「他愛ない…」
アーサーが動かないのを確認すると、キースはジニーに目をやった。兄が痛めつけられ
ていたのを見ていたのに、表情には少しも変化が見られない。無表情でただじっと、アー
サーへ視線を向けていた。
「それでいい」
キースはジニーの頭を軽く撫でた。
「今の君に必要なのは、何事にも動じない心だ。肉親ゆえの同情も、才能に蓋をしていた
者への憎しみも要らない。ただ静かに…」
だが言葉の途中でキースは背後から別の気配を感じ、言葉を止めて振り返る。
「ネズミがもう一匹やって来たか」
キースがその言葉を向けた先にいたのはユエリだった。傷つき倒れたアーサー、異常な
雰囲気のジニー、そして隣にいる怪しい男という組み合わせにユエリは息を呑む。
「胸騒ぎがして駆けつけてみたら…どういうことなの？この状況」
「ユエリ…ちゃん…」
駆けつけたユエリの姿を見てジニーは棒読みに名前をつぶやく。するとキースはジニー
の肩に軽く手を乗せた。
「彼女がユエリ・ロックフィールドかい？ならばちょうど良い、君が得た力を彼女にも見せて
あげるといい」
「…はい…」
キースの指示に頷くとジニーは右手をユエリに向けて突き出した。
「ジニー？」
ジニーが醸し出す、ありえないほどのプレッシャーにユエリは身構える。瞬間、ユエリの真
横に一条の雷が落ちた。雷はアスファルトに穴を開け、ブスブスと焦げた臭いを立てる。
「………」
「今のがタンドレ、空気中の静電気を収束させ、落雷とするマジックだ」
言葉を失ったユエリにキースが解説する。
「ユエリちゃん…私、見つけたんだよ…お姉ちゃんやお兄ちゃんとは違う、私だけの道を…
ねえ、誉めてよ…」
「ふぅ…」
ユエリは眉をひそめ、ため息をついた。
「ジニー、その前に一つ聞かせて。今の力を、何に使うの？」
「何…に？」
「一般人が攻撃系のテクニックを使うことは法律で禁止されているのは知ってるわよね？
使い所のない力をどこで使うの？そして…」
ユエリは鋭い視線でキースをにらみつけた。
「アーサーをボロ雑巾にして、使い所の無い上に危険な力をジニーにつけさせたあなたは
どこの悪党？」
そこまで言うとユエリは両手にバルキリーロッドを持ち、構えた。
（あの武器…ただの鈍器ではないな。使い手にその自覚は無さそうだが。まあいい、アー
サー・ハランツよりはできそうだが、敵じゃない）
だが、そう思ったキースが攻撃を仕掛けるよりもはやく、ジニーが再びユエリの身をかす
めそうな位置にタンドレを落としていた。しかも二発、三発と立て続けに。
「なんで…なんで誉めてくれないの！？私…頑張ったのに！！ユエリちゃんが言ったみた
いに！！頑張ったのに！！！」
「ジニー」
半分泣きながらタンドレを連発するジニーの肩を、キースは軽く叩いた。それだけでジニ
ーの動きはピタリと止まり、またさっきと同じ無表情になる。
「だそうだよ、ユエリ・ロックフィールド」
軽く咳払いをしてキースは言った。
「君の言葉も発奮材料になってたんだ。誉めるか、せめて謝ってあげないと可哀想じゃない
か」
「そうかもしれないわね…けどそれは、あなたを倒してからさせてもらう！」
刹那、ユエリは飛び出していた。キースとの距離は直線距離で約１０メートル、その距離の
半分を、ユエリは最初の一歩で詰めた。
「もうこれ以上…」
次の一歩でユエリは斜め上に跳び、石壁を蹴り上がった。
「やらせないっ！」
三歩目で石壁の上からも跳躍する。その跳躍で、ユエリは屋根の上のキース達よりも上空
にいた。しかしその勢いに対してキースは嘲りの表情しか浮かべていない。
「上空は身動きが取れず不利になる。命あれば、覚えておくといい」
攻撃を仕掛けるユエリをあざ笑い、キースは腕を突き出した。そしてヒューンを放つが、ユ
エリは自身の急所のみを的確に覆い、攻撃重視の最小限の防御で致命傷を的確に防ぐ。
「でも勢いは増す…喰らえバルキリーレイド！」
自身の軽量を補う、上空からの重力と加速をつけた一撃、二本のロッドはキースの両鎖
骨を正確に狙っていた。
だが、振り下ろしたロッドがキースに届くことはなかった。ジニーが、キースの前に立ちは
だかったからである。
「うそ…」
キースの前で両手を広げ、ジニーは虚ろな目でユエリを見ていた。キースがジニーを楯に
することは想定していたが、これは完全に想定外だった。振り下ろしかけた腕がピタリと止
まり、頭の中が真っ白になる。
「甘いな」
（しまっ…！）
我に返ったユエリが再び防御するよりも速く、キースの左腕がギバータを放った。以前ユ
エリが倒したカオスソーサラーのと同じ技だが、威力は比べ物にならない。あのときの氷塊
が拳大だとしたら、今回のはバレーボール並の大きさがあった。硬さも、速度も、何倍も上
だった。
「うああっ…！」
氷の弾幕を空中で喰らい、ユエリは５メートル以上弾き飛ばされた。だが幸い、飛ばされた
先はゴミ捨て場で古新聞が山と積まれていた。それがクッションになりダメージを抑える。しか
