〜始まりの終わりとなる日々に〜

「ジニー」
　手首を掴んだまま、ジニーの顔も見ずにキースが言った。
「さっきのは、なんだ？」
「……？」
「私が君を傷つける筈が無いと思ったか？君なりに、確実に私を討てる計算があったか？
それとも後先を何も考えない、無我夢中の行動だったか？」
　そこでキースはジニーの方に目を向けた。そして蒼白なジニーを見て軽く笑う。答えを聞
くまでもない、そう思った顔だった。
「君にとって兄弟とは我を忘れるほど必死になる対象なのか。だがジニー、君にとって家
族とは本当に、そこまでしなければならない対象なのか？たとえば…」
　言いながらキースは懐から一枚の写真を取り出し、ジニーに渡した。瞬間、ジニーの顔
が凍りつく
「？…！！！！！」
　それはシェリーとアルが一緒に食事をしているときの写真だった。どこかのレストランで
二人きり、野菜サラダをつつきながら談笑している。本当はこれから間もなく一触即発の
雰囲気になるのだが、写真はそれを伝えない。
「お姉ちゃんとダニエ…アルケミスト…さん？」
「あらかじめ言っておくが、合成ではない」
　目を白黒させるジニーをキースは鼻で笑う。
「知らなかったようだな。二人は非常に仲が良いことを。相思相愛…そう言ってもいい関
係だということを」
「そ…相思…ソウアイ…」
　凍り付いていたジニーの視線が今度は宙をさまよい始めた。
「で、でもアルケミストさん…私よりちょっと上くらいだったのよ？お姉ちゃん、私より６つも
年上なのに…」
「そうだな。けれどテレビを見れば分かるだろう。二人の年齢がもう少し上がれば、これく
らいの年齢差は珍しいことではないことがな。そしてジニー、君の大好きなお姉さんは君
にこのことを伝えていなかった。これが何を意味するか分かるか？」
「え…えっと…て、照れてたとか…」
「言ってて虚しくならないか？」
　しどろもどろなジニーの答えをキースは冷笑する。
「恐れていたのだよ。君が彼の存在を知ることを。知れば、競争相手になると思ったから」
「やめてください！」
　耳を塞ぎ、ジニーは叫んだ。だがキースはその手をゆっくりと引き離す。そして
「それなら君はどうする？」
　と、彼女の耳元でささやいた。

