「分からないんだよ、本当に・・・」
「アーサー・・・」
「姉さんは、ユエリのことを妹って言ってた・・・たぶん、心の底からそう言ってると思う。ジ
ニーもユエリのことを好きだって言ってたけど、たぶん細かい意味は考えてない。だけ
ど僕は・・・どうなんだろう？気持ちを整理できない・・・どっちに転ぶにしても。ただ・・・」
「ただ・・・？」
「ユエリと一緒にいたい。少なくともユエリが、こっちの世界にいる限りは。」
アーサーはそう言うと歯を食いしばり、眉間に皺を寄せた。そして実際には数十秒、体感
的にはとてつもなく長い沈黙の後、そのままの姿勢でアーサーはユエリに聞いた。
「・・・嫌・・・か？」
と・・・
「嫌なわけ・・・ないじゃない・・・」
弱々しい笑顔で目元を潤ませながらユエリは言った。その顔にアーサーは息を呑む。
「ユエリ・・・」
アーサーは何かをユエリに言おうとするが言葉が出ない。やがてユエリの瞳から、涙が
ポロポロと流れ出した。ユエリはそんな顔を両手で覆う。
「ありがとう・・・ごめんなさい・・・」
「らしくないぞ。」
ユエリの言葉にアーサーはあえて軽口で応えた。『無理も無い』心の中でそう思いながら。
それからアーサーは、ユエリの涙が止まり、再び自分を見るのを待った。
「腹、減ってないか？その様子じゃ、どうせ夕飯も食べてないんだろう。」
「うん・・・でも今はそういう気分じゃ・・・」
そう言いかけるユエリのお腹がグゥと鳴った。その音で二人はまた笑う。
「決まりだな。」
アーサーはそう言うと立ち上がる。ユエリもまた、少しおぼつかない足取りで立ち上がっ
た。ユエリはそこで、思い出したかのように「あ、でも私」と言いかけるが、アーサーはユ
エリが言いかけた言葉を止める。
「持ち合わせが無いんだろ。分かってるよ、昼間のまんまなそのカッコ見れば。」
アーサーは笑ってそう言うとクルと背を向けて歩き出す。ユエリは少しバツが悪そうな顔
で、アーサーの後ろをついていった。
「はいお待ち。８０メセタね。」
出来立てのホットドッグ二つと氷の多いコーラを二つ、屋台のオヤジはアーサーに差し
だした。代金を払いつり銭を受け取ると、アーサーは一つをユエリに渡す。
「ここのけっこう美味いんだ。エリックの馴染みでな。」
「へえ・・・」
アーサーの言葉に相槌を打ちながらユエリはホットドッグの包みを解いた。本人は気づ
いていないが、包みを解くユエリの頬は少し緩んでいる。そしてスタンドにおいてあるケチ
ャップをたっぷり、マスタードを少しだけかけて、まだソーセージから湯気の昇っているホ
ットドッグにかぶりついた。
「ホントだ美味しい・・・」
「だろ？あいつ、この手のどこで何が美味いかとかは、かなり詳しいからな。他にも色々と
・・・って、こいつも食うか？」
自分がしゃべっている間にホットドッグを平らげたユエリに、アーサーは自分のを半分に
割って差し出す。
「いいの？」
「こっちはもう、夕飯済ませたから。」
「・・・ありがと。」
ユエリは遠慮がちに受け取ると、黙々と食べ始めた。そしてそれもすぐに食べ終えると、紙
ナプキンで口の周りを拭いてアーサーの方を見る。
「・・・・・・」
「・・・どうかしたのか？ユエリ・・・」
アーサーはそう聞くが、ユエリはじっとアーサーの顔を見つめたまま、何も言い出そうとしない。
「なんだよ・・・」
急に見つめられ、少し照れ臭そうにアーサーは言う。するとユエリは、不安そうに口を開いた。
心なしか、頬の辺りがすこし赤い。
「・・・ねえ、アーサー・・・」
「・・・何？」
「あなたに、見せたい物があるの・・・」
「見せたい・・・物？」
