〜始まりの終わりとなる日々に〜

　 　だが、そんなバードの予測とは裏腹に、ディルナは傷口を抑えたまま動かなかった。顔
色は青くなりその身は小刻みに震えている。
「何やってやがる…そんな大仰な傷でもねえだろうが…さあ！続きだ！！」
　だがバードがそう叫んだ瞬間、ディルナは口から大量の血を吐きだし、片膝を地面につく。
「ジジイ、てめえ…」
　ディルナの姿を見てバードは何かを言いかける。だがその言葉を途中で止めると、静か
に首を横に振った。
「医学、治療技術、回復テクニック…いくらそんなのが発達しても限界はある…年を取れば
傷の治りは遅くなる。場合によっては、治りきらない傷も…な。本当に…紙一重のところで
もたせていたんだな」
「………」
「もう十年早くあんたと戦いたかったなんて贅沢は言わねