「う〜〜〜〜・・・」
眠そうな目をこすりながらエリックが大きく伸びをする。
「ようやく一週間が終わったかあ・・・」
「ま、そうだな。」
「んでどうだ？明日、例の映画が封切りなんだが・・・」
「あ、悪い・・・」
エリックの提案にアーサーはバツの悪そうな顔をした。
「ちょっと、予定入ってる・・・」
「予定・・・？」
アーサーの言葉にエリックは訝しげな顔をする。だがそれも一瞬で、すぐに何かを思いつい
たらしく彼はニヤリと笑った。そしてアーサーが止めるよりも早くエリックは教室を横断する。
「なあユエリさんユエリさん。」
「・・・・・・」
ユエリは無言で横向きのまま、エリックのみぞおちに一撃を入れた。
「げ・・・ゲホ・・・な、なんだよいきなり！」
「・・・あなたがその顔で来るときは、決まってくだらないこと言うときだから。」
「ひっでぇな〜、偏見だよ偏見。なあみんな？」
ユエリとは対照的な、あっけらかんとした口調でエリックは言った。しかし周囲にユエリに
同調する風はあってもエリックに同調する風は見られない。
「たしかにねえ〜」
「ユエリの言うこと、間違ってないかも。」
「２年１組のブラックリストだもんね、アンタ。」
「い・・・異口同音！？」
周囲の反応にエリックは目を白黒させた。
「ひ・・・ひどい！差別だ偏見だ！言葉の暴力だ！くそうグレてやる！」
「はいはい言ってなさいよ。・・・て言うか『グレる』っていつの言葉よ・・・」
呆れてうんざりした様子でユエリは言った。周囲の人間もそれに同調し苦笑する。
しかしエリックがこういう顔で話すことは他人事である限り「しょうもないこと」であるのと
同時に、「面白いこと」であるのも事実だった。ユエリを囲んでいた女子生徒の顔は、間
もなく好奇の顔に変わり、自分に話が振られることを待っているエリックの方を向いた。
「んで？ユエリがどうしたの！？」
「え？いやあ、実はさっき俺がアーサーを誘ったんだけ・・・ぐえっ。」
そう言いかけた彼の口は、後ろから襟を引っ張られたことで再びその言葉を止めた。そ
してそんな彼の背後には、当たり前のようにアーサーがいる。
「アーサー・・・」
さっきよりもさらに呆れた顔でユエリは言った。そんなユエリの表情を見て、エリックは首
根っこを掴まれたままニヤリと笑う。
「今の表情・・・やっぱりユエリさん絡みの用事なワケやね。」
「バッ・・・」
「照れない照れない。つ〜か、もうクラス公認だぜ。そう思ってないの、本人だけ・・・」
「・・・カ！」
ユエリの掌底打ちが再びエリックに突き刺さる。エリックはあたりの机を巻き込みながら
倒れると、目をクルクルと回しながら気絶した。
「いつになったら懲りるんだかこの男は・・・何回目だ？この展開・・・」
「そろそろ、両手じゃ足りなくなるわね・・・」
「・・・だよな。」
言い終わると二人は同時にため息をつく。そんな二人の様子に、クラスのどこからとも
なくクスクスと笑いが漏れ出す。そして二人は気まずそうに慌ててプイと顔を背け、席に
戻るのだった。
「まったく・・・」
そんな学校からの帰り道、虫の居所が悪そうな顔でアーサーは言った。
「どこをどう見れば、そうなるんだか・・・理解不能だな。」
「奇遇ね、私もよ。」
隣のユエリもまた、同じように虫の居所が悪そうな声でこたえる。
「よっぽど話題に事欠いてるのかな？うちのクラス・・・」
「そうじゃない？」
「やっぱりそう考えるのが妥当だな。」
そう言うと二人は無言のまましばらく歩き続ける。その途中でアーサーはユエリの顔を
チラと見た。
（エリックの奴・・・けど、見えるのかな・・・そういう風に・・・）
（だとしたら・・・変な感じだよな・・・うん、変な感じ・・・だって僕とユエリは・・・）
「アーサー？」
「！？」
「どうしたのボーッとして。壁にぶつかるわよ。」
「あ、ああ。」
気の抜けた声でアーサーは返す。気がつくとそこは自分の家への道と、ユエリの教会
への道の分岐点だった。
「それじゃあ、明日ね。」
「ああ、１１時だったよな。」
「うん。司祭も待ってるから遅れないでよ。」
「わかってる。」
そう言うと二人はそれぞれの家がある方向へ歩いていった。
（エリック・・・けど、見えるのかな・・・そういう風に・・・）
（だとしたら・・・変な感じよね・・・うん、変な感じ・・・だって・・・）
そんなことをボーッと考えながらユエリは教会への道を歩いた。そして小さな公園の
前に差し掛かったとき、彼女は一人の老人と出会う。
老人はベンチに座っていた。薄汚れたトレンチコートに黒のズボン、そして中折帽を
目深にかぶっている。口のまわり全体に白い髭を生やした、白髪の老人だった。
