「おっ！どうしたんだよそれ！」
たまたま横を通りかかった、彼と仲の良い構成員が札束に目を輝かせながら話しかける。
が、金を手にした彼はきわめて不機嫌そうな声で一言「パシリだよ」と答えた。
「パシリって？」
「読んで字の如し。メイ様の命令でな。これから商業区だ。ブランド街に行って明日発売の
数量限定のバッグだの、コスメだのネックレスだの、なんか色々、今から行って並んで来
いだと」
男はそう言って、化粧品だのアクセサリー類だのがズラリと並んだリストを相手に見せた。
「大変だなお前も・・・けどさ、それだけあれば何枚かくすねられるんじゃないか？役得って
ヤツで」
「無理無理。金は枚数数えられてるし、全部領収書出せって言われるし、電車賃はこっち
の自腹。手当てもゼロ。ビタ一文、得になんかなりゃしねえよ」
そう言うと男は一つ、ため息をついた。
「大体、なんであんなのがＡ級構成員なんだよ。そりゃ誰をＡ級にするかはＳ級の裁量だけ
どさ。あんなのバード様の恩寵かさに着た、ただの愛じんじゃ・・・」
だがそれが、彼がこの世で言い残した最後の言葉になった。背後から何者かが突き立てた
白刃が寸分狂わず心臓を貫き、それが抜けるとドサという音と共に崩れ落ちる。そして崩れ
落ちたその場所に血溜まりができたとき、男はすでに絶命していた。
「な・・・ななな・・・」
目の前で友人を殺されたもう一人の構成員は言葉になってない言葉をつぶやきながら、ガ
タガタと震えている。彼の足元では鮮血の血溜まりが靴を濡らすが、それがまるでセメント
であるかのように、その足をピクリとも動かすことができない。
「おい・・・」
「ひっ・・・」
「いつから、下級風情がＡ級をコケにしてよくなった？」
殺害された構成員の背後に立っていた男が言った。男の年は五十前後で中背やや痩身、
肌は浅黒く、髪は漆黒の髪をオールバックにまとめている。黒曜石のような色をした切れ
長の瞳は野生の狼のように鋭く、人を一人斬ったにも関わらず、呼吸の乱れは一切ない。
そして刃には、ただ血の一滴もついていなかった。
「あ、ああ・・・」
「おめえに聞いてんだよ。いつから教団は、そんなフランクになった？」
抑揚のない声でそう言いながら男は白刃を相手の鼻先に突きつけた。今は片手で持って
いるが、柄の長さからして本来はツヴァイハンター（両手持ち）で刃は片刃、刀身は少し反
っていて波のような模様がある。刀身にも柄にも派手な装飾はないが刃だけで一流の芸術
品と言える刀だった。
「ひ・・・ば、バード様、お、お許・・・」
「答えたくねえか？」
青年にバードと呼ばれた男はそう言うと刀を手の中で反対側に持ち替える。そして一歩踏
み込み、柄を握ったままの拳で相手の横っ面を力任せに殴りつけた。
「あ、あが・・・」
男は顎を押さえたまま地面をのた打ち回った。どうやら顎が外れたらしい。バードはそんな
相手を見下し、さっきと同じように抑揚の無い口調で言葉を続ける。
「答えらんねんのなら質問を変えるぜ。いつから、下級風情が、Ｓ級の質問に答えなくて
よくなった？」
バードはそう言うともう一度、今度は相手の首筋に刃を軽く当てた。だが当然、答えられる
筈が無い。しかし数秒後、刃をゆらりと動かした次の瞬間、彼の刃は動きを止めた。
「何の用だ。キース」
「さすがですね、バード様」
若い声がして柱の影からゆっくりと、一人の青年が姿をあわらした。髪の毛は深い青で背は
やや長身、顔にはうっすらと笑みを浮かべた、二十代前半の青年だった。
「気配は消していたつもりなのですが」
「なめんじゃねえよ」
いくぶん機嫌のなおった声でバードと呼ばれた男は言った。
「で、何の用だ」
「それはまあ、色々と」
「フン・・・」
