〜始まりの終わりとなる日々に〜

「シェリー・ハランツ」
　木刀を正眼に構えたままバードは語りかけた。
「俺は、楽しむために戦っている」
（何を言い出すの？この人…）
　バードの真意が読みとれず、シェリーの眉がピクリと動く。だがバードは、そんな相手の
困惑を鼻で笑った。
「鉄板入りの靴は脱いだ方がいい。そいつの重さが、お前の蹴り足を遅くしている。今の
延髄切りも、素足だったらよけられなかった」
（………）
　一理あるとシェリーは思った。けれど所詮は敵の言葉、素直に従う気はおきない。
「悪いけど、裸足で駆けっこなんて小学校までで卒業してるわ。ランドセルと一緒にね」
「そうか。勿体ないな」
　言ってバードはまた、シェリーを小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「ま、それなら気が済むまでその鉄板靴を使えばいい。どうせ当分誰も来やしねえんだ」
（当分…誰も？）
　その一言でシェリーはハッとし、腕時計を見た。ジェニファーと約束した挟撃の時間は
とうに過ぎている。しかし彼女の姿は見えず、しかも遠くからかすかに、戦いの気配が響
いてきた。
「ジェニファー！」
　声に出してシェリーは叫び、そして気配のする方向に駆け出そうとした。だがバードは
簡単にシェリーの前に回り込み行く手を塞ぐ。
「どうしたい…もっと打ち込んでこいよ。さっきみたいに、楽しいツラでよ」
「くうっ…！」
　焦りに目の色を変え、額には冷や汗を浮かべ、シェリーは三度バードに挑みかかった。
　しかし冷静さを失った状態でがむしゃらに攻撃しても、全てかわされるか、片手でいな
される。
（所詮この程度か…？）
　だがバードがそう思い始めた瞬間、サイドからの右フックが彼の顎先を打ち抜いた。無
数の虚弾に隠された、刺客のような一撃。その一発でバードの脳は揺れ、視界は歪む。
（当たった！）
　シェリーがそれを実感すると同時にバードの膝がガクリと落ちた。
　だが無言でゆっくり崩れ落ちるバードを前に、シェリーはかえって茫然自失になった。
（これで…終わり？）
　拳を構えたまま硬直し、シェリーは次の動作に入ることができない。
　クリーンヒットだった。今の感覚なら、バードよりもはるかに大柄な相手でもＫＯしてる。
　だが相手は教団のＳ級幹部、父を除けば、おそらく自分が戦った相手の中で最強の
人間、これまでの常識では判断できない。
（ホントに…終わりなの？）
　しかしそんな硬直したシェリーに、バードは少し残念そうな視線を投げかけ、首を軽く
横に振った。
（しまった…）
　倒れながら向けられたその視線で、シェリーは我に返った。だが彼女が動くよりも早く、
バードの右腕は動き出している。
「血風斬！！」
　その声が耳に入ると同時に、あたりに血煙がパッと舞い上がった。

「うっ…くっ………」
　おびただしい量の血液が、シェリーの左肩から流れ出していた。歯を食いしばって痛み
に耐え、傷口を抑えると、すぐに右手が生暖かい血で染まる。
　技が不自然な体勢と鋭利さ皆無の木刀から出されていたおかげで腕は切断はされて
いない。骨までも届いていない。しかし腱は確実に切断され、かすかに動かそうとしても
激痛が走った。
「その傷で泣かずに立ってられるだけでも大したモンだが…出血多量で倒れるまで、あと
五分ってところだな」
　ゆっくりと立ち上がり、頭をトントンと叩きながらバードが言う。
「止血はさせねえ、続けようぜ」
「…ええ」
　足のフラつきを抑え、シェリーは大地を蹴りつけた。

　一方、そこからさほど離れていない一角ではもう一つ、戦いの火花が散らされていた。

「ザン！」
　ジェニファーの声とともに真空の刃が相手を襲う。だが相手が身を固めると、瞬時に着
衣は硬質化し、彼女の放ったテクニックの全てを防いだ。
「何回やったって無駄よ。このアイアンスキンは破れない」
「アルケミストの発明品よね、それ」
「あら…知ってたの？」
　忌々しげに言葉を吐き捨てるジェニファーに、敵は余裕の表情で返した。
　目の前の敵は一人、三十前後と思しき、艶やかな黒髪を持つ女性だった。燃えるよう
に赤い着衣と妖艶とも言える風貌、そして風が運ぶ香水の香りがあいまって、同性のジ
ェニファーが見てもゾクとするような色気がある。
「私はバードの盾…あの人が両手で剣を振るえるように、五体の全てを攻撃に向けられ
るようにすることが私の生きる意味…ここは通さないわ。ジェニファー・シウム」
「同じセリフをそう何度も言う必要はないわよ、メイ・リンム」
「あらそうかしら？あなた、言っても分かってなさそうだったから」
　ジェニファーがメイと呼んだ女性はそうとぼけて笑う。瞬間、ジェニファーの放ったザン
が彼女を切り刻もうとするが、それもまた、同じように無効化された。

