〜始まりの終わりとなる日々に〜

第二部第四十話 酒席の告白

「いっそゴーツを、きちんと紹介するなんてのはどう?」
 ジェニファーの発言にシェリーは呆気に取られたようだった。
 けれどそれは本当に一瞬だった。シェリーは意外なほどに落ち着いた様子でゆっくり
腕を組み、足を組むと、シニカルな笑みを浮かべる。
「まあ、私があなたの立場でもたぶん似たようなこと言うでしょうね」
「へえ…」
 シェリーの回答にジェニファーも似たような笑顔で返す。
「つまらないわね、もっと取り乱してくれるかと思ったのに」
「おあいにくさま。そろそろ、あんたのからかいにも慣れてきたから」
「あら人聞きの悪い」
「でも事実でしょ?」
「事実と言うのなら、それはむしろ今言ったことなんだけど?」
「………」
 ジェニファーの押しに、シェリーの表情が少し曇った。

(それくらい、分かってるわよ…)
 ジェニファーはゴーツと自分をくっつけたがっている。そんなの分かってるし、理由も
十分すぎるくらいによく分かった。彼との結びつきを強めておくことは、教団と戦う上で
メリットはあってもデメリットは無い。
 だが“でも”とシェリーは考える。
(そんな外交じみたこと色んな意味でしたくない…第一それでアルが逆上したら困るの
はジェニファーも一緒なんじゃないの?それに気付かないわけないのに…)
 そんなことを考えながら、シェリーはジェニファーの方をチラと見る。
 と、今の考えを見透かしているかのように、ジェニファーも視線を合わせた。
「アルケミストのこと考えてるの?」
「…まあね」
「彼のことなら心配無いわよ。あなたが、前に言ったことを本当に守る気があるのなら」
「私の言ったことを…本当に…?ど、どういうことかしら?」
 内心ドキとしながら、シェリーは相手の言葉を繰り返し、そしてとぼける。
「十分意味は分かってるみたいだけど…まあいいわ」
 言うと、ジェニファーの視線は一気に鋭さを増した。
「アルケミストを陥れれば、その問題は全て解決するわ。いえ、陥れるなんてそんな、
人聞きの悪いことはしなくていい。ただ彼が、あなたを助けるためにどれだけの利敵
行為をしてきたか、それを大っぴらにするだけで彼は教団での立場を失う。たとえば、
ダブルフェイスに捕まったあなたを牢屋から出したこととか」
「ジェニファー!!」
 思わず顔色を変えてシェリーは叫んだ。そしてゆっくり息を吸うと感情を押し殺し、
言葉を絞り出す。
「私があのときどれだけ怖かったか…どれだけ、心細かったか…分かる?アルが助
けに来てくれて、どれだけ嬉しかったか…あなたはそれを利用しろって言うの!?」
「…そうよ」
 少し間をおいて、しかしさっきまで同様、感情のこもっていない声でジェニファーは
言った。
「あの子が足を洗うのなら何でもするというあなたの言葉が本当なら、できるはずだ
けど?」
「あれはそういう意味で言ったんじゃないわよ!」
「じゃあ、どういう意味で言ったの?」
「………」
 半身を乗り出してのジェニファーの追及に、シェリーは顔を赤くし、うつむいた。
「ねえシェリー」
 黙ったままのシェリーに、ジェニファーは少し語気を和らげて話しかける。
「あなたのそういう性格、私は好きよ」
「ジェニファー…」
「けどね戦いのときは、その性格こそが一番利用されやすいのよ。良心とか…罪悪
感とかね」
「……たしかにね。たしかにその通りよ…何も間違ってない…けど…」
「けど?」
「それでもなんかイヤ」
 言うとシェリーは財布をポケットに突っ込み席を立った。
「ちょっと散歩してくる。鍵はもってるから」
 言いながらシェリーはドアを開け、振り返らずに部屋を出る。ジェニファーも、そんな
シェリーを特に引き留めようとしなかった。