キースと呼んだ男の言葉を鼻で笑うと、バードは手にした刃を軽く払い、鞘に戻した。そして
たった今斬られた男が手にしていた金と買い物リストを、ゆっくりと指差す。
「お前が代わりに行って来い」
「は、ははははい・・・」
九死に一生を得たその男はガクガクと震えながらそう言うとまだ辛うじて血に濡れていない
札束とメモを拾い上げ、逃げるように走り去った。
「おいキース、最近たるんでるんじゃねえのか？」
「そうですか？」
「聞いてるぜ。教団にケンカを売ってきた小娘一人、まだ始末できてねえらしいじゃねえか。
しかも『トライデント』と『アルケミスト』、Ｓ級二人が煙に巻かれている」
「その話は私も聞いています。なんでも、彼女の父親が」
「伝説のエヴィン・ハランツだっていうんだろ？それくらいは俺も知ってる」
言うとバードはしばらく黙り、やがて少しだけ笑うと刀をチャリと鳴らし、鞘から白刃をわず
かに覗かせた。
「娘を斬れば、親は出てくるか？」
「・・・エヴィン・ハランツを刺激するような真似は慎むように、我らが首領、ボイスのお言葉
です」
「フン」
キースの一言でバードは舌打ちをして白刃を鞘に戻す。
「怯えてるのか？キサマの大将」
「私の大将？」
「ああ」
「バード様、たしかに私はボイス様直属のＡ級ですが、同時にボイス様は深遠の探求者に
属する１２００教団員すべての頂点に立たれているお方です」
「だから、俺もあからさまに批判はするな、と。そういうことか？」
「はい」
「フン・・・まあいい、しかし１２００だと？」
「ええ。最近の活動が功を奏して、少し増えました」
「こういうクズどもが、か」
さっき自分が斬殺した男の死体にバードは視線を投げた。
「片付けとけよ。」
吐き捨てるようにそう言うとバードは通路の先にある扉へと向かう。そしてキースもそんな
彼の後ろをついて歩いた。
扉の先にあるのはバードが『仕事場』と呼ぶ１０メートル四方はありそうな広い部屋だった。
部屋にはダークファルスとその眷属を描いた、美しくもグロテスクな大小十数枚の絵が雑
然と置かれ、部屋中に油絵具と酒類の臭気が立ち込めている。普通の人間なら二分と留
まりたくない空気だが、二人とも気に留める様子は全く無い。バードはそばにあった木の
椅子に腰掛けるとそこに置いてあったウィスキーボトルの栓を外し、数口ラッパのみに飲
み、口を拭った。
「それで、何の用だって？」
「まずは、バード様が完成されたという絵を見させていただきに」
キースはそう言って、部屋に置かれている一番大きな油絵に目をやった。ダークファルスを
中心に置き、下にはダークファルスを目の当たりにした群衆が描かれている。数百に及ぶ
その群集の表情は恐怖、崇拝、恍惚、狂気などの多岐にわたり、一人として同じ表情の者
がいない。
「相変わらず、見事な腕ですね」
油絵をしばらく眺めてキースが言った。
「まだ持ってくなよ。乾くまであと二日はかかる」
「私はダークファルス様を見たことはありません。しかしそれを目の当たりにした群集の表
情には、強い現実感を覚えます」
「フン・・・」
キースの批評を受け流し気味に聞きながら、バードは手にした酒をあおった。
「そりゃそうだ。俺が昔、現実に見てきた顔を描いてるんだからな」
「・・・『ミブロ』にいたときに、ですか・・・」
「そういうこった」
軽くそう答えるとバードは手の中にあった酒瓶を空にした。そして席を立ち、無数の酒瓶が
並んでいる棚へと向かう。
「だが、お前がここに来たのも、絵の見物だけじゃねえだろ。」
言いながらバードはもう一本、今度は透明な蒸留酒の入った瓶に手を伸ばした。
「他に何がある？」
「ボイスの依頼を伝えにきました。任務は暗殺です」
「ほう・・・」
バードはニヤリと笑い、瓶を開けた。
「悪くねえな。で？誰を斬ればいい？」
