ジニーが急に前向きになった理由はリビアにはよく分かっていた。自分らの家に連れて来
られたユエリが、ジニーに自分で自分の可能性を閉ざすなと言ってからである。これまで
遥か上の存在として、考え無しについて行くだけだった姉や兄を、やや漠然としてではある
が「目標」として意識しはじめていた。
（ここは、あの子に感謝しなくちゃいけない部分かしらね・・・）
そんなことを考えながら、リビアはスープの素を３つ、鍋に入れる。と、玄関のチャイムが
鳴った。
「ジニー、ちょっと出てくれる？」
「うん、わかったぁ。」
そう言って席を立つと、ジニーはパタパタと足音を立てながら玄関に行く。そしてシェリーの
「ただいま〜」という声を聞くと、ジニーはドアを開けた。
「おかえりなさい！・・・あれ？お兄ちゃんも一緒なんだ。」
「うん、まあね。たまたま。」
いつもと変わらぬ顔でそう言うと、シェリーは靴を脱いだ。
「ジニー、父さん今日早いか遅いかとか何か聞いてる？」
同じく靴を脱ぎながらアーサーが言う。
「ううん。」
ジニーは首を振った。ちなみに何も連絡がないとき、エヴィンの帰宅時間は大抵夜の十時
は確実に過ぎる。
「そっか・・・」
ジニーの答えに、シェリーとアーサーは少し困った顔をした。
「どしたの二人とも？何か・・・困ってるの？」
不安そうな顔でジニーが尋ねる。
「私に・・・何か手伝えることある？」
「え？」
ジニー言葉に、シェリーとアーサーはさらに困った顔になる。
「ジニーにできることねえ・・・」
「う〜ん・・・とりあえず大丈夫。」
「そう・・・」
少し不満げな顔を見せながらもジニーは頷いた。そんな所にリビアが横から割って入る。
「アーサー・・・あなた今日、途中で学校抜けたんですって？」
「母さん・・・」
リビアの言葉にアーサーは気まずい思いがしたと同時に来るべきものが来たとも思った。
元から、どうせエヴィンに相談したらその時点でリビアにも筒抜けになることは分かりきっ
ていたので、隠そうという考えも全く無い。アーサーは素直に
「うん・・・そうなんだ。」
と答えた。
「なんであなたが・・・」
アーサーの返事にリビアはそう言って絶句する。けれどそこで一息つき、わが子の顔を
じっと見た。
「・・・とりあえず制服着替えてらっしゃい。話は、それから聞くわ。」
そう言うとリビアは立ち去っていった。
「母さん、話聞いたら怒るかな・・・」
今さらのように不安そうな顔でアーサーが言う。
「さあねえ・・・五分五分ってとこじゃない？とりあえず、さっさと着替えてきたら？」
「うん・・・」
そう言うとアーサーは不安そうにため息をついた。それから彼は目の前の階段を上り、
自分の部屋に行こうとする。だがそんなアーサーのことを、ジニーは不安そうな目で見
つめていた。
「・・・お兄ちゃん・・・何があったの・・・？」
「ジニーには関係ないことだよ。」
素っ気無くそう言うと、アーサーは足早に自分の部屋に向かった。背後でジニーが少し
ムッとした顔をしているが、アーサーはそれに気づくよしもない。
「・・・・・・」
「どうしたのよジニー。」
無言で立ち尽くしているジニーの背中を、シェリーがポンと叩いた。
「お姉ちゃん・・・」
「心配しなくたって大丈夫よ。アーサーの言うとおり、あんたがとばっちりを喰らう話じゃ
ないから。」
「とばっちりって・・・そうじゃなくて・・・」
「そうじゃなくって？」
「ただ不安で・・・それで、私に何か手伝えないかな、って・・・」
ジニーがそう言うと、シェリーはニコと微笑んだ。
「大丈夫よ。きっと、パパが何とかしてくれる。」
「・・・・・・」
「さ〜てと、私も居間行こうっと。アーサー、着替え早いから。」
そう言うとシェリーもリビアのいる居間へ歩いていった。
実際、アーサーが降りてきたのはそれからすぐだった。長袖の白い無地のシャツと茶
色いズボンの室内着に着替えたアーサーは他のみんながいる居間のドアを開ける。
