ネオパルマの第二ドーム「技術区画」そこにあるビルの一室で、カタカタとキーボードを叩く
音がする。音の主はスカイブルーの髪を持つ、五十代半ばの女性。やがて彼女の後ろで、
自動ドアが静かに開いた。
「マスター・エレナ」
自動ドアを開けて入ってきた人影が女性に言う。
「アルケミストとブラウニー他一名、予定時間通りにスペースポート入りしたようです。」
「ありがとうシーレン。」
椅子をクルと半回転させ、人影の方を向いて女性は言った。
「相変らず、教団の連中は改竄に気づいてなさそう？」
「はい。」
エレナの質問にシーレンが答える。
「足がつく可能性は？」
「ゼロです。」
いつもと変わらぬ、抑揚の無い口調でシーレンは答えた。だがシーレンは、そう言った言
葉のあとに「しかし」と付け加える。
「これは裏切り行為です。」
「分かってるわそれくらい。」
テーブルに置いてあった水を一口のんでエレナは答えた。
「けど、何も公金を横領したり、情報の横流しをしているワケじゃないわ。それに、教団内
では基本的に出し抜かれる方が悪い。アルケミストがあなたを襲撃したことも、結局、不
問同然だったしね。あれに比べれば軽いものよ。」
「・・・・・・」
エレナの言葉にシーレンは何も答えなかった。
「もはやシェリー・ハランツとは戦いは避けられない。けど、残りのとはね・・・・・・」
そう言うと、エレナはしばらく無言で何かを考え込んだ。彼女の脳裏に、シーレンのモニタ
を通じて入ってきたシェリーの言葉が浮かんでくる。
「もっとハッキリ言っちゃうと、騙されてるって感じかな？あなたのマスター。」
「あなたが銃を向けなきゃいけない相手は、他にいるんじゃない？」
（小娘の戯言よ。あんなの・・・）
「マスター？」
「・・・なんでもないわ。シーレン、次のプロジェクト、進捗を教えてちょうだい。」
「了解しました。」
シーレンはそう言うと、何か専門用語の大量に入り混じった説明をエレナにしはじめた
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ネオパルマ時刻：ＰＭ４：１５
「本当に、護衛は必要ないのですか？」
黒いスーツを着た大柄の男が赤いブレザーを着た金髪の少年に不安そうに話しかける。
「大丈夫だよ。今回、僕の任務は隠密行動なんだ。お前達がいると、かえって目立つ。」
「しかしアルケミスト様・・・」
「信用できない？僕の力。」
冷笑を浮かべながら少年はスッと、左手の指二本を右の袖口に当てた。そんな彼の動
作に黒服の男は思わず後ずさりをする。
「それでは、道中お気をつけて・・・」
「ありがとう。君達も留守番頼むよ。特に・・・」
「特に？」
「シェリー・ハランツの動向には気をつけておいてね。ただし、彼女に仕掛けるようなマネ
は厳禁だ・・・あれは、僕の獲物だ。分かってるね？」
「は、はい・・・」
黒服の男はそう言うと、背中を丸めるようにして立ち去って行った。
「ふう・・・これでやっと、一人になれた。」
黒服の男が退散した後、赤いブレザーを着た少年・・・アルケミストは表情を崩してそう
つぶやく。
「ネオアリサか・・・よくよく考えれば、行くのは初めてだな。」
「宇宙船アリサ三世号がネオパルマより先にたどり着いた定住の地、そして・・・」
言いながらアルケミストは鞄の中にある研究ノートを少し、さりげなく開いた。そこには一
枚の写真がはさんである。
「お姉さんの、生まれ育った場所、か・・・」
「アルケミスト様？」
「！！？」
突然後ろから声をかけられ、アルケミストは口から心臓が飛び出すかと思うくらいに驚
いた。ビクと痙攣したような動きをするその反応に、声をかけた方も驚かずにはいられ
ない。
「申し訳ありません・・・大丈夫ですか？」
声の主はおそるおそるそう言った。声の主は男性で髪の色は銀（白髪ではない）肩より
少し下まで来る長髪で、それを紐で縛って一本にまとめている。細身で「優男」という言
葉がこの上なく似合いそうな、三十前後の男性である。そしてその隣には、エアコンの
効いたスペースポートの中にも関わらずフードを目深にかぶった人物がいた。シルエット
からは女性のようだがフードのせいで顔や表情は見えない。幽鬼のような足取りをした、
一緒にいる男性がそばで支えていないと今にも倒れるんじゃないかという女性だった。
