〜始まりの終わりとなる日々に〜

第二部第四十三話 戦士、再び死地へ

「ぐ…あ…くっ…」
 キースは、苦しみの闇に沈んでいた。
 重力は全身を押し潰されそうなほどに強く、体の動きは溶けたコンクリートの中にい
るかのように鈍い。
 外気は身を焦がす紅蓮の炎のようであり、魂さえも凍りつかせる極寒のようでもある。
「クソがっ!」
 歯を食い縛り、両手に等しく魔力を籠めるとキースは右手でワーラ、左手でムワーラ
による障壁を展開した。魔力の消耗は激しいし何より精神力への負担が著しいが、そう
でもしないと彼の命は数分ともたない。
「こいつが、『深遠』の中の世界か…」
 両手の魔力はそのままに、キースは注意深く周囲を見回した。とにかくこの世界から
脱出しないことにはどうしようもない。
 しかし彼がどんなに注意深く周囲を見渡しても、全ては漆黒で一片の光も無かった。
(出口はあるのか?この世界に…)
 当然と言ってしまえば至極当然な不安が彼を包む。すると、それと同時に彼の耳に、
空耳ではない声が聞こえてきた。

「ネエ…キミ、ダレナノ…?」
(なんだこの声は…)
 耳障りな声に不安を増幅させながら、キースは辺りをもう一度見回した。いつの間に
か、闇の空間に無数の顔が浮かんでいる。その顔には老人もいれば子供もいた。男も
いれば女もいた。痩せこけ爛れ、すでに何者か分からなくなっている者も多くいた。
「ナンデ、オマエハイキテル?」
「ナゼ、ワレワレを拒ム?」
「一緒ニ…」
「一緒二…」
「一緒ニナロウヨォオオオッ!!!」
 キースを取り囲む亡者の群れは一斉に障壁を破壊しにかかった。しかし彼らの力は
弱く、次々とその身を障壁にぶつけては壁にぶつけられた水風船のように弾けては消
える。だがその数は無限に近く、いずれは彼の障壁も破られることは明白だった。
「拒ムナ…」
「僕ラヲ拒ムナ…」
「私タチヲ拒ムナ…」
「我ラヲ拒ムナァッ!」
(チッ…)
 絶体絶命の状況にキースは舌打ちをする。
「拒むな拒むなうるせぇんだよこのザコどもがぁっ!ディストーション!!」
「!!!」
 彼の一撃で幾百もの亡者が一斉に消滅する。キースは再び障壁を展開すると、亡者
の群れを睨みつけた。
「拒否するなっていうのならそうしてやるよ…だがお前らの仲間になるってのじゃない…
王として!お前らの上に君臨してやる!!」
 そう言うキースの内側から、かつて自分が感じたことのない高揚感が湧きあがってくる。
絶望的なこの状況が、彼を昂ぶらせるスパイスとなる。
「さあ貴様ら…俺に跪け!」
 そして次の瞬間、キースは無数の亡者達へ挑みかかっていった。

