昨日ブラウニーが戦い深手を負わせたという老人、彼の正体がディルナ・ロックフィールドだ
ということはまだ教団はつかめていない。そのことにアルケミストは苛立つよりもむしろ敵の
周到さに感心さえした。だがそこで彼は「けれどね」とつぶやいて一人ニヤリと笑う。
「人は一度立ち止まってしまえば何らかの痕跡は残してしまう・・・入院した病院のデータ、名
前はどうせ偽名だろうけど、訪問した面会者が三人・・・エヴィン・ハランツ、アーサー・ハラ
ンツ、それにユエリ・ロックフィールドか・・・エヴィン・ハランツ・・・」
彼の名を口にするとアルケミストの顔つきが少し鋭くなった。
「やっぱり関連があるのか？でも、あのお爺さんの行動に、誰かの影は見えない・・・それと
気になるのはこのユエリってお姉さんか・・・フィノ」
「ピイ？」
アルケミストの呼びかけにフィノは生気を取り戻し、クルと首をもたげた。それを見て彼はモ
ニタに写っているユエリをフィノに向けて指差す。
「この人のことを、ちょっと調べるんだ。わかったね？」
「ピイ」
「よし」
フィノの返事に満足そうにうなずくと、アルケミストはフィノについていたヘッドセットを外す。
そしてフィノは、部屋の窓から夜の空に向けて羽ばたいていった。
「さてと、あとは・・・」
アルケミストは手元にあったオレンジキャンディーを一つ口にするとまたキーボードを叩き
だした。今度は液晶モニタにマークの人物関係が表示される。
「現ネオアリサ政府官房長官ジャン・フラン・・・名字が違うから最初は気づかなかったけど、
マーク・ロンドの実弟だったのか・・・元格闘王で映画俳優の兄と、大物政治家の弟・・・す
ごい兄弟だな」
そんな二人のデータを見てアルケミストは苦笑する。そして「となると、本人がどこまで自覚
しているか分からないけど、お姉さんの背後には」と言いかけたところで、テーブル横に置
いてあるビジフォン（テレビ電話のような物）が鳴った。連絡元はネオパルマにある教団本
部と表示されている。
「はい、こちらアルケ・・・」
無造作に通話ボタンを押し、そう話し始めようとする。が、モニタに写る相手の顔に、彼は
一気に機嫌を悪くした。取らなきゃよかったと素直に思う。
「や〜アルケミストお、そっちの調子はどうだあい？」
「スウィンドル（ペテン師）か・・・」
「だから、その言い方やめろよなあ、こっちじゃボク、世間じゃハッピーマンって呼ばれてる
んだしさあ」
「そして、二つの通り名をあわせできたのが『ダブルフェイス』・・・」
「そおゆうことだねえ。でもこのビジフォン、感度いいねえ、全然タイムラグがないやあ。さす
が、『トライデント』のエレナおばはんが改造しただけのことはあるやあ」
「・・・用件なら、はやく言ってほしいんだけど」
元々アルケミストはダブルフェイスのことが好きではなかった。Ｓ級の中で一番、ソリが合わ
ないと言っていい。普段さして一緒に仕事をするわけではないが外見、やり口、口調、全て
が嫌いだった。そんな相手との会話にいらつきを隠さないアルケミストを、ダブルフェイスは
「まあまあ」とはぐらかす。
「そんな機嫌悪くしなあい、キミにちょっと、見せたいものがあるんだしさあ」
「・・・あまり期待してないけど、なんです？」
「これなんだけどねえ」
「・・・！！！」
モニター越しにダブルフェイスが見せたのは紛れもなく、自分がシェリーに頼んで撮らせて
もらったあの写真だった。一瞬で凍りつかせたアルケミストの表情を見て、ダブルフェイス
はすこぶる満足そうに笑い、口調を変える。
「いけねえなあ、こんなの隠し持ってちゃあ」
「貴様、それをどこで・・・！」
「言う必要はないよねえ？Ｓ級同士では、出し抜かれる方がマヌケなんだしよお。この写真、
どう見ても盗撮の類じゃねえよな？撮らせてくださ〜いとでも頼み込んだか？」
「何が言いたい！」
「ま、そういきり立つなってバルドちゃんよ」
「僕を本名で呼ぶな！」
「フフ・・・顔、耳まで真っ赤だって気づいてるかい？まあいい、もうじきアンタは、この俺に足