（ホームレス・・・？でも、見たことない顔・・・それに・・・）
いつもは公園のどこに誰がいようが、ユエリは気に留めたことなんかなかった。だが
今回だけは違った。何か、足を止めなくてはならないようなそんな気がして、ユエリは
その足を止めた。
「・・・何かね？お嬢さん。」
老人は顔をうつむけたまま、ゆっくりとユエリの方に視線を向けて言った。そんな老
人の言葉に、ユエリはビクリと反応する。
「・・・！！え、いえ・・・」
「そうか。」
老人はそう言うと再び視線をそらした。ユエリも足早にそこから立ち去ろうとする。し
かしそんな彼女の心とは裏腹に、足はピクリとも動かなかった。
（なんで・・・足が・・・）
「やはり、何か私に用があるようだな。なんだ？」
「なんだ、って聞かれても・・・」
「まあいい、私も一つ、あなたに聞きたいことがある。」
老人はそう言うとゆっくり立ち上がり、一歩、また一歩とユエリの方へ歩み寄る。老人
が近づくと何かツンとした薬品の臭いがユエリの鼻を刺激した。
「お嬢さん・・・あなたは、何だ？」
「・・・・・・？」
「あなたはこの世界にとって、望まれた存在か？それとも、望まれざる存在か？」
「！？」
老人の言葉にユエリの瞳はカッと見開かれた。無意識のうちに身体が怒りで震える。
「謝るなら今のうちよ・・・」
自分に残された最後の忍耐力でユエリは言った。しかし老人は、そんなユエリの言
葉を鼻で笑う。
「礼節を知らぬ子だ。」
「どっちがよ！」
「自分よりはるかに目上の者に頭を下げろなどとは・・・親御さんの顔が見たい。」
「あなたが変なこと言うからでしょう！いい加減にしないと・・・」
「叩きのめすと？」
「そうよ！」
そしてユエリは老人めがけ突っ込んでいった。しかし、そんな彼女の視界から老人
は急にいなくなる。
「！？消え・・・」
「死角に入り込んだにすぎん。」
「くっ！」
後方から聞こえてきたその声めがけユエリは回し蹴りを放つ。だが次の瞬間、上
空に弾き飛ばされていたのはユエリだった。空中で体勢を立て直し、何とか両足
で着地する。
「やれやれ・・・つくづく躾のなっていない子だ。」
「・・・・・・」
「しかも未熟だ。あらゆる意味で、とてつもなく未熟だ。」
「・・・あなた・・・あなたまさか深遠の！」
「深遠・・・ああ、あれか。まあ、そう思いたければそれも構わんな。」
「馬鹿にして・・・」
歯噛みしながらユエリはもう一度、その老人に向かって行った。しかし攻撃が一
発も当たらない。蹴りや突きが空を切ること十数発、疲れの見え始めたユエリは
老人の放った、太ももへの軽い蹴り一発でガクリと膝をついた。
「悪いが、この勝負は私の勝ちだな。」
「・・・・・・」
「不服だというのなら、また明日来るといい。同じ場所、同じ時刻に待とう。準備が
必要なら、してくるといい・・・もっとも、如何なる備えをしても、私に通じるとは思
えんがな。未熟であるだけでなく、迷いや劣等感に支配された技では。」
「あなたは・・・」
「答えが知りたければ聞き出すことだな。己自信の手で。」
老人はそう言うと立ち去って行く。一件無防備に見えるその背中に対し、ユエリは
何もすることができなかった。
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「おかえりなさいユエリさん。」
「あ・・・はい、ただいま・・・」
「・・・どうかしましたか？」
「・・・？？？」
マレジアの言葉にユエリは少し驚いたような顔で相手のことを見た。
「どうかした、って・・・私がですか？」
「ええ。何か怖い顔をしていたから・・・学校で嫌なことでもあったのかと・・・」
「いいえ・・・そんなことないです。」
「そうですか・・・」
「あの、ピーターは？」
「買出しに行ってますよ。あの子も、よくやってくれています。」
さっきまでの難しそうな顔を少しだけほころばせてマレジアは言った。そんな司祭
に一言「そうですか・・・」とだけ言うと、ユエリは洗面所に歩いていこうとする。と、
司祭はもう一度ユエリに声をかけた。
「ユエリさん。」
「はい？」
「もし嫌なことがあったのなら、明日はどこか気晴らしにでも行ってきたらいいわ。
お友達でも誘って。」
「いえ、でも明日は教会の大掃除が・・・」
「ピーターにやらせますよ。いざとなったら。他の人手も何人かいますし。」
笑いながらマレジアは言った。そしてそんなことを話していると、玄関のチャイムが
もう一度鳴る。
「婆さん、帰ったぜ。」
「おかえりなさい。ご苦労さま。」
買出しから戻ってきたピーターをマレジアは笑顔で迎えた。そして玄関で話をする
二人を背に、ユエリは洗面台の方へ歩いていった。
