「マスター、キース・ドーシュの反応、テレトランシリーズ全機から消滅しました」
同じ頃、スパイ衛星を通じて一部始終を見ていたシーレンがエレナに伝えた。その報告
を聞くと、エレナは軽く腕を組んで上を見上げる。
「エヴィン・ハランツは同時に、Ｓ級に対しても宣戦を布告しています」
「分かってるわ…そっちは聞いてたから」
エレナは少しの間ボーッとしていた。トライデントの一員としてエヴィンに出会ってから今
日までの記憶が、走馬灯のように駆け巡る。
「理想的な年の取り方をしてるわよね…腹立たしいくらいに」
「マスター？」
「なんでもないわ。それよりシーレン、彼、こっちに来ると思う？」
「時間は十分にあります。そして我々の居場所も知っていることでしょう。確率は、高いと思
います」
「そうよね…シーレン、新兵装のテストをするわよ」
何か腹を決めたかのように小さく頷き立ち上がると、エレナは言った。
「エヴィン・ハランツ…お姉さんのお父さんか…」
教団施設内でのエヴィンとキースの戦い、その映像を繰り返し見ながら、アルケミストは
その言葉を何度もつぶやいた。
「強いな」
エヴィンの動きを見て、素直にそう思った。キースを完全に子供扱い、フル装備の自分が
戦ったとしても、勝てる確信は無い。それどころか他に何か隠し玉があったら、負けを覚悟
しなくちゃいけないだろうとも思う。
「ピィ？」
「なんでもないよ、そんな顔しなくても大丈夫」
心配そうに肩に乗ってきたフィノの頭を軽くなで、アルケミストは言った。そしてエヴィンが
自分のところに来る可能性について考える。
確率はかなり高いだろうとは思った。彼が狙いをつけるとしたら自分かトライデント、また
は無面識だがＳ級で唯一ネオアリサにいるブラウニーあたりだろうと。
（もし来たら、僕はどう出る…？）
ソファに座り直し、アルケミストは考えた。
顔の前で手を組み、ぼんやり正面を見ていると、ガラスのテーブルを挟んだ対面の席に
エヴィンの姿が浮かび上がってきた。その幻を前に、アルケミストの顔は緊張で自然と引き
締まり、同時に背筋が伸びる。
（エヴィン・ハランツ…！）
アルケミストはエヴィンの幻を真正面から見据えた。するとやがて、そんな自分とエヴィン
の間にティーセットが、同じく自分の隣にシェリーの姿が続いてぼんやりと浮かんでくる。
「おと」
身を乗り出しエヴィンの幻に思わずそう言いかけたところで彼は我に返り、テーブルにゴツ
ンと頭を叩きつけた。
「違うだろ！」
顔を真っ赤にして一人叫ぶと、アルケミストはテーブルに両肘をついて頭を抱えた。組織の
幹部として、どうしようもない自己嫌悪が心臓を握りしめ続けていた。
「ママ！」
「ジニー！！」
エヴィン達がティリアに戻ってきたのは夕方だった。車が止まると同時にジニーは助手席か
ら飛び出し、一時間も前から玄関先で待っていたリビアに飛びつき、抱き合う。
「本当に…本当によく無事で…」
「ママ…ママ…」
胸の中で涙を流すジニーの頭を、リビアは優しく撫でる。一緒に出迎えたアーサーも、後部
座席でそれを見ていたユエリも、その様子に少しだけ貰い泣きをしていた。
「父さんが言ってたよ、全部、ユエリのおかげだって」
「言いすぎよ。でもまあ、まずはめでたしって所かしら」
アーサーの隣で照れ臭そうにそう言うと、ユエリは足早にその場を去ろうとする。アーサー
は、そんなユエリを慌てて呼びとめた。
「お茶くらい淹れるからさ。それに母さん、ユエリの分も夕食用意しだしてたし」
「そう…でも悪いけど今回は失礼させてもらうわ。正直ちょっとバテたし、司祭に早く元気な顔
見せたいから」
「そっか」
そう言われると、アーサーもそれ以上引き止められなかった。ただ立ち去ろうとするユエリ
の背後から、今度はエヴィンが彼女の名を軽く呼ぶ。
「本当に助かった…ありがとう」
「………」
無言で、しかし染み透るような笑顔で頷くと、ユエリはその場を離れた。
（お父さん…）
力尽きた自分を抱きとめたエヴィンの腕の中で、ユエリはそう呟いていた。
