〜始まりの終わりとなる日々に〜

　そしてぴったり三分後…

「よお」
　夜中の裏門前、ゴーツは静かに姿を現した。キースは壁によりかかり、タバコをくゆ
らせている。寮や学舎からも離れ、昼間でも人通りがまばらなこの裏門、夜中の今、
あたりを見回しても誰もいない。
「久しぶりだな兄貴」
　自分の存在に気付いているのに何も言おうとしない相手に少し苛立ち、ゴーツは再度
口を開いた。するとキースはタバコを踏み消し、ゴーツに対して背を向ける。
「何のつもりだ馬鹿兄貴！」
「もう用は済んだからな」
「………？」
「数年前に袂を分かった、しかしたった一人の血のつながった弟、その顔を見ても心に
何の波も立たなかった。それが分かっただけでもう用は済んだ」
「そんな…そんなこと言うなよ兄さん！お互いたった一人の兄弟じゃないか！！」
「………」
　しかしゴーツの涙ぐんだ声での叫び声に対しても、キースは全く反応しない。その反応
にゴーツは軽く舌打ちし、そして笑った。
「さすがに、ちょっと芝居がクサすぎたか？けどよ」
　言葉を途中で止め、ゴーツは身構える。
「悪いけど今更アンタのツラを見て、何の感慨も湧かないのは俺も一緒だ。そんなんで、
何かを超越したなんて思ってほしくねえな」
「ほう…」
　言うとキースも、ゆっくりと振り返る。
「聞いたぜ、エヴィン・ハランツに手も足も出なかったんだってな」
「………」
「大方その報復の力を得るために修行に出ようって気にでもなったんだろうが…させる
わけにはいかねえな」
「へえ…そこまでシェリー・ハランツが大事なのか？」
「そういうんじゃねえよ。ただあいつは前に、俺のことを直接戦ったことのある相手の中
じゃ三番目だって言いやがった。一位はエヴィン、二位はシーレン…倒す相手がいなく
なったら、一番にもなりようがねえじゃねえか。ま、それ以前に」
　軽口を叩きながらゴーツの瞳に鋭さが増した。
「エヴィンが楽勝だった相手は、俺も楽勝でひねらないとな」
「愚弟が…頭の悪さに磨きがかかってるな！」
　互いの言葉が、戦いの合図だった。ゴーツは放たれた飛矢のごとくキースに向かい、
対するキースはおもむろに右手を前に突き出し、迎撃の構えを取る。深遠の探求者と
レネゲイツ、互いに組織としては敵対しながらも決して直接衝突することはなかった兄
弟の初めての激突が、今まさに起きようとしていた。

