこで彼は脇腹を押さえうずくまった。
「アーサー!無茶するんじゃありません!」
「う、うん・・・」
腹部を押さえながらアーサーはベッドに戻った。

アーサーの意識が戻ったことが分かると、警察の関係者だという中年の男性が病室に
入ってきた。状況的に傷害事件なのでいろいろと聞きたいことがあるらしい。アーサー
はベッドから上半身だけ起こし、背もたれに寄りかかり警官に応対した。
「それじゃあ、事件のあったときのことを分かる範囲でいいから聞かせてくれるかね?」
警察官の問いかけにアーサーはコクリと頷いた。
「とは言ってもあまり当時のこと覚えてないんですが・・・夜道で急襲されて、ロクに反撃
 もできないままやられてしまったので・・・」
「反撃?」
アーサーの言葉に警官は顔をしかめた。
「逃げようとか助けを呼ぼうとは思わなかったのかね?」
「はい・・・」
「それはどうしてだい?」
「体が逃げることよりも戦うことに反応したからだと思います・・・」
「その根拠は?」
「一応ウェンフィールド流の段を持っているので・・・」
「そうか・・・」
アーサーの言葉に警察官は渋い顔でうなずいた。
「これからは、自分の力を過信しないようにすることだな。ルールに基づいた道場での
 稽古や試合と、無法者とのケンカでは根本的に違う。それで、犯人の身体的な特徴
 は?」
「・・・中肉中背の男性でした・・・顔まではちょっと・・・相手はサングラスしてましたし・・・」
「そうか・・・」
アーサーの証言に警官は残念そうにうなずき、それからさらにニ、三の質問をすると去
っていった。そしてアーサーは朝食をとり、脳波などのいくつかの検査を済ませると午
後にはもう退院となった。回復テクニックが高度に発達しているネオアリサでは、外傷
系の怪我での入院期間は極端に短い。アーサーがリビアと一緒に家に帰ると、他の家
族が心配そうな顔で出迎えてくれた。

「大丈夫なのアーサー?」
開口一番そう言ったのはシェリーだった。アーサーはそんな姉らにちょっと話がしたい
と言う。皆も元からそのつもりだったので、一家はリビングに集合した。
「それで・・・」
みんなが席に着いたのを見るとアーサーは口を開こうとする。だがそんなアーサーの
横からリビアが口をはさんだ。
「アーサー、あなた警察の人に嘘いってなかった?」
「・・・?」
リビアのその一言で、状況を知らない三人の視線がいっせいにリビアの方へ向いた。
「本当は犯人って、あなたが言っていたような人じゃないんじゃない?」
「まあね・・・」
リビアの言葉にアーサーはボソとつぶやいた。
「アーサー!あなたなんだってそんな・・・」
アーサーの答えにリビアは血相を変えて立ち上がる。だが隣に座っていたエヴィンが
それを制した。
「アーサー、理由を言うんだ。なんでそんなことをしたのか・・・答えによっては、父さん
 怒るぞ。」
「・・・・・・」
エヴィンの静かな、しかし言葉の裏に強烈な威圧感のある物言いにアーサーは気圧
された。そこから調子を取り戻そうと、アーサーは軽く息を吸う。シェリーとジニーは何
も言えず、彼の口から次に出て来る言葉を見守るしかなかった。
「予感が、したんだ・・・」
「予感・・・?」
アーサーの言葉に、皆が異口同音につぶやく。
「うん・・・なんか今回のことを、表に出しちゃいけないような、そんな予感が・・・」
「女の子だった・・・僕を攻撃してきたのは、僕と同い年くらいの・・・」
その言葉を皮切りに、アーサーは当時の様子を語り始めた。