「グエンか。」
銀髪の男性を冷めた目で見ながらアルケミストが言う。そして彼の瞳は、そのまま幽鬼
のような足取りの女性へ移った。アルケミストが視線を向けても、女性は何の反応も示
さない。
「今の心拍数は？」
「毎分１５で安定しています。」
「そうか。」
グエンの言葉にアルケミストは軽くうなずく。
「５０くらいまで上げた方がいいんじゃないのか？この足取りじゃ、さすがに通関で怪し
まれる。」
「お心遣いありがとうございます。直前になりましたら、上昇させます。」
アルケミストの言葉に会釈をしながらグエンはそう返事をした。
「しかし分からないな・・・今回の任務、ボイスは何故、あなた達に命じたのか・・・移動距
離やその他のリスクを考えたら、僕一人で行くか、二人と言うなら『バード』の方が・・・」
「・・・私・・・が・・・」
アルケミストがそう言いかけると、フードの女性は口を開いた。今にも消え入りそうな、か
細い声である。
「私が・・・頼みました・・・グエンとボイスに・・・ネオアリサ・・・一度、ネオアリサに・・・」
「・・・・・・」
女性の言葉にアルケミストは無言でうなずいた。そして手にしている鞄を持ち直す。
「分かった。僕は先に行くよ。ネオアリサでの予定は、向こうについてからすればいい。」
そう言うとアルケミストはファーストクラスの搭乗カウンターへスタスタと歩いて行った。
「私達も行きましょう。ナターシャ。」
寄り添う女性にそう言うと、グエンもゆっくりと搭乗カウンターへ歩いて行った。
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「・・・・・・」
シャトルの中、アルケミストは漠然と、外の様子を見た。時折瞬く星が見えるが、基本
的には何もない。生物の存在を許さない無の世界が無限に広がっている。その空間
と自分が今座っている、ゆったりとした座席と空調のきいた部屋という快適な空間を
隔てているのは、シャトルの外壁一枚のみ。人が生きるのに最適な空間と、最も不適
格な空間を隔てているのは、ただそれだけだった。
「不思議なものだな。」
珍しく感傷的になり、アルケミストはふとそう言った。それから彼はノートパソコンを起
動し、教団から送られてきたデータに目を通す。いくつかの資料を見る中で、数人の
男女が写っている写真データに彼の目が留まった。
「これが、お姉さんの家族なんだ・・・」
写真の人間を見てアルケミストはつぶやいた。エヴィン、リビア、アーサー、ジニー、四
人の男女の写真が、プロフィールつきで載っている。
「あんまり、お姉さんと似てないな。」
写真を見てアルケミストはそうつぶやいた。
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ネオアリサに到着してからの数日、アルケミストは精力的に動き回った。まず謎の老
人による襲撃を受けたニーヤ支部へ赴き、犯人の情報を収集する。そしてホムンク
ルスを野に放ち、支部襲撃の犯人だけでなく、その他の依頼された情報も精力的に
収集と解析を行った。
「これで君達が言っていた老人とやらの足取りは、来週早々には掴める筈だ。」
ニーヤ支部を管理する司祭にそう言うと、司祭は深々と頭を下げた。そして翌朝、朝
食を済ますとアルケミストは財布をポケットに入れて立ち上がる。
「お出かけですか？」
アルケミストに司祭が聞いた。
「ああ。ちょっと観光にね。」
「それでは、すぐに案内の者を用意いたします。」
「いらないよ。一人の方が、むしろ落ち着く。」
「・・・さようでございますか・・・」
アルケミストの言葉に司祭は心底困った顔をした。Ｓ級幹部である彼の言うことに口
答えすることは許されない。かと言って彼にもしものことがあったら、それもまた、決
して許されることではなかった。だが、司祭が答えに窮している間にも、アルケミスト
はさっさと出支度を整えてしまう。
「今日中・・・遅くとも明日には戻る。」
そう言い残すとアルケミストはふらりと出かけて行った。教団の宿泊施設を出てから
一人、無言のまま歩き続ける。やがて施設が完全に見えなくなるくらい離れると、ア
ルケミストはスッと右腕を上げた。
「フィノ！」
アルケミストの一声で空から何かが飛んできた。そしてそれは、静かに彼の腕に停