（先手必勝！）
　キースがテクニック・マジックを放つよりも先に肉弾戦を仕掛ける、それがゴーツの作
戦だった。狙いは相手の懐、そこに飛び込もうと意識を集中させる。
　だがゴーツの攻撃が届くより先に、キースは宙を舞っていた。
「な…？」
　ゴーツは思わず呆気に取られた。キースは自分から跳んだのではない、まるで背後
からトラックにでも撥ね飛ばされたかのような姿勢で、上空に打ち上げられていた。
「未完の疾風…これが『ゲイル』よっ！！！」
　呆然と立ち尽くすゴーツの上空で、シェリーはキースを天空高く蹴り上げていた。
（いつの間に…）
「そして追撃っ！！」
　その言葉とともに、シェリーは上空で身をひねり回転式の浴びせ蹴り「クラックシュート」
をも叩きこむ。その後彼女は体勢を立て直し着地するが、キースは受け身も満足に取れ
ず、顔面を地面にこすりつけるように落下した。
「シェリーっ！」
「タイマンへの加勢も、不意打ちも、背後からの一撃も、どれも嫌いだけど…あなただけ
は別よキース・ドーシュ。あなたが…」
　倒れたキースを見下ろしながら、シェリーは拳をギュッと握る。
「あなたが今までどれほどのことをしてきたと思ってるのよ…どれだけジニーやアーサー、
ユエリを傷つけてきた思ってるのよ…これくらいで…」
　シェリーは軽く息を吸い、語気を強めた。
「これくらいで、済むと思うにゃっ！！」
「噛むな！そういう肝心なセリフ！！」
「あ゛…」
　思わず出たゴーツのツッコミにシェリーは赤面する。
「し、仕方ないでしょぉ。あんたの酒がまだ残ってるんだから」
「いや、あれ、お前が勝手に飲んだんだが…て言うか、潰れて爆睡してなかったか？」
「なんか殺気がしてね、目が覚めて駆け付けた」
「あの状態からか…お前、実は軍隊あがりとかじゃないよな？」
「女子高あがりよ。強いて言うならね。さて、あとはどうやってこいつにケジメをつけさせ
るか…」
　そう言いかけたところでシェリーは絶句した。地面を這いつくばっていたはずのキース
の姿がいつの間にか消え失せている。
「シェリー！」
　ゴーツの引きつった叫び声が聞こえると同時に、シェリーは首筋に冷たい物を感じた。
（ちぃっ！！）
　シェリーは本能的に頭を後ろに振り、背後の敵に後頭部での頭突きを浴びせる。そして
そのまま流れるような動きで身を沈めると前方へと飛び出した。
（追撃は…来る！）
　飛び出しながら背後の相手のかすかな気配を感じ取ると、シェリーは体を半回転捻り、
横蹴りを放った。
　だがそれはわずかに相手に届かず、空を切る。足を下ろし、首筋をさわると、うっすら
と血がついた。
「情報が武器であり盾であり財産であり続けるには、絶え間ない更新が不可欠だ」
　腕を組み、余裕の表情でキースが言う。
「シェリー・ハランツ、君の戦闘能力と潜在能力も書き換えた方がいいな。僕のデータより
ずっと良くなっている」
「そりゃどうも」
　苦々しい顔をしながら、シェリーは肩をすくめる。するとキースは、今度はゴーツへと視
線を移した。
「しかしゴーツ、さっきのシェリーの言葉を聞いてどう思った？」
「どうって…どういう事だよ？」
「兄弟を傷つけた相手への怒りの一撃、美しい家族関係だと思わないか？正直、弟を殺
そうとしていた自分にとってはとても耳が痛かったんだが」
「痛かったのは耳だけかよ」
「まさか」
　シニカルな笑いを浮かべながらキースは肩をすくめる。
「ちょっと手土産を使ったまでさ」
「手土産…？」
「ああ、久しぶりの再会を前に手ぶらで来るほど非常識でもない」
　そう語るキースの醸し出す強烈なまでの威圧感と得体の知れない不気味さを持ったプ
レッシャーに、シェリーとゴーツは押し潰されそうになる。
「エヴィン・ハランツを滅するための修行…まだ終わってはいないが始めていないわけで
もない…お前を訪れたのは言わば、途中経過を見るため…」
　そう語るキースの両手が黒く怪しく光る。そのまま彼が両手を広げると黒い光は棒状に
伸び、そして先端には中心に宝玉をあしらい、金色の小さな翼のような飾りがついた、一
本の杖となった。
「深遠の淵より掬い上げし魔杖、名をレイバードと言う」
「…レイバード…」
「なかなか上手な手品じゃない。教団の忘年会ででも披露するの？」
　内心気圧されかけながらも、シェリーの口は軽口を叩いた。キースはそれに、心底相手
をバカにした笑いで答える。
「悪いけど教団の忘年会はレベルが高くてね。この程度じゃ見向きもされない。そう…せめ
てこれくらいはやってみせないと！」
　言うと同時にキースの周囲にある空間に歪みが生じ出した。彼の得意とするマジック
『ディストーション』、しかし彼はその魔力を杖に叩きつける。
（ディストーションの力を…杖に？マズイ！）
「ゴーツ！」
　次の瞬間来るであろう危険を本能的に察知するとシェリーは飛び退き、ゴーツと密着する
くらいにくっついた。同時に周囲の空間を歪ませていた力の全てが、灼熱のような熱さを持
つ黒い力場の波となって二人に向けて降り注ぐ。
「時空のうねりに呑まれて消えろ…アナザーゲート！」
「甘いっ！」
「！？」