 その二日前、シェリーがバードと戦った翌日の晩、エヴィンは二人の友人と酒を酌み交
わしていた。
 一人はマーク・ロンド、そしてもう一人はジャン・フラン。マークの弟でエリーの夫、そして
今は、ネオアリサ総督の下で官房長官を務めている。なんのかんので週に一回くらいは
顔を合わせているマークと違い、ジャンと顔を合わせるのはずいぶん久しぶりだった。場
所は高級ホテル内にある会員制のバー、普段のエヴィンには、縁の無い場所である。
「いろいろ大変なようですね。もっと兄さんをコキ使っても構わないんですよ?」
 手にしたウィスキーグラスからカランと音をさせジャンは言った。細面の顔に銀縁の眼鏡、
顔立ちに昔の面影は残っているが、三十年前と違い、その瞳には政治の一線で様々な物
を見つめ続けてきた者だけが持つ鋭さが深く宿っている。
「あくまでうちの家庭問題だからね。必要なときは頼らせてもらうけど」
「家庭問題…いえ、もう十分にそれは逸脱していますよ。深遠の探求者…本部がネオパル
マにある以上、こちらがあまり口を挟むと内政干渉になりますが」
「………」
「だろうな」
 口をつぐむエヴィンの横でマークはマティーニをあおる。
「ぶっちゃけ、民間人には言えないような事態もいろいろあるんだろ?それに対して両政府
間で水面下で何か動いているとか、逆にしがらみや裏事情があって思うように動けないとか」
「…兄さん…政府の人間が、それに対する回答を民間人にどう言えと?」
「いいんじゃねえか?“個別の案件については〜”とか言っとけば」
「…それ、前に議会じゃあそう言ってりゃいいなんて言い触らした大臣がクビになったんだけど」
 マークのからかいにジャンは深いため息をついた。
「相変わらず気楽そうでいいね兄さんは。いっそ来年やるニーヤの知事選に出馬してみる?
兄さんの知名度なら、いい勝負ができると思うけど」
「よしてくれ、ガラじゃねえよ。ま、お前の応援演説くらいならいくらでもしてやるぜ」
「それこそやめておくよ。何言いだすか分かったもんじゃない」
「そこらへんの空気くらい読むさ。なんのかんので、応援してるんだぜ?」
(フフ…)
 そんな二人のやり取りを、エヴィンは横で笑いながら見ていた。兄弟のいないエヴィンに
とって、こういうやり取りはやっぱりどこか羨ましい。
 だがマークが急に“どうせならエヴィンに出馬させたらどうだ?”と言うと、さすがに少し慌
てた。
「冗談じゃない。一介の成りたて大学教授、しかも法科や経済じゃなくて史学の教授なんて
泡沫候補もいいとこだ」
「謙遜すんなよ」
 苦笑いするエヴィンにマークが追い討ちをかける。
「三十年前、お前が何しでかしたと思ってるんだよ。あのとき、なんでネオパルマが急にネオ
アリサに接近できたのか、世間の連中にとっちゃ真相は未だ闇の中だし知りたがっている
人間も多い。そこらへんをオープンにすれば…知事どころか総督だって夢じゃない」
「夢だよ。それもベッドの中でさえも見ないくらいに突拍子もない」
 呆れ、笑い、そしてエヴィンはジントニックの入ったグラスを傾ける。
「昔からマークは無茶な話ばかり持ってくる。タッグで格闘デビューしようぜとか」
「あれはあれで、今でも惜しかったと思ってるんだけどな。絶対違う世界が拓けてたぜ?」
「まだ言ってるし。官房長官、そろそろ止めてもらえます?」
 そうエヴィンが助け船を求めてもジャンは答えない。むしろ何か、真剣に考え込んでいる風
があった。
「いや…案外いいかもしれない」
「…へ?」
 最近まず出たことのなかった間の抜けた声がエヴィンの口から漏れる。
「お爺さんのアレンさんとアリスさんは夫妻で第二惑星の開拓に大貢献した人達だし、もしも
エヴィンさんが政界に興味があるのなら…いや、むしろ本人の興味を抜きにして出るべきか
もしれない。最近、政治の世界でもキナ臭いのが増えてきたし。力になってくれて信頼できる
人は多い方がいい」
「だろ?こいつの性格自体クソ真面目で、オレなんかよりよっぽど政治家向きだと思うし」
「いやいやいや」
 二人の挟撃にエヴィンは苦笑いしてお茶を濁すことしかできない。だから何とか話題をそこ
から逸らそうとした。
「そう言えば、明日からネオパルマだったっけ?」
「…ええ」
 少し表情を暗くしてジャンが答えた。
「ちょっと色々ありましてね…」
「…色々…」
「今回の出張から帰ってきたらお話しますよ。真面目な話、エヴィンさんにも協力してもらうこと
になるかもしれない」
「僕に…」
「ごめん、そろそろ時間だ。マスター、請求書は僕個人に送ってくれ」
 慌ててそう言うと、ジャンは足早に去って行った。

「マーク…」
 ジャンが去ってから数分、残された二人の間には何とも言えない気まずい空気が流れていた。
「ジャンが言っていた、僕にも協力してもらうことって何だと思う?」
「さあなあ。あいつ、仕事の話を身内に持って来ないからな」
 困った顔でマークはこめかみをポリポリと掻く。
「まあ、あいつが帰ってきてから聞けば分かるさ。話を受けるか受けないかは、それから悩めば
いい」
「ま、そうだね。その前に、僕もやるべきことがあるんだし」
「…決めたのか?誰に挑むのか」
「大体ね。ちょっと、シェリーには荷が重い相手だ。しかもそんなのに目をつけられていると来た
らね。父親として、やることはやっておかないと」
 言うとエヴィンは、グラスに残ったジントニックを飲み干した。

 そして二日後…

 ネオパルマを訪れたジャンは政府の代表として慌ただしく動いていた。到着するなり産業界の
要人数人との面会を済ませ、夜は自国の大使館を在ネオパルマの大使と軽い夕食をともにしな
がら情報の収集に務める。その打ち合わせは深夜まで及ぼうとしていた

