～始まりの終わりとなる日々に～

第二部第三十八話　『力』と四人の子供達

「……う…ん……」
　あれから何時間経ったのだろうか、病院の一室でシェリーは目を覚ました。窓から見
える景色は、すっかり暗い。ビルの電気もおおむね消えているところを見ると、深夜は
過ぎているんだろうなと思う。
「おなか空いたでしょ。リンゴでも食べる？」
　シェリーが起きたのを確認すると、ジェニファーは手元の電気スタンドにスイッチを入
れて聞いてきた。
「うん…ありがと。ずっと、起きてたんだ」
「まあ、仕事だからね」
　言うとジェニファーは慣れた手つきでリンゴの皮を剥きはじめた。
　剥き終わるのを待つ間、シェリーは腕をゆっくりと動かしてみた。両腕とも、痛みは感
じない。
「手術はうまくいったわ。骨折部分の再生と断裂した筋肉と腱の接合、いずれの箇所も
問題なし。三日もすれば殴り合いだってできるようになるわ。…にしてもあなた、A型だっ
たとはね」
「何よその心底意外そうな顔」
「机とか洗濯物とか、私生活を見てると、それだけは無いって思ってたから」
　言うとジェニファーは一人笑い、リンゴの乗った皿を差し出した。
「ありがと」
　横に添えられたフォークを手に取り、シェリーは一切れ口に運ぶ。
「なに考えこんでるの？」
　黙々とリンゴを食べるシェリーにジェニファーが聞いてみる。
　シェリーは持っていた一切れを口に押し込み、飲み下すとため息をつき、少し考え、
やがてうつむいたまま口を開いた。
「…ゴーツに、好きだって言われた…」
「そう」
「案外あっさりした反応ね」
　ジト目で睨んでシェリーが言う。けれどジェニファーが“予想してたから”と言うと、シェ
リーのジト目は驚きの目に変わった。
「じゃなければ、たかだか医療班に連絡を取るために席を外すわけないでしょ？」
「ジェニファー…」
　ベッドの上でシェリーは軽くうな垂れる。
「あんたって時々、私の反応楽しんでるわよね。ものすごく良い言い方をすると」
「フフ…」
　真意の読めない微笑を口元に浮かべ、ジェニファーはシェリーの顔を見る。
「で？どうするの？」
「どうするって…」
「付き合うの？彼のこと、憎からずは思ってるんでしょ？」
「………」
　ジェニファーの追及にシェリーは答えず、リンゴをもう一切れ口に運んだ。けれど
「アルケミストのこと気にしてるの？」
　とさらにもう一言追及されると、シェリーはそれを喉に詰まらせて窒息しかけ、そして
強烈に咳き込む。
「教団抜けるのならなんでもするなんて言っておいて、あなたと彼が付き合いだしたら
どう暴走するか分からないものね、あの子」
「それ…言ったとき聞いてたんだって？ゴーツと一緒に」
「あの状況であなたを放っておいたら、職務放棄だから」
　怒り出す一歩手前のシェリーを、ジェニファーはそう弁解してはぐらかす。そして語
尾に“それにしても”と付け加える。
「思春期真っ只中の男の子があんなこと言われて、今頃彼の頭の中はどんなことに
なってるのかしらね」
「ああもううるさいうるさいうるさい！」
「きっとあんなことやこんなこと…」
「わーわーわー！！！」
　シェリーは顔を真っ赤にし、両手を耳に当てて首をブンブンと横に振る。ジェニファー
はそんなシェリーの（期待通りの）反応に満足し、ひとしきり笑った。
　しかしさすがにからかいすぎたと思ったのか、手元に置いてあったコップの水を一口
飲むと、少し真面目な顔になった。
「ところで今回の一件、エヴィンさんはかなり不機嫌だったわね」
「え…」
「あなたがバードと戦うとき、私は助けになれなかったから」
「あ、そういう意味ね」
　その一言でシェリーは胸を撫で下ろす。
「あなたの無茶ぶりについては最初から諦めてるから除外みたい」
「うぐ…ま、まあ、娘のことをよく分かってるって言うか、そのための護衛だもんね」
　そう言って強がるとシェリーは大きくあくびをした。
「寝直す？」
「そうさせてもらうわ。なんかまだ、疲れ残ってるし。て言うかあんたが騒がせたせいが
大きいけど」
「それは悪かったわね。まあ、麻酔もまだ残ってるでしょうし、何かあったら声かけて」
「ありがと」
　ジェニファーに礼を言うとシェリーはまたベッドに潜り込む。
（パパ…か）
　瞳を閉じてシェリーはつぶやく。
（みんなあの後、大丈夫だったかな…ジェニファー、パパから何か聞いたかな？）
　シェリーは起きてそのことを聞き直そうかと思った。しかし疲れと眠気が一気に襲って
きて、それを聞くのさえもだるくなる。
（明日でいっかぁ…）
　心の中でそうつぶやくと、シェリーは深い眠りについた。