「ズルいなあ」
 シェリーがいなくなった部屋で、ジェニファーは一人つぶやいた。
「…もっと非情になろう、もっと冷静になろうって決めたのに…」
 そこでジェニファーは言葉を止め、シェリーのベッドに目をやる。
「本気でそう思ってるのなら自分ひとりでやればいいのに、それであの子に嫌われるの
を怖がって…許可貰おうとして…ホント、卑怯よね…」
 遠ざかって行くシェリーの足音を聞きながら、ジェニファーは一人そう呟いた。

 一方シェリーはあてもなく近所を歩きまわっていた。学園の敷地内を隅々まで散歩し、
学園を出たら古本屋でしばらく、昔読んでた漫画本をパラ見する。
 そしてバーガーショップでソフトクリームを買い食いすると、そのまま繁華街にある
ゲームセンターに行ってコイン数枚分、普段はあまりやらないシューティングやブロ
ック崩し、それに落ち物パズルを漫然とプレイする。
 そしてまた、当てもなくコンビニやら雑貨屋やらをうろついているうちに時間は過ぎ、
時計は六時半過ぎを指していた
(もうこんな時間…)
 あたりを見回すと、だいぶ日も暮れかかっている。シェリーのお腹がグゥと鳴った。
(せめて何か、美味しいものでも食べよ)
 そしてシェリーが馴染みの定食屋に向かおうとしたところで誰かが彼女の肩をポンと
叩いた。
「どうしたんだボーッとして」
「ゴーツ…」
 突然声をかけられ、シェリーは少しギョッとする。
「ゴーツこそなんでここに?」
「なんでここにってのはご挨拶だな。今度からこっちにも顔出すんだ。手続きくらいあ
るだろう」
「それもそうね…って言うか、言ってくれれば手伝ったのに」
「電話したんだけどつながらなかったからな」
「え?」
 言われてシェリーはポケットをさぐった。部屋に携帯電話を置き忘れている。ついで
に言うと部屋にいるときもエヴィンとも話しこんでいた。つながらなくても無理は無い。
「ごめんごめん、ちょっと色々あって。ケータイ、部屋に置いてきちゃったし」
「そっか。ところでシェリー、お前、メシまだか?」
「うん、まだ」
「じゃあ、一緒に食わねえか?」
「ええ。て言うか、食べるって言うより飲みに行かない?」
 一瞬言葉を選んでから、ニコと笑ったシェリーは言った。

 それから間もなく、二人は安い居酒屋チェーンに入った。そこそこ繁盛している店ら
しく、席は学生やらサラリーマンやらでだいたい埋まっている。
「ご注文は?」
「とりあえず生ビール二つにローストビーフ、フライドポテトにチキンバスケット」
「それにチーズオムレツにシーザーサラダと野菜スティックで」
「ありがとうございます!」
 肉ばかり注文するゴーツとのバランスを取るために、シェリーはそれ以外の料理を
数点注文する。バイトと思しき店員は注文を受けると足早に去って行った。そしてす
ぐに、突き出しの小鉢とビールが二杯二人の前にドンと置かれた。
「んじゃとりあえず」
「乾杯!」
 二人は笑顔でそう言うとジョッキを軽く掲げた。そしてシェリーは半分弱飲み干したとこ
ろでジョッキをテーブルに置くが、その間にゴーツのジョッキは空になっている。
「イメージどおりって言えばイメージ通りの飲みっぷりね…」
「よく言われるけどな。そういやシェリーとメシ食うのって初めてだったな」
「そういえばそうね。あ、ところでゴーツ、結局こっちで住む所ってどうなったの?」
「残念ながら、シェリーの寮は埋まってたな。ま、それでも週の半分近くはご近所だ」
「半分近く?」
「レネゲイツとしてもやることはあるからな。それにあの学校、試験で点数さえ取ってい
れば問題ないんだろ?」
「…そんなこと言えるって…ゴーツ、もしかして頭いいの?」
「バカだと思ってたか?」
 得意げな顔でそう言うと、ゴーツは新しく運ばれてきたジョッキに口をつけた。