「どうするって…」
「シェリーがいる限り、お前の想いは決して実を結ばない。常に近くにいながらもその存在
は歯牙にもかけられず、どう足掻いても恋人の妹くらいにしかならない。それは、遠く離れ
てしまうよりも辛いことだ。しかも…」
「しかも？」
　ジニーは不安そうな表情で、キースのことを上目遣いに見る。
「お前の気持ちを知ったら、シェリーはお前を疎ましく思う」
「お姉ちゃんが私を？そんな！そんなこと絶対ない！！」
　今まで出したことがないくらいに声を張り上げてジニーは叫んだ。しかしそれも、キース
の冷笑しか誘わない。
「ではどうすると？言っておくが人はモノとは違う。分けることはできない」
「それでも…それでもお姉ちゃんはそんな人じゃない！何も知らないくせに、勝手なこと言
わないで！」
「………」
　その一言でキースの顔は明らかに不機嫌になった。
「勝手なこと…自分の立場もわきまえない小娘が何をほざく」
　言葉と同時にキースは指をパチンと鳴らす。瞬間、ディストーションが再びジニーを襲っ
た。威力も前回より数段強まっている。ジニーは大きく身をよじらせ、悲鳴をあげた。
「うぐっ…あっ…うあああっ…！」
「ジニー、現実とは君が思うように甘く優しいものではない。この技のように辛く、苦しく、身
を捻じられる物だと…」
　だがそういいかけたところでキースの言葉が止まった。
（これは…）
　ディストーションの力場の中、ジニーの魔力が急速に増大していくのを感じる。
　キースのディストーションと、それを内側から破ろうとするジニーの魔力が中間層でぶつ
かり合い、ピシッ・ピシッと鞭を打つような音が廃ビルの一室に響き渡る。
「こんなものっ…こんなものっ…！」
　ジニーがそう言うと同時に、彼女の魔力はさらに爆発的に膨れ上がり、二人の魔力の衝
突音も大きさを増した。そしてキースが耳を塞ぎたくなるような大音量の衝突音が三回くら
いしたところで、ガラスが派手に割れるような音とともにキースのディストーションは吹き飛
ばされていた。
「ハア…ハァ…」
（今のは技術じゃない…完全に力技だ…力技だけで、私のディストーションを…）
　うつむきながら、ジニーの呼吸は荒かった。そんなジニーを見て、キースの身体がブル
と震える。
「フフフ…ハハハハハ！これほどか！これほどの力が俺のモノになるのか！！！」
　部屋に響く狂気の笑声に今度はジニーがブルと震えた。だがその震えを堪え、右腕を
突き出す。そしてそれでも収まらない震えを抑えるため、左手を手首に添える。
「う…撃つよ！ホントに…ホントに撃つよ！！」
「やってみるがいいさ…いや、そんなことを言う暇があるのなら、すでにやっているべきだ。
俺の世界では言葉を言ったとき、すでに行動は完了していなければならない」
「…フレエリ！！」
　見下しきった口調のキースに、ジニーはマジックを放った。特大の火球四つが一つに収
束し、一直線に飛ぶ。
　だがそれは、キースの真横をかすめ、ビルの壁に穴を開けただけだった。
「人を殺めたことなどない…それどころか人に対して暴力を振るったことも、振るおうと考
えたことさえもない、だから力を振るおうにも加減が分からない…やりすぎたら怖い…いか
に秀でた力を持っていようが、そんな人間ができるのは威嚇までだ」
　言いながらキースは胸ポケットからゆっくりと煙草を取り出し、火をつける。壁に寄りかか
り紫煙をくゆらすキースに、ジニーは身動き一つできなくなった。
「火が気になるか？」
「え？」
　その言葉にジニーが気を取られた瞬間、キースは持っていたタバコを弾いた。ひそかに
微弱なヒューンがこめられたタバコは一直線に、ジニーが予想していなかった速さで彼女
の顔面めがけて飛ぶ。
「わっ…」
　ジニーは完全にタバコに気をとられ、キースから視線を外した。その隙に、キースはジニ
ーの懐にもぐりこみ、左手でポンと肩を叩く。
「ひっ…！」
　考えるよりも早く、ジニーの顔が恐怖で引きつった。そしてズンという鈍い音とともに、キ
ースの右拳がジニーの腹部に深々とめりこむ。
「あぅ…」
　ジニーは気を失い、前のめりに倒れる。キースは手を差し伸べ、それを受け止めた。
「逆に戦い方を知っていれば相手を必要以上に傷つけず、かつ自身の消耗も最小限で対
象を無力化することもできる。こういう小技、シェリー・ハランツは得意な筈だがな」
　だがその言葉はジニーの耳には届かない。ジニーが完全に気を失っていることを確認
すると、キースは自身の右手をジニーの顔にかぶせた。
「さよならだ、ジニー・ハランツ」
　そしてキースの手は、目も眩むほどに明るい、緑色の光を放った…

・
・
・
・
・

「う…や、やめろ…やめろおおおおおっ！！！！」
「アーサー！？」
「！！？」
　自分を呼ぶ声でアーサーは身を起こし、びっしょりと汗をかいた顔で辺りを見回した。
「ここは…」
「教会のゲストルームよ」
「ユエリ…」
　隣にいたユエリが力無げにそう言って頷いた。彼女もまた、憔悴した顔をしている。心
なしか瞳が赤く、目の周りが腫れぼったい。
「ごめんアーサー…ジニー、守れなかった…」
「………」
　アーサーは呆然とした様子でユエリを見た。まだ頭がボーッとしている。
　だが気持ちが落ち着いてくると、昨晩の戦いのことが少しずつ脳裏に甦ってきた。誘
拐犯の男の冷酷な視線、生気を失って虚ろだったジニーの瞳、そしてそのジニーが正
気を取り戻し、最後に自分に見せた絶叫…
（あれから僕は生き延びたのか…けど、ジニーは…今のは…本当にただの夢だったの
か？もしそうじゃなかったとしたら…）
　そんなことを考えると、アーサーの気持ちはどんどん沈み、目頭が熱くなってきた。横
で落ち込み、憔悴した様子のユエリに何か言葉をかけたいが、口を開いた瞬間に、こら
えている涙があふれ出しそうで何も言えない。
　だが、そんな二人の空気を救うかのように、誰かがドアをノックした。
「…どうぞ…」
　力の無い声でユエリが言う。するとドアが開き、エヴィンが入ってきた。