まる。台風一過の朝のような青い翼と頭、極上のシルクのような色の腹と顎をした、
黒い瞳を持つ鳥（ブルージェイ）だった。
ネオアリサに来る前、彼は支部の人間にホムンクルス用の材料として、野生動物の
捕獲を指示していた。先日彼が野に放ったホムンクルスも皆、支部の人間が捕まえ
た物だっがた、その殆どが鳩や烏、雀や鼠といった、ありふれた動物ばかりだった。
しかしその中でただ一羽、異彩を放っていたのがアルケミストが今、「フィノ」と呼んだ
この鳥だった。
（さすがネオアリサ・・・自然は豊富だ）
内心ほくそ笑みながらこう言うと、彼はこの鳥にだけは通常と異なる処置を施し、普
段はつけない名前も付けた。フィノは、彼専用のホムンクルスになった。
「フィノ、お前は先に行っていろ。僕も、後から追いかける。」
左手でポケットから取り出した、自然界には存在しない色をした豆をフィノに与えな
がらアルケミストは言った。そしてフィノは、豆を食べ終えると再び大空へ羽ばたいて
行く。
「それじゃあ、僕も行くとするか。」
フィノの姿を見送ると、彼はまた歩き出した。
・
・
・
それから数分後、アルケミストはニーヤの駅にいた。土曜日の朝だというのに人出は
かなり多い。アルケミストはまず、この人数に圧倒された。
「どこから湧いてくるんだこの人間は・・・」
眩暈さえ感じるような人の波に気圧されながら、アルケミストは切符売り場に向かお
うとする。だが、後ろから大柄な男にドンと押されると、体勢を崩した。
「気をつけろ！」
吐き捨てるようにそう言うと、男は足早に駆けて行こうとする。そんな男の背中を目で
追いながら、アルケミストは衣服の袖口に軽く手を当てた。
「まったく・・・俺としたことが寝坊なんて・・・」
アルケミストを突き飛ばした男はそうボヤきながら、人ごみを押し退けるようにして歩
いて行く。だがそんな男の足は急に何かに絡め取らた。
「！？」
手をつこうとしても、腕もまた、何かに縛られたかのように動かない。結果、男は前の
めりに豪快に、眼前のゴミ箱へと頭から突っ込んでいた。
「・・・ネオアリサの人間は余裕が無さ過ぎるな。ここは、僕の場所じゃない。」
そんな男の姿とうめき声を鼻で笑ってそう言うと、アルケミストは駅を出た。出ながら
彼は、懐から風邪薬程度の大きさをした包み紙を取り出して、それを駅構内へそっと
撒く。そしてそのまま、風上にあるタクシー乗り場へと歩いて行った。
「ティリアの駅まで。」
タクシーに乗り込むとアルケミストは言った。しかし運転手は驚いた声で「今、ティリア
と言いましたか？」と聞き返す。
「何か不都合でも？」
「いや不都合って言うか・・・高速で四時間以上かかりますが？」
「分かっている。」
何を今さらという口調でアルケミストは言った。
「しかし、そうなるとお客さん、金額もかなり・・・」
「・・・・・・」
いぶかる運転手に対し、アルケミストは無言で千メセタ札の束を突き出した。
「足りるか？」
「え？ええ！これだけあればそりゃもう・・・」
さっきまでとはガラリと口調を変えてそう言うと、アルケミストを乗せたタクシーは走り
出した。数分後、タクシーの運転手がつけたラジオからニーヤの駅で乗客や駅員が
皆、熟睡状態に陥っていることを告げるニュースが流れてくる。
「な・・・何がニーヤで・・・？」
ラジオを聴きながら運転手が言う。
「いいんじゃないの？僕はネオパルマ人だけど、ここの人達はせわしすぎる。」
「は、はあ・・・」
「人間、必死に生きれば報われるとは限らないんだ。」
「そうですか・・・」
客商売だから何も言い返せず、運転手はそう相槌を打った。
「それじゃあ僕も、少し休ませてもらうよ。」
口元に笑みを浮かべながらそう言うと、アルケミストもまた、車内で眠りについた。
ネオアリサに到着してから連日の仕事で、かなり疲れていたらしい。アルケミストは
車の中で、深い眠りについていた。運転手の呼びかけで、ようやく目を覚ます。
「お客さん・・・お客さん！」
「・・・・・・？」
「つきましたよ。ティリア駅。」
「あ、ああ。分かった。」
運転手に料金を払い車を降りると、アルケミストは大きく伸びをした。新鮮な空気を
胸いっぱいに吸い込むと、穏やかな瞳であたりを見渡す。
「ここがティリア・・・お姉さんの故郷か・・・」