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「それじゃ父さん…行ってくるね」
　リビングで新聞を読むエヴィンに、登校支度を整えたアーサーが言った。
「本当に行って大丈夫？」
　心配そうにアーサーは聞き返す。
「まあ、なんとかするさ。それにお前が自分のために学校を休んだりしたら、それは
それで母さんが落ち着かない」
「それは…そうかもしれないけど…」
「ユエリによろしくな」
　そう言うエヴィンに半ば強引に押し出される形でアーサーは家を出た。
　しかし家を出たものの学校までの道のりの、足取りは重い。

「おはよ、アーサー」
　校門の近くでそう声をかけてきたのはユエリだった。
　彼女はハランツ家における昨日の騒ぎやシェリーとバードの戦いについてのことを
知らない。一つの事件を片付け、とりあえず無事に元いた場所に帰ってこれて、そん
な充実感と安堵感をもった笑みでアーサーに語りかけていた。
　だが、アーサーの正面に回り、彼の表情が全く浮かないものだと気付くと、ユエリは
眉をひそめる。
「どうしたの…？何があったの？」
「…ロクでもないことばかりいろいろとありすぎて、何から話せばいいのやら。昼休み
にでも、まとめて話すよ」
　下足箱の前で上履きに履き替えながら、力ない表情でアーサーは言った。

　…そして昼休み、屋上…

「………」
　ジニーの話、そしてシェリーの話を聞き終えたユエリは、アーサーと同じ表情で屋上
のフェンスに寄りかかり、天を仰いでいた。
「そう…それはあんな顔にもなりたくなるわね…」
「だろ？姉さんの方はとりあえず勝ったしいいんだろうけどジニーの方がね…」
「そうよね…」
　言うとユエリはまた、深いため息をつく。
「何か他の道をみつければいいなんて、私が言ったのがいけなかったのかな…」
「関係ないさ」
　ユエリの後悔を、アーサーはあえて一笑に付す。
「人間ああなったら、誰でも人のせいにしたくなるよ。いちいち気にしていたらきりがな
い」
「ありがと。それで、何かいい考えあるの？」
「父さんは何とかするって言ったけど、僕の方には差し当っては…まあ、すっぱり諦め
させるのが一番なんだろうけど難しいだろうなとは思うよ」
「そうよね…何もできないと思っていた自分にあれだけのことができちゃったんだから」
「うん…」
　言いながら二人の胸中に、ジニーの持っていた力のことを思いだす。
「それならせめて、何か気を逸らせるものでもあればなあ」
　青空を見上げアーサーがつぶやく。
「気を逸らすね…本とか甘い物とか？」
「普段ならそれで十分なんだろうけど、今回ばかりはそれじゃ厳しいだろうね」
「そうよねえ…」
　言って二人は、また考え込んだ。

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「ジニー、開けなさい」
　それから数時間前、午前十時過ぎ、エヴィンはジニーの部屋のドアをノックしていた。
その表情は、当然のように暗く、重い。

　ここに来る前、エヴィンとリビアは今回のことについて、ジニーとどう向き合うべきかを
話し合っていた。
「できることなら、説得だけで済ませたいけど…でも、それでもしジニーが納まらないよう
だったら…」
「わかってるわ。そのときどうするかは、あなたに任せる」
　言ってリビアは弱々しい笑みをエヴィンに向けた。
「結婚したときの約束だったものね。普段のことは私がやって、普段じゃないときのことは
あなたに全部任せるって」
「来てほしくなかったけどね、僕が決断するときなんて。そういうのは、得意じゃないし」
「よく言うわね」
　エヴィンの自虐をリビアは笑う。
「…よろしくね」
「ああ」
　そう言い残して部屋を出ると、エヴィンは末娘の部屋へ向かっていた。

