「すいませ〜ん。」
青い髪の気弱そうな青年がそう言いながらコートにやってきてシェリーに声をかけた。
「すぐにそちらのボールも取ってきますから。」
「いいわよ別に。自分で取ってくるから。」
シェリーはそう言うと、ボールの転がっていった方へ小走りに走り出した。
「えっと、たしかこっちの方に・・・」
「これか？探し物は。」
「？？」
突然自分にかけられた声に、シェリーは少し驚きながら声の主を見た。年齢はおそらく二十
歳くらいで身長は１８０ｃｍ強、身体の線は標準よりやや太いが、決して肥満体ではなく、か
なり締まった筋肉の持ち主である。髪の色はこの世界では珍しく赤毛で髪質はやや硬い。
そして髪とは対照的な深い青さを持つ瞳にはどこか野性味のようなものを宿した、そんな青
年であった。
「うん。ありがと・・・」
何の気なしにそう言いかけたシェリーの前で、男はボールを数回ドリブルした。そしてそのま
ま走り出し、シェリーの真横を駆け抜ける。
「ちょっ・・・」
シェリーは慌てて男のことを追いかけた。しかし追いつけない。バスケットコートではない、小
石や折れた枝が転がり、所々小さなくぼみもあるようなアスファルトでドリブルしているのに、
全力疾走のシェリーよりも速いのである。そして男はコートに駆け込むとボールを手に持ち、
二歩走ると跳躍、ゴールが歪むかと思えるほどに強烈なダンクシュートをゴールに叩き込ん
だ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
色々な意味で呆気に取られ、シェリーとその友人は言葉を失い、ボールの弾む音だけが耳
につく。そんな空気の中、男はシェリーに向けてニヤリと、少しバカにした笑みを浮かべると
その場から去って行った。
「な、なんなのシェリー、あの人・・・」
「私に聞かないでよ・・・」
「でも、あんたの顔見て笑ってたわよ？」
「だから知らないって・・・初対面よ初対面。」
「学内じゃ見ない顔だな・・・」
「そう言えばもう一人の人も見たことない・・・いつの間にかいなくなってるし。」
（誰も学内で見たことなくて私にコナかけてきた・・・もしかして教団の連中？）
みんなの話から、シェリーにはすぐにその考えが浮かぶ。
（ありえない話じゃない・・・アルは私のフライト番号知ってたし、エレナは私が留学している事
を知ってたんだから・・・）
「・・・どうしたのシェリー？」
「え？いや、どうしたの、って・・・さっきの赤い髪の人、どこに行ったのかなって。」
シェリーがそう答えると、場に居た何人かはニヤリと笑った。
「何？シェリーさっきの人が気になるの？」
「気になる？・・・まあちょっとね。」
特に深く考えずシェリーは答えた。すると、質問した側はニタと笑う。
「なるほど。シェリー、ああいうのが好みなんだ。」
「へ？」
シェリーの顔が、間抜けな程に呆気に取られた顔になる。
「いや、そういう意味の『気になる』じゃなくって・・・」
「ま、確かにちょっとカッコ良い人だったしね。追いかければ、まだ近くにいるんじゃない？」
「いや、だから違うから・・・」
「へ〜、それじゃ、どういう意味で気になったの？」
「どう、って・・・」
まさか本当のことを言うワケにも行かず、シェリーは言葉に窮する。そして話を逸らそうと苦慮
しているうちに、相手を完全に見失ってしまった。
そしてシェリーがそんな状況に歯噛みしているそんな時、当の青年は黒いスポーツカーの助手
席に座っていた。ハンドルは、さっきコートに謝りながらやってきた、青い髪の青年が握っている。
「おいカークス、本当にあいつがそうなのか？」
疑いを多分に含んだ声でそう言いながら、赤髪の青年は煙草に火をつけた。
「パッと見フツーのお姉ちゃんにしか見えないんだが。」
「パツと見はね。」
カークスはそう言うと上着のポケットから一枚の写真を取り出した。
