「エリー。」
中年の男性が口にしたその一言が、周囲の沈黙を破った。
「しばらく席を外せ。」
「・・・・・・分かったわ・・・・・・」
エリーと呼ばれた女性はやや不服そうにそう言うと静かに席を外した。そしてドアを閉じ、彼
女の足音が遠くなると、彼は再び、今度は残された青年に向けて口を開く。
「ジャン・フランか・・・」
「はい。」
男性にジャンと呼ばれた青年はそう返事をするとゴクリと唾を飲んだ。
「話はエリーからよく聞いているが、こうして会うのは初めてだな。」
「そうですね・・・」
「お前とエリーは十年以上の付き合いなのに、だ。よほど、エリーはお前を私に会わせるの
が怖かったらしい。・・・無理のないことだがな。」
言うと男性は自嘲気味に笑った。
「代議士の秘書をやっていると聞いたが、違いないか？」
「はい。」
男性の問いかけにジャンは即答した。
「代議士の名は？」
「レオ・ジュンです。今は第三秘書を務めさせてもらっています。」
「ほう・・・」
ジャンの答えに男性はニヤリと笑った。
「未来の総督と言われる男に、初代総督のひ孫が仕えているのか・・・夢は未来の総督か？」
「はい。自分の器が、それに足りるのならば。」
臆することなくジャンは答えた。そんなジャンの答えを聞くと男は即座に立ち上がり、半身を
乗り出して睨むような視線で彼のことを見る。
「・・・・・・」
ジャンは無言のまま、相手の視線を受け止めた。挑むのでもなく、媚びるのでもなく、ただ
真っ直ぐに視線を返す。そんなジャンの視線に初老の男性はため息をつくと、自らの手を
ジャンの肩にポン、と乗せた。
「ジャン・フラン・・・」
「・・・はい・・・」
「娘を頼む。」
男性は静かにそう言った。
そしてその日の晩・・・
「まったく・・・待ってる間は、生きた心地がしなかったわよ。」
ジャンが帰り、親子二人きりになった家の中でエリーは言った。エリーはティーカップを手に
し、父親は氷の浮かんだブランデーグラスを片手に、娘の言葉に耳を傾ける。
「パパが殴りかかりでもしないかとか、どんな怒声が飛んでくるのかとか・・・パパが本気出し
たら、傷害事件じゃ済まないし。ま、でも・・・ありがとね。」
そう言うとエリーは心底嬉しそうな笑顔を見せる。
「結婚式、楽しみだなあ・・・支度、色々大変だってリビアさん言ってたけど。」
そう言ってエリーは、自分の結婚式の情景を思い浮かべた。そして一人、悦に入っているエ
リーだったが、やがてちょっと意地悪そうな顔でにディルナの方を見る。
「バージンロードや花束贈呈、パパがどんな顔するのかも見ものね。誰かにビデオ撮影頼ん
どかないと。」
父親を少し困らせようと、エリーはわざとそんなことを言ってみる。だがディルナは、そんな
娘とは対照的な、無感情な眼差しをエリーに向けた。
「エリー。」
「？」
少し沈んだ様子でそう言う父親に、エリーは不思議そうな顔をした。
「私は、それに出ることはできん・・・」
「・・・どういう意味よ。」
さっきまでの上機嫌が一瞬で吹き飛んだ、不機嫌全開な顔でエリーが言う。
「私は、かつてトライデントを率いた・・・この星を護るためとは言え、数万の人間を殺そうと
画策し、セレナも・・・自分の妻も手にかけた・・・そんな私が、晴れの舞台で人々から祝
福を受けるようなことは、あってはならんのだ・・・自分がこの世で最も見たい光景を、見
てはならんのだ・・・」
「勝手なこと言わないでよ・・・パパが自分を責めるのは、今さら私が何をどうこう言っても
止めやしないだろうけど、私までそれの巻き添え喰らわす気？」
「そうだ。」
「そうだ、ってパパ！」
爆発寸前の怒りを瞳に宿してエリーは言った。だがそんなエリーのことを、彼はぎゅっと抱
きしめる。それはエリーがされたことのない、少し震えを伴った、父の強い抱擁だった。
「パパ・・・」
「エリー、お前はこれから独立するんだ・・・私の、ディルナ・ロックフィールドの手を離れて
・・・あの青年は・・・ジャン・フランは信ずるに足る、私はそう感じた・・・」
「・・・・・・」
「私の父親としての役目は終わった・・・これからはこの世界に対し、贖罪を果たすために
生きて行こうと思っている・・・」
「パパ・・・やめてよ・・・行かないでよ・・・結婚したって、まだまだパパは必要よ・・・」
