〜始まりの終わりとなる日々に〜

第二部第四十一話 深夜の一人芝居

「シェリー、おいシェリー…ダメだ、起きやしねえ」
 おぶったまま何度か揺するが、起きる様子は無い。あきらめ気味にため息をつくと、ゴー
ツはシェリーをベッドに寝かせた。
(もしかして、一度寝ると朝まで起きないタイプか?)
 クークーと寝息を立てるシェリーを横目にゴーツは考える。
 そして考えながら彼は、ポケットに入っていたペットボトルの水を取り出し、ラッパ飲みに
がぶ飲みした。
「しかし…我ながらどこからツッコミ入れたらいいんだろうなこの状況」
 口を拭い、床に腰をおろし、ゴーツは軽く頭を抱えた。
 酔い潰れたシェリーほどではないにせよ、自分も十分に酒が回っていた。シェリーに飲
みに誘われて、相談を持ちかけられ、きっとがらにもなく心も浮ついていたのだろう。
 そしてその結果として

・(いつか話そうと思っていたにせよ)聞かれてもいない過去をペラペラと喋った
・(本音だったにせよ)お前は俺の憧れだとか歯の浮くようなセリフを並べ立てた
・(挙句の果てに)酔い潰れたシェリーを寮の自室に連れ込んだ

「最初の二つは夢でも見てたんだろうと誤魔化すこともできるだろうが…」
 言ってゴーツは改めてシェリーの顔を見た。完全に熟睡しているみたいで、起きる様子
は全く無い。
「平和な顔して眠りこけやがって…」
 あまりにリラックスしている寝顔にゴーツは思わず苦笑する。
「お前、今の自分をなんて言うか知ってるか?“袋のネズミ”って言うんだぜ?」
 表情を崩さずボソと悪態をつくが、当然そんなので起きるわけない。ゴーツは床に座る
と、どうするべきかを考えた。
(このままあいつの寮まで運んで行くか。部屋番号は忘れたけど、建屋は覚えている。寮
まで行けばなんとかなるだろ)
(…そうだな…それが一番だ)
 心にそう決めるとゴーツは立ちあがった。
 しかし、ゴーツは立ち上がったまま硬直し、一歩も踏み出すことができない。金縛りに
遭ったかのようにしばらく立ち尽くすと、やがてドスンと腰を下ろした。
「ま、まあ、そう焦ることはないわな」
 そう自分に言い聞かせながら、ゴーツはあぐらをかき、腕を組んで壁に寄りかかった。



(案外寝相いいんだな)
 それから一時間後、仰向けに眠ったままほとんど動かないシェリーに、ゴーツは心の
中でつぶやいた。その間、ゴーツもまた、ほとんど動いていない。
 時計は11時半近くを指していた、さすがにそろそろ起こすか運ぶかしないと、言い訳
ができなくなる。
(そうしないとそろそろこっちも抑えが…いや、ジェニファーのヤツも心配してるだろう)
 ゆっくりと立ち上がると、座りっぱなしで痺れた足を叩く。そして今度こそシェリーの枕
元に歩み寄り、眠るシェリーの肩を軽く掴む。
「おいシェリー、いいかげんに起き…」
 だがそこでゴーツは、シェリーの肩がひどく凝っていることに気付いた。
「ひでえなこりゃ」
 首筋を掴むと、そこもまたかなり固くなっていた。ゴーツは一瞬顎に手を当てて考える
が、やがてシェリーの体をゴロンと転がしうつ伏せにし、それでも起きないことを確認す
るとまずは首にマッサージを施し始めた。
「ん、あ、うん…」
 シェリーは何かうわ言を言うが、起きる様子はない。むしろ心地よい刺激の中、硬直
した筋肉をほぐされて、その眠りは深くなっているようだった。
(教団との戦いも激化してるからな…それとも、勉強のせいか?)
 首、肩に続き袖をまくり、腕の筋肉をほぐしながらゴーツは思った。実際、たぶん後者
の方がシェリーへの負荷は大きい。