　だが、ザンが収まると同時にジェニファーは笑っていた。
「もう十分だわ。あなたが攻撃の技術を持っていないことは分かったし、アイアンスキン
の破り方も分かった」
「へえ…」
「こっちはプロだからね。これ以上あなたなんかに構ってる暇はないの」
　言った瞬間、これまでよりもずっと強力な真空波がメイを襲った。だがそれもまた、当
然のように効果がない。
「多少風を強くしたところで…」
「はっ！！」
「！？」
　ジェニファーのかけ声とともに、メイの右足に激痛が走った。見ると、一本の針が着衣
を貫通して刺さっている。そして一本の針のせいで、右足はまるで地面に固定されたか
のように動かなくなっていた。
「硬質化したアイアンスキンが安全を認識して元の状態に戻り、そこから再硬化できるま
でおよそ５ミリセカンド、そこを狙って攻撃のおさまり際に針を投げればこうなるわ。ザン
なら、少しは風圧で加速もつけられるしね」
「へえ…さすがと言ったところかしらね。でも、こんなの抜いてしまえば…」
　言いながらメイは足に刺さった針を抜こうとした。
　だが抜くときの痛みに服が過剰反応し、硬質化してしまう。そうなると、周囲ごとがっち
りと固められてしまい、どう足掻いても抜けない。
「貴様…」
　憎しみのこもった瞳でメイはジェニファーを睨みつける。
「せっかくの道具も、使いこなせなければ世話ないわね。それじゃ」
　見下した笑みをメイに投げかけ、ジェニファーはその場を去ろうとした。
　だが背後からの気配と金属音に、呆れたようなため息をついて振り返る。
「無駄よ、かすりもしないわ」
　拳銃を手にしたメイにジェニファーは言った。構えは素人、銃は口径の小さい護身用の
量産品、ジェニファーにとっては水鉄砲と変わらない。
「ええ、あなたにはかすりもしないでしょうね…でもね」
　言いながらメイはおもむろに、拳銃を自分のこめかみに押し当てる。
「あなたがここから一歩でも動いたら、私は引き金を引くわ」
（なに、この人…）
　ジェニファーは思わず唾を呑んだ。だがメイは構わず言葉を続ける。
「あなたは確かに戦いのプロよ…素人の私じゃ引き止めることも満足にできない。でも同
時に分かるのよ。あなたの瞳はカタギの瞳、命のやり取りはしたことがない…そんなあな
たが、敵とは言え自分のやったことで死人が出ても平気でいられるかしら？」
「ブラフよ！」
「そう思うのなら、行けばいいじゃない」
「………」
「それに彼はシェリーと戦いたがっているだけ、別に命までは取らないわ」
（嘘よ！）
　その言葉が嘘だということはすぐに分かった。たしかに殺すつもりは無いかもしれないが、
死んでも絶対気にしない。それはメイも分かっている。そしてそれが見抜けるから、自分が
動いたら自害するという言葉が本気だということも確信できた。
　立場は完全に逆転し、メイは両足が凍りついたように動けなくなった。額に冷たい汗が
流れ、心臓が強く脈打つ。
（この人は間違いなく本気…でも！）
　ジェニファーの足が地面の砂を軽くこすった。同時にメイは静かに微笑む。