 それからしばらく、二人は他愛もないことを話しながら飲み続けた。ネオパルマのこと、
ネオアリサのこと、お互い最近あったこと、そんなことを話しているだけで二時間近くが
すぐに経った。
「案外いけるクチだったんだな」
 その間にジョッキを三杯空けていたシェリーに、少し驚いた様子でゴーツは言う。
「倍以上飲んでるあんたに言われてもね」
 シェリーの言うとおり、ゴーツはすでにジョッキを6〜7杯は空にしていた。さすがに飲
み飽きたのか、今は何か別の、透明な液体が入ったグラスが置かれている。
「それにまあ、なんて言うか…ちょっと飲まなきゃやってられなくて」
「どうかしたのか?俺が相談に乗れることか?」
「て言うより、あんたが一番相談に乗ってほしい人かもしれない」
「そりゃ光栄だ。んで、何が起きた?」
「ちょっと…ジェニファーとケンカしちゃってね」
 酒の勢いを借りて、シェリーはゆっくりとゴーツに語り始めた。ただ、酒の力を借りて
もなお、ゴーツが絡んだ話はしづらかったのでアルケミスト関連のことだけをまず話す。
「驚いたな」
 話を聞き終わったゴーツの第一声がそれだった。当然のようにシェリーは“何が”と
返す。
「ジェニファーのことだよ。シェリーがアルケミストのことを、なんか放っておけない弟分
みたいに見ているのは仕方ないとして、護衛のあいつまでそんなに軽く見てたとはな」
「軽く…?」
「アイツが教団にいる年数は長い。そしてその長い付き合いの連中に認められて、ヤツ
は教団最高幹部の座にいる。レネゲイツも、あいつに痛い目に遭わされたのは一度や
二度じゃないしな。シェリーはあいつが師匠やダブルフェイスと同格扱いなのが納得で
きないって思ってるみたいだが、俺らから見れば十分理解できる」
「それはそうかもしれないけど…」
 少し不満げに、シェリーは口をとんがらせる。
「それにシェリー、フル装備のあいつと本気で戦って、勝てると思うか?」
 ゴーツにそう言われ、シェリーはこれまで、考えないようにしていた事に向きあわさせ
られた。
 打撃に対して瞬時に硬化し文字通り鉄壁の防御を誇る着衣、その着衣に仕込まれた、
相手を自動的にサーチし捕らえにかかる極細のワイヤー、そして用途に応じた各種の
テクニックを仕込んだカフスボタン、どれもシェリーとの相性は最悪に近かった。格闘ゲ
ームの対戦ダイヤグラムで言ったら2:8か1:9くらいの点数がつくかもしれない。
「音速拳で硬化前に貫くことってできないかしら?」
「無理だろうな。俺のパンチも音速に近かった筈だが、かなり余裕があるみたいだった」
「じゃあ、音速拳を光速拳にパワーアップさせるとか」
「…できると思うか?」
「第七感(セブンセンシズ)に目覚めることさえできれば」
「いつからお前は聖衣(クロス)をまとって戦う人間になったんだ?て言うか、本当に光
速でパンチなんて叩きこんだらミンチよりひでえことになるんだが」
「分かってるわよ」
 バツが悪そうにシェリーはニンジンのスティックを一本かじる。
「じゃあ、どうすれば勝てると思う?」
「ま、単純に考えるのならあいつがそういった物を身に着けてないときを狙うことだな。
脳ミソ以外は、そこらにいる中学生と並べても下の方だ。もっとも、そんな状況にする
相当な騙しを重ねなきゃいけないが」
「………」
 ゴーツの言葉にシェリーの表情が少し曇る。と、ゴーツは少しだけニコと笑った。
「けど、それはイヤなんだろ?」
「まあ…ね。それじゃ根本的な解決にもならないだろうし、なんかすごく、後悔残りそうで」
「後悔…か」
 グラスの液体を少し飲むと、ゴーツはため息をつく。そして
「ちょっと話は逸れるんだが」
 と前置きをすると、別の話を切り出した。