 ちなみにジェニファーも鍼灸術に関しては免許を持っている。開業すれば客が取れる
ほどの腕前なのだが、シェリーは一度も治療を受けたことがない。
「そこまでさせちゃ悪いし、まだ18なのに針灸の世話になりたくないから」
 というのがその理由だった。

(こうしてると、昔を思い出すな)
 肩、首、腕に続き背骨の左右に指圧を加えながらゴーツは思った。
 バードの下にいたとき、毎日のマッサージは彼の仕事だった。いや、彼の仕事になっ
ていったと言った方が正しいのかもしれない。
「ダメだな。まるで力が入ってねえ。鍛えが足りねえな」
 最初のうちはそうダメ出しをされた。それがちょっと悔しくて、頑張って握力を鍛えた。
「指圧の力が中に浸透してこねえ。つねってるみたいで、痛えだけなんだよ」
 すると今度は、そうダメ出しをされた。そしてバードは、寝そべったまま首だけ横に向
けて、二人のやり取りを穏やかに見守っていたメイを呼ぶ。
「代わってくれや」
 その一言でゴーツの出番は終わり、それが昔のゴーツの日課のようなものだった。
(けど、こっちがいろいろ工夫しているうちに師匠が文句言い始めるまでの時間も段々
長くなっていった…初めて完走できたときは嬉しかったな…)
 シェリーを指圧するゴーツの腕がふと止まった。
(あのとき、俺と師匠、メイさんは紛れもない家族だった…いつから…いつから歩く方
向が違ってきちまったんだろうな…どこからズレたのか…師匠が教団で何してるか、
知らない方が幸せだったのか、それとも…)
(………)
(…やめよう…)
 心の中でそうつぶやき、ゴーツはこれ以上、過去を思い出すのをやめた。ここから
先を思い返したところで、楽しくない思い出しかないのは分かりきっている。
「そんなことより、次は足腰だな。こいつの動きを支えてる部分だから念入りに」
 軽く首を横に振ると、ゴーツはそう言って元の作業に没頭しようとした。
 しかし没頭しようとした瞬間、シェリーが穿いているものが気になった。生地の厚い
デニム地のジーンズ、足の状態が分かりづらく、指圧の力も浸透させにくい。治療を
受けるのにはかなり不向きな服である。
「やりづらいな…けどまあ、だからといって脱がせるわけにも」
 言いかけたところでゴーツの言葉は止まった。
(…脱がせる?)
 何の気なしに口にしたその言葉を、ゴーツは心の中でもう一度繰り返した。途端に
心臓がドクンと鳴る。

(大丈夫、熟睡している)
(これは医療行為だ、医療行為なんだ)