意識があるときに言った言葉なのか、それとも夢の中で言った言葉なのか、本人にも分か
らない。ただ、どうやらエヴィンの耳には届いていないようだった。
（よかった…）
そのことにユエリは内心胸を撫で下ろす。だがそれでもユエリは、照れ臭さと本当の父親へ
の罪悪感から、エヴィンを直視することができなかった。
その晩、食卓にはジニーのあらゆる好物が並べられた。コーンポタージュにポテトグラタン
が暖かい香りと湯気を立て、テーブルの真ん中にはローストビーフの塊が圧倒的な存在感
とともに鎮座している。サラダからはグリーンピースとニンジンが抜かれて代わりにスモーク
サーモンが入っていて、飲み物は瓶詰めの濃厚な葡萄ジュース。冷蔵庫にはデザートのアッ
プルパイまで控えていた。
「誕生日以上だな」
テーブルに並べられた料理の数々に、アーサーは思わず苦笑いした。
「たくさん食べてね」
笑顔でそういうリビアの言葉で夕餉は始まった。ジニーが家を空けたのはほんの数日だっ
たのに、なんだかこの風景がひどく懐かしい物に思え、同時にこれまで当たり前だったこの
風景が、とてもかけがえの無いものに思えた。
「あふ…」
時間は和やかに過ぎ、満腹感と安心感からジニーは小さくあくびをした。普段は行儀が悪
いと注意するところだが、今日のリビアはそんなジニーの顔にも涙ぐみそうになる。
そしてそんな風に気を取られていたから、アップルパイを切るナイフでつい、自分の指を切
ってしまった。
「痛っ…」
リビアは思わず手を引いた。すると隣のジニーは座ったままリビアの指に軽く触れる。
「ジニ」
言いかけたリビアは手の傷がきれいに治っていることに気付いた。
「今…あなたが？」
「へへ…すごいでしょ」
得意げな顔で笑いながらジニーが言う。
「これだけじゃないのよ。もっと大きなケガだってキレイに治せるし、攻撃の技も色々覚えた
し、とにかく私、すごく強くなったんだから！」
「………ジニー？」
瞬間、リビアの顔から血の気が少し引いた。同時にジニーの表情が、これまでに見たこと
がない、異常な強気を宿していることに気付く。
「これからは、私がみんなを守るの！」
「ジニー」
卒倒しそうになるのを抑え、リビアは両手をテーブルに置いた。
「ママ…？」
ジニーはなぜ、リビアの様子が急変したのか分からない。ただ彼女が絞り出すような声で
「そんなことは絶対に考えないで」
と言うと、ジニーは顔を少し蒼くして目を白黒させた。
「なんで…だってママ、私、ホントに強くなったのよ？お姉ちゃんやお兄ちゃんにも負けない
くらい…ううん、たぶんもっと強」
「ジニー！！」
リビアはテーブルをバンと叩いた。あまりに急な空気の変化に、アーサーも横で息を呑むこ
としかできず、エヴィンもまた、苦虫を噛み潰したような顔で事の成り行きを見守っている。
「パパ…お兄ちゃん…」
ジニーは左右に振って二人のことを見た。だがどちらの顔からも、自分を弁護してくれそう
にはとても見えない。
「なんでよ…なんで私だけ、お姉ちゃんやお兄ちゃんみたいになっちゃいけないの！？」
ありったけの声でジニーは叫んでいた。顔は涙でグシャグシャで、さっきまでの笑顔はどこ
にもない。
「お酒を飲みたいって言ってるんじゃない！タバコを吸いたいって言ってるのでもない！ただ
…ただみんなと同じにしたいって言ってるだけなのに！！！」
言うだけ言うとジニーはリビングを飛び出し、部屋に閉じこもってしまった。号泣するジニー
の泣き声がリビングまで聞こえてくる。そしてその泣き声は、残った三人の心も、深く沈ませ
ていた。
「う…ん…」
あれからどれくらい経っただろう。ジニーは泣き疲れてそのまま不貞寝していたらしいこと
に気付いた。部屋は真っ暗で外は静か、時計を見ると時間は午前三時過ぎだった。
「結構寝ちゃってたんだぁ…」
ポツリとつぶやくとジニーはベッドの上で壁に寄り掛かった。まだ少しボーッとした頭でため
息を一つつき、そして今一度、ここ数日の出来事を思い返す。