「俺の友人の友人の話なんだけどな、そいつはある女性に恋をした」
(ゴーツ…?)
 急にしんみりとしたゴーツの一人語りを、シェリーは固唾を呑んで聞く。
「だがあろうことか、その女性は自分の師匠と長年連れ添った、夫婦のような恋人だった。
けれど幼いそいつは、それでもその人を手に入れようとした。その師匠は単に武術の師
匠なだけじゃなく、窮乏と心細さで毎日を過ごしていた自分を、拾い上げてくれた恩人だっ
たのにな」
(バードと、メイ…)
 二人の顔がすぐにシェリーの頭に浮かんだ。ゴーツは間違いなく、自分の過去を問わず
語りに話している。“友人”の“友人”、それはつまり自分のことになる。
「そいつにとって幸いだったのは、自分の師匠が世間の物差しでは悪人になるのだと分か
ってきたことだった。それなら倒していい、師匠から好きな人を奪い取っていい、それこそ
本当の愛情なんだ、彼女のためなんだ、そいつはそう思い込むことにした」
「ゴーツ…」
「けれど力の差は歴然、真正面から行っても勝ち目は無い。そう考えたそいつは、泥酔し
ている師匠の寝込みを狙うことにした。だが暗闇の中でその刃が斬りつけたのは…隣で
眠っていた女性の方だった。
「!!」
 シェリーの体がビクと震えた。けれどゴーツは相変わらず、淡々と話し続ける。
「そいつも元々師匠の命まで奪う気はなかった。それが幸いしてその人も一命は取りとめ
たが、身体には大きな傷が残った…服を着れば、隠せてるけどな」
「…ゴーツ…どうして、急にそんなことを…?」
 言葉の震えを必死に抑えながらシェリーが尋ねる。
「深い意味は無えよ。所詮は友達の友達の話だしな。ただ、そのときそいつにお前と同じ
ような心構えがあったら、そんな後悔することはなかっただろうにと思ってな」
 言ってゴーツは、グラスの中身を一口飲む。
「俺はお前に、そんな轍は踏ませたくない。それでお前が苦しむ姿は、俺に取ってたぶん、
この世で一番見たくない光景だしな」
「ゴ…」
 その一言でシェリーは完全に言葉に詰まった。目を泳がせ、挙動が完全に不審になる。
「あっ、おいそれは…」
 ゴーツが止めるよりも早く、シェリーは彼のグラスを奪い取った。色は無色透明で水みた
いだが、中身はゴーツでもちびちびと飲む、アルコール度数70度以上の炎の酒、それを
一気に口に含むと一瞬パニックになるが、それでもシェリーはゴクンと飲み下した。
「お、おいシェリー…」
「どうしてよ…」
 グラスを握りしめたまま、完全に目をすわらせてシェリーが言う。
「どうして、そんなに優しくしてくれるのよ…私、ゴーツに何もしてないのに…」
「俺も不思議なんだよな」
 煙に巻いたような口調で言うと、ゴーツは少し、照れ臭そうに笑った。
「一言でいえば結局惚れた弱みなんだろうが、あえて付け加えるなら…お前は俺の憧れだ」
「憧…れ?」
「ああ。仲の良い家族に囲まれて育って、誰かのために戦うことに一点の曇りもない。こっち
に来ていくらも経たないのに、俺が何年かけてもできなかった戦果を挙げている。まあちょっ
と妬ける…っておい、シェリー?」
 照れから目線を逸らしてそう語るゴーツだったが、そんな彼の言葉はシェリーに届いていな
かった。ゴーツの言葉を聞き終える前にさっきの一杯のダメージで完全に酔い潰れている。
「仕方ねえな」
 その一言とともに、ゴーツの顔が照れ笑いから呆れ笑いに変わった。そして勘定を済ませ
ると、意識が吹っ飛んでいるシェリーを抱えて店を出た。

「あれ?そういや…」
 未だ意識の醒めないシェリーを背にゴーツはあることに気付いた。
 今、シェリーは携帯電話を持っていない。そして自分と会ったのも偶然。つまり、自分がシェ
リーと一緒にいることを知る人間は誰もいないことになる。しかも時間は夜、ついでに言うと、
たしか明日は休みだった。
(どうするよこの状況…)
 シェリーの寝息を耳元で聞きながら、両足を石のように硬直させゴーツは考えた。

第二部第四十話 完

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