都会のニーヤに比べるとティリアは人通りも少ない。何となく静かで、気分の問題か
もしれないが、道行く人も優しげに感じられた。そんな駅前の通りを歩き、自動販売
機で買った缶のココアを片手にアーケードになっている商店街のベンチに腰を下ろ
す。そして腕時計のカレンダーに目をやった。
「本当は今日、返事を聞く筈だったんだよね・・・お姉さんが教団に来るか、来ないか、
その答えを・・・」
言いながらアルケミストは、少し寂しそうな顔をした。
「お姉さんがレネゲイツと手を組んだって情報もある。まだ学校にも行っているみた
いだから、全面協力じゃないかもしれないけど・・・・・・そんなの、自分の首を絞め
るだけなのに・・・」
ココアを飲みながら、アルケミストは自分にそう語りかけるように言い続ける。
「早く、ここでの仕事を片付ける。そして僕が、お姉さんをレネゲイツから引き離す。」
引き締まった表情でそう言うと、アルケミストは飲み終えた空き缶をゴミ箱に投げ捨
てた。そして立ち上がり、人目を避けてスッと右腕を上げる。
「フィノ！」
アルケミストは自身の従者の名を呼んだ。しかし、すぐに飛んでくる筈のフィノが飛ん
で来ない。
「フィノ！！」
アルケミストはもう一度名前を呼んだ。しかし、やっぱり飛来しない。改造で飛行速度
は時速２００キロを軽く超え、他の鳥と格闘戦になっても絶対に負けないだけの戦闘
力も与えた。銃撃されたらさすがに厳しい場合もあるが、そのときはすぐに、異常を
伝える信号が自分の所に来るようにもしてある。
（寝ていて気づかなかったか！？）
アルケミストは懐から改造携帯電話を取り出し、ボタンを押した。見るとフィノの反応
はかなり近い。生体反応にも、異常は見られない。
（だったら何で！？）
アルケミストはフィノの反応がある場所へと走った。通りを二本抜け、三つ目の角を
右に曲がる。するとフィノはいた。地元の人間と思しき少女と戯れていた。
「何をしている！」
フィノと少女に向かってアルケミストは叫んだ。その声に少女はビクと震え、アルケミ
ストの方を向く。薄い茶色の、少しクセっ毛なセミロングの髪をした少女だった。
「あっ・・・あの・・・」
少女は恐る恐るアルケミストの顔を見た。だが彼の顔を見た瞬間、怒鳴りつけられた
恐怖心は消し飛び、全く違う感情が芽生えだす。
（すごいキレイ・・・）
ブロンドの髪、碧色の瞳、整った顔立ちに上品そうな服装、少女はアルケミストの容
姿に吸い込まれそうな感覚を覚えた。胸の鼓動が強く、そして速くなり、顔も全力疾走
した後のように熱くなる。だがアルケミストは、そんな少女の心など眼中にない。ただ、
フィノが何故、自分の指示に従わずここにいたのかが不思議だった。
「フィノ。」
静かな声でそう言うと、フィノは今度こそ、アルケミストの腕に停まった。見た所、フィノ
の外観に異常は見られない。
（それじゃあ、内部的な問題かな。あとで、ちょっと見てみるか）
心の中でそう思うと、アルケミストは立ち去ろうとした。
「あのっ・・・その子、フィノって言うんですか？あ・・・あなたのですか！？」
立ち去ろうとするアルケミストに、少女は慌てて声をかけた。
「・・・そうだけど。」
抑揚のない声でアルケミストは言う。
「ごめんなさい！私、ジニー・ハランツって言います！！」
「！！」
彼女にしてみれば、何を話していいか分からず、ただ相手をつなぎとめたくて名乗った
だけだった。だが、少女が名乗ったその名前に、アルケミストは驚愕する。
（ジニー・・・ハランツだと！？）
驚きの感情を無理矢理押し殺し、アルケミストは少女の顔を見た。自分がここに来る
前、シャトルで見た写真資料の顔とは全然違う。だがシェリーと似ても似つかない顔を
していた教団の写真資料よりも、目の前にいる少女の方が、よほどシェリーと血の繋
がりを感じさせる顔をしていた。
（教団の資料が間違っていたのか・・・？）
あり得ない事だし信じたくない事だが、しかし信じるしかない気がした。
（この子が本当にお姉さんの妹だとしたら・・・僕は、どう動けばいい？）
アルケミストは自問する。そして数秒のうちに何通りものシミュレーションを行う。
（よし・・・）
心の中で小さく頷くと、彼はジニーに話しかけた。
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