「ジニー、開けなさい」
　もう一回ドアをノックしエヴィンは言った。しかし反応は無い。
「見せたいものがあるんだ。お前の持っている力と関わりがあって、シェリーとアーサー
にも見せたことがない、この家の秘密をね」
「！！」
　エヴィンがそう言うと。部屋の中で慌ただしい足音がし、そしてドアが開く。
「パパ！それって」
　だがジニーが言葉を言い終わる前に、エヴィンの拳骨が頭上に落下していた。ジニー
はその場で頭を押さえてうずくまり、涙目になる。
「聞こえているのに、なんで出て来なかった？」
「ご、ごめんなさい…」
「母さんが、みんなが、どれだけ心配したと思ってる？」
「………」
　静かな、しかし威圧感のある問いかけだった。エヴィンがこういう声でジニーに接したこと
はほとんどない。
「で、でも…」
　しばらくして、うつむいたままジニーは言った。その声は、悔しさで少し震えている。
「みんな、私のこと…私も、強くなったのに…」
「ジニー」
　言い訳を遮りエヴィンは言った。
「何時間か前に連絡があってね、シェリーが敵の幹部と戦ったそうだ」
「…お姉ちゃんが？」
　その一言でジニーの顔は一気に不安に染まる。
「ああ。幹部の中でも特に強くて危険な、剣の達人と一対一でね」
　言うとエヴィンはジニーの反応を待たず、一方的に、シェリーとバードの戦いについて可
能な限り詳細に説明した。そして話が終わったとき、ジニーの顔は青ざめていた。
「同じ真似が、できると思うか？」
　エヴィンにそう言われ、ジニーは茫然と首を横に振ることしかできなかった。
「昨日お前は、夕食のときに自分がシェリーよりも強いと言いかけていた。今でも、そう思
うか？」
　エヴィンのさらなる問いかけに、ジニーはまた首を横に振った。そして“どうして…”と言葉
を絞り出す。
「どうして…そんなことが出来るの？…子どもの時から…ずっと、ケンカしてたから？」
「それは、大きな理由だな」
　ジニーの質問をエヴィンはあえて強めに肯定した。
「シェリーは、自分の力を理解している。自分が何をできるのか、どうすれば勝ちに近づく
ことができるのか、あるときは考え、あるときは動物的な勘で考えるよりも早くそれを実行
している。そしてそのためには、傷つくことも怖れない。いや、受けた傷さえも利用するした
たかさを持っている。だから…あの子は強い」
「…そんな…じゃ、じゃあお兄ちゃんはどうなの？ユエリちゃんは…」
　苦し紛れの言葉がジニーの口をついて出る。エヴィンは軽く息を吸うとジニーのことを真
正面から見据え、口を開いた。
「アーサーは、自分の力と向き合っている」
「力と…向き合う？お姉ちゃんの…理解してるのとは違うの？」
「違うな」
　ジニーの疑問にエヴィンは即答した。
「シェリーは基本的に自分が強いと思って行動している。けれどアーサーは、今の自分が
シェリーやユエリよりも弱いことを認めて、その上でもっと強くなろうと、もっと高いところに
行こうとしている。他に強い所はいくらでもあるのに、自分の弱い所から逃げていない」
「………」
　エヴィンがそう言うと、ジニーは黙り込んでしまった。エヴィンが言外に自分と違ってと言
っているのは痛いくらいに分かる。けれどジニーは、それに反論する言葉を持たなかった。
「そ、それじゃあ、ユエリちゃんは…？」
「ユエリは、力の怖さを知っている」
　震える声で聞いてくるジニーに対し、エヴィンはそう答えた。
「力の…怖さ？」
「ああ、昨日の戦いの後、パーキングエリアに寄ったとき、ユエリは自分の武器を僕に預
けた。調査を頼みたいと言ってね」
「それが、力の怖さなの？」
　不安で瞳をまばたかせながらジニーは聞く。
「そうだ。ジニーが覚えているかどうかは分からないが、昨日の戦いでユエリの武器に、
本人も知らない力があることが分かった。それの正体が分かるまで、手放すことにした
そうだ。たとえそれが、ユエリのおじいさんが作り、お母さんから受け継いだ、かけがえ
のない物でもね」
「………」
　エヴィンの言葉にジニーはさらに黙りこんでしまった。自分は自分が持つ未知の力につ
いてどう考えていたのだろう？ユエリに比べて、かなり脳天気だったのではないだろうか、
それをひたすら自問する。

「もっとも、これはほとんど全部パパの想像だ。当たってる保証はどこにもない。けどね…」
（けど…？）
　次にエヴィンが何を言い出すのか、ジニーは反射的に息を呑んだ。額を冷たい汗が流
れ、喉がカラカラに乾いてくる。
「けれど少なくともジニーは、そのどれも持っていない…もちろん誰かに暴力を振るったこ
となんか無ければ、振るおうと考えたことさえもない、だから力の加減も分からない…やり
すぎたら怖い…それじゃあせいぜい、相手を脅かすくらいしかできないよ」
「…パパ…それ…」
　エヴィンの指摘にジニーの体が一瞬ビクと強く震え、呼吸が乱れる。
　やがてなんとかそれをおさめると、ジニーはまた、ゆっくりとしゃべりだした。
「キースも…同じこと言った…パパと、おんなじこと…」
「そうか」
　ジニーの言葉に、エヴィンは少しだけ表情を和らげる。
「どうしようもない悪党でも、一つだけジニーのためになることを言ったんだな」
「パパ！」
　否定してほしかったキースの言葉、それをあっさり肯定され、瞳一杯に涙をためてジニー
が叫ぶ。
　だが涙が頬を伝う前に、エヴィンはジニーのことを優しく抱きしめていた。
「けれど気にすることはない…気にすることはないんだジニー。むしろ今のお前がもってい
る恐怖、そっちの方が、女の子としてはずっと大切なんだから」
「パパ…」
　エヴィンの腕の中で、ジニーはただ、すすり泣いていた。そしてエヴィンは、そんなジニー
の頭を優しく撫でる。
「パパだけじゃない…ママも、シェリーも、アーサーも、ユエリも…みんな…みんな、ジニー
は今のジニーのままでいてほしいと思っている。そのままの…君でいてほしいと思ってる」
「うん…」
「聞き分けて…くれるな？」
　ジニーが知っている、ジニーが大好きな、いつもの優しい父親に戻りエヴィンはささやいた。

第二部第三十八話　完

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