〜始まりの終わりとなる日々に〜

「うん」と言ったら、芽生え始めた力を失う

「いや」と言ったら、今の自分を包んでいる温もりを失う

　そのどっちもジニーには重すぎて、辛すぎて、怖すぎた。考えれば考えるほど、体から
血の気が引く。考えれば考えるほど、体の震えが止まらなくなる。

「パパ…」
　それでも精一杯の勇気を振り絞り、ジニーは父の顔を見上げた。

「どうしても…選ばなくちゃダメなの？みんなに嫌われるのか、それとも…」
「………」
　途切れ途切れなジニーの言葉に、エヴィンは少し意表を突かれたようだった。
　だがやがて、困ったような笑い顔を浮かべるともう一度、ジニーのことをぎゅっと抱き
しめる。
「バカなことを言うな」
「え…？」
　その一言で、ジニーの瞳が大きく見開かれる。
「自分の子供が成長しようとしている。いつもみんなの後をただ歩いていたお前が、必
死に何かを掴み取ろうとしているんだ…それがどうして、お前を見捨てる理由になる…
どうして、お前を嫌う理由になる…」
「パパ！」
　ジニーの瞳から一気に涙があふれた。ただ今回は、嬉し涙が。
「最初分からなかったぞ。お前が何を、そんなに怖がっているのか」
「…パパ…」
「みんな、ジニーの味方だよ。何があっても」
　そしてエヴィンは、抱きしめていた腕をそっと離し、肩に乗せる。そして
「けれどねジニー」
　と話を続ける。
「ジニーが持っている力は、シェリーやアーサーのとは全然質が違う。だからジニーには、
本気で向き合うか、きれいに忘れるか、そのどっちかを選んでほしい。これは、きちんと
決断してほしいことだけど…どうする？」
「本気で向き合う。考えるまでもないわ」
　胸を張り、小さな笑みさえも浮かべてジニーは即答した。さっきまで一番怖れていたこ
とがなくなった今、後ろ向きになる理由は何もない。
「まるで、シェリーみたいな顔としゃべり方だな」
「そ…そう？」
　ジニーの反応を見てエヴィンは笑い、そして立ち上がる。ジニーもまた、姉のようだと
言われて照れ臭そうに顔を赤くした。
「それじゃ、行こうか」
「どこに？」
「シェリーやアーサーにもまだ見せたことのない、この家の秘密を見にさ」
「それ…ホントにあったの！？」
「心外だな。パパやママがお前に、そういう嘘をついたことがあったか？」
　エヴィンがなじると、ジニーは少しバツが悪そうにはにかんだ。

　そしてエヴィンはジニーを連れて物置部屋に来た。年末年始の飾り付けや、買ってはみ
たものの一回か二回くらいしか使ったことのないキャンプ用具が入っている場所で、普段
はまず誰も入らない。
　エヴィンはそこから大きめの道具をいくつか取り出し、床が見えるようにすると深く息を
吸った。
（はじめるか…）
　一人頷くと、エヴィンは壁に手を当て闇のワイヤーを壁の中に這わせる。そして壁の内側
で何かカチリと音がすると、床が開き地下へ通じる階段が現れた。
「パパ、これ…」
「ついてきなさい。足元に気をつけてな」
　かたわらに置いてあった懐中電灯を手に取り、先に階段を降りながらエヴィンは言った。
　電灯が無ければ真っ暗な廊下を、ジニーはおそるおそるついて行く。道は一本道だが、
どこまで続くのか分からない。ジニーは不安と緊張で高まる胸の鼓動を抑えながら、父の
背中を追った。
　やがて、エヴィンの足が止まった。不安でエヴィンの後ろにぴったりとくっついていたジニ
ーは思わずエヴィンの背中にぶつかりそうになる。
「パパ…？」
　そう言いかけたところでジニーは、懐中電灯が照らしているものを見て息を呑んだ。