を向けて寝られなくなるんだしな」
「何を考えている・・・」
「なに、しごく単純なことさ。シェリー・ハランツをひっ捕らえる。それで教団の・・・いや、俺の
言いなりする。なんならアンタにも絶対服従するように仕込んでやろうか？ま、遠く離れた
ネオアリサで、結果を楽しみにしてなよ」
ダブルフェイスはそう言うと、一方的に通信を切断した。
「ＰＣに落としたデータはすぐに消したのに・・・ずっと、網を張っていたのか・・・」
悔やんでも悔やみきれない、アルケミストの表情からは、そんな心情が見て取れる。
「ダブルフェイスが、お姉さんを・・・？」
色々とイヤな想像がアルケミストの頭をよぎる。が、彼は頭をブンブンと振って、その考えを
否定した。
「心配してどうする・・・お姉さんは、敵なんだぞ・・・しかも背後には、予想以上に大きなバック
アップのある・・・レネゲイツとも、手を結ぼうとしている・・・敵、なんだぞ・・・そんなの相手に
教団内の人間が仕掛ける、それを、なんで・・・」
口の中に残っていたキャンディーを噛み砕くと、アルケミストは震える手でコーヒーカップを手
に取った。そしてまだ熱いその液体を、一息に飲み干す。
「勝てやしないさ・・・あんなペテン師が、お姉さんに・・・せいぜい、ほえ面かくがいいさ・・・」
乱れた呼吸でそう言うと、アルケミストは再びパソコン仕事に戻った。
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所変わってレネゲイツの本部、日曜の今日はシェリーもやって来ていた。そしてシェリーは、
ゴーツを除く団員全員を相手に、一対多数の組み手を演じている。
シェリーは上下黒のライダースーツのようなツナギの服を着用し、相手は手、足、それに木
刀などの武器を持っている者はその武器に、全員色違いでチョークの粉がたっぷりと塗り
つけてある。誰の攻撃がどれだけ当たったかを一目で分かるようにするためだが、シェリー
の服には誰の粉もついていない。そして全身擦り傷だらけの団員十名がシェリーを遠巻きに
攻めあぐねている所で、岩に腰かけていたゴーツの持っているストップウォッチがピピピと鳴
った。
「三十分だ！そこまで！！」
怒鳴り声でそう言うとゴーツはストップウォッチのボタンを押した。その声で団員達はやれや
れと言わんばかりの顔で座り込む。
「俺さ・・・女の子との組み手ってもっと楽しいモンだと思ってたよ・・・」
「俺もだ・・・すばしっこくて全然捕まらないわ、逆にこっちは散々に蹴り飛ばされるわ・・・」
「僕は投げ飛ばされたよ。ここ、下が砂だからいいけどさ・・・」
「ダテにゴーツさんと引き分けてねえ・・・」
「ま、悪いけどそれが実力差ってヤツね」
彼らのつぶやきを聞きながら得意げにそう言うと、シェリーはゴーツが投げたスポーツドリン
クを受け取り、一気に飲み干した。
「しっかしこういうの初めて着たけど・・・暑いわね、予想以上に」
言いながらシェリーはツナギのファスナーを真ん中まで降ろし、上の部分を脱いだ。ツナギの
下には濃紺のＴシャツを着ているが、そのＴシャツも絞れば汗が出そうなくらい、ぐっしょりと
濡れている。
「ねえゴーツ、シャワー借りていい？」
あっけらかんとした声でシェリーは言った。その一言にうなだれていた男達の耳がピクと反
応する。
「ああいいぜ。屋敷入って左の突き当たりだ。好きに使ってくれて構わない」
「ありがと。じゃ〜ね〜」
そう言ってシェリーは屋敷の方へと歩いて行った。そして彼女の姿が見えなくなると、団員
達も「俺、ちょっとトイレ」だの「あ、俺も」だの「ちょっと薬を取りに」だの言いながら腰を上
げようとする。が、彼らの動きはゴーツの「ちょっと待てお前ら」という一言でピタリと止まっ
た。
「な、ナンデスカ？」
「まさかこれから、覗きに行こうとか考えてねえよな？」
口元にうっすらと笑みを浮かべながらゴーツは言った。ただし、その目は笑っていない。
「な、ナンノコトヤラサッパリデ」
「そういやお前ら、シェリーにあの暑っ苦しい恰好させるの、やたらと勧めてたよなあ？」