「こんな写真がある。」
「見せろ。」
言いながら赤髪の青年は写真をひったくるようにして取った。そして写真を見た瞬間、彼は眉
をひそめる。そこにはシェリーとアルケミストが写っていた。数日前、シェリーがエレナの会社
で暴れた後の様子を写した写真だった。
「こいつは・・・」
「深遠の探求者Ｓ級幹部アルケミスト・・・それと仲良く話をしてるってことは・・・」
「アルケミストは年上趣味ってことか。」
「・・・いや、そうじゃなくて・・・」
「んじゃ、この姉ちゃんがショタ・・・」
「・・・ゴーツ、わざとボケてるでしょ。」
「まあな。」
ここで初めて、カークスは赤髪の青年をゴーツと呼んだ。そんなカークスの言葉に、ゴーツは
くわえていた煙草を灰皿にこすりつけてニヤリと笑う。
「とにかく、この一枚から見ても、あの人が教団の関係者だっていう可能性は高いよ。内部の
人間か、あえて組織の枠外にいる協力者かまでは分からないけど。ま、少なくとも敵対はし
てないだろうね。」
「そうだな・・・しかしお前、よくこんな写真撮れたな。」
「諜報には色々と努力してるから。」
あっさりした口調でカークスは答えた。
「でも、教団と敵対してる僕らが一枚撮れたんだ。複数回の接触があるのは確実だと思うよ。」
「なるほどな。」
「ところでゴーツ。」
カークスはそう言って話を変える。
「これからどうするつもりだい？ゴーツが一度、軽く見てみたいって言うからああしたけど。」
「まあ、今は様子見だな。潰そうと思えばいつでも潰せるだろうし。あの程度の動きなら、俺の
方が数段強い。」
さも当然のようにゴーツは言った。そんな彼の言葉にカークは「分かったよ。」と返す。
「それで、他のＳ級連中の動きは何か掴めたか？」
「そうだね・・・『アルケミスト』と『トライデント』は最近動きが大人しめ、『ブラウニー』かな。最近
活動が少し活発なのは。」
「ブラウニーか・・・どうする？仕掛けるか？」
「いや、今はやめておいた方がいいと思う。戦力的にまだこっちが不利だから。」
「そうだな・・・あいつらは・・・くそ・・・」
カークスの言葉にゴーツはイラついた顔でもう一本、煙草に火をつけた。
（戦える人数が少ねえ・・・キツイな・・・）
そんなことを思うゴーツを乗せて、二人の乗る車は走り去って行った。
そして数日が経ち、再び週末がやってきた。平日シェリーはゴーツのことが気にならないわけ
ではなかったが、学校の課題などに追われて存分な調査ができずにいた。
（本っ当に、パパの思惑通りになってきてるわよね・・・調査なんて全然できやしない・・・）
寮のベッドに寝転がりながらシェリーは思った。
（手がかりを掴もうにもツテが無い・・・いや、あるにはあるけど・・・）
シェリーの脳裏にアルケミストの顔がよぎる。
（罠にはまるのがオチよね・・・何とか情報を得るツテは無いものか・・・一人じゃ限界ありすぎ
るわ・・・）
「シェリー？」
物思いにふけっているシェリーは表から帰って来たルームメートの声で我に返った。
「ん〜？」
「なんか受付の所にお客さんが来てるけど。」
「お客さん？」
「うん。金髪で髪のちょっと長い、中学生くらいの男の子。可愛い子だけど、どこで知り合った
のよ？」
「・・・金髪で長髪・・・中学生・・・」
シェリーは一気にげんなりした顔になった。
「・・・それで、私いるって言っちゃった？」
「うん。」
「・・・・・・・・・そう・・・・・・・・・」
ものすごく恨めしげな声でそう言うと、シェリーは階段を降りて行った。
シェリーが今いる学校は「予備校」である。自宅から通う生徒も受け付けてはいるが、対象は
あくまで高校生以上、寮ともなると、十八歳未満の入寮は認められていない。そんな中で受付
ロビーに中学生程度の少年がいるというのは大なり小なり通る人間の関心を惹く。その少年が
