「好きよ」
だがそれが受話器の向こうで回答を待つ妹へのシェリーの答えだった。いつもの姉とは
全然違う、真面目な口調に短い答え。その一言でジニーは立っていられなくなり、力なく壁
にもたれかかる。
「ホントに…？」
「好きなだけじゃないわ。彼のためなら何でもするくらいの覚悟はある。そしてジニー、この
気持ちは、誰にも譲らないつもりよ」
「…誰にも…誰にも？」
「ええ」
シェリーがダメを押すと、電話は一方的に切れた。そしてシェリーも、しばらく沈痛な面持
ちでうなだれ、やがて電話を机に置く。
「なんかただ事じゃない空気だったけど…何があったの？」
「うん実は…」
だいぶ疲れた表情で、シェリーは事の次第を説明した。
「あなたは知ってたの？妹のこと」
「マークさんから聞いていたから、一応ね。マークさん、パパには言ってないって言ってたけ
ど」
「それは賢明ね」
肩をすくめてジェニファーが笑う。そしてまた、ちょっとからかう視線でシェリーを見た。
「うん、知ったらたぶんパパ、アルのこと斬り殺しにかかると思う」
「ハハ…けどあなたも言い切ったわね」
「そうね…」
照れ隠しにベッドに身を投げ出しシェリーはつぶやいた。
「けど、あれが一番いいと思ったのよ。下手に言葉をはぐらかしたり、希望を持たせるような
ことを言ったらジニーはアルを追いかけようとする。そうさせないためにはね」
「それはライバルが増えると困るから？」
「からかわないでよ」
ちょっと本気で不機嫌そうな声でシェリーは反論する。そして腕枕を組み、天井を見上げた
まま視線を険しくさせた。
「もうこれ以上、みんなを戦いに巻き込ませたくないだけよ」
「優しいのね。けど妹さん、今頃泣いてるかもしれないわよ？」
「ま、それを言われると辛いけどさ」
言ってシェリーはベッドから起き上がる。
「この戦いが終わって、ネオアリサに帰ったら、ジニーに誰かいい人いないか、全力で手伝
うわよ」
「いいの？そんなこと言って」
シェリーの言葉にジェニファーはちょっとだけ心配そうな顔になる。
「何が？私がそんな薄情に見える？」
「ううん、そういう意味じゃなくってさ。ホラ、その手の“私、この戦いが終わったら”系の発言
って」
「ああ死亡フラグ？」
相手の言わんとすることが分かってシェリーは笑いだす。
「この程度の発言でいちいち死んでたら、命がいくつあっても足りやしないわよ」
「まあ、そうとも言うわね」
もちろんジェニファーも本気ではなかった。だからシェリーの言葉に彼女もまた笑う。さっき
までの張りつめた空気が、少し和んだ。
「それでシェリー、結局のところ、妹さんに言ったことはどこまで本音なの？」
「さあ？ご想像にお任せします。それより明日の課題、さっさと済ませないと」
ジェニファーの質問をはぐらかすと、シェリーは机に向かいテキストを開いた。
と、ちょうどそのとき、誰かがドアを軽く叩いた。
「は〜い」
シェリーが応えるとドアの向こうでシェリーのクラスメートの声がした。
「シェリー、今大丈夫？ロビーにお客さんが来てるんだけど」
「お客さん…？誰？」
「それが分かんないのよね。中年のオジサンなんだけど、“バードと言えば分かる”としか言
わなくてさ」
「バ…」
シェリーの顔から一瞬で血の気が引く。
「大丈夫？ちゃんと知ってる人？」
「え…あ、うん！知り合い知り合い」
「そう。じゃ、たしかに伝えたからね」
クラスメートの子はそう言うとドアの前から立ち去って行った。
「ねえシェリー…」
魂まで一緒に抜けそうな深いため息をつきジェニファーが言った。
「やっぱり立っちゃってたんじゃないの？死亡フラグ…」
「そうねえ…いっそパインサラダでも用意しとく？」
口では冗談を言いながら、シェリーは力なく笑った。
「ねえ、あの人…誰？先生じゃなさそうだけど」
「なんかシェリーに会いに来たらしいぞ」
「またシェリー？」
「なんだ“また”って？」
「あの子、ちょくちょく部外者の男の人が会いに来るのよ。髪の赤いスポーツマンっぽい人に、
金髪で運転手つきの中学生くらいの男の子に…どっちもなかなかの器量だったわ」
「マジで？」
「じゃあ、シェリーがああ見えて魔性っての本当なのかしら？」
ロビーにいたシェリーのクラスメート達はバードを遠巻きに見ながら、ひそひそと口ぐちに
勝手なことを言っていた。その声と視線はバードにも届いているが全く気にした様子はない。
ロビーの真ん中で、ただ悠然とシェリーを待っていた。
そしてそんなバードの前にシェリーが現れたのは五分ほどしてからだった。
「え…」
バードの格好を見た瞬間、シェリーは息を呑んだ。ブラウンのジャケットにグレーのズボン、