「うん・・・だから、ちょっと家まで付き合って。」
「ああ、そりゃ構わないけど。」
「ありがと・・・あ、それから・・・」
「？」
「ホットドッグ、ご馳走さま。」
「ああ。」
笑顔でそう言うと、アーサーはユエリと一緒に教会へと歩いていった。
そうして司祭の家に二人は戻ってきた。だが家に着いたら着いたで、ユエリはドアを開けよう
としない。玄関の前で、硬直したかのように固まっていた。
「やっぱり、気にしてるのか？さっき言ってたこと・・・」
「うん・・・」
ユエリはうつむき、アーサーから視線を逸らすと小さな声でそう答えた。あの老人が自分の祖
父だと分かったとき、彼のことを「本当の家族」だと思ったこと、マレジアの存在を心の中でど
こかへ蹴り飛ばしていたこと、そんな自分が、今さら司祭にあわせる顔がないこと・・・そんな
ことを考えれば考えるほど、全身が金縛りにあったみたいに動かなくなる。だがユエリが動け
なくても、教会の扉は向こうから開いた。しかもかなり、慌しい勢いで。
「ユエリ！」
「司さ・・・」
扉の中からマレジア司祭が飛び出してきた。ユエリはびっくりした顔で司祭の顔を見、そして
逃げ出そうとする。だがユエリがその場から一歩も動かないうちに、マレジアはユエリのことを
強く抱きしめていた。
「よかった・・・戻ってきてくれて・・・」
「し、司祭・・・？」
突然マレジアに抱擁されて、ユエリは目を白黒させる。
「なんか、予感がしたんです・・・あなたがこのまま、戻ってこないんじゃないかって・・・」
「・・・・・・」
「ピーターが戻ってきて、私もそれが嬉しくて、あなたに疎外感を与えてしまったんじゃないか
って・・・」
「そんな・・・そんな、私は・・・司祭にそんな風に謝られる資格は・・・」
だがそこから先の言葉をユエリは言うことができなかった。声が詰まって、言葉にならない。
ただただ嗚咽することしかできなかった。
それからユエリとアーサーの話が本題に戻るのに、しばらくの時間を要した。ユエリのことを
強く抱きしめる司祭とむせび泣くユエリを見て、一度はそっと、家に帰ろうかとも思った。だが
ユエリはそんなアーサーを引きとめ、司祭も彼がユエリを見つけてくれたと思い込んでアーサ
ーに頭を下げる。それから家にあがってお茶を出されて、ディルナのことは誤魔化しながら
話をして・・・と、アーサーがユエリの部屋に通されるまで、かれこれ三十分はロスをした。
（ここがユエリの部屋か・・・）
司祭の家に来たことは何度かあったが、ユエリの部屋に入るのは初めてだった。勉強机に
ベッド、制服や普段着がかけてあるハンガーラック、それに小さな引き出し棚があり、その
上には彼女のツインロッド「バルキリー」が大事そうに置かれているが、それ以外の物は何
もない。シェリーやジニーの部屋なんかと比べても、ひどく殺風景な部屋だった。もっとも、
かなり少女趣味が入っているジニーの部屋はともかく、散らかり放題なシェリーの部屋を趣
があると言っていいのかは、はなはだ疑問だが。
「もう少し何か置けばいいのに。」
「置く？何を？」
「いや、小物とかポスターとか・・・あの姉さんだって多少はあるぞ。大概、散らかりまくった
本とかに埋もれてるけど。」
「考えとくわ。」
「気のない返事だこと。あ、あと話が本題に入る前に一つ言っておくけど。」
「言っておくけど？」
「今度またユエリがどこか行こうとしたら、司祭たぶんブチ切れるぞ。ああいうタイプは。」
「かもね。」
ユエリはそう言って苦笑するとアーサーに椅子をすすめ、自分はベッドに座った。ユエリの
服装は薄いピンクのブラウスにモスグリーンのプリーツスカート。制服以外でスカートを穿