　そして彼女が言葉のとおり、躊躇なく引き金を引こうとした瞬間、横から飛来した真空の
刃が拳銃を弾き飛ばした。

「え？」
「チッ…」
　二人とも同時に刃が飛んできた方向を向いた。ジェニファーの顔は驚きと焦りに満ち、メ
イの顔は完全な呆れ顔になっている。
「血風斬…バードの教えた技は、全部捨てるんじゃなかったの？」
「言わないでくれ…そうするしか…」
「言い訳ね、男らしくない。要はそれ以外思いつかなかったってことじゃない」
　自分から目を逸らして話す赤髪の男にメイはそう言い放った。
「ゴーツ…どうしてここに？」
「情報の網は張ってるからな。もっとも今回は、師匠かメイさんが意図的に流したっぽいが」
「よく分かってるわね」
　ふてくされた様子のゴーツを嘲笑いメイは言う。
「それで何しに来たの？拳銃が無くても、舌を噛むことくらいはできるわ」
「………」
　メイの脅迫にゴーツはしばらく黙る。
　そしてやがて彼女の方を向くと、苦渋の表情で口を開いた。
「俺はシェリーもメイさんも死なせたくない…だから二人の勝負を見るだけだ。師匠がシェリ
ーを殺そうとしない限り手は出さないし、ジェニファーにも手を出させない。それで手を打っ
てくれないか？」
「ちょっと！何を勝手に！！」
「…いいわ、信じてあげる。私も連れてってくれるのならね」
「分かってくれジェニファー…すまない、メイさん…」
　抗議するジェニファーと賛同するメイ、二人に向かって軽く頭を下げると、ゴーツは音速拳
を応用し、メイの足から彼女が痛みを感じるよりも先に麻酔針を抜き去る。
「ありがと」
　再び動くようになった足をパンパンと軽く叩き、メイは微笑む。そして“ところでゴーツ”と話
しかけた。
「今あなた、シェリーも私もって言ったわよね。あの子の方が優先なんだ」
「………」
　メイの言葉にゴーツは答えず、無言でシェリー達のいる方へと走り出す。ジェニファーもメイ
も、一緒に走り出した。

「もっとだ…もっとお前の力を見せてみろ！」
　鬼神の勢いで迫るバードをシェリーは静止して待った。
　バードは左から来る。左腕が動かないシェリーを相手にそうするのは当然のことだった。
　シェリーは半身横にずらし、右腕をバードの軸にあわせようとした。だがバードは当然の
ようにそれに追随し、左肩から鎖骨、そして肋骨あたりに狙いを定めて木刀を振り下ろす。
「砕けろ！」
「タダじゃあ！」
　シェリーは歯を食い縛ると右手で自分の左腕を掴んだ。そして傷ついた左腕を無理やり
持ち上げると力任せにそれを木刀に叩きつける。
「何！？」
　バードの木刀が折れ、破片が宙を舞う。同時にシェリーの左腕も骨が砕けた。
「こいつ…！！」
「うわぁあああああああっ！！！」
　気を失いそうな激痛が全身を駆け抜ける中で、シェリーはあらん限りの声を張り上げた。
少しでも痛みを和らげるため、少しでも相手を威嚇するため、そして少しでも、強弓のよう
に引き絞った右の拳に、気持ちと威力を乗せるため。
「武神っ！！咆ぉ哮ぉ砕ぃっっっ！！！」

・
・
・
・
・

「………」
「………」
　それからしばらく、二人は無言だった。シェリーは武神の咆哮を打ち抜いたままの姿勢で
固まり、バードもまたそれを腹部に受けたままの姿勢で固まっている。
「………」
「惜しかったなあ、シェリー」
　やがて少し苦しそうな声で、バードは言葉を発した。
「………」
　それでもシェリーは無言だった。だが言葉を言わないシェリーの右肩から、鮮血がポタ・
ポタと零れ落ちる。右肩には、彼女が叩き折った木刀の破片が深々と刺さっていた。シェ
リーの放った武神の咆哮は鳩尾に当たってはいたが、貫いてはいなかった。
「下手に叩き折ってなければ、逆用されることも無かったのにな」
　言葉とともにバードは木刀を引き抜いた。栓が無くなった肩からは、さらに多量の血が
流れ出す。同時に右腕がだらりと落ちた。
「これでお前は両腕とも使えねえ。残るは足技だけ…しかもその出血だ。出せてあと一撃
だろう。それでもお前は、その鉄板靴に頼るか？」
「………」
　そう言われてシェリーは無言で靴を脱いだ。バードはその間、腕組みをして靴下まで脱げ
るのをじっと待った。