　電灯は壁に掛けられた剣と弓矢を照らしていた。いずれも華美な装飾があるわけでは
ない。だが骨董に関して何ら知識のないジニーでさえ、これらが言葉にできない神気を宿
しているのが本能的に分かる。
　エヴィンはそれらに目をやると手を合わせ、目をつぶり一礼する。そして懐中電灯を無
言でジニーに預け、両者を手に取った。
「戻るぞ。先に行ってくれ」
　そう言うエヴィンの声は明らかに緊張していた。そんなエヴィンにジニーは何も言うことが
できず、ただ無言で来た道を戻る。
　そして二人がリビングに来たところで、エヴィンはようやく口を開いた。
「ネイボウ、そしてネイソード…」
「？？？」
「ここにある弓と剣の名だ。いずれも作られたのは三千年以上前…アルゴル太陽系の第一
惑星パルマが消滅する前、移民船団の指導者だったオハリオとアイナに、ルツというエスパ
ーが託したと伝えられている。
「さんぜん…ねん…？」
　ジニーはゴクリと唾をのんで今一度ネイソードとネイボウを見た。
「い、いいの…？そんなの持っちゃってて…博物館とかに預けなくて…」
「だいぶ前（第一部十五話）にも言ったけど、そうしちゃうと武器が持っている霊力が無くなっ
てしまうからね。まあ、国から渡せとは言われてないんだし、いいんじゃないか？」
　少し気まずそうに言うとエヴィンはネイソードとネイボウについている埃を布巾で丁寧に拭
った。そしてまずはネイソードを、ジニーに差し出す。
「ジニー、お前にこの剣が抜けるか？」
「え…？」
　突然の言葉にジニーは呆気に取られる。
「他意は無い。柄を手に取り、鞘から刀身を抜き出す。１センチでも抜ければ、それでいい」
「………」
　エヴィンが何を言いたいのか、ジニーにはまだよく分からなかった。ただ、エヴィンの表
情は真剣で、冗談を言ったりからかったりしたりはしていない。
（これくらいのことで、怯んでちゃダメだよね）
　そう意を決してネイソードを受け取ると、ジニーは右手で柄を、左手で鞘を握る。そして
両手に軽く力をこめると、ゆっくりとその刀身を引き抜こうとした。
　だが、柄も鞘も、まるで動かなかった。古いからこびりついているとかではなく、まるで
全体が一体となってしまっているかのように、ピクリとも動かない。
「パパ、これ…」
　どんなに力を入れても抜けようとしない剣に、ジニーの顔はすぐに弱気になった。
　エヴィンは、そんなジニーから無言でネイソードを取り上げ、ジニーがしたのと同じよう
に剣を引く。そしてほんの数センチ、神秘的な輝きを放つ刀身がその姿を見せたところ
で、彼はそれを鞘に戻した。
「どうして！？」
　思わず身を乗り出し、叫ぶようにジニーは言った。今、エヴィンは特に力を入れたよう
にも見えないし何か細工をしたようにも見えない。
（三十年ぶりだけど…抜けてよかった…）
　驚くジニーを前に表面上平静を装いながら、エヴィンは内心胸を撫で下ろす。そしてネイ
ソードテーブルの上にそっと乗せた。
「この剣は、自分達の住む世界と人々を愛し、命をかけて護ろうとしてきた人達に力を貸
し続けてきた。二千年前のオラキオ・サ・リーク、千年前のノイン・ノ・サテラ、アレンおじい
ちゃん、そして…及ばずながら僕にもね」
「パパも…？」
「三十年前にね。けどまあ、そんな昔話はどうでもいい」
　言ってエヴィンは、今度はネイボウをジニーに差し出した。
「そしてこの弓は二千年前には初代ライアが、千年前にはその妹二代目ライアが、そして
八十年前にはお前のひいおばあちゃんアリス・ランフォードが使いこなしてきた…ライアの
名を継ぐ人にとって、このネイボウは証と言っていい」
「ライアの…」
「僕は、これを引くことはできない。ライアじゃないから、使い手として認められていないか
ら。でも、もしもジニーがライアの力を継いでいるというんだったら、キースが言ったように
四代目ライアであるのなら、これを使いこなせなくちゃいけない」
「パパ…」
　言葉は穏やかだったが、その芯には鉄のような硬さがあった。ジニーは、そんな父の様
子に気圧されながらも、ゆっくりとネイボウを受け取る。弓矢なんて使ったことは無いけれ
ど、もしもこれがエヴィンの言う通りだったら引けるかもしれない。いや、引けなくちゃいけ
ない。
（えっと…）
　ネイボウを手にすると、ジニーは慣れない手つきで弓を握った。そして恐る恐る、あま
り器用そうには見えない手つきで弦を引こうとするがネイソードと同じで微動だにしない。
（なん…で？）
「少なくともまだ、ネイボウに認められていないようだな」
　軽くため息をつき、エヴィンは言った。その様子には、どこか安心した風が見られる。
「それじゃあとても、戦わせたりすることなんてできない」
「じゃあ…これが引けたら、私も…」
「そうだね」
　ジニーの言葉をさえぎり、優しく、しかし少しさびしそうにエヴィンは言った。
「そのときは、自分の道を自分で決めればいい。時間に制限を作るつもりはないから、
ゆっくり挑戦すればいい」
「うん…ありがとう、パパ…」
　自分に戦ってほしくないというエヴィンの本心、それがにじみ出ている言葉を心に刻み、
それでもジニーはネイボウを手に取り直そうとした。
　だがそんなジニーに、エヴィンはもう一度、語りかける。
「けどジニー、時間制限は作らないけど、一つ別の制限はつけさせてもらう」
「別の制限…？」
　ジニーの眉間が、不安そうにピクリと動いた。さっきまでの沈痛さから、少し和らいで
いるエヴィンの表情が、逆にその不安を加速させる。
「学校の成績を落とさないこと」
「せ…成績？」
「そういうところまで、シェリーと同じような顔をしなくていい」
　硬直するジニーを笑い、ソファによりかかりエヴィンは言った。その顔からは、さっき
までの緊張感はだいぶ抜けている。
「シェリーは今、人生で初めて必死に勉強している。最初は溺れて沈みそうな成績だっ
たけど、どうやら最近少しは安定してきたみたいだ。アーサーとユエリも、いいライバル
関係で上位争いをしている。
「そう…なの？」
「ああ。ジニーもみんなみたいになりたいって言うんだったら、学生の本分は外せないな」
「………」
「だから、そこでシェリーとおんなじ顔をしない」
　ネイボウを膝に置いたまま硬直したジニーに、エヴィンはもう一度言った。