いているユエリを見るのも、アーサーには初めてだった。
「向こうじゃスカートの方が多かったから。こっちにきて、なんか常在戦場な気がしてたから
着てなかったけど。」
アーサーが何もいう前に、ユエリは言った。
「それで、見せたいものって？この部屋にあるのか？」
「ううん、この部屋ってわけじゃないんだけど・・・」
「ないんだけど？」
「ここが、一番都合がよかったから・・・」
ユエリはそう言うと、ブラウスのボタンを一つ外した。
「っ！？」
アーサーは椅子に座ったまま、顔を引きつらせのけ反った。ただし視線は、硬直したまま
ユエリから逸らすことができない。やがてユエリは右手でブラウスの左襟をつかみ、そっと
下におろした。
「ゆ・・・ユエリ？」
「見て・・・」
「いや、見てってお前一体何を考え・・・・・・・・・・・・・・・！？」
そこでアーサーの表情は驚愕から絶句に変わった。ユエリの左胸の上、鎖骨の下赤い痣が
あった。ユエリと自分は少し距離が離れているし、近寄って詳細に確認する度胸もないが、
それは「III」と刻まれているように見えた。
「見た？」
「あ、ああ。」
アーサーがコクコクと首を上下させながらそう言うと、ユエリはブラウスのボタンを元に戻した。
ここれアーサーはようやく、ユエリの言った『都合がいい』が『明るい』という意味だと理解した。
「何なんだ、それ・・・」
「分からない・・・ただ、私がこっちの世界に飛ばされてきたときから、ずっと消えずに。普段は
ファンデーションで隠してるけど。」
「そっか・・・痛んだりは、しないのか？」
「そういうのはないわ。ただ、薄まりもしないし濃くなりもしない。気味が悪くないって言ったら
嘘になるわ。」
「司祭には？」
「まだ何も言ってないわ。たしかに、司祭ならこういうの詳しそうだけど、だから逆に、聞くのが
怖くて・・・」
「そうか・・・けどユエリ。」
「？」
「そういうことならそうと、先に言ってくれよ・・・いきなり何かと思ったぞ。」
「何かと・・・？・・・！！！」
瞬間、ユエリの顔は赤くなり、アーサーの頭をはたきにかかった。アーサーはそれをさっと
かわす。そこからユエリは連撃を繰り出すが、アーサーには一発も当たらなかった。
「くっ・・・」
「無茶するなよな。今日の昼間、大量に献血したところなんだから。」
「あ・・・」
「忘れてたか？」
「・・・ちょっとね。」
「フフ・・・」
ユエリの言葉にアーサーは少し笑った。
「それじゃ、僕はもう帰るよ。おやすみ、ユエリ。」
「ええ、おやすみ・・・」
お互いにそう言って、その晩は別れた。
家への帰り道、アーサーはずっと、ユエリのことを考えていた。古い書体で書かれた数字の
３、何ヶ月も消えないアザ、何か意味はあるのだろうけど、あまりにも漠然としていて、何を言
いたいのかまるで分からない。
（父さんなら何か分かるかな。あとは聞くとしたら誰に・・・）
（さっきのユエリの動き、これまでよりずっと鈍かった・・・力は、かなり落ちてる・・・だったら尚
更、僕がしっかりしないと・・・強く、ならないと・・・）
アーサーは帰り道、ずっとそんなことを考えていた。必然、他のことへの注意がおろそかに
なり、結果、家につく直前、暗がりの中で誰かにドンとぶつかった。
「あ、すみませ・・・！！！」
反射的に謝りかけたアーサーだったが、彼の言葉はそこで止まった。
「最近の子供は、人にぶつかっておいて謝ることもできんのか？」
「ディルナ・・・！」
アーサーは、体内の血液が一気に沸騰するのを感じた。
「しかも、目上の人間に、敵意をもって呼び捨て・・・エヴィンのヤツ、自分の子にどのような