　だが、二人の周囲にあるあらゆる物に原形を留めさせないその威力も、二人には届いて
いなかった。シェリーとゴーツのいるわずかな空間だけ、アナザーゲートの威力がまるで
何かに吸い取られるかのように消え失せて行く。
　しかしそれを見てもキースは全く慌てていなかった。“そうか…そういえばそれがあったな”
とだけ言うと、一人納得して頷く。
「ネオアリサの教会で秘密裡に安置されていたアルゴル太陽系のシンボルマーク…攻撃性
の魔術を中和できる代物らしいな。だが…どこまで耐えられる！」
　キースはディストーションの威力をさらに強くした。周囲の歪みも目に見えて強くなり、その
威力はわずかずつだが防御空間を貫通し、二人の身を削る。
「どうやらその力、無敵ではないようだな。このまま根競べを続けてもいいが…」
　言いながらキースは杖から片手を離す。そしておもむろに懐から拳銃を取り出した。
「アナザーゲートを制御しながらだ。細かい照準までは定められないが、動けない的を相手
に引き金を引くことくらいはできる」
「くっ…」
「シェリー、お前が助かりたいのなら動けばいいだろう。ゴーツも、シェリーの動きに完全に
同調（シンクロ）できれば俺に波状攻撃を仕掛けることもできる。だがそれも、一歩ズレれば
ゴーツはアナザーゲートの渦の中だ。…お前にできるか？心優しい、シェリー・ハランツに」
「………」
　シェリーの額、首筋、手の中に冷たい汗が流れる。その間もアナザーゲートの威力は衰え
を見せず、確実にダメージを蓄積させていった。わずかな時間の筈なのに、その間の時間は
ひどく重い。
　だが、そんなときシェリーの後ろからゴーツの笑い声が聞こえた。
「おいバカ兄貴」
「…ゴーツ？」
「俺の頑丈さ、甘く見るんじゃねえ！」
　一言そう叫ぶと、ゴーツは躊躇わず自ら外へと飛び出した。シェリーが悲鳴にも似た叫び
声を上げる中、ゴーツの身体は見る間にボロボロに成り果てて行く。
「叩きのめせ！シェリー！！」
　重傷を負いながらも声の限りでゴーツは叫ぶ。その叫びを背に受け、シェリーは弾丸のよ
うに飛び出した。
「うわぁぁぁあああっ！！！」
（！！速い！！）
　たった今脳内で更新したシェリーの速度、その理論上限をも遥かに超越した速度だった。
その勢いでシェリーは杖を蹴り飛ばし、さらにさっきはかわされた腹部に中段蹴りを突き立
てる。それは突き立てるという表現以外に言い表しようがないほどの、鋭さを持った一撃だ
った。
「ぐ…小娘が…」
　迫り来るシェリーに、キースは何とか距離を取ろうとした。テクニック・マジックが主体の
彼にとって、今のシェリーとの相性は最悪に近い。しかしそれでも、退く気は無かった。
「この場で殺す…殺してやるぞシェリー・ハランツ！」
　拳銃で牽制しながら、キースは一歩後ろに大きく跳躍する。だが着地し改めてシェリーに
照準を合わせようとしたとき、キースは足を取られ大きく姿勢を崩した。
「へへ…捕まえたぜバカ兄貴」
　足首をしっかりと握り、満身創痍のゴーツが笑う。
「死に損ないが！」
　驚きと怒りに狂った瞳を向けながらキースは、シェリーに向けようとしていた銃口をゴーツ
へと向ける。
　しかしそれを見て、シェリーのスピードがまた一段上がった。
「させるかぁあっ！！！」
「な…」
　キースも、そしてゴーツも驚愕するほどの、雷光と言ってもいいほどの速さで、シェリー
は敵の眼前に飛び込んでいた。裏拳でキースの銃を叩き落とすと身を屈め、獲物を狙う
猛禽類のような視線で相手を睨みつける。
「ゲイル！」
　今度は正面から、シェリーはキースを蹴り上げていた。骨を数本、確実に折ったという感
覚がつま先を通じて伝わってくる。
（もう一度、今度こそダメ押しを…）
　そのままシェリーは、再度クラックシュートへとつなげた。
　だが蹴り足の向かう先に、キースは懐から取り出したダガーナイフを突き立てる。
（しまっ…）
　完全に勢いのついた蹴りはもう止めることができない。シェリーのクラックシュートはキース
に直撃していたが、同時に刃渡り７センチ程のナイフはデニムのジーンズを貫通し、シェリー
のふくらはぎに根元まで突き刺さっていた。
「くっ…でも、抜かなきゃこれくらい…」
　直後、着地したシェリーはさらなる追撃をキースに叩きこもうとした。だが急に全身から力が
抜け、意識が吹き飛ばされそうになる。
「気絶系のマジック、『ビンドワ』の力を封じ込めたナイフだ…さすがに直接突き刺せば効果も
あるみたいだな？」
「………」
　遠のきそうになる意識を何とか押しとどめ、シェリーはマジックの力に抵抗した。しかし気を
失わないようにするのが精一杯で、とても攻撃なんかできない。
「殺してやる…二人とも、殺してやるぞ…来い！レイバード！！」
　キースの叫びに応じ、彼の杖は宙を舞い、その腕へと引き寄せられた。だがシェリーも、
そして当然ゴーツもそれを止める力は残っていない。
「俺の勝ちだ…闇の力に足を踏み入れたこの俺の…この俺の前に…今一度開け深遠よ！」
　杖を高々と掲げ、正気を失った目でキースは叫んだ。その彼の周囲で、時空が再び歪み
だす。