シャツは薄いクリーム色で靴は紐の革靴、ネクタイは絞めていないが襟元にだらしなさは無く、
優雅ささえ漂わせている。360度、あらゆる角度から見て非の打ちどころのない中年紳士がそ
こにいた。
「よう」
ニヤリと笑ってバードが言う。
「近くまで来たんでな、ちょっと付き合えや」
それだけ言うとバードは出口の方へ歩き出す。シェリーも慌てて、それを追いかけた。
「すげえ…声まで渋い…」
「ダンディ…」
「なんて言うか…ああいう中年になりたいよな」
バードの背中を見送りながら、事情と本性を全くしらない野次馬は口ぐちにそう呟いていた。
「色々な意味で驚いたわね」
バードの装いをもう一度見直してシェリーは言う。
服は、バードの体格によくフィットしていた。おそらくオーダーメイドなのだろう。シルエット
も歪んでおらず、刀はおろか拳銃や短剣すら仕込んでるようには見えない。
（本当に丸腰？なら仕掛ける？でもアルみたいに、服そのものが武器ってことも…）
何気ない会話を装いながら、シェリーは隙を窺った。するとバードは一度、足を止める。
「この服装は俺にとって刀の鞘みたいなものだ。鞘に刃は仕込まんよ」
言ってバードはタバコに火をつけた。
「お前さんみたいに、普段着のフリして体と足に仕込みを入れたりすんのとは違う」
（……！！）
その一言でシェリーは凍りついた。今の彼女は、上着の下にケブラー繊維で織られた防刃
Ｔシャツを着用し、靴も先端に安全靴同様の鉄板が仕込まれている。いずれもバード相手に
は気休めにしかならないだろうが、人目を引く上に動きを妨げる重装備を避けた結果この装
いになった。だが、バードはそれすらも見抜いていた。
「どうせバレるんだったら、鎧でも着てくりゃよかったな」
バードの皮肉に、シェリーは少し嫌そうな目つきで、視線は外さないまま顔を背けた。
「相手の戦力を見極めることは戦いの基本、こいつは昔、馬鹿弟子にも散々叩きこんだ。もっ
ともあいつは、それをセクハラまがいなことにも悪用してたようだが（第二部第十一話参照）」
「あ…」
「お前も被害者か」
顔が赤くなったシェリーを見て、バードはまた笑った。
「ガキの頃から成長のない男だ。あれでもこの俺が最後の弟子と見込んだものだったが…」
そこまで言うとバードはタバコを手にしたまま空を見上げた。
「だがあの頃が、最近の人生じゃ一番楽しかったのかもな」
（バード…）
「座れよ、シェリー・ハランツ」
自らもベンチに腰を下ろすと、隣を指さしバードは言った。シェリーは警戒しながらもそれに
従う。座ると、バードはまた問わず語りを始めた。
「ゴーツとキースの兄弟…あいつらを拾ったのは十二年前だった。俺はちっとも乗り気じゃな
かったが、ツレが二人を妙に憐れんでな」
（キース…ジニーをさらったヤツ…ゴーツと名字が同じだとは思ってたけど、やっぱり兄弟だ
ったのね。それにツレって…女の人？結婚してるの？）
「そして何を気に入ったのかは知らんが、ゴーツは妙に俺になついてきた。最初は俺の技を
横から見ているだけだったが、ある日それを見よう見まねで真似しだす。それが案外筋が良
かったからと戯れに鍛えてみたら、面白いくらいの速度で上達していった」
（ゴーツが剣…剣も使えるんだ…）
「ただあいつは…戦士として最も重要な物が決定的に欠けていた」
「…それは…」
これまでバードの言葉に対して考えを口に出さなかったシェリーだったが、そこで初めて言
葉を口に出した。その反応にバードは、我が意を得たりとばかりに笑い、自分の胸を指さした。
「心構えだ。戦士が剣を振うからには、それに対するいかなる結果に対しても、一切の責任を
負わない。あいつには、それができなかった」
「………」
バードの言葉に、シェリーは何も返さなかった。その言葉が人として正しいとは思えない。な
らば戦士としては正しいのか、それも分からない。ただ目の前にいるこの相手は今の言葉に
忠実であり続け、そして他を圧倒するだけの力を身に付けた。ならば一定の真理はあるのだ
ろう、そう思った。
「さてと」
シェリーがそんなことを考えていると、バードは改めて彼女のことを見た。
「お前もその年なら、情報がタダじゃないことくらい分かるだろう」
「な゛…」
その一言にシェリーは思わず唖然とする。
「聞いた分の代金、払ってもらおうか」
「あ…アンタが勝手にここに来て、ほとんど一方的に話してただけでしょ！？」
「…なあシェリー・ハランツ」
必死に反論するシェリーにバードは生温かい視線を投げかける。顔つきは、前に会ったとき
のものにかなり戻っていた。
「俺は人斬りだぜ？人を斬ることに躊躇の無い男が、押し売りを躊躇するとなぜ思う？」
「た…タチ悪…」
「お前が素直すぎるんだよ。つっても、オケラの学生相手に小銭を強請るほど、こっちも貧乏は