「………」
 その二つの言葉で無理矢理背中を押しながら、ゴーツの指はシェリーのベルトに
手をやった。ベルトループから余り部分を抜き取り、バックルからも引き抜く。
 だがジーンズのボタンを外し、ファスナーを半分以上下ろしたところで、床に置きっ
ぱなしにしていた携帯電話がけたたましく鳴った。
(切っときゃよかった!)
 舌打ちをするとゴーツは携帯電話に飛びついた。かなり、行動の目的を見失いか
けていたフシがある。
「ジェニファー…出ないのも怪しまれるか?」
 頬をポリポリと掻きながら、ゴーツは通話ボタンを押した。その表情にはどこか残
念そうで、しかしどこかホッとしたものがある。
「あ、ゴーツ?」
「ああ」
「よかったつながって…シェリー、そっちに来てない?」
「シェリーか…」
 瞬間、軽いイタズラ心がゴーツをつつく。
「シェリーなら、俺の隣で寝てるけど?」
「はぁあっ!?!?!?」
「ウェンフィールド財団の敏腕エージェントでも、そういう声を出すんだな」
 初めて聞いたジェニファーの頓狂な声に、ゴーツは思わず笑った。
「ま、隣でってのは冗談にしても寝てるのは本当だ。一緒にメシ食ったんだが、そ
こで酔い潰れて爆睡してる」
「酔い潰れたねえ…酔い潰したの間違いじゃなくて?」
「違えよ」
 からかうジェニファーに、ゴーツは少しムキになった。
「あいつが勝手に俺の飲んでた酒を一気飲みして、勝手に潰れたんだ」
「ふ〜ん。で、今どこなの?」
「俺の部屋だ。寮のな」
「つまり、連れ込んでるのは連れ込んでるわけね」
 その言葉とともに、なんとも感情を読みとれないため息がジェニファーの口から
洩れた。
「とりあえず、無事なら無事で安心したわ。じゃあ、明日迎えに行くから」
「明日?」
 その言葉に、ゴーツの眉がピクと動く。
「今じゃなくていいのかよ?」
「こっちも待ち疲れたからもう寝るわ。明日は講義ないし、何よりその子、一度寝
ると朝になるか殺気でも感じない限り起きないから。それじゃあね」
「え?あっ、オイ!!」
 ゴーツが止める間もなく、電話は一方的に切られた。慌てたゴーツは反射的に
かけ直す。だが携帯電話の向こうから聞こえてきたのは
「おかけになった電話は、電波の届かないところにあるか、電源が入っていないた
めかかりません」
 という機械的なアナウンスだけだった。
(何考えてるんだアイツは!護衛のクセに!職務怠慢もいいところだろ!!)
 瞬間、ゴーツは右手を腰に当て、左手で頭を抱えた。そして抱えたまま、横目に
シェリーをチラと見る。
(いや…そうじゃねえ)
 視線をシェリーから天井へ移すと、ゴーツは両目を瞑り考えた。
(職務怠慢じゃなくて、むしろ効率化のために…さてはジェニファー、俺を利用しよ
うとしているな?)
 そのことにゴーツが気付くのに、そう時間はかからなかった。
(俺とシェリーがくっつけばあいつの仕事は楽になる。アルケミストとの距離も広が
れば尚更言うことはない…辻褄は合う)
 目を閉じたままゴーツは考えを整理する。
(シェリーはそんなこと考えちゃいないだろうが、どっちにしても今の流れはジェニ
ファーの企みに乗るようなもんか…なんか白けるな)
 ゴーツの口から苦笑とため息が漏れる。
「じゃあ、俺はこのまま床で寝るとするか、その前にちょっとションベンして…」
 そう思い目を開けたところで、ゴーツは我が目を疑った。
(あれ…?)
 シェリーの顔が、ゴーツのすぐ近くにあった。とは言ってもシェリーが起きたので
はない。ゴーツが動いていた。彼は今、シェリーの体に覆いかぶさるかのようにベ
ッドの上で四つん這いになっている。
(これは…教団の遠隔攻撃!?)
 濡れ衣もいいところだ。そんなこと、言った本人が一番よく分かっている。
 心はブレーキをかけようとしているのに、体はアクセルを踏み込んでいる。ゴーツ
の体はどんどん前のめりになり、シェリーを覆う自分の影はどんどん濃くなっていった。
(起きろよ、シェリー…)
 心の中でそうつぶやくが、もちろんそれがシェリーの耳に届くことはない。
(…起きないと…キスすんぞ…)
 吹き出すほどに古典的な言葉をつぶやきながら、ゴーツの顔はどんどんシェリーに
接近していった。その距離はもう、寝息が感じられるほどに近くなっている。
(シェ…)
 やがてゴーツは、心の声ですらシェリーに呼びかけるのをやめた。ゆっくりとまぶた
を閉じ、唇と唇を近づけてゆく。不思議なことに、さっきまであれだけ激しく波打って
いた心臓の鼓動は次第に静かになっていった。

 けれどそのとき、ゴーツの携帯電話がまた鳴った。
(ドクン!)
 その音でゴーツの胸の鼓動もまた強くなった。体も、自由を取り戻す。
(助かった…)
 バクンバクンと波打つ胸に左手を当てながら、ゴーツは携帯電話を手に取った。
が、直後に彼の表情は曇る。
「公衆電話?」
 携帯電話の液晶にはそう記されていた。夜中に公衆電話、それを誰がかけてきた
のか、全く見当がつかない。
「…もしもし?」
 抑えた、いぶかしげな言葉でゴーツは答えた。すると向こうから、少し自分を嘲笑う
かのような笑い声が聞こえてくる。
「久しぶりだなゴーツ」
「兄貴…!」

第二部第四十一話 完

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