しそれも、意識を飛ばさずに済んだだけで、立ち上がることはできない。
「ジニー、君もやってみるといい」
それでも何とか立ち上がろうとあがくユエリを見てキースは言った。
「そうすれば彼女も考えを改めるかもしれないし、何よりジニー、君はまだ人間相手に力を
使ったことがない。一度試してみることも必要だ」
「………」
キースの言葉に無表情だったジニーがブルブルと震えだした。瞳には明らかに動揺が見
える。
「私の指示に従えないのか？」
その一言でジニーの震えはもっと強くなった。それでもジニーはゆっくりと腕を上げ、掌を
ユエリの方へ向ける。
だがその手が淡い緑色に包まれ出したのを見ると、キースはその手を強く掴んだ。
「それはメディスだ。気が動転して間違えたか？」
「あ…ああ…」
「私が見てみたいのはこういう技だ…ディストーション！」
「！！」
形容のしがたい激痛がジニーの全身を包んだ。体の内側からも、外側からも歪められ、
シェイクされるような感覚。キースはすぐに解除したが、それでもジニーは両膝をつき、涙
目で苦しそうに咳き込んだ。咳には、少しだけ血が混じっていた。
「ジニー、もう一度だ。タンドレ、ヒューン、フレエリ、テクニック系でもいい。攻撃の技を、ユ
エリに叩き込むんだ」
「………」
「さっきのディストーションは出力１０％程度、次は３０％くらいを体験してみるか？」
「………」
「ジニー！」
キースはジニーを恫喝した。そしてもう一度ディストーションを出そうとするが、突然彼は、
背中に大量の氷を流し込まれたかのような感覚に襲わる。
（まさか…エヴィン・ハランツ！？）
額に一筋の冷や汗を流し、キースは振り返った。だがそこにエヴィンはいない。いたのは
彼の息子、アーサーだった。
（なん…だ？この感覚…）
アーサーの雰囲気は、ある意味エヴィンが目の前にいるよりも気味が悪かった。いつの
間にか立ち上がり、幽鬼のような足取りでこちらに迫ってきている。しかも彼を包み込んで
いる空気は明らかにこれまでとは違い、そしてキースが見てきたどんな力とも異なっていた。
「…守るんだ…僕が、守るんだ…」
うわごとのように呟いたアーサーの一言に、キースはベッと唾を吐いた。
「寝ていればいいものを…しぶとさだけは人並み以上と言うことか」
うんざりした顔で、キースはもう一発フレエリを放った。棒立ちのアーサーに、それを避け
ることはできない。さっきと同じように吹き飛ばされ、同じように壁に叩きつけられる。だがす
ぐに立ち上がり、またキースに向かい始めた。
（バカな…）
「アンタ…悪党なんだろ」
ゆっくりと頭を上げると、アーサーは静かに言った。
「分かるんだ…あなたは人を不幸にする人…ジニーだけじゃない…ユエリだけじゃない…あ
なたがいると、それだけで多くの人が不幸になる…きっと、僕が見たことのない人も沢山…
しかもあなたは、それを望んでいる…人が不幸になるのを、喜んでいる…」
口を動かしながら、アーサーは歩き続けていた。一歩ごとにその足取りは速く、そして力強
くなってゆく。
「雑魚がっ！」
気圧されながらもキースはヒューンを放った。だが今度はアーサーの皮膚の表面を浅く傷
つけるだけで、そよ風のように消散する。
「…どうやら本当に死にたいらしいな…」
「僕はお前を許さない…この怒り…これがある限り、どんな攻撃も耐えてみせる…そして…」
「その戯言、時空の狭間でほざいてろ！」
怒声とともにキースの体から出る魔力が爆発的に膨れ上がった。が、瞬間、ジニーがキー
スの腕を掴む。
「何をしているジニー！」
キースは一喝するがジニーは離さない。表情は正気を取り戻していた。瞳いっぱいに涙を
ためて、声の限りに叫ぶ。
「二人とも！逃げてぇっ！！！」
同時にジニーの掌が再び光りだした。色はさっきジニーが使ったタンドレと同じ色、そして
手は明らかにキースに向いている。だがそれよりも速く、キースは彼のテクニックを発動させ
た。
「フォール！」
相手のテクニックを全て無効化するタイム系のテクニック、それを受けてジニーの手を包ん
でいた輝きは一瞬で消えて無くなる。
「ジニー、今の行為の代償は、安くない」
氷のような目で言ったキースの言葉にジニーの顔は恐怖に染まる。
「ジニー！」
だが同時にアーサーも飛び出していた。まるで瞬間移動のような、誰の目にも留まらぬ速
さで肘撃ちをしながら飛びかかる。だがそれも一歩及ばず、アーサーの目の前で二人は光
に包まれ、そして消えていた。
「う…う…うぉぉぉおおおおおっ！！！！！」
屋根の上でアーサーは叫んでいた。それは周囲の空気全体が震えるような、そばにいた
ユエリがこれまで聞いたことのないくらいの、悲しみに満ちた叫び声だった。
アーサーの心を映したかのような大粒の雨が急に降り出した。雨の音が、アーサーの叫び
声をかき消す。そしてかきけされたその声さえもおさまると同時に、彼の意識は急激に遠の
いていった。
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