「・・・ありがとう、エリー。そして、すまない・・・」
耳元で涙交じりの声でそういうエリーに対し、ディルナは優しい声でそう言った。そしてその
言葉を聞く同時にエリーの意識は遠のき、翌朝彼女が目を覚ますと、そこに父の姿は無か
った。
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「私が・・・あなたに勝てないですって？」
驚きと、静かな怒りを瞳にたたえユエリは言った。アーサーはそんな彼女の言葉に、臆する
ことなく「そうだ。」と言い返す。
「最初にユエリと戦ってから今まで・・・僕だって無為無策でいたワケじゃない。」
そう言うとアーサーは片膝をついてしゃがんだ。そしてズボンの裾から、隠し持っていた折り
畳み式のトンファーを取り出す。
「そんなの持ってたの・・・？」
「いざというときのためにね。・・・小遣い二ヵ月分消し飛んだけど。」
「その割には、さっき使わなかったわね。」
「ちょっと、焦ってた。それに・・・」
「それに？」
「ロッドの横に取っ手をつけたような造りだからね。どうにも形からしてイメージが悪い。」
「言ってくれるじゃない・・・」
皮肉な笑いを浮かべるアーサーに、苦々しそうな顔でユエリは言った。アーサーの言葉が自
分の武器を揶揄しているのだということくらい、さすがに分かる。
「ま、いいわ・・・けど、そっちが武装するって言うのなら、こっちもロッドは仕舞わないわよ。」
「ああ。こっちもそのつもりで出してる。」
「そう・・・」
冷たい声でそう言うと、ユエリは一歩、アーサーの方へ踏み出した。
「えいっ！」
横薙ぎに払ったユエリの右ロッドがアーサーの脇腹を狙った。しかしアーサーは両手のトン
ファーをユエリが狙った位置に構え、それを防ぐ。
（防いだ！？）
「せいっ！」
まさか防がれると思わなかった一撃を防がれ、心に隙が生じたユエリにアーサーは肩からの
体当たりをかました。みぞおちに衝撃が入り、ユエリの呼吸が一瞬止まる。そんなユエリに、
アーサーの右腕は追撃の一撃を振り下ろした。
「そう何度も！」
今度はユエリがアーサーの攻撃を二本のロッドで防ぎ、さらに苦しい体勢から中段の蹴り技
を繰り出した。だがアーサーはそれをかわそうとはせず、防御を固めながらもそれを喰らう。
そして喰らいながら突き進み、もう一回ショルダータックルをユエリに叩き込んだ。
「くっ・・・」
ユエリの足元がふらついた。そんなユエリにアーサーはもう一度、真正面からぶつかって行く。
「私をなめるなっ！」
足のふらつきがピタリと止まり、ユエリは身体をひねった。そして跳躍し、アーサーの肩口に
左足でローリング・ソバット（空中回転後ろ蹴り）を一撃、さらにそれでも前に進もうとする相
手の胸板にもう一発、今度は右足で空中蹴りを命中させる。
「ぐっ・・・」
急所は避けたとは言え強烈な蹴り技を二発立て続けに喰らって、今度はアーサーの足元が
ふらついた。それから両者は間合いを取り、体勢を立て直す。
「前回より動きが格段にいい・・・大口叩くだけのことはあるわね。」
「そりゃどうも。」
ニヤリとした笑みを浮かべながらお互いに言う。
「なにぶん、強くならなくちゃいけない理由があるんでね。」
「どんなよ。」
「姉さんがネオパルマに行っちゃったし、父さんだって仕事がある・・・何かあったら、僕が
家を・・・母さんやジニーを守らなくちゃならない・・・それに、いい機会だと思ってね。」
「機会？」
「ああ。これをきっかけに少しでも父さんの・・・エヴィン・ハランツの域に少しでも近づく。」
「・・・・・」
エヴィンの名を聞いて、老人の眉がピクリと動いた。もっとも、そんな些細な動きは、二人の
目には入らない。
「道は長そうね。」
「ああ。嬉しいやら悲しいやらだけどね。でも、男の親子ってそういう物だから。」
「そうなんだ・・・」
言うやユエリはその場で少し考えた。
「ちょっと、理解できない考え方ね。」
「姉さんも同じこと言ってた。」
「そう・・・ともかく、それが今のあなたを奮い立たせてるのね。」
「ま、そういうことさ。」
そう言うとアーサーは、今度は自分からユエリに仕掛けて行った。