　こうして、ジニーとエヴィンの話は終わった。
　ジニーは若干足取りを重くしながらもネイボウを手に部屋に戻り、エヴィンもリビアの
待つ寝室に戻る。

「おつかれさま。ネイボウ…ジニーに渡してきたのね」
　エヴィンを迎えたリビアの第一声がそれだった。
「ああ。分かったんだ…」
「二人の足音が、物置部屋の方に行ったから。それに…あなたがソードを持ってるし」
「そっか…」
　エヴィンは少し疲れた顔で、ベッドに座った。そしてネイソードを膝に置くと、リビアに
聞かれるよりも先に事の次第を伝える。
「ねえエヴィン…」
　話を聞き終わると、リビアは少し不安そうな顔でエヴィンを見た。
「それで、ジニーは使いこなせると思う？」
「…今のジニーは、みんなに認められたいって気持ちが強すぎる。あのままだと、永遠
にネイボウは使えないと思う。ただ…」
　リビアの質問に、エヴィンはそう答えた。けれどそこから先の言葉が、喉に詰まった
かのように出てこない。リビアは静かに、エヴィンの次の言葉を待った。
「ジニーがそれを乗り越えたら、それでネイボウがジニーを認めたら、僕らも認めなくち
ゃいけないんだろうね。あの子の…成長を…」
　言うとエヴィンは、膝に置いたネイソードをもう一度見つめる。
（けどジニー…お前の戦う出番なんて、作らせはしない…）
　そう決意するエヴィンの眼差しからは、さっきまでの物悲しさは消えていた。