教育をしてきたのやら。」
「黙れ！貴様ユエリに・・・ユエリに何を言った！」
ありったけの感情をこめてアーサーは怒鳴った。だがディルナは、そんなアーサーの感情を
鼻で笑う。
「何を？フン、ごく当然の事を・・・事実を言ったまでだ。」
「事実？」
「ああ、いかなる戯言をほざこうと、お前のような孫を持った覚えは無い、目障りだと・・・」
だがそう言いかけるディルナの視界からアーサーは消えていた。そして次の瞬間、ディルナ
の真横から放った、アーサー渾身の右ストレートがディルナを殴り飛ばす。
「ぬぅっ！？」
「まだだ！」
吹っ飛ばされながら体勢を立て直そうとするディルナに、アーサーは追撃をかける。だがディ
ルナの頬を正確に捉えた一撃目と違い二発目はかすっただけ、三発目はかすりもせず、四
発目はかわされた挙句手首を取られ投げ飛ばされ、背中をアスファルトに叩きつけられた。
「病み上がりのじじいにも劣るか。」
「・・・・・・」
「アーサーとか言ったな。お前は、何のために戦う？何のために、武を磨こうとする？」
「・・・・・・」
「己の弱さに、才気の乏しさに、口幅ったくて言えもせんか？」
「・・・・・・」
ディルナの言葉に、アーサーは何も言い返すことができなかった。仕事で忙しい父や不在
の姉にかわって家を守る、少しでも父の領域に近づこうとする、そして、今さっき芽生えた、
ユエリを守る・・・そのどれもが、アーサーの心を虚しく吹き抜けた。
「フン・・・」
何も言えず立ち尽くすアーサーに、ディルナは侮蔑の表情を投げた。そしてアーサーに殴
られ、赤く腫れた頬をそっと一撫でし、ニヤリと笑う。
「ガーディアンレイジ。」
「・・・？」
ディルナがボソとつぶやいた一言に、アーサーはうつむかせていた首をもたげた。
「ガーディアンレイジだ。」
「ガーディアン（守護者の）・レイジ（怒り）・・・？」
「ああ。ウェンフィールド流格闘術、その極意にして奥義の名だ。」
「ウェンフィールドの奥義・・・オーバードライブじゃなくて？」
「あれはウェンフィールドの中で人が成し得た物の最高峰、ガーディアンレイジはまだ、成し
得た者がいない・・・アーサーとか言ったな。強くなりたきゃ、そいつを物にしろ。」
「ガーディアンレイジ・・・誰も成し得たことのない、ウェンフィールドの奥義・・・まだ誰も・・・」
アーサーはゴクリと唾を飲んだ。
「テオ・ウェンフィールドですら・・・？」
「ああ、テオ・ウェンフィールドですらだ。」
「そんなのを、僕が・・・」
言いながらアーサーの身体がワナワナと震える。
「無理だ・・・できっこない・・・テオ・ウェンフィールドすら体得できなかった物を・・・なんで、僕
なんかが・・・」
「ああ、テオ・ウェンフィールドすら体得できなかった物だ。だが」
「だが・・・？」
「それは裏を返せば、通常の格闘術における心技体、それが満ちていれば体得できるとい
う物でもない、そう考えることもできる。」
「あ・・・」
「ただそれが何なのかは誰も知らん。そもそも机上の空論だったのか、全くのヨタ話だった
可能性もある。が、今のお前が乾坤一擲を賭けるなら、もうこれくらいしかあるまい。」
「俺の顔面に一撃入れた褒美だと思え。・・・そろそろ、看護婦が巡回に来る頃だな。」
言うだけ言うと、ディルナはアーサーに背を向けて去って行った。そしてその場に一人残さ
れたアーサーの脳内は、ディルナが言い残したその言葉が、何度も駆け巡っていた。
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