「夢…みたいだったなぁ…」
思わすそう言いたくなるほど、全てがあまりに唐突で、非現実的だった。あれは全部夢だっ
た、または何かの仕込みだったと言われた方が、よほど現実的な気さえする。
「けど…」
ジニーは右手に軽く力をこめた。ただそれだけで、魔力が満ちかけてくるのを感じる。その
感覚が、全てが現実だったということを何よりも物語っていた。
「みんな、なんで…」
ジニーにはまだ、三人の態度の意味が分からなかった。すごく、納得がいかない。そしてす
ごく、心が苦しかった。
「お姉ちゃんだったら、なんて言うだろう…」
ジニーの頭にシェリーの顔が浮かんだ。仲良しで大好きな姉、けれどエヴィンやリビア、ア
ーサーが否定的だったことに、シェリーだけ味方してくれるとも思えない。
「………」
ジニーは両膝をかかえてうずくまった。そして誰が自分の、この力を認めてくれるのかと考
える。キースは論外、ユエリも前に否定的なことを言っていた。学校のみんなに言える類の物
じゃないことはさすがに分かる。
（誰も…いないの？）
だがそう思いかけたジニーの脳裏に、アルケミストの顔が浮かび上がった。
（アルケミストさん…あの人は…あの人なら…？でもあの人は…）
脳内の考えがまとまりきらないまま、ジニーはフラフラと立ち上がった。
「う〜ん…」
「どうしたのシェリー？珍しい」
同じ頃、夕方の学生寮ではシェリーが一人、ノートを前に頭を悩ませていた。だがジェニ
ファーが見るに、どうやら勉強で悩んでいたのではないらしい。
「いや、ちょっと新必殺技みたいなのを考えててね」
「新必殺技？」
ジェニファーは呆れ顔でシェリーの言葉をオウム返しする。
「まったく…そんなこと考えてたの？」
「うん、これから先、音速拳だけじゃちょっと火力不足だし、武神の咆哮は動きを止めないと
撃てないからね。それじゃあちょっと心許ないでしょ？」
「確かにねえ」
言うとジェニファーは持っていた缶ジュースを投げ渡した。
「で、何か具体的なアイディアはあるの？」
「あったらもう体動かしてるわよ」
苦笑いし、やれやれと言わんばかりの顔でシェリーは腕を広げた。
「本当は飛び道具系がほしいけどそんなの私にはムリだし。それにパパもネオアリサで派手
に暴れてくれたみたいだから、ここらで私も気合い入れないとね。ジニーも無事で、後顧の憂
いも無くなったし」
しかしそう言いかけたところでシェリーの携帯電話が鳴った。
「家…？」
ディスプレイに表示された『自宅』という文字にシェリーはドキリとした。ネオアリサとここの
時差は十二時間、むこうはまだ夜明け前である。そんなときに自宅から電話、しかもなぜか
特別通信用の非常回線でなく普通の回線での電話だったことに、シェリーの心拍数が上が
る。
（どういうこと…？）
不安を抱きながらシェリーは電話を出た。
「もしもし？」
「…お姉ちゃん？」
「ジニー…」
相手がジニーだったことで、シェリーは少しホッとした。とりあえず彼女が、家で起きた教団
がらみの非常事態について連絡してくるとは思えない。ただ、声がやけに暗いのは気になった。
「どしたの？こんな時間に」
「うん、あの、お姉ちゃん…」
それは、蚊の鳴くような声だった。小さくて、しどろもどろで、集中していないと何を言ってい
るのか聞き取れない。
「あの…お姉ちゃん？」
「……」
ジニーが次に何を言い出すのか、シェリーには予測できなかった。雑談するために電話し
たんじゃないのは分かる。状況報告とかのためじゃないのも分かる。じゃあ、何のために？
続きを早く喋れとも思うが、向こうの様子から言葉を急かす気にもなれなかった。
（待つしかないかなあ）
困り顔でシェリーはこめかみをポリと掻く。だがシェリーが持久戦を決め込むのと同時に、
ジニーは自分の言葉を伝えていた。
「お姉ちゃんも…アルケミストさんのことが………好き、なの…？」
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