「そ、それは単なる偶然と言うか、効率の良い方法を考えた結果論で・・・」
「・・・まあいい。どっちにしろ、十人がかりで一発もかすらせられなかったってのは酷すぎだ。
大した怪我もしてなさそうだし、第二ラウンド今すぐはじめるぞ。・・・俺は、アイツみたいに
優しくないからな？」
ちょっぴりドスの効いたゴーツの声に団員達の顔が一斉に引きつる。そんな彼らを前に、ゴ
ーツはユラリと立ち上がった。
「・・・あれ？なんか今、向こうで情けない悲鳴みたいなのが聞こえたような・・・」
今来た道の向こうから聞こえてきた声にシェリーは振り返り、首を捻った。ゴーツと一対一で
勝負してから一週間、副長だったカークスの策謀による誤解は証拠品のおかげもあって簡
単に解け、組織としての再建もはじまりつつある。シェリーは結局、週末に彼らのトレーニン
グや場合によっては工作活動の協力する外部スタッフのような立場に落ち着いた。微妙な立
ち位置ではあったが、組織にとっては紅一点になるからか、おおむねレネゲイツのメンバー
は歓迎してくれている。シェリーにしてみれば、こっちに来て初めて、とりあえず一歩前進した
気持ちになれた。
「となると次はやっぱり・・・もう少し情報が欲しいわよね。教団のＳ級ってのも、実際まだまだ
素性が分かんないし、それにマークさんの話だと、アルがネオアリサに・・・しかも、ジニーと
会ってた・・・どうしようかしらね、これから・・・」
・
・
・
「何も考えなくていいと思うよお」
「！？」
茂みの先から突然聞こえてきた間延びした声にシェリーはビクと反応した。
「て言うかさあ、キミ、たぶんそんなこと考える余裕なくなるしい」
「誰！」
茂みに向かってシェリーが叫ぶ。すると茂みの中から小太りした男が出てきた。のそのそと、
シェリーから見たら呆れるほど無防備に。男はシェリーのことを上から下までジロジロ見ると、
ヒュウと口笛を吹いた。
「なるほどねえ、写真よりも現物の方がいいやあ、バルドの坊やが夢中になっちゃうのも分
かるねえ」
「バルド・・・？それってもしかして・・・アルの、本名・・・？」
「あら、知らなかったあ？そうだよお、バルド・セプトってのがあの坊やの本名さ。けど彼の
こと『アル』なんてあだ名で呼んじゃうなんて、もしかして・・・思ってたよりもラブラブ？」
「バカ言いなさいよ！」
相手の言うことにシェリーは半ばムキになって反論する。と、そんなシェリーの顔を見て、男
はまた、ニヤニヤと笑った。
「スレてないねえ、ホント、元気なカタギのお嬢さんって感じだあ。ただ、そんな顔はボクの好
みじゃあない。圧倒的な力に抗う術を知らず、怯えて、震えて、『なんでもしますから許して
ください』みたいに哀れみを請うような顔のほうが、好みだねえ」
「悪いけど、アンタの下衆い趣味に合わせる気なんてさらさらないわ。深遠の探求者の幹部
さん」
「へえ・・・いい勘してるねえ。どうして分かった？」
「バカにしてる？アルの本名知ってるなんて、教団の幹部クラスに決まってるでしょうに。ま、
そんなの抜きにしても、アンタの顔は悪役丸出しだけどね」
「言うねえ、シェリー・ハランツ」
「・・・自己紹介は、必要ないみたいね」
男の言葉に対し、シェリーはそう言って挑発の眼差しを送った。
「けど、こっちはアンタのこと知らないんでね。名乗ってくれるとありがたいんだけど」
「いいよお、僕の名前はダブ〜ル・フェイス、深遠の探求者、Ｓ級の一人さ」
「ダブルフェイス・・・それって、カークスが言ってた・・・」
「カークス？誰だい？それ」
シェリーの言葉にダブルフェイスは不思議そうな顔をする。
「知らないワケないでしょ、アンタの部下なんだし、レネゲイツの壊滅作戦が成功していたら
Ａ級に取り立てるって言われてたみたいだから、教団でもそれなりの地位にいただろうし」
「・・・・・・」
シェリーがそう言うとダブルフェイスは沈黙した。そして少しすると「ブフッ」と吹き出し、やが
てゲラゲラと爆笑しだす。