「あ………」
　ひんやりした地面を両足で踏んだ瞬間、シェリーの体を何かが通り抜けるような感覚がした。
　それが何物なのかは分からない。ただ不思議な懐かしさを感じさせる何かが、自分に元気を
与えてくれた気がした。
「ネオパルマは人工の大地だ。だがその土は、母星パルマの物が使われている」
「パルマの…」
「もっともそれもずいぶん少なくなっちまったが、どうやらこのへんはまだ残っていたようだな」
　そこまで言葉を続けると、バードは折れた木刀を持ち直した。折れた剣先の代わりに、バー
ドが作り出した紅蓮の闘気が剣身を作る。
「ミブロ剣術が奥義、シバの剣…黒龍王なしで俺が出せる最大の技だ。こいつで、手負いの
お前を斬る」
「上等じゃない…」
「しっかりやれよ。パルマが見てるぞ！」
「ええ！！」
　力強く頷くと、シェリーは一直線に突っかかった。バードは木剣を上段に振り上げ、迎撃の
構えを取る。
「つぇぁっ！」
　バードは木剣を袈裟切りに振り下ろした。シェリーはそれを一歩後退してかわす。
　そして着地と同時に再び地面を蹴りつけ、バードの顔面めがけ文字通り頭から飛び込ん
でいった。
「頭突き…か」
　木剣を振り下ろしたままの姿勢でバードは少し笑う。そして次の瞬間、バードの右手はシェ
リーの頭をがっしりと受け止めていた。
「残るは足技だけ…そう言ったからには頭突きは考えてない、そう思ったか？」
　骨が軋みそうな握力でシェリーのこめかみを掴み、バードは言った。その間、シェリーは何
も答えない。
「あいにく、女が頭突きを使わないなんて先入観は持ち合わせちゃいないんでね」
　そしてバードは力任せにシェリーを持ち上げ、その後頭部を地面に叩きつけにかかった。

　だがそのとき、バードはシェリーの口元が笑っているのを見た。

　出血と傷で完全に死んでいたと思っていたシェリーの右腕が動き、両足と一緒に地をつき
シェリーの体を支える。衝撃で肩の関節は外れたが、そんな痛み、今のシェリーは感じない。
「バカな…」
「先入観、捨てきれなかったみたいね！」
　カウンターでシェリーの左膝蹴りがバードの鳩尾を直撃した。バードが苦しそうに口から何
かを少し吐き出し、その身が浮き上がる。そして浮き上がった敵に狙いを定め、シェリーの
右足が唸りを上げた。
「勝機を掴む…こいつで…最後っ！！」

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「くそ…シェリー！無事でいてくれ！！」
「こっちよ！こっちから行ったほうが速い！！」
　敷地内の最短距離をゴーツとジェニファーは駆け抜けていた。そんな二人の後ろを、メイ
は無言で追う。

　そして数十秒後、彼ら三人が見たのは今までに見たことのない軌道で天高く舞う蹴りを放
つシェリーと、それによって弾き飛ばされるバードの姿だった。
「シェリー！」
「師匠！？」
「あなた！！」
　三者三様に声を張り上げると、全員駆け足の速度が上がった。
「がはっ…」
「くうっ…」
　空中から落下し、バードは背中から落ちた。柔道で使うような受け身は取っているものの、
完全に取りきることはできず背中と後頭部を強打する。
　一方シェリーはなんとか空中で体勢を立て直し、両足で着地した。だが立ちくらみを起こし
仰向けに倒れそうなところをジェニファーとゴーツが受け止め支える。
「シェリー！大丈夫か！？」
「シェリー！」
　ゴーツとジェニファーが口ぐちに呼び掛ける。だがシェリーはそんな二人の言葉がまるで
聞こえていないかのようにバードのいる方向を向き、睨む。
「なんで…」
　朦朧とした視界の中でシェリーは叫んだ。
「なんで直撃なのよ！少しは体捻ったりできたでしょう！！」
「なかなか面白そうな蹴りだったんでな。つい真正面から受けてみたくなった」
　メイに抱き起こされながら、口元には笑みさえ浮かべてバードは言う。
「音速脚の呼吸を使い、足は指を握って拳の形…さらに下方向から身体全体に回転を加え
てボクシングで言うコークスクリューブローの要素も加味していた。周囲の大気さえも震わす
閃光の一撃…咄嗟にしちゃ悪くねえ」
「シェリー…お前、そんなの使ったのか？」
「ほとんどヤケッパチだったけどね」
　首をもたげ、ゴーツの顔を見てシェリーが言う。
「だが、何かが足りねえな。そいつが何なのかまでは知らんが。そして…」
「…そして？」
　バードの言葉にシェリーは身を乗り出す。
「お前がその何かを見つけ出したときには、今の技にゲイル（疾風）と名付けるといい」
「ゲイル…」
　バードの言葉にシェリーは一瞬あっけに取られ、キョトンと間の抜けた顔になる。
　だがすぐに我に返り、不満げに口を開いた。
「ってちょっと待ってよ。自分の技くらい、自分で名前つけたいんだけど」
「異論は認めん」
　バードは立ちあがり、服についた埃をパンパンと払った。そして今度はゴーツに視線を向
ける。
「思ったより早かったじゃねえか」
「嫌味かよそりゃ」
「フ…」
　ゴーツの言葉を肯定もせず、否定もせず、バードはただ軽く笑った。そしてもう一度、今度
はシェリーとゴーツ、二人の顔を見る。
「ま、せいぜいやってみな」
　言うとバードは、思いのほかしっかりした足取りで去っていった。