「三日後にネオパルマを訪れる、現ネオアリサ政府官房長官・・・次期総督候補ナンバー
ワンを」
「・・・ジャン・フランか・・・」
「ええ。ボイスもそろそろ頃合だろうと。いかがです？ご都合が悪ければパペットマスター
に話を持って行きますが」
「やるさ」
キースの問いかけにバードは即答した。
「断る理由もないしな。だが分かってんだろうな？この手の仕事をパペットマスターやブラ
ウニーじゃなく俺にさせるってことは」
「派手になるでしょうね。派手な・・・打ち上げ花火に」
「ああ。そのつもりだ」
「どうせならもっと派手にしますか？トライデント様配下のＡ級、シーレンもつけて」
「やらねえだろ、あいつらは」
「まあ、それもそうですね」
「フフフ・・・」
「ハハハ・・・」
「クックック・・・」
「ハッハッハ・・・」
そして部屋に二人の狂気を帯びた笑い声がこだました。ひとしきり笑い終えるとバードは
手にしていた酒瓶をキースに投げ渡し、自身ももう一本、棚から取り出して栓を抜く。二人
は手にした酒瓶をグイと煽った
「我らが行く手に邪神の加護を」
「深遠の探求者に栄光を。バード様のご活躍・・・テレビで中継されるのを楽しみにしてい
ます」
手にした酒を一口飲み、口を拭ってキースは言った。その言葉に、バードは少し意外そう
な顔をする。
「お前は行かんか」
「ええ。少し、やるべきことができたので」
「ほう・・・どんなだ？」
「ネオアリサへ行ってきます」
「ネオアリサへ？」
キースの言葉にバードはもう一度、意外そうな顔をした。
「あそこはもうブラウニーとアルケミストが行っている・・・さらに増員か？」
「いいえ。私の目的は彼らとは異なります」
「ほう・・・？」
キースの言葉にバードは興味を持った。そしてキースは、そんなバードに言葉を続ける。
「あのお二人が行かれてからの情報を確認していたのですが、一人の人材がいたもので
スカウトしようかと」
「スカウト・・・またさっきの連中みたいなのじゃねえだろうな」
「まさか！未知数の部分はありますが、全体としては稀に見る逸材だと感じています。私
の・・・片腕として」
「キサマの片腕か・・・で、ボイスはそれを知ってるのか？」
「いえ、それはまだですが」
「言う気はあるのか？」
「ご想像にお任せします」
「まあいい。んで、用はそれくらいか？」
「ええ。それではバード様、ご武運を」
そう言ってキースは一礼をする。そして去り際に一つ、見るからに高そうな金色のネック
レスをバードに差し出した。
「これは？」
「メイ様が買おうとされていた物です。本来の発売予定は明日ですが。さっきのＤ級が持
って行ったリストからは外すように、あとで伝えておきます」
「おっかねえ男だな、お前は」
「光栄です」
苦笑するバードににこやかに笑ってそう言うと、キースは彼の居室をあとにした。
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（ようやく、ボイスも本腰になったようだ・・・そして、僕の望みにも近づいてる・・・）
（ただ、それまでに力は蓄えないといけない・・・己の力を蓄え、そして相手の力を測る、
そして・・・）
と、そこでキースは一度、考えるのをやめた。そして人差し指と中指を差し出すとそれに
テクニックのような力をこめ、自分の額にそっと当てる。
「トルーパ」
その言葉を口にした瞬間、キースの姿が廊下から消えた。そしてほんの数秒後、彼は教
団施設にある、別の部屋の前にいた。そして彼がドアを開けようとした所で、誰かが後ろ
から声をかける。
「いようキース、相変らず忙しそうだねえ」
皮肉っぽい声でそう言って出てきたのは３０代半ばの、小太りに太った男だった。サスペ