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(来る!)
アーサーがそう思い身構えた次の瞬間、鋭い飛び蹴りがアーサーの頬をかすめた。
攻撃をかわしながら、少しのけぞる態勢になりながらもアーサーは反撃を試みるが、
中途半端な姿勢から放った突き技はむなしく空を切る。そして彼が態勢を立て直す
のと同時に、自分を襲撃してきた犯人と目が合った。
「女の子・・・?」
信じられない物を見るような目をしながらアーサーは言った。目の前にいるのは自分
と同い年くらいの、黒髪で瞳の大きな、少しツリ目の少女だったからである。
(こんな子が、今の蹴りを・・・?)
「あなた・・・ハランツの人間よね?」
抑揚のない口調で少女は言った。
「そうだけど・・・?」
「そう・・・ならあなたを倒す・・・それが私の存在の確認・・・」
「!?」
アーサーには何が何だか分からなかった。ワケも分からぬまま鋭い足技の連続に
さらされる。相手が女の子であるがゆえに攻撃をためらうアーサーは、防御に集中
する。だがそれにもかかわらず、完全には防ぎきれない攻撃のキレと速さだった。
「なんなんだ君は!」
「教える筋合いは無い!お前は全力を出した上で!私に倒されればいいんだ!」
「!?」
相手の言葉に、アーサーはますますもってワケが分からなくなった。けれど事情は
分からなくても、防戦一方ではこっちが先にやられるだろうということは分かる。
「とりあえず捕まえないと・・・」
バックステップで間合いを離すとアーサーは構えなおした。
「行くぞ・・・」
そんなアーサーを見て、再び抑揚のない声で少女は言った。彼女はそのまま急速
に間合いを詰める。
「つぁっ!」
少女の足が動いた。この足の角度はみぞおち目がけての中段蹴り・・・アーサーは
そう感じ取ると即座に防御を固めた。

だが、そんな彼に先に命中したのは少女が蹴り足を途中で戻し、高速で出した顎
への掌打だった。頭部への打撃を受けてアーサーの視界が揺れる。少女があら
ためて出した中段蹴りがアーサーのみぞおちに突き刺さったのは、その直後の事
だった。
「がっ・・・」
アーサーの身体が前のめりになる。そんな彼の肩に、少女はみぞおちに突き刺さ
った蹴り足を踏み台に上る。
「トドメだっ!」
そして少女の膝蹴りがアーサーの顎を砕いた。この時点でアーサーの意識は半分
以上飛んでいる。そして彼女が最後に、両手の拳を組んで放ったスレッジハンマー
が後頭部に直撃すると、アーサーの意識は遥か遠くへと飛んでしまっていた。

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「そこまでが、僕の覚えてる全部だよ・・・」
静かな声でアーサーは言った。エヴィンは眉をひそめ、リビアは呆然とし、ジニーは
震えている。そしてシェリーは口を開いた。
「んじゃつまり、女の子にボロ負けしたなんて警察に言いたくなかった、と・・・」
「違う。」
シェリーの言葉にムッとした表情でアーサーは答えた。
「ほんとぉ〜?アンタ本当にそういうのが全く無かったって言い切れる?」
「そりゃ、情けない気持ちはあるさ・・・けどそれで警察に黙ってたワケじゃ・・・」
「ま、とりあえずそういうことにしといてあげるわ。で、結局なんなのそいつ?」
「そんなのこっちが聞きたいよ!」
アーサーはムキになって言い返した。

「シェリー・・・あなたとアーサーが前に相手したっていう、不良みたいな連中って言う
 のの仲間とかじゃないかしら・・・」
姉弟ゲンカの間に割って入るようにリビアは言った。だがアーサーはそれを否定する。
「違うと思う・・・」
「なんで?」
シェリーが尋ねる。
「だってあんな強いのが仲間にいたら前回姉さんを襲撃しようってときにも一緒に連
 れてきている筈だから・・・」
「あれから金で雇われたのかもしれないわよ?」
続けざまにシェリーは言った。だがアーサーはそれにも首を横に振る。
「それも違うと思う・・・だって・・・」
「だって?」
「キツイけれどキレイな・・・真っ直ぐな目をしていた・・・悪人の・・・目じゃなかった・・・」
「ふ〜ん・・・」
アーサーの言葉にシェリーはウンウンと頷いた。
「んじゃさっきのボロ負けしたから言いたくなかったっての撤回するわ。」
「?」
「可愛い女の子だったから警察に突き出したくなかったってワケね。」
「姉さんっ!!」
アーサーは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「いや〜アンタも女っ気ないとは思ってたけど、まさか自分を叩きのめすようなのが
 タイプだったとはねえ・・・いやはやいやはや。」
「だから違うっての!」
「シェリー、アーサー。」
二人のケンカは、エヴィンのその静かな一言で止まった。そしてアーサーが椅子に
座り直すと、エヴィンは口を開く。