容姿も比較的端麗で、正装に近い恰好をしていていれば尚更だった。口にこそ出さないものの、
通り過ぎる人は皆チラと彼の顔を見ながら通り過ぎて行く。
「・・・やっぱりアンタか・・・」
ロビーに来たシェリーは少年を一目見ると、さっきよりもさらにげんなりした顔になった。少年は
逆にシェリーの顔を一目見ると、心底嬉しそうに笑う。
「こんにちは！お姉さんっ。」
「アル・・・あんたねえ・・・」
「なんです？」
「どこからツッコミ入れたら良いべきか迷うわよ・・・なんで寮まで来るのとか、この敷地内でネク
タイ締めてるの先生抜かせばあんたくらいよとか・・・」
「これが僕の普段着なんですよ。ラフな恰好は逆に落ち着かなくて。それよりお姉さん。」
「うん？」
「今、時間ありますか？ちょっと二人きりでお話がしたいんですけど。」
アルケミストがそう言うと、周囲の視線と気配が偶然を装いながら一斉に自分の方に向いてくる
のを、シェリーは感じずにいられなかった。けれどシェリーはとりあえず、そんな気配に気づかな
いフリをして話を続ける。
「話？」
「はい。立ち話もなんですので、どこか場所を変えませんか？」
「場所を変えて・・・ま、いいけど。」
「良かった。じゃあ行きましょう。表に車を待たせてあるので。」
「・・・車？」
言いながらシェリーは視線を寮の外に向ける。と、これまたアルケミストの服装と同様に、宿泊
費一月２０００メセタ、シャワーとトイレが共同な、六畳一間の学生寮には恐ろしく不釣合いな黒
い高級車が止まっていた。
「来てくれますよね？お姉さんっ。」
「・・・・・・ええ。」
しばらく間をおいてからそう言うとシェリーはアルケミストのエスコートで車の後部、右側の座席
へと座った。そしてドアを閉めると車はすぐに学校の敷地外へと走り去って行った。
「それで？私をどこに連れてくつもり？」
学校が見えなくなると睨むような視線でシェリーは言う。
「やだなあお姉さん、そんな顔しないでくださいよ。ただの食事ですって。この時間だと、夕食ま
だですよね？」
時計を見ながらアルケミストは言った。シェリーも自分の腕時計に目をやる。時間は五時を少
し過ぎたところだった。シェリーは時計の文字盤から視線を戻し、「まあね」と答える。
「それなら良かった。ネオパルマ伝統の味をごちそうしますよ。」
屈託のない笑顔でアルケミストは言った。その視線と雰囲気から、シェリーに対する敵意は感
じられない。しかしさっき、学生寮では明らかに殺気に近い空気を複数、シェリーは感じていた。
おそらく自分が素直に来るように、あえて気配を表に出したのだろう。
（どういうつもりよ・・・）
「だから、別に他意はありませんよ。」
シェリーの思考を読み取るかのようにアルケミストは言った。
「一度お姉さんと、ゆっくり話をしてみたかっただけです。もっともこれは、僕個人だけでなくて、
上からの指示もあるんですけどね。」
（・・・・・・！！！）
シェリーは自身の心臓がドクンと強く脈打つのを感じた。顔の筋肉が思わず強張る。
「上から・・・？」
「ええ。まあ、ここから先の話はディナーまで取っておくことにしましょう。」
「ディナーねえ・・・」
胡散臭いものを見るような目と声でシェリーが言う。
「あ、心配しなくても料理に変な物入れたりしませんって。第一・・・」
「第一？」
「そんなこと、やろうと思えばいつでも出来ますから。」
そう話すアルケミストの瞳は、彼がシェリーに初めて見せた物だった。氷のような冷たさと優越
感を隠さず表に出したような表情・・・しかしシェリーは動じない。
「あっそ。でも、何はともあれ今の瞬間私は今生きてる。それに・・・」
「それに？」
そう聞き返してくるアルケミストの鼻を、シェリーはひゅっと掴んだ。
「・・・・・・？？？」
鼻を抓まれたアルケミストはびっくりした目でシェリーのことを見る。そんな相手の表情を見て、