「終わった…」
「シェリー！」
　ジェニファー達は今更ながらシェリーの深手に気付いた。両肩からおびただしい血が流れ、
顔色も蒼白になりかけている。肩は脱臼しているし、複数の骨折があることもすぐに分かった。
「ごめんシェリー…とにかく止血を！」
　言ってジェニファーはサンフォースをかけた。
　だがシェリーの傷は深い。擦り傷、切り傷は数知れず、右肩は脱臼し両腕とも腱はズタズ
タ、それに左腕は粉砕骨折を起こしている。危険が去った今、それらは設備の整った場所
で専門医による治療を受けた方がいい、ジェニファーはそう判断した。
「しばらく我慢してもらうわよ」
　言いながらジェニファーは両腕に添え木をして包帯で縛り、さらに麻酔針を両腕に十本ば
かり刺してシェリーの感覚を麻痺させた。
「慣れたもんだな」
　かたわらで感心しゴーツは言った。
「それじゃあ私、医療チームに連絡を取ってくるわ。ちょっと待ってて」
　そう言い残すとジェニファーは足早にそこから去って行った。

「………」
　ジェニファーが立ち去ると、シェリーは気だるそうに木の幹に寄り掛かった。血を失いすぎた
せいで、顔は相変わらず青白い。
「大丈夫か？」
「うん、ま、一応…なんかもう、一歩も動けないけど」
「そうか…」
　言ってしばらくゴーツはシェリーの顔をじっと見た。シェリーは照れ臭そうに笑い、力の無い
笑顔をゴーツに向ける。
「なによ」
「お前の顔見たら、なんか自分が情けなくなってきてな」
「？？？」
「お前がダブルフェイスにさらわれた時、俺はすぐそばにいながら気付くことさえできなかった。
助けに行ったら行ったでアルケミストに先を越され、お前はダブルフェイスを一人で倒した。そ
して今回だ。つくづく俺は、お前の力になれてねえって思うとな」
「まあいいじゃない」
　自嘲するゴーツをシェリーは一笑した。
「結局どれも、どうにかこうにかくぐり抜けて来たんだし、今もこうして生きてるんだから。…まあ、
両腕ズタズタだし出血多量だしで無事にとは言えないけど」
「そうはいくかい」
　シェリーのフォローを今度はゴーツが一蹴する。
「惚れた女が何度も危ない目に遭ってるのに、一つも力になれないなんてよ」
「だからそう拗ねなさんな…ってゴーツ、今、なんて言った？」
　一瞬間をおいて、おそるおそるシェリーは聞き返す。
「惚れたって言ったんだ」
　目を逸らし、半ばヤケ気味にゴーツは言った。その一言でシェリーの残り少ない血液が顔面
に集まりだす。
「ど、どうせタバコと比べてレベルなんでしょ？」
　なんとか気持ちを持ち直させようとシェリーはあえて明後日の方向を向いてふてくされた。突
然の告白に、顔は相変わらず耳まで赤い。
「ま、ヤニはヤニで生涯の友人のつもりでいたんだが」
　言ってゴーツは照れ臭そうに空を見上げた。真っ青な人工の空を見つめがら、ゴーツはしば
し無言になる。シェリーもまた、そんなゴーツの顔を不安そうに見つめていた。
「今はそんなモンじゃねえ。アルケミストのヤツに譲る気も無えよ」
「あ…アルは別にそういうのじゃないって！」
　ゴーツの言葉にシェリーは思わず身を起こした。慌てて両腕を振ろうとするが、今はピクリとも
動かないことに気付く。
「教団抜けたら何でもするって言い切れる相手がか？」
「………聞いてたの？」
「あの状況でお前を放っておけるかい。ま、ジェニファーも一緒だったけどな」
　照れ隠しか後ろめたさか、悪戯小僧のような笑みを浮かべゴーツは言う。
「とにかく！まずはお前のゲイル完成のために尽力させてもらう！異論も反論もオブジェクション
も受け付けねえ！」
「ゴーツ…私別に技名ゲイルに決めたワケじゃないんだけど…て言うかかなりネタの賞味期限
が切れてるわよ」
「そんなの関係ねえ！」
「いや、それも…」
　呆れるシェリーを前に、ゴーツはいつもの彼らしさが微塵もないハイテンションでまくし立てた。

　そしてシェリーの通う予備校の学生名簿にゴーツ・ドーシュの名が加わるのは、それから二日
後のことだった…

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