「…二人とも、そんなに自分を責めるな」
　開口一番、二人を見たエヴィンが言ったのはその一言だった。
「アーサーが寝ている間、ユエリからも話は聞いたよ。そして教団のデータベースも調べ
た。誘拐犯の名前はキース・ドーシュ、教団のＡ級幹部の一人でまず間違いないだろう」
「キース…」
「…ドーシュ…」
　アーサーとユエリがその名前を口にしてからまた、長い沈黙が訪れた。
　だがしばらくして、やっとアーサーが口を開く。
「父さん、そういえば仕事は？」
「休みをもらったよ。二週間ほどな」
「二週…そんなに？」
　アーサーとユエリは異口同音にそう言うとエヴィンの顔を見る。そんな二人にエヴィンは、
いつもと変わらぬ口調で話を続けた。
「今朝、学部長と相談してな。それが今僕が、職場を抜けられる精一杯だ。二週間で教団
を壊滅させるのは難しいが、ジニーを助け出すのと、教団のＳ級幹部を一人潰すのくらい
はできるだろう。そうすれば、教団に対して十分な牽制にはなる」
「父さん…戦うの？」
　おそるおそる確認するアーサーに、エヴィンは無言で頷く。だがアーサーがベッドから身
を乗り出し、“だったら僕も！”と言った瞬間、エヴィンは強い姿勢でそれを制した。
「アーサー、お前は家にいるんだ」
「どうして…」
「母さんが、かなり参ってる」
「母さんが…」
　言われて、アーサーはハッとした。なんのかんのでシェリーのことを一番心配していたし、
ジニーの誘拐でかなり憔悴していた。そこに自分が大怪我をしたなんて話を聞いたら、倒
れて寝込んでいても不思議じゃない。
「そばにいてやってくれ」
「うん…」
　リビアへの申し訳なさでいっぱいの顔で、アーサーは即答した。エヴィンは、そんな息子
の顔を見て穏やかに笑う。そして帰ろうとしたところで、ユエリがエヴィンを呼び止めた。
「あの…エヴィンさん…それ、私は一緒に行っていい？」
「君が？」
　心底意外そうなエヴィンにユエリは本気の視線で返す。
「ええ。敵地に潜り込むときはチームを組むのが基本だし、私もジニーや教団のことは気
になるから」
「ふむ…」
　エヴィンはユエリの顔を見た。そして何かに気づいたらしく、口元に少し、意地の悪そうな
笑みを浮かべる。
「なるほど。だがどうやら、それだけじゃなさそうだが？」
「やっぱり、鋭いのね」
「ユエリ…？」
　訝しげなアーサーを見てユエリは苦笑する。
「今の言葉も言葉で嘘じゃないわ。けど、お爺ちゃんのことを聞きたいってのもある」
「ユエリの爺さんって…ディルナ・ロックフィールド…」
「ええ。エヴィンさん、知っているんでしょう？あの人がどんな人なのか…」
「ああ。たしかに、あの人のことを話すとしたらかなり長い話になるな。分かった、きちんと
司祭の許可を得てくることと、同行先では必ず僕の指示に従うこと、この二つが守れるの
ならいいだろう」
「はい！ありがとう、エヴィンさん…」
　明るい口調で返事をすると、ユエリは部屋から飛び出して行った。

そしてそれから半日後、夕方…

「大丈夫か？」
「はい…」
　エヴィンの言葉にユエリは頷き、そして大きく息を吸い込んだ。
　あれから二人はすぐに出発した。エヴィンの運転で向かったのはニーヤにある教団支部。
少し前にはディルナが壊滅的な打撃を与えたところである。建物の外観からすると、今はど
うにか復旧しているようだった。
（聞きたいこと、山ほどあったのに…）
　ティリアからニーヤまでは車で五時間、途中で二回パーキングで休憩もしたが、運転の間
も、休憩のときも、結局とりとめのない話しかすることができなかった。
「僕が一人で行ってもいいが？」
　気疲れしているユエリを心配してエヴィンがそう聞くが、ユエリは首を横に振る。
「わかった。それじゃあさっき言ったとおり、僕の指示には必ず従うこと、そして僕の名前は
呼ばないこと、いいね？」
「はい…」
「よし、なら行こう」
　言いながらエヴィンは教団の入り口に手をかけた。