「そんなの覚えてるわけないじゃあん、何人に言ったと思ってるのさそのセリフ」
「・・・！」
「言葉で釣って手柄を立てたら横取りして消す、立てられなかったら笑顔で肩を叩いて、何
やかんやでコキ使う、それがボクのやり方なんだからさあ」
「・・・外道・・・」
「ハハッ！嬉しいねえそのセリフ、ボクには誉め言葉だよその言葉も、そして青臭い正義感
の怒りに満ちた、その顔も」
シェリーの表情をあざ笑うかのようなダブルフェイスの表情だった。そしてそこまで言うと、彼
の目つきと表情は、別人のように悪くなる。
「しかしシェリー・ハランツ、やっぱりテメエは、Ｓ級を甘く見てたみてえだな」
「・・・どういう意味かしら？」
「テメエがこれまで見てきたＳ級はアルケミストとトライデント、一人は思春期のお坊ちゃんで、
もう一人はＳ級イチの穏健派だ」
「穏健派・・・エレナさんが？」
「ああ、アイツの開発品も他組織の攻撃よりも自組織の防衛目的がメインだしな。バカな女さ、
組織に騙され、利用されてるとも知らねえでよ」
「・・・そう・・・それを聞いて、少し安心したわ」
そしてシェリーの足は大地を踏みしめた。上を脱いでいたライダースーツも袖だけは通す。
「情報ありがと。その言葉、さっそくエレナさんとシーレンに伝えさせてもらうわ。・・・アンタを、
叩きのめしてね！」
「やってみなよお、やれるモンならさあ」
再び間延びした声と緊張感のない顔でダブルフェイスが言いかける。だが彼の言葉が終わら
ないうちに、シェリー音速の膝蹴りがダブルフェイスの頬をかすめていた。
「うわっ！」
シェリーの急襲にダブルフェイスはみっともなく尻餅をついた。そんな相手の背中を、今度は
ローキックが狙う。それも何とかかわすと四つん這いのままわたわたと木の幹へと走り出した。
（こいつ・・・ホントに弱い？）
相手が演技でやっているのか、それとも本当に運動神経がないのか、シェリーくらいになれば
見れば分かる。そして今のダブルフェイスの動きは、まぎれもなく運動神経ゼロな人間のそれ
だった。ダブルフェイスは木の幹にもたれかかえると上着の袖で冷や汗を拭う。
「いやあ、すごいやあ。切れ味って言うの？まるでバードの刀みたいだあ」
「・・・バード？」
「Ｓ級の一人だよお、剣を持たせたら教団最強のさあ。おっかない人だよお」
「・・・どんな人か知らないけど、そんな人の剣と同列ってのは悪くないわね。で、まだ続ける？」
「もちろんさあ、だってこれからキミはダブルフェイスの前に無様に敗れて、教団に連行される
運命なんだから」
「そういうのは・・・夢で見てなさい！」
苦虫を噛み潰したような顔で、こめかみにはうっすらと青筋を浮かべ、シェリーは木の幹にもた
れかかるダブルフェイスに殴りかかった。だがダブルフェイスは平然とした様子で、その場から
ピクリとも動こうとしない。
「いくわよ・・・音速拳！」
「どうぞお」
あくびすら浮かべるダブルフェイスに対し、凛とした表情のシェリーが放った拳は音速の壁を突
き破り、乾いた音を空気中に響かせた。
・
・
・
・
・
「え・・・・・・？」
１秒後、シェリーの顔には戸惑いの色が強く浮かんでいた。目の前のダブルフェイスはその場
から一歩も動いていない。自分の拳も、相手の顔面目がけ寸分狂わず放たれた筈だった。だ
が今、シェリーの拳は相手の顔どころか木にも当たらず、軌道を大きく逸らして空を切っていた。
「どうしたのお？もしかして、扇いでくれたあ？」
「くっ・・・」
シェリーはもう一度、音速拳を放った。しかし当たらない。連撃にしても、蹴りにしても、間合い
を取って足元にあった小石を蹴りつけても、すべてダブルフェイスの前で急激に軌道が変わり、
彼から大きく逸れていた。
「不思議だろお？だから言ったのさ。これがボクの力・・・古代の力、『マジックバリア』さ」
「マジック・・・バリア？」
「そう、あらゆる攻撃を阻む邪神の加護。シェリー・ハランツ・・・キミにこれが、破れるかな？」
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