アーサーのトンファーとユエリのロッドが、激しい金属音を立てて何度もぶつかりあった。無論
互いに武器だけを使っての勝負ではない。ユエリは蹴り技を使うし、アーサーはそれを防ぐと
同時に、片足立ちになったユエリに肩からぶつかって行こうとする。技術、スピードともにユエ
リにはかなわない、それなら致命的な一打だけは防ぎながら、自分の体力を犠牲にしてでも
少しずつ相手の体力を奪い隙を窺う、愚直なまでに首尾一貫、そんな戦い方をした。
（なんで倒せないのよ・・・）
そんな戦い方をするアーサーにユエリは苛立った。こんな所でグズグズしていると、あの老人
もどこかに行ってしまうかもしれない。そんなことを思ったユエリから一瞬、集中力が途切れる。
時間にすれば数秒にも満たない時間、しかしそれがユエリに、決定的な隙を生んだ。
「ユエリ！借りは返すぞ！」
「！！」
その一言で我に返ったユエリの眼前に、横薙ぎで払ったアーサーのトンファーが迫った。左腕
で放ったその一撃をユエリは右のロッドで受けるが、強烈な一撃でガードが横に弾き飛ばされ
る。続けてアーサーは怒号とともにもう一歩踏み込み、右のトンファーを振り下ろす。ユエリは
残った左腕でそれを防ぐが、今度はガードが下に弾かれた。そしてアーサーは自身の右足を
ユエリの左足に絡ませる。これでユエリは、後方に飛び退くことができなくなった。
「せぇいっ！」
逃げ場の無くなったユエリに、アーサーの強烈な当て身が入った。身体を半回転させ、肩口か
ら背中全体で相手にぶつかって行く『鉄山靠』と呼ばれる技である。
「うあ・・・」
その一撃でユエリの視界は大きく揺れた。そして次の瞬間、不安定なユエリの視界は反転を
する。いつの間にか右の手首を掴んでいたアーサーが、ユエリのことを力任せに投げ飛ばし
ていたのだ。
「トータルストライク！」
アーサーのそのかけ声とともに、ユエリの身体は冷たい地面に叩きつけられていた。
「・・・・・・」
ユエリは呆然としたまま空を見ていた。叩きつけられた全身、特に右肩は強烈に痛むが、痛
みで声が出せないのではない。むしろ、泣き出したいくらいの痛みを今は必死で堪えていた。
起き上がろうとするが、頭を打ったらしく半身を起こしただけですぐに手をついてしまう。武器
であるロッドも、手の届く所から離れてしまっていた。
「僕の勝ちだ。」
そんなユエリを見下ろしながら、あえて冷たい口調でアーサーは言った。
「意気込みの差が結果に出たんだ。ユエリ・・・これでもあの爺さんに、土下座してでもついて
行きたいか？」
「・・・・・・」
ユエリは無言のまま上半身だけ起こすと、服についた土を払った。
「それで私に・・・どうしろって言うのよ・・・」
視線を下に向けてユエリは言った。
「私はあなたとは違う・・・似てるところもあるかもしれないけど、根っこは決定的に違う・・・」
「ユエリ・・・」
アーサーはすごく寂しそうな顔でユエリのことを見た。
「言いたいことはよく分かる。けど・・・」
「けど・・・？」
「もう少しこの世界のこと・・・好きになってくれないか・・・？」
「・・・・・・」
「前にも言ってただろ？二つの世界を自由に行き来できたら、それが一番だ、って・・・それ
にさ・・・もう少し、こっちのこと頼れよ・・・」
「・・・・・・・・・」
アーサーの言葉に、ユエリは何も言い返すことができなかった。どんな風に言葉を選んで、
どんな風に返せばいいのかまるで分からない。ゆっくりと立ち上がるが、それでも口は、真
一文字に閉じたままだった。そして、そんなユエリの所に老人が歩いてきた。
「いつまで茶番を続ける。」
相変らず冷たく、威圧的な感じのする声で老人は言った。
「強さを・・・力を求めていたのではないのか？」
「・・・・・・」
老人の言葉に、ユエリは視線を彼に向けたままコクリと頷く。それを見て老人は「ならば」と
地面を指差した。
「取るべき行動は分かっておろう。」
「ええ・・・私が取るべき行動・・・それは、これよ！」
凛とした声による一喝とともにユエリは老人の首筋を狙い蹴りを放った。老人はそれを片
手で受け止めるが、ユエリは残ったもう一本の足で、その腕を蹴り上げる。
「一時の感情とプライドに流されたか・・・」
「違う！一時の感情に流されていたのは、さっきまでの私よ！」