 だがそんなとき、大使館の外では一人の男が痺れを切らしていた。
「長えな」
 なかなか大使館から出てこないジャンを待ちながら男は一人、悪態をつく。
「暗殺っていうから暗殺らしく、ホテルに向かう道中かホテルに忍び込んで斬っちまおうかと思っ
たが…面倒くせえから大使館ごとツブしちまうか」
 言うと彼はスキットルから酒を一口飲み、腰から下げた刀に手をかける。そして無言で刀を鞘
から抜き払うと、無警戒なまでに真正面から大使館へと向かっていった。
「何者だ!」
「不審者発見!確保します!」
 男を見た瞬間、若い警備員二人が銃を抜き、構える。だが銃を向けられても、男の表情に変
化は無い。相変わらず無警戒に、真正面から大使館の門を突破しようとした。
「止まれ!」
 銃を構えたまま二人は叫んだ。しかし男の背後は市街地で深夜で交通量が減ったとは言えど
車も走っている。発砲できる筈がなかった。
「結果を怖れていたら武器なんて飾りでしかねえ」
 ニヤリと笑いそう言うと、彼は一瞬で二人との間合いを詰めた。目にもとまらぬ速度で片方の
警備員の懐に潜り込むと、左手その首筋を抑える。
 だが右手の刀が彼の心臓を貫こうとしたその瞬間、刃は側面からの殺気を感じ真横に向けら
れる。
「チィッ!」
 舌打ちをしての薙ぎ払いだったが、相手はそれを紙一重でかわした。明りを背にしているため
姿はよく見えない。武器も持っていないということは分かったが、手刀の切れ、そして体捌きとも
に恐ろしいほどに鋭かった。懐に潜り込まれると、刀はむしろ邪魔になる。
(クソが…!)
 このままだとジリ貧になることを悟ると、男はこの場で相手をしとめることを諦めた。今一度、
自分の間合いを取ろうとするが相手もそれに追いすがる。結果、彼が鍔迫り合いを繰り返しな
がらも自分の間合いを確保できた時、彼と彼が戦っていた相手の姿は大使館から遠く離れていた。
「…なんだったんだ今のは…速すぎて、何がなんだか…」
「と、とにかく内部に連絡だ!すぐに警戒態勢を!長官を狙っているとしか考えられない!!」
 顔を見合わせそう言うと、二人は即座に動き出した。

 そのころ、男は自分を襲った相手とようやく落ち着いて対峙することができていた。相手の顔を
見ると年齢は確実に七十代、自分より二十は年上の老人だった。
「エヴィン・ハランツでも来てくれたかと思ったが…誰かと思えばアンタかい」
 刀を肩に置き、男は笑う。
「ブラウニーにズタズタにされたと聞いてたが、どうやら仕留め損なってたみてえだな」
「その名を知るとは…やはり貴様も深遠の探求者が一員か」
「ああ。剣にて奮う武威を持って教団に仕えるS級幹部、バードだ」
 言うとバードは今一度刀を構え直す。
「そっちも名前を聞かせちゃくれねえか」
「名乗る名前などとうに捨てたが…かつてはディルナと呼ばれていた」
 淡々とした口調でディルナは答えた。
「意外だな。そんなにあっさり名乗ってくれるとは思わなかったぜ」
「…どうやら、似た者同士らしいからな」
「似た者同士?」
「ああ」
 そういうディルナの口元がうっすらと笑う。
「名前を捨てた者同士という意味でな。ネオパルマ王室親衛第一部隊、通称ミブロ隊が筆頭隊長
セリ・タークよ」
「………!」
 ディルナの言葉にバードのこめかみがピクと動く。
「その名前で呼ばれたのは何年ぶりだったかな…ジジイ、なんでそれを知っている」
「ワケあってな。ネオパルマの猛者については色々と調べさせてもらっていた。貴様の顔を見た瞬
間に分かったぞ」
「へえ…そいつは光栄なことだな。だがその名を捨てたときから、そう呼ぶヤツに全力でツブすと
決めている」
 途端、バードの顔から相手を見下したような笑いが消えた。眼光鋭くディルナを見据え、その構え
には一分の隙も見受けられない。
 ダン!という足音を背後に残し、バードはディルナに斬りかかった。狙いはディルナの首、目標ま
での最短距離を最速で詰め、横薙ぎに刀を振り下ろす。
「………」
 バードの動きに対して、ディルナもまた無言で動いた。瞬時に互いの体が交差し、さっきまでと立
ち位置を逆にする。
「………」
「………」
 一瞬の間をおいて、ディルナの首筋とバードの脇腹に傷口が開き、鮮血が流れ出した。
「やるじゃねえか。ブラウニーが負ける相手とも思えねえが、一方的に叩ける相手とも思えねえ」
 血の流れる脇腹を痛がる様子も見せず、振り返ってバードが言う。
「やっぱり、女相手じゃ力が出せなかったか?」
「フン…」
 やはり傷口を気にする素振りも見せず、振り返るとディルナは笑った。
「己が大義と信じた目的のためには妻を殺め、娘の命を弄んだこの外道に、そんな心など残ってい
る筈もない。あるとしたらあのときは三十年ぶりの死合いだったゆえ勘が鈍っていたこと、だがそれ
以上に…セリ・タークよ、貴様とのこの戦いが、老骨を奮い立たせている」
「言うなっていってるモンを二度も言いやがって…覚悟はできて…」
 だがバードはそこで言葉を止めた。ディルナの目を見ると、今更そんなことを言うのは野暮天以外
の何物でもない。
「続けるぜ」
 一言そう言うと、バードは刀を握り直した。

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