「つまりアーサー、相手はお前がうちの人間だということを確認した上で、攻撃して
 きたというわけだな?」
「うん・・・」
「けれどお前が何ていう名前かまでは把握していなかった。」
「うん・・・」
エヴィンの質問に、アーサーは二回続けてうなずいた。
「そうか・・・個人への恨みではないということか・・・シェリー、ジニー、お前達が昨日
 アーサーを見つけたときは大丈夫だったか?誰か不審な人間と、すれ違ったりは
 しなかったか?」
「うん特には・・・ってあ!」
シェリーとジニーは異口同音に声を上げた。
「あなた達も何かあったの!?」
「うん・・・私が切符買おうとしたとき、急に背中が寒くなるような感じがした・・・」
「私は売店にいたときに似たような感じがした・・・」
「あなた達も・・・?」
二人の報告を聞いてリビアの顔が少し青くなった。
「あなた・・・早く警察に報告しなおしましょうよ・・・」
「そうだよ・・・ママの言うとおりだよぉ・・・」
リビアと彼女の意見に同調したジニーは言った。だがアーサーがそれに異論を挟む。
「ちょっと待ってよ二人とも・・・」
「アーサー?」
「予感がするんだ・・・警察に言うとすごく後悔することになる・・・そんな予感が・・・
 これは僕の直感なんだけど・・・」
「アーサー・・・」
呆れたような、困ったような顔でリビアは言った。けれど、そんな二人の間にシェリー
も口をはさむ。
「なんて言うか・・・私も、どっちかって言うとアーサーの意見に賛成なのよねぇ・・・
 いや駅で感じた感覚がその子のものかどうかってのがそもそもってのはあるん
 だけどさ。ただ、私が駅で感じた感覚は、単純な敵意とかそんなんじゃなかった
 ・・・九割の敵意に、一割の親近感って言うか・・・敵意の本質に親近感があるっ
 て言うか・・・なんとも言葉にしづらいんだけど。」
「姉さん・・・」
隣に座っていたアーサーは、びっくりした顔でシェリーを見て言った。そしてそんな
四人の反応を見て、エヴィンが口を開く。
「つまりリビアとジニーは警察に言うことに賛成、シェリーとアーサーは反対だという
 ことだな。」
エヴィンの言葉に四人はいっせいに無言でうなずく。エヴィンは一つ、軽くため息を
つき、しばらく考え込んでいたがやがてゆっくりと顔を上げる。家族四人の視線が、
いっせいにエヴィンの方へと向いた。

「熟考した結果より、最初の直感に従うべき時がある・・・」
エヴィンのその一言でシェリーとアーサーの顔は少しだけ明るくなり、リビアとジニー
の顔は暗く沈む。
「私も、その子に会ってみたい。ただ、単独行動はしないように。特に夜はね。」
「あなた・・・」
深刻そうな顔でリビアは何か言いかけた。けれど彼女はそこで言葉を止めてしまう。
こういう時のエヴィンは何を言っても覆らないというのは長年の付き合いで分かって
いたし、それ以上にこういうときの、若い時には幾多の修羅場をくぐり抜けてきた夫、
エヴィンの勘と判断力を信じていた。

ただ一人おさまらないのはジニーだった。だが自分ひとりでは警察に行き、何をどう
すればいいのか分からなかったし他の家族四人を裏切るような行為をすること自体
ジニーの選択肢には無い。結果、渋々ながらもみんなの決定に従う以外の選択肢は
残されていなかった。

それから一週間は何事もなく過ぎた。なるべく昼間の行動を心がけていたし、一人に
ならないようにも注意した。その結果、シェリーもアーサーもジニーも、とくに変な気配
は感じなかったし、エヴィンが夜に見回りに出かけてもそれは同じことだった。あまり
に何も起きないので、子供たちの緊張が少し緩んできたとき、事件は起きた。