老人の言葉に、ユエリは正面から言い返す。すると老人はニヤリと笑った。
「ならばそれを、言葉ではなく力で証明しろ！」
「言われなくても！」
そしてユエリは真正面から老人に向かって行った。そこから始まる一進一退の攻防戦、その
速度に、横で見ていたアーサーは息を呑んだ。
（これがユエリか・・・）
小さく舌打ちをしながらアーサーはつぶやいた。さっきまでとは明らかに違うユエリの動き、
今の自分にそれが捌ききれるかと聞かれると、正直自信が無い。やがて、そんなユエリの
放った中段蹴りが、老人の腹部に深々と突き刺さった。
「バルキリーストライクっ！」
そこから老人の顎先への膝蹴り、そして両手を組んでの頭部への一撃とユエリはつなげた。
それは二発とも老人に防御されたが、さっきのように足を掴まれて反撃を受けることもない。
「フ・・・少しはマシか・・・」
全てを受けきった後、老人は言った。しかし次の瞬間、老人は一瞬でユエリの懐に入りこみ
拳をユエリの眉間に突きつける。
「だが、今のお前では私を揺るがすことはできん。」
老人はそう言ってユエリに背を向けると、今度はアーサーの方へ歩み寄った。アーサーは
身構えるが、老人は戦おうとはしない。ただ耳元で、言葉を囁いた。
「貴様の父は、剣林弾雨の中を戦い抜いてきた・・・さっきのような戦い方で、剣林弾雨の中
に身を置いたらどうなるか・・・考えてみるといい。」
老人のその言葉に、アーサーは何も言い返すことができなかった。それから老人は二人を
同時に見る。
「お前達は私を拒んだ・・・屈辱に耐えて力を得る道でなく、誇りとともに力を得る道を選んだ
のだ。」
「・・・・・・」
「３０日後、私は再びここに来る。それまでに答えを用意しておくことだ。そして私を退かせる
だけの力を、私に示してみるがいい。それができなければ・・・」
「「できなければ・・・」」
「腹の底から嘲笑（わら）ってやる。貴様らの愚かな自尊心、それに伴わぬ実力の全てをな。」
そう言い残すと老人は去って行った。
「３０日か・・・」
しばらく沈黙した後、やっと口を開いたアーサーが言った。
「とりあえず、家での居心地がどうのって言ってる場合では無くなったわね・・・」
苦笑いしながらユエリが言う。アーサーはそんなユエリの言葉に「そうだな」と返した。
「容易じゃない相手だからな・・・父さんやマークさんと互角かもしれない。」
アーサーの言葉にユエリは無言で頷く。
「それでどうする？二人で勝つ手を考えるか、それとも単独で勝つ手を考えるか・・・」
「そんなの決まってるでしょ？」
ニヤリと笑いながらユエリが言う。
「競争・・・だな。」
ユエリが自分にしたのと同じような笑みを、アーサーは彼女に返した。
「とりあえず借りは返させてもらったし、これからの立場は互角だ。」
「言うわね・・・でも実際そうなんでしょうね。あの人から見たら、私達なんて。別の意味で。」
「だろうね・・・今はどっちも問題外だ。」
そう言うと二人は自嘲気味に笑いあった。
「けど、競争ならまずはあなたに負けないようにしないとね。さっきみたいなのもうゴメンだし。」
さっきの自嘲とは違う、優しい笑い顔でユエリは言った。
「目標や使命感を持った人間って、伸びるときはすごく伸びるから・・・そういうの、私も何か見
つけておかないと。」
「ユエリ・・・」
「とりあえず、教会に戻りましょう。コンビニでパンか何かかじって。」
「うん・・・そうしようか。ジニーじゃ場を取り繕うにも限界あるだろうから。」
ユエリの言葉にアーサーは静かに頷いた。
・・・
・・
・
（それだけじゃなかった・・・）
（母さんやジニーを守るために強くなりたい、父さんに近づくために強くなりたい、それは嘘
じゃないけど、さっきの勝負はそれだけじゃなかった・・・）
（ユエリと離れたくなかった・・・ユエリが勝手にどこかへ行こうとするのが許せなくて・・・何が
何でも止めたくて・・・だから、いつも以上の力が出せたんだ・・・）
（何なんだろうな、これ・・・何で、あんなにムキに・・・）
ユエリの後を歩きながら、アーサーはそんなことを茫然と考えていた。
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