　そして、それから二日後、ネオパルマ…

「ちょっとどういうことよ！パパ！！」
　ジニーがネイボウを受け取った、その事実を聞いたシェリーの怒声が部屋中にこだ
ました。
「どうと言われても、さっき説明したとおりなんだけどな。条件さえつければ、あの子が
成長したい、新しいことに挑戦したいというのを止めることはできない。アーサーも、と
りあえずそれで納得した。それに…」
「それに？」
「挑戦したいっていうときのジニーの顔、すごくお前に似ていたぞ。いい顔をしてた」
「え？あ、そう？なんか照れるわね…ってそうじゃなくって！そんな無茶事につながり
かねないことさせなくても…」
「無茶事ねえ…」
　受話器越しにエヴィンが苦笑いするのが聞こえる。
「ジニーも、お前に言われたくはないと思うけどな。元から無茶が服着て歩いていたが、
今のお前は無茶が着飾って突っ走っている」
「うぐっ…で、でも私は、そのためにネオパルマまで来てるんだし…」
「違うだろシェリー」
　言葉に詰まりながらの反論に、エヴィンは諭すような言葉で返した。
「お前がネオパルマにいる第一目的は、受験勉強だと父さん思っているんだが」
「…へ？」
　あっさりと言い切るエヴィンの言葉に、シェリーの口から間の抜けた言葉が出る。
「いや、パパ、それ違…」
「違わないさ」
　シェリーの反論を、エヴィンは今度は軽い言葉で押さえ止めた。
「お前が教団との戦いをやめたところで、ネオパルマに留まることに何ら支障はない。
けれど勉強サボって予備校の成績落として退学になったらビザが取り消されてネオ
パルマに留まれない。どっちがメインか、考えるまでもないだろう？」
（…このタヌキ親父…）
　心の中でシェリーはひそかに毒づく。と同時に、口元に邪悪な笑みが宿った。
「…ねえパパ？」
　瞳を怪しく笑わせながらシェリーは言う。
「言い忘れてたけど私、こっちでプロポーズされちゃったの」
「！？」
　直後に、シェリーは、受話器の向こう側で何かがガタという音とともに倒れ、崩れ
るのを聞いた。どうやらかなりのダメージを与えられたらしい。
「こっちの人と結婚しちゃえば、退学になっても合法的に留まれるわよねえ？」
「シェ…シェリーっ！！」
　彼女の期待値以上にあわてふためいた父の叫び声が受話器を揺らす。
「ゴーツか！？レネゲイツの、ゴーツ・ドーシュとかいう男なのかっ！？」
（大正解）
　瞳に続いて口元まで笑わせながら、心の中でシェリーはつぶやいた。言われた
状況はともかく、一応嘘は言っていない（※第二部第十四話参照）
「それで私、今度その人と一つ屋根の下で暮らすことになるかも」
　エヴィンの問いにあえて答えず、シェリーはさらにそう言った。ただ単に今度、自
分と同じ寮に入るかもしれないというだけの話だけど、これもまた、一応嘘は言っ
ていない。受話器の向こう側で、エヴィンは静まり返った。
（勝ったわね）
　何に勝ったのかはまるで分からないが、シェリーは自分の勝利を確信すると満面
の笑みとともに拳を握り、小さくガッツポーズした。

　が、その直後、ネオアリサから強烈な冷気が通信機の受話器ごしに伝わってきた。
物理的には決してありえないはずのその冷気に、シェリーの笑顔も凍りつく。
「シェリー、こっちも言い忘れていたが父さんもうすぐネオパルマに行くから」
「………え？」
　その一言で、シェリーの体中から血の気が引く。
「迷っていたんだけどな。ここで守勢のまま教団と戦うか、それとも一気に敵の喉元
に迫るか、考えた結果、後者にすることにした」
「考えた結果って…それ、どう考えても今決めたでしょ！！」
「ともかく、そういうことだから」
　シェリーのツッコミを完全にスルーし、エヴィンは言った。
「ネオパルマについたら、どこかで食事でもしよう。お前の、フィアンセと一緒にな」
「えっ！ちょっ、パッ…パパ！じゃなくてお父様…」
「カチリ　ツー、ツー、ツー…」
「……………」

「ただいま…ってどうしたのシェリー？面白い顔して」
　数分後、部屋に戻ってきたジェニファーは茫然自失、口から魂が抜けているシェリー
を見るなりそう言った。
「ジェニファー…どうしよう…」
「？」
「ゴーツが…ゴーツが殺されてちゃう…」
「はあ？」
「実はかくかくしかじかで…」
　虚ろで、そしてすがるような瞳でシェリーは今の内容をジェニファーに説明する。
　そして話を聞き終えたジェニファーの口から開口一番について出た言葉は
「お馬鹿」
　の一言だった。
「それでどうするの？エヴィンさんに、全部口から出まかせでしたって言う？」
「それはそれで、めっちゃ怒られそうなのよね…うち、ウソについては過剰に厳しい
から」
「じゃあなんでそんな豪快なホラを吹いたのよ」
「ホラじゃないもん…ちょっと事実を拡大して、針小棒大に言っただけだもん…」
（シェリー…なんか、口調とキャラが変わってるわよ？）
　椅子の上で膝を抱えてうずくまってつぶやくシェリーを見て、ジェニファーは呆れ、
そして微笑む。
「でもまあ、エヴィンさんもやっぱりあなたが心配なんでしょう？愛されてる証拠じゃ
ない」
「部外者はその一言で済むからいいかもしれないけどぉ」
　いじけ気味にそう言うと、シェリーは後頭部に両手を組み椅子に寄りかかる。
「ゴーツに巻き添え喰わせるわけにもいかないし、全部ウソでしたってことにするし
かないかなやっぱり」
「…ねえシェリー、それよりも私にいい考えがあるんだけど」
「どんな？」
　少し間をおいてのジェニファーの言葉に、多少の不安を感じながらもシェリーが
食いつく。
「いっそゴーツを、きちんと紹介するなんてのはどう？」

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