「お嬢ちゃん、ハランツの人間だよなぁ?上に姉貴と兄貴がいる・・・」
クラス会で6時過ぎまで学校にいた帰り道、もうすっかり暗くなった道を一人歩いて
いたジニーは、急に自分を取り囲んできたガラの悪い数人組の男に取り囲まれて
しまった。
「あ、ああ・・・」
「おっと・・・大声出すなよ、痛い目に遭いたくなけりゃあな。」
ジニーの顔の近くにナイフを近づけて彼らの一人は言った。もっとも、言われるまで
もなくジニーは恐怖で言葉が出ない。壁際に追い詰められたジニーは、ヘナヘナと
その場に座り込んだ。
(本当だ・・・)
(本当に普通の女の子だ・・・)
(やっと・・・)
(やっとこの兄弟にマトモなのがいた・・・)
ジニーを脅しながら彼らは思った。彼らは皆、シェリーとアーサーにやられた不良達
である。やられ、脅され、身銭を失い、ほとんどの人間が完全に懲りていたが、それ
でもなお復讐心を失わなかったリーダー格が目をつけたのがジニーだった。
「こうなりゃ人質作戦だ・・・俺の見たところ末の妹は普通・・・」
彼がそう提起し、今日が作戦実行の日だったのである。
「ちょっと俺らに付き合ってくれよ・・・大人しくついて来さえすりゃあ、何も痛い目には
 あわさねえからよ・・・」
怯えきったジニーを、彼はそう言ってさらに脅した。

「クク・・・ノリノリだねぇ・・・」
ジニーを脅す自分に悦に入っている彼を、他の仲間はニヤニヤと笑いながら見ていた。
彼らはもう、誰一人として作戦の成功を疑っていない。
「けどよ、人が来る前にとっととずらかろうぜ。車の用意はできてるぞ。」
仲間の一人が言った。それを受けてリーダー格の青年は腰の抜けたジニーを無理やり
立たせようとする。
「オラ立てよ!」
ジニーの腕をグイと引っ張りながら男は言った。
(いや・・・怖い・・・絶対いや・・・こんなの・・・こんなのっ!)
ジニーが強くそう思うと、彼女の視界は急速にホワイトアウトする。炎天下の朝礼で、校
長先生の長話を聞かせれたときにも似た感覚・・・だがジニーらの先の方から「ギャッ!」
という叫び声が聞こえると、その視界は正常に戻った。

(え・・・?)
ジニーは思わず叫び声のした方向を見た。一人だけでなく、三人ばかりすでに地面に
倒れ込んでいる。そして倒れている連中の真ん中あたりに、一人の人間の姿が見えた。
シェリーかアーサーかとも思ったが、どうやら違う。その人物にさらに二人、鈍器を持っ
て殴りかかっていったが、彼らもその人の蹴り技に瞬く間に倒され、残るはリーダー格
の青年一人だけになった。
「くだらない連中だな。」
(!・・・女の人・・・?)
不良たちを倒した人間の声を聞いてジニーは思った。そして声の主は一歩、また一歩と
ジニーらのいる方向に近づいてくる。
「お前で最後だ。来るも逃げるも好きにしろ。」
「く・・・くっそぉぉおおおおっ!!」
自暴自棄になったリーダーがナイフを振りかざし斬りかかろうとする。だがそれよりも
早く声の主は相手の懐に潜り込んでいた。そしてそこまで接近したところで、ジニーは
それが黒髪の少女だと知る。
「くたばれっ!」
かけ声とともに少女が放った蹴りが男に突き刺さった。少女はそこからさらに相手の体
を駆け上り、強烈な連撃を加える。黒髪の少女が再び地面を踏むのと同時に、男の身
は前のめりに崩れ落ちていった。
(もう絶対・・・ここの人間には手は出さねぇ・・・こんなの・・・サ・・・ギ・・・)
一瞬で薄れ行く意識の中で、彼はそんなことを考えた。

「あ、あの・・・あ、あり・・・ありがと・・・ござ・・・」
まだ立ち上がれぬまま、震えた声でジニーは言った。けれど少女は、そんなジニーに
軽蔑にも似た眼差しを向ける。
「お前は確認するまでもなかった・・・それだけだ。」
そういい残すと少女は足早にその場から立ち去って行った。