リビアとシェリーだけでなくジニーまでいたのは意外だったが、とりあえずアーサーは何
も言わずに席に着いた。
「姉さん、母さんに何か話した？」
「ううん、まだなんにも。」
「そう。」
シェリーの返事に軽く頷くと、アーサーはリビアの方を見た。
「ユエリのところに行ってた。」
「ユエリの・・・？」
アーサーの答えに、リビアとジニーは意外そうな顔をする。
「うん。一時間目終わっても学校に来なくて、クラスにも何の連絡も無かったから・・・
先生は気にするなって言ったんだけど、どうしても気になって・・・」
「・・・それで・・・どうだったの？」
「ユエリの住んでる教会がカルト教団の人間に襲われてた・・・僕とユエリ、それに姉
さんとでそいつらを撃退して・・・」
「撃退したって、怪我は！？」
「こっちは全員無傷。」
震える声で聞いてくるリビアに、しれっとした声でシェリーが言う。
「相手は？」
「全部で二十人。ユエリとアーサーが教会に来ていた十人で、私が別働隊の十人。」
「二十人・・・」
シェリーの話を横で聞いていたジニーだが、シェリーの話す内容は彼女の想像力を超
えていたらしい。完全に絶句し、うつむいてしまう。そしてそんなジニーがシェリーの目
に留まった。
「大丈夫ジニー？」
呆れ顔でシェリーが言った。その一言でジニーは我に返る。
「え？あ・・・な、なんでもないの。」
「？？？」
「ただ・・・ちょっと悔しいなぁって思って・・・私じゃ、どう考えてもできないから・・・」
「何を今さら・・・」
ジニーの言葉に他の三人は思わず吹き出した。
「ジニー、あなたはそんなこと考える必要はありません。お願いだから、私の苦労の種
をこれ以上増やさないで。」
「ジニーの大立ち回りねえ・・・・・・・・・・・・ごめん、ちょっと想像つかないわ。」
「・・・まあ、どうしてもって言うのならウェンフィールドの女子部の見学くらいなら付き合
ってもいいけど・・・どうする？」
「・・・いい・・・」
みんなの反応に、ジニーはすっかりふてくされた。
「なんなのかしらね・・・」
そんなジニーを奇妙な生き物を見るような目で見ながら、シェリーはテーブルの上に
あるクラッカーに手を伸ばした。そこで他のみんなも飲み物を少しだけ飲み、話の流
れを元に戻す。
「それで、ちょっと父さんにも相談したいことがあったんだけど、父さん今日も早くない
よね・・・」
「そうね・・・でも少しでも早く帰ってこれるか、電話だけでもしてみましょうか。」
リビアはそう言って立ち上がると受話器を取った。
・・・
・・
・
「・・・もしもし？」
そのときエヴィンは大学の研究室にいた。自宅からの着信を少しいぶかりながら、エ
ヴィンは携帯電話のスイッチを入れる。
「どうした？・・・・・・わかった。すぐに帰るよ、詳しい話は家で聞く。」
言い終わるとエヴィンは電話を切った。
「どうしたんです？ハランツ教授。」
一瞬目つきが険しくなったエヴィンに少し驚きながら、隣にいた女学生がたずねた。
「いや・・・ちょっと子どもがね。で・・・他に質問は？」
「あ、はい。大丈夫です。ありがとうございました。」
「そうか。また何か分からないことがあったら聞きにきて。今日は、ちょっと急ぎで帰ら
なくちゃいけない用事ができたけど。」
「はい・・・」
女学生はそう言うと研究室を出た。そして研究室の中で一人になると、エヴィンの目は
再び険しさを増す。
「カルト教団・・・おそらく『深遠の探求者』・・・」
「僕の家族に・・・手出しはさせない・・・」
自分の荷物を鞄に入れるとエヴィンは立ち上がった。
エヴィンが家に戻ってきたのは、それから一時間しないうちだった。靴を脱ぎ、手を洗い、
背広を椅子にかけて席につく。そんなエヴィンに、アーサーとシェリーはリビアに話した
のと同じことを話し、そして最後に教会の「シンボル」について話をした。