　だが彼を含めた三人とも、すぐに様子がおかしいことに気付いた。
「キースの体が…」
「引きずられてる…？」
　彼の周囲で、たしかに時空は歪みはじめていた。だがその力は、暴威となってシェリー
達に襲いかかることはしない。むしろその力はキースを一呑みに呑み込もうと、猛獣のよ
うな口を開けているように見えた。
「ち…違う！俺じゃない！！」
　後ろを振り返り、恐怖に引きつりキースは叫ぶ。だが巨大な口を開いた時空の歪みは、
そんな彼の哀願を無視し、一気に彼を包み込む。
「俺は…俺はこんな所で！」
　それが、キースがその場で言い残した最後の言葉だった。杖も消え、キースが身に着け
ていた物も何も残されていない。ただ彼の起こした破壊活動の傷跡だけが、生々しく残さ
れていた。

「………」
「………」
　二人はしばらく、ただただ言葉を失っていた。だがやがてシェリーは、よろよろとした足取
りでゴーツの元へと向かう。
「ゴーツ、あの…」
「…そんな顔すんなよ」
　なんて声をかければいいのか分からないシェリーに、ゴーツはシニカルな笑顔を見せた。
「あの殺意まみれの顔見りゃ分かるだろう。兄弟って言っても、お前んちとは根本的に違う。
それにあいつは、元からベッドの上で死ねるような人間じゃなかった。…強いて言うのなら、
俺の手で引導を渡したかったけどな」
　そうは言いつつも、ゴーツの心はどこか上の空のように見えた。やがてゴーツは、思い出
したように服の中を探り、トリメイトを一本取り出す。
「使えよ」
　軽く投げ渡しゴーツは言った。それに対しシェリーは“予備は？”と聞き返す。
「部屋に帰らんとないな」
「じゃああんたが使いなさいよ。どうみてもそっちの方が重傷なんだから」
　言ってシェリーはトリメイトを投げ返した。
「……」
　シェリーが受け取りそうにないのを見るとゴーツはまた考える。そして半分だけ使って、残
りを再びシェリーに渡す。今度は、素直に受け取った。

「さて、と…」
　軽く手当てを終え、二人は立ち上がる。
「これからどうする？」
「部屋に帰るわ。残りの手当てもしときたいし、なんか酒が抜けてないのに暴れまわって、落
ち着いたらまた急に酔いが回ってきたから」
「そっか」
　そう言うゴーツの顔は、少しだけ残念そうに見えた。そんな顔を見て、シェリーはまた笑う。
「今日はいろいろありがとね、ゴーツ」
「ん？あ、ああ」
「ズボンが脱げかけてたのは、不問にしといたげるわ」
「ぐ…あ、あれはだなあ」
「フフ…おやすみ、ゴーツ」
「…あ、ああ。おやすみ…」
　言い訳の暇を与えずそう言うシェリーに、ゴーツは何も言うことができなかった。

…そしてそれから数時間後…

「キースが…死んだ？」
　メイからの報告を受けたバードはさすがに少し驚いた様子だった。ただ、彼の顔にあるのは
驚きだけで悲しみは見えない。
「あいつから破滅の臭いはしなかったんだがなあ」
「鈍ったんじゃない？」
「かもな」
　同じことを部下が言ったら無言で斬り殺しそうなセリフも、メイだと笑って受け流す。
「なら、鈍った刀は研ぎ直さないとな」
　ゆっくりと立ち上がると、バードは戦いの支度をはじめた。
　まず棚からウィスキーの入った瓶を一つ取り、その中身を錫でできたスキットルに詰め替え
る。そしてスキットルをズボンのポケットに押し込むと、次に同じ棚に置いてあった鶏卵ほどの
大きさの黒い宝玉をもう片側のポケットに押し込んだ。そして最後に、無造作に壁に立てかけ
てあった刀を腰に差すと、ドアの前に立った。
「そんじゃ、行ってくるぜ」
　まるで近くの散歩に出かけるような感覚で、バードは部屋を出た。

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