・・・
・・

「・・・よかった・・・本当に、無事でよかった・・・」
ジニーの報告を聞いたリビアは、涙を流し、ジニーを抱きしめてそう言った。
「結局、アーサーの勘が当たってたってワケね・・・」
そんな二人を見ながら、隣にいたシェリーが頷きながら言う。
「けど『確認するまでもない』ってどういうことなんだろう・・・」
右手を顎に当てながらアーサーは言った。
「ケンカの強さかしらね・・・話の流れからすると。」
「だろうね・・・けど、なんで・・・?なんで僕らと力比べを・・・?」
「分っかんないわねぇ・・・」
足を組み、腕も組んだ状態でシェリーは言った。そんなシェリーの、少しイラついた声
を聞くと、リビアはシェリーの方を向く。
「シェリー、あなた変なこと考えるんじゃありませんよ。」
「変なこと?」
オウム返しにシェリーは言った。
「そう、たとえば自分がその女の子を捕まえようとか・・・」
「イヤぁねえ、そんなこと考えるワケないじゃない。」
「顔に、思いっきりそう書いてあります。」
「あら・・・」
「パパが帰ってきたら、ドアは厳重にロックしておきますからね。当然、鍵は私が預か
 る形で。」
苦笑いするシェリーに、リビアはそう付け足した。

そしてその日の深夜・・・

「まだまだママも甘いわね。」
二階にある自室の窓を開けてシェリーは言った。
「こんなことにいつまでも思い悩んでちゃ、アンチェインの名が廃るってモンよ。」
言いながらシェリーは屋根に降りる。そして足音も立てずに屋根の上を数歩歩き、縁
の部分まで来ると軽くジャンプしコンクリートでできた塀の上に飛び移る。そしてその
ままもう一回ジャンプし、道路に着地した。

「さあて、鬼が出るか蛇が出るか・・・」
あたりを軽く見回し、指を鳴らしてそう言うと、シェリーはあたりを少し散歩した。空は少
し曇っていて、青と紫、どちらの月も隠れてしまっているので夜道は結構暗い。時間も
12時をとうに過ぎているので人通りもほとんど無かった。そんな夜道を歩くこと十数分、
シェリーは前に駅で感じたのと同じ、「ゾク」という感覚を感じ取る。
(もっと手間取るかと思ったけど・・・案外早かったわね)
感覚がするのと同時にシェリーは思った。
「出てきなさいよ。」
口に出してシェリーは言う。すると相手は、驚くほど素直にシェリーの前にあらわれた。
背は自分よりやや低い。ジニーやアーサーの言うとおり黒い髪の、瞳の大きな女の子
だった。

「ど〜もはじめまして。」
嫌味を多分に含んだ口調でシェリーは言った。けれど少女は何も言わない。
「礼も恨みも言わないわよ。差し引きゼロなんだから。」
「・・・・・・」
「素性と目的を、あらいざらい喋ってくれりゃあそれでいいわ。」
「言うと・・・思う?」
抑揚の無い、相手を少しバカにしたような口調で少女は言った。予想通りな相手の反
応に、シェリーはニヤリと笑う。
「思っちゃいないわよ。だから、力づくで聞きだそうと思ってる。」
「・・・・・・」
「ホントは家で話をしたいんだけどね。お茶くらい出すからさ。パパもアンタに会いたが
 ってたし。」
「!・・・そう・・・」
黒髪の少女の眉間がピクと動いた。
「あ、今ちょっと動揺したわね?なんで?どうして?気になるわぁ〜」
「うるさい!黙れ!」
黒髪の少女はそう言い終わるか終わらないかのうちに飛び上がり、シェリーめがけて
飛び蹴りを放った。だがシェリーは身を屈め、空中にいる相手の下に潜り込むとそこ
から蹴り足めがけ右の掌底を出す。
「つっ!」
少女は空中で足の角度を変え、シェリーの打撃を回避するとそのままシェリーの目の
前に着地した。
「ハッ!」
相手の着地の隙を逃さず、シェリーは今度は左手で掌底を出した。だがそれが相手の
腹部を捉える前に、黒髪の少女は後ろに大きく跳んで間合いを取る。お互いの距離が、
2メートル近く離れた。

「さすがに動きがいいわね・・・アーサーがやられるワケだ。」
相手の動きを見てシェリーは言った。
「ねえ、お互い名前くらいは知っとかない?派手なケンカになりそうだから、その前に。
 私はシェリー・ハランツ、ハランツの人間だってことは知ってても、どうせ名前までは
 知らなかったでしょ?」
「・・・・・・」
シェリーの言葉を、少女は否定しなかった。
「どうやら図星みたいね・・・で、あんたの名前は?」
「・・・ユエリ・・・」
「ユエリ・・・」
少女がそう言うと、シェリーはその名前を反復し、軽くため息をつき、ニヤリと笑った。
「フルネームは言いたくないってか・・・まあいいわ、行くわよ!ユエリ!!」

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