シェリーは得意げに笑った。
「今わたしはアンタの鼻を抓んだ。鼻を抓めるってことは、目潰しだって直撃になるわね。」
そう言うとシェリーはパッと手を離した。するとアルケミストはククッと笑う。
「キツイなあ。けど、前にどこかの漫画でお姉さんと同じことやってましたよ。」
表情を年相応のものに戻してアルケミストは言った。
「そりゃそうでしょうね。元ネタあるもん・・・ってアルも漫画読むんだ。」
「もちろん読みますよ。もっとも、僕はそれ以外の堅い本もたくさん読んでますが。」
「自分は、ってわざわざ言うあたり、私への当て付けのつもり？」
「さあ？そう感じるのなら、読書量が足りないんじゃないですか？」
「まったく・・・食えない子ね。可愛げってモンがありゃしない。」
「そりゃまあ。」
言いながらアルケミストは肩をすくめた。
「そうじゃないとＳ級は務まりませんから。上に行けば行くほど曲者ばかりで。」
まるで自分はそうじゃないかのような口調である。
「そういうのに疲れると、たまに会いたくなるんですよ。お姉さんみたいな人に。」
「ふ〜ん。」
アルケミストの言葉にシェリーは軽く相槌を打った。
「だったら抜ければいいんじゃない？そんな教団なんか。サラリーマンじみた苦労をしょい込む
年でもないんだしさ。」
「・・・・・・」
シェリーの一言にアルケミストの表情から笑みが消えた。そして少し睨むような視線をシェリー
へと向ける。
「それは僕にとって、『死ね』と言っているのと同じです。」
「アル・・・」
「僕だけじゃない・・・Ｓ級にとって教団とは・・・」
そこでアルケミストは言葉を止めた。
「やめた。部外者のお姉さんに言ってどうなる物でもないですし、それに・・・」
「それに？」
「どうやら食事の前に片付けなくちゃならない相手がいるみたいです。運転手さん、この先に
空き地がある筈です。そこで一度、車を停めてもらえませんか？」
アルケミストがそう言うと運転手は「かしこまりました」と答える。そして数分後、空き地に到着
するとアルケミストは車を降りた。
「お姉さんは中で見物でもしていてください。」
シェリーに笑顔でそう言うとアルケミストは空き地の真ん中へと歩いて行く。そして彼が空き地
の真ん中につくのとほぼ同時に、フルフェイスヘルメットをかぶった、バイクに乗った男が三人
到着した。男達はバイクから降りず、バイクの座席脇から一人はチェーン、一人は鉄パイプ、
そしてもう一人はバールのような物を取り出す。そしてエンジン音を派手にふかしながら、アル
の周囲を取り囲んだ。
「ちょっと大人気ないって言うかさすがにシャレになってないわね・・・」
その様子に舌打ちをし、シェリーは車を降りようとした。しかし運転手はシェリーの顔も見ずに
真正面を向いたままシェリーに話しかける。
「不要です。」
「え？」
「アルケミスト様は我らが教団のＳ級幹部・・・むしろあのような少人数と、あれしきの軽装で
来られた彼らこそ、己の無知と不幸を呪うべきでしょう。」
「・・・・・・」
「あの方があなたに見せる表情が特別なのであり、これから彼らに見せるのが本来のあのお
方であることを理解すべきです。」
「・・・アル・・・」
シェリーは車窓の内側からアルケミストの顔を見た。恐怖は無く、戦いへの高揚感も感じられ
ない。あるのはただ、敵への侮蔑の表情だけだった。そんなアルケミストの表情に、相手は警
戒感を強める。
「深遠の探求者、アルケミストだな。」
ヘルメットをかぶった男の一人が言うとアルケミストは嘲笑しながら頷く。
「そうだよ。ねえ、早くかかっておいでよ。僕は君達と違って暇じゃないんだ。」
そして次の瞬間、アルケミストの挑発に激昂した男の一人が、チェーンを振り回しながら彼に
襲いかかって行った。
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