「旧王家時代から伝わる教会のシンボルか・・・」
アーサーの話にエヴィンは嘆息した。
「まさか、あんな小さな教会にそれが残っていたとは思わなかったな。」
「パパ、そういうものがあるってことは知ってんだ？」
「ああ。」
そう言うとエヴィンは時計を見た。針は六時半を少し過ぎたところを指している。
「みんな、食事は？」
「まだよ。パパがすぐ帰ってくるって言うから、みんな待ってた。」
エヴィンの問いにシェリーが答える。
「そうか・・・それじゃあまずは食事にしようか。」
いつもと変わらない普通の口調でエヴィンが言った。けれどシェリーはその言葉尻を捉
える。
「ねえパパ、『まずは』ってどういう意味？」
「食べながら話すよ。とりあえず、着替えてくる。」
そう言うとエヴィンは寝室に行った。
それから間もなく夕食になった。けれどエヴィンは、リビアの作った野菜スープと牛肉
の炒め物を美味しいと言って食べるだけで、自分から話題を切り出そうとはしない。
そんなエヴィンにシェリーは間もなく痺れを切らし、さっきエヴィンが言った『まずは』の
真意を聞いた。
「だからパパ、『まず』食事をするのは分かるけど『それから』どうするつもりなのよ！」
「・・・・・・」
エヴィンは無言のまま、今度はサラダに手を伸ばす。
「だからパパ！」
「・・・・・・」
シェリーがいよいよキレかけてきたのを見て、エヴィンはようやく食事の手を止めた。
「すまんが少し静かに食べさせてくれ・・・腹が減っては戦はできないからな。」
「い・・・戦？」
「ああ。パパの考えが正しければ、連中はもう一回来る。その前に、教会に行く。」
「！？」
エヴィンの言葉に場にいた四人の顔色が変わった。
「だ、だって私らで二十人シメたのよ！？警察も警戒するだろうし、なのになんで！？」
「教会に伝わるシンボル、それを博物館に寄付されないためにだ。」
「それって・・・やっぱり盗むのが大変になるから？」
「いや、それもあるが、彼らにとってもっと重要な問題がある。」
エヴィンは短い言葉でアーサーの考えを否定し、そして説明をはじめた。
「シンボルマークに価値が無くなるからだ。」
「価値・・・？でも傷物にさえならなけりゃ骨董品の価値なんて変わらないでしょ？盗み
にくくなるっていうのなら分かるけど。」
「いや、その物の価値が変わるんだ。」
そう言ってエヴィンは、今度はシェリーの考えを否定した。
「博物館に寄付されたら、霊的な価値は瞬く間に無くなる。」
「れ、霊的って・・・」
「そりゃまた随分オカルトな・・・」
「オカルトだろうと何だろうと、そういうものだ。とりあえず、パパの知ってる限りでは。」
『霊的』という言葉にシェリーとアーサーは一歩引いた。しかし当のエヴィンは至って
真面目に、話した言葉の意味を説明しはじめる。
「特別な力を持つ人間が特別な思いを込めて作られた物には、ある種の力が宿る・・・
それが絵画や彫刻なら、多くの人に見られることにより輝きを増すが、今回のシンボ
ルのような守護を司る物は、定められた場所に、人目につかぬよう安置されてこそ最
大限にその効果を発揮する。それが本来の持ち場を離れ、しかも博物館のような雑
多な人間の目に触れる場所に置かれては、その道具が本来持つ霊力は瞬く間に失
われる・・・司祭が常日頃は隠していたのも、単なる盗難防止のためじゃない筈だ。
だから教団の人間が道具の持つ霊力に目をつけていたとしたら、残されたチャンスは
今日しかない・・・」
「だから・・・あなたがそれを阻止しに行くの・・・？」
「パパも・・・悪い人と戦うの・・・？」
「そういうことになるな。」
不安そうな顔のリビアとジニーに、エヴィンは静かに言葉を返した。
「だったら私も行く！」
「僕も！」
エヴィンの言葉にシェリーとアーサーは机から身を乗り出して言った。そんな二人の顔
をエヴィンは呆れたような、しかし全く驚いていない顔で見る。