　 「初めての方のようですが…礼拝に来られましたか？それとも入会希望者ですかな？」
　中に入るとすぐ、二人の姿を見つけた小柄で少し太った６０がらみの男が話しかけてきた。
周囲の彼に対する態度からして、どうやらここの支部長らしい。だがエヴィンは首を横に振
ると、刺すような眼光で支部長を見た。
「教団幹部の一人、キース・ドーシュと連絡を取りたい」
「………！」
　エヴィンの一言で支部長の顔色が変わった。だがすぐに表情を元に戻す。
「キース…いえ、そのような方は存じ上げませんが…」
「そうか」
　だが静かな口調でそう言った瞬間、エヴィンは支部長の胸倉を掴み上げていた。
「な、何をなされます…！」
「今一瞬見せた表情、これ以上わかりやすい反応は無いな。言うんだ、キース・ドーシュは
どこにいる！」
「ぐっ…ぐぅ…」
　支部長は苦しそうに右腕を上げた。直後に、エヴィンとユエリに拳銃を持った男達六人が
立ちはだかる。
「支部長から手を離せ。そうでないと…」
「撃つと？それなら僕はこの支部長を盾にするけど、どうする？」
「くっ…」
　エヴィンの言葉に銃を持った男達は歯噛みした。支部長は決死の形相で、自分に構わず撃
ち殺せと叫ぶが誰も引き金を引く者はいない。この支部長、仲間内での人望は、どうやらそれ
なりにあるらしかった。
　だがユエリにはエヴィンの行動は不可解だった。このまま教会の出口まで歩いて行けば、こ
こから脱出はできるだろう、けれどそれでは何の意味も無い。ここでキースの所在に関する情
報を手に入れることが、そもそもの目的なのだ。
　そしてこのまま双方打開策もなく膠着状態に陥るのかとユエリが思い始めたところで、エヴィ
ンは口を開く。
「考えてみると、拳銃というのは最良の選択肢なのかもしれないな。誰も傷つくことがない」
（………？）
　エヴィンの独白に場にいた全員が呆気に取られた顔をする。だがエヴィンはそれに構うこと
なくユエリの方を向き
「もっと近くに来るんだ。そして何があっても、僕から離れないように」
　と指示をした。それにユエリが言われたとおり、自分のそばにピタとくっつくとエヴィンは支部
長から手を離し、彼の背中をドンと押す。
（えっ？）
　ユエリ、支部長、そして銃を構えた六人…つまりエヴィンを除く全員の共通した反応がそれだ
った。
　エヴィンに言われたことを守るまでもなく、ユエリは凍り付いている。
　背中を押された支部長はバランスを崩し、前のめりに石畳の床に倒れこむ。そしてすりむい
た鼻を押さえながら立ち上がり、狂気の形相で部下に発砲を命じた。
「撃て！撃てぇえええっ！！！」
　支部長の叫びで六人は我に帰る。目の前にいるのは凍りついたユエリと相変わらず余裕の
表情を浮かべているエヴィンだけだった。
「死ねえっ！」
　銃口をエヴィンに向けなおすと六人は立て続けに引き金を引いた。

　だが次の瞬間、彼らは信じられないものを目撃していた。エヴィンが突き出した右手を中心に
青黒い霧状の何かが発生し、全ての銃弾を防いでいたのである。
「どうした？もう弾切れか？」
「うっ…うるせえぇぇぇぇぇっ！！」
　挑発に乗った彼らはさらに引き金を引き、あらん限りの弾丸を撃ち尽くす。だがそれらは全て
エヴィンの力に遮られ、彼の身体には届かない。やがて彼らの拳銃は、いくら引き金を引いても
カチカチという乾いた音しかたてなくなった。
「どうやら本当に、弾切れのようだな」
　その言葉とともに盾は消える。そして誰もが言葉をなくしている中、鉛玉が石畳に落ちる音が
施設内に響き渡り、次に彼らが手にしていた拳銃の落下音が響き渡った。
「そ…そんな…貴様、一体…」
「自分が正義だとは思わない…だがキース・ドーシュが犯した罪と過ちは、警察よりも先に私が
彼に償わせる」
　震える言葉の支部長を見下しそう言うと、エヴィンは闇の力をセイバーにして彼の首筋に突き
つける。
「この力は盾にもなれば剣にもなる。剣としての力を使う前にこちらに協力してもらえると、この
場にいる誰もが傷つかずに済むのだが」

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