「ふぅ・・・」
部屋に戻ったユエリは制服も着替えずにドサとベッドに寝転がった。
「司祭・・・やっぱり嬉しいんだろうな。孫が戻ってきて・・・」
「・・・・・・・・・」
「私・・・邪魔になったりしてないかな・・・そうでなくても居候だし・・・」
「望まれた存在・・・望まれざる存在・・・どっちなんだろう、私・・・」
「・・・・・・・・・」
しばらく無言で何かを考えた後、ユエリはガバと起き上がった。そして机の上にある
二本のロッドを手にし、それを構える。
「答えは自分で見つける・・・まずはあいつから聞き出してみせる・・・」
部屋で一人そう言うユエリの瞳は、シェリーに会う前の険しいものに戻っていた。
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「おかえりアーサー。」
「うん、ただいま。」
アーサーがドアを開けるとすぐに、リビングの方からリビアの声が聞こえてきた。
「お昼は？まだでしょ？」
「うん。」
「それじゃ何か作るわ。」
「いいよ昨日のシチューの残りで。」
「それ、さっき私が食べちゃった。オムレツでも作るから、ちょっと待ってて。」
「ありがと。」
「ソーセージ入れる？」
「あ、お願い。とりあえず手洗って着替えてくるよ。」
アーサーはそう言うと洗面所の方に歩いて行った。
「姉さんがネオパルマに行ってそろそろ一週間か・・・なんて言うか、静かだね。」
「ホント。」
昼食を終えたアーサーの言葉にリビアは苦笑して言った。
「修学旅行でも、一番長くてこれくらいだったからね・・・あの子が結婚したら、こんな
風に静かになるのかしら？いえ、もっとでしょうね・・・その頃にはあなたも就職して
るだろうし。ジニーはまだ学生かもしれないけど。」
「母さん、それ、話が未来すぎ・・・僕まだ高二だし。大学だって・・・」
「そうね・・・それよりもまず、シェリーが無事に帰ってこないことには・・・」
「・・・やっぱり心配？」
「当たり前でしょう・・・」
ため息まじりの声でリビアは言った。
「今の方がまだコントロールが効くし、向こうにあしらわれる可能性も高い、下手に
力と経済力を身につけてから行くよりは・・・そう思って送り出したけど・・・本当に
あの子は・・・」
リビアは瞳を閉じてもう一回ため息をついた。
「もうすっかり忘れてたけどね・・・エヴィンがプロポーズしてきてくれたときのこと。」
「父さんが・・・？」
「ええ、すごく嬉しかったけど、このことだけが不安だった・・・いつか自分の子も、
エヴィンやアレンお祖父さんみたいに戦いに行くことになるんじゃないかって・・・」
「・・・母さん・・・」
アーサーは席を立ち、表情が暗くなったリビアのそばに歩み寄った。
「きっと大丈夫だよ・・・姉さん、あれで引き時を間違えたことないから。」
「・・・・・・」
「姉さん、あれだけしょっちゅうケンカしてきたのに、大怪我したことは一度だって
無かった。ユエリとやり合ったときに肋骨折ったけど、一番ひどくてそれくらい。
上手いんだろうね、ケンカのしかたが。・・・そういう才能、すごくあると思う。」
「そう・・・」
「うん。勉強嫌いだけど、そのへん姉さんバカじゃないよ。近くで見てきたから、よく
分かる。マークさんも姉さんのこと、天才だって言ってたし。」
「・・・・・・」
「本当は僕が行くべきなんだろうけどね。長男なんだし。・・・ちょっと、悔しいかな。」
「アーサー・・・」
苦笑いしながらアーサーがそう言うと、リビアはすごく不安そうな目で我が子のこ
とを見た。
「あなたまで、無茶しないでね・・・」
「わかってる。」
アーサーはそう言うと食器を流しに運ぶ。そして手早く皿洗いを終えると、自分の
部屋に戻って行った。
「ふぅ・・・」
部屋に戻ったアーサーはドサとベッドにその身を投げ出した。
「母さん、やっぱり心配なんだな・・・」
「・・・・・・」
「そりゃそうだよな・・・初めてのネオパルマ、それも半年、しかもカルト教団に喧嘩
売りに行ってるんだ・・・不安にならない方がおかしい・・・」
「・・・・・・・・・」
しばらく無言で何かを考えた後、アーサーはガバと起き上がった。そして壁にかけ
てある二本のトンファーを手にし、それを構える。
「僕がしっかりしないとな・・・この家のこと・・・あの連中、いつまた来るか分からない
・・・父さんだってやれることに限度はある・・・母さんやジニーのこと・・・僕が守らな
くちゃ・・・そう、僕が・・・」
部屋で一人そう言うアーサーの瞳には、これまでにない決意が宿っていた。
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