「お前たち・・・」
「あっちにはユエリもいるからね。それってやっぱり気になるし。ね？アーサー。」
「・・・まあね。」
照れくさそうに顔をそむけながらアーサーは言う。
「お前達もこういうことにすぐ首を突っ込みたがるか・・・血は争えないなあ・・・」
ため息交じりにエヴィンはつぶやいた。けれど、エヴィンのその一言でジニーまでもが
一緒に行くと言い出したのは、場にいた誰にとっても予想外だった。
「パパとお姉ちゃんとお兄ちゃんが行くなら私も行きたい！」
「ジニー・・・ケンカの話聞いただけで青ざめてたお前が行って何するんだよ。」
うんざりした顔と口調でアーサーが言う。そしてシェリーもそれに同調した。
「そーそー、荒事は私らに任せといて、ジニーはママと留守番してて。」
アーサーに続きシェリーまでそう言うと、ジニーは泣きそうな顔になった。
「で、でも・・・だってパパが・・・お兄ちゃんたちが行くのが血筋みたいに言うから・・・
ユエリちゃんも向こうにいるのに、私だけそうしないのは嫌・・・」
おどおどした、震える声でジニーは言った。エヴィンはそれを聞くと「そうか・・・」と
優しい声で言って席を立つ。そしてジニーの前に行くと、彼女の頭を優しく撫でた。
「ジニーは、ママと一緒に夜食を作っててくれないかな？」
「夜食・・・？」
不思議そうな顔で、ジニーはエヴィンの言葉を繰り返す。
「ああ、ちょっと大仕事になりそうだからな。帰る頃にはたぶんみんな疲れてる。」
「・・・・・・」
「ジニーは、家庭科の成績、シェリーよりだいぶ良かっただろ？たしか『４』だっけ？」
「う、うん・・・」
「だったら、その腕前をパパに見せてくれないか？」
「わかった・・・」
エヴィンの言葉にジニーはコクリと頷いた。
（なんつ〜か・・・ほとんどプロね・・・）
ジニーをあっさり丸め込んだエヴィンを見てシェリーは思った。と、そこでリビアが我に
返る。
「！って・・・もしかしてあなた、シェリーとアーサーは連れて行くつもり！？今、いつの
間にか話の流れがそうなってたけど！？」
「ああ。」
あっさりとエヴィンは答えた。
「この二人は僕の目に付くところにいた方が色々と都合が良さそうだからね。」
「で、でも・・・」
エヴィンの言葉にリビアは返答に窮する。
「その間にこの家が襲われることはないかしら・・・アーサー達の顔、その人たちに覚え
られてたりしたら・・・ましてや相手は・・・」
「・・・ありえない話じゃないな。だから・・・」
と、そこで玄関のチャイムが鳴った。
「だから、抑えの助っ人はお願いしておいた。」
言いながらエヴィンは立ち上がり玄関に向かった。他のみんなもエヴィンと一緒に玄関
に向かう。そしてドアを開けると、みんながよく知る顔があった。
「マークさん・・・」
エヴィン以外の四人は異口同音に来客の名前を口にした。そんなシェリーらを前に、マ
ークは昔と変わらない笑顔とともにエヴィンの肩をポン、と叩く。
「いようエヴィン。ちょっと、久しぶりだな。」
昔と変わらない、悪戯小僧のような笑顔でマークは言った。エヴィンもそんなマークに
「ああ、久しぶり。」と返す。
「なんかまた、厄介ごとに巻き込まれたみたいじゃねえか。かれこれ三十年ぶりか？」
「・・・今回は、前ほど大事にはならないと思うけど。」
「『思う』って言うより『願う』だな。」
「まあね。」
言いながらエヴィンは苦笑した。
「しかし済まないな・・・急にこんなことで呼び出して・・・」
「気にすんなって。ジェシカ達には適当なこと言ってある。それより、本当にオレが留守
番でいいのか？」
「ああ。どっちかって言うと、守りの方が不安が大きいから。」
「オーケー。帰ってきたら、どんなことがあったのか聞かせてくれや。」
「了解。」
エヴィンはそう言うとニコと微笑んだ。
「始まりの終わりとなる日々に」トップに戻る
オンライン小説のコーナーに戻る
トップページに戻る