していねえ」
「金回り良さそうだもんね、Ｓ級幹部って」
アルケミストも育ちは良さそうだし、エレナも企業の社長をやっていた、そんなことを思い起こ
してシェリーが言う。
「じゃあ何で払えって言うつもり？まさかカラダなんて言わないわよね？」
「お前があと７つ８つ年を食っていたらそれでもよかったんだが」
シェリーの言葉を受け流すと、バードは一本の木に向かい合った。校舎内に植えられている
樫の巨木、それを前にバードは首を上に向け、枝ぶりを確認する。
「ふんっ！」
木を前に軽くうなずくとバードは跳躍する。そして木刀として使うのに手頃な枝を一本、手刀
で切断すると着地し、周りの小枝をパキパキと手際よく折った。
「代金は、お前の持つ未来の価値だ」
急拵えの木刀を突き付けてバードが言う。
「未来の…価値？」
「そうだ」
呆気にとられるシェリーにバードは頷いた。
「お前には天賦がある、それは分かるが天賦の量までは分からねえ。そいつを計らせてもらう」
「何のために？」
「俺が楽しむためだ」
あっさり言い切りバードは言った。
「シェリー、お前を殺せばエヴィンは切れて俺を殺しに来るだろう。そして逆にエヴィンを殺せば、
お前はきっと俺を殺しに来る。どっちとも戦ってみたいが、両方と戦うことはできん。後回しにし
てもらいたければ、死ぬ気で来な」
「ずいぶんな言いようね…パパに勝てるとでも？」
「言い切りはしねえさ。そして言い切れねえから戦いは面白え、そうだろう？」
「その気持ちは、分からないでもないわね」
「じゃあ、立ちな」
バードにそう言われるまでもなく、シェリーは立ちあがっていた。いつの間にか、あたりから人
影が消えている。教団の力からすれば、この程度の人払いくらい楽勝なのだろう。
（やるしか…ないわね）
心の準備を整える時間は十分にあった。だからそれほど、動揺はしていない。首の関節を軽
く鳴らすと、シェリーも拳を構えた。
「それじゃ会計といくけど…あいにく小銭は持ってないの。お釣りは出るかしら？」
「そういうことは、払いを出してから言いな」
その顔を見てバードもまた笑い、木刀を構える。
そして構えた瞬間、周囲の空気が一変した。
（殺意？いや…違う！）
バードから殺意は感じられなかった。敵意も、感じられなかった。あるのはただひたすらに、
純粋なまでの闘争本能と戦う意思、そこには何の躊躇も迷いもなかった。
（これが…あの言葉の意味！）
グッと拳に力をこめるとシェリーは矢のような速さでバードに接近していた。
「まずは正解だな」
向かってくるシェリーを見てバードは少し満足そうな顔をした。シェリーの方がリーチが短い。
それに強力な防具に身を固めているわけでもないので敵に攻撃の主導権を握られたら到底
防ぎきれない。そうなるとシェリーの取るべき戦法は接近戦の短期決戦狙いに限られる。
だが頭でそれを理解していても自分を相手にそれを実行する勇気があるのか、バードはま
ずそれを見ようとした。そしてシェリーが躊躇なくそれを実行するや、彼もまた真正面から距
離を詰める。
「つぇぁっ！」
踏み込みざまに上段一閃、バードは木刀を振り下ろした。狙いはシェリーの頭部、だがそ
れに合わせシェリーは右足で思い切り大地を蹴りつける。
「音速…脚っ！」
全身八箇所の関節を同時に加速させ、それを足の力に伝えることで蹴り足は音速の壁を
越えた。自身もＧを感じるほどに強烈な加速の中、大地を蹴ったシェリーの右足が今度は
バードのみぞおちを狙う。鋼板を仕込んだ靴での蹴り、直撃すれば内臓破裂は免れない。
だがバードはそれを完全に読んでいた。木刀から手を離し、シェリーの足首を掴み蹴りを
止める。
「ちぃっ！」
刹那、シェリーは左足でも蹴りを放った。だがそれがバードに届くよりも速く、シェリーの体
は何メートルも向こうに投げ飛ばされる。単に力で投げ飛ばすのではなく、シェリーの力も利
用した投げ技だった。シェリーは舌を打ちながら着地する。
「焦んなよ、シェリー・ハランツ」
落とした木刀を拾い上げ、悠然とした様子でバードは言った。
「勝負はまだ始まったばかりじゃねえか。もっと楽しもうぜ」
言うやバードの木刀が空を切った。同時に真空の刃がシェリーの横をかすめ、奥にあった
細木を一本、両断する。腕も皮一枚斬られていたらしく、左の二の腕から血がにじんだ。
「来な」
（どうしよう…）
技の威力とバードの顔、そして手招きする仕草にシェリーはブルッと震えた。心臓の音と呼
吸の音が、どっちも聞こえるくらいに大きくなる。
（楽しい！）
今の危機的状況と相反する感情の芽生えに戸惑いながら、シェリーはそれを押しとどめる
ことができなかった。