ンダーつきのズボンにチェックのシャツ、手足はやや短めで背丈も平均よりちょっと低い。
髪の色は薄い金色でクセっ気、そしてどことなく間の抜けた顔をしている男だった。
「ずいぶん待たせてくれるねえ、Ｓ級を待たせておいてさあ」
「・・・申し訳ありません。ダブルフェイス様」
イヤミったらしく言う相手にキースはそう言って頭を下げた。彼にダブルフェイスと呼ばれた
男はそんなキースを横目で見ながら「で？」と話を振る。
「何の用だねえ、俺に相談ってのはさあ」
間延びした口調でそう言うダブルフェイスの言葉にキースは襟を正し、口を開いた。
「シェリー・ハランツのことです」
「シェリー・・・ああ、あいつかあ。あれがどうかしたあ？」
「彼女がネオパルマに来てから一月近く経ちました。まだデータが乏しく、彼女自身の実
力については未知数ですが、アルケミスト様とトライデント様を相手にしても逃げ延びて
いることから私は・・・」
「単なるエヴィン・ハランツの娘って以上のことがあるんじゃないかって言いたいわけえ？」
「ええ」
ダブルフェイスの言葉にキースは頷いた。だがダブルフェイスは、そんなキースの返事を
鼻で笑う。そして彼の表情が、目に見えて変わった。
「アテになんねえよ。あの二人から逃げ回れてたって」
「それは・・・どういう意味でしょうか」
「トライデントのオバハンはＳ級でも一番のハト派だ。小娘一人、何も殺さなくてもとか、そ
んなことでも考えてるんだろ。そしてアルケミストは・・・」
そう言うとダブルフェイスは胸ポケットから一枚の写真を取り出し、ピンと指で弾いてキー
スに投げ渡した。
「これは・・・」
「見てのとおり、シェリー・ハランツの写真だ。発見場所は、アルケミストのハードディスク。
どう見ても情報収集用の隠し撮りじゃなくて、真正面からシャッター切った代物だ」
「・・・！！！」
ダブルフェイスが差し出した写真を見て、キースは唾を呑んだ。ダブルフェイスはそんな彼
の表情を見て満足そうに笑う。
「これが、どういう意味か分かるか？キース」
「い、いえ・・・」
「とぼけてんなよ、分かってるクセに」
「は、はあ・・・しかしアルケミスト様はＳ級でも最も教団への忠誠心が厚い方です。ダブル
フェイス様が言わんとしてるようなことは私には・・・」
「まあな」
意外なほどにあっさりと、ダブルフェイスはキースの言葉を肯定した。
「こっちだってヤツが裏切るなんて思っちゃいない。けど・・・」
「けど？」
「こういう写真を持ってるってこと自体、俺にしてみりゃ楽しいネタだ。それにその写真見
ろよ。化粧っ気がなくて俺好みじゃねえが健康美ってヤツか？こんなのに目の前でニコ、
とかされたら、思春期のボウヤはコロッと行くかもな」
「・・・・・・」
「もしそうなら、こいつは使える。色んな意味でな。そしてあらゆる意味で、放って置く手は
ねえ」
そう話すダブルフェイスの顔が邪悪に歪む。
「ひっ捕らえて、あとは煮るなり焼くなり・・・」
「しかしボイス様は・・・」
「お前が言わんとしてることは分かるさ。だが俺はダブルフェイスだ。俺の特技は・・・」
「人を操ること、でしたね」
「ああそうさ。人形使いのジジイとは別の意味でな。操ってやるさ・・・シェリー・ハランツも、
アルケミストもな」
大抵の人間が聞いたら嫌悪感を抱くような口調でそう言うと、ダブルフェイスはキースの
顔を見た。そして「準備がある」とだけ言い残すとキースに背を向け、自分の部屋へと戻
っていく。キースはそんなダブルフェイスの背中を見送ると一つため息をつき、クスと笑う
と、再び二本指を額に当てた。
「始まりの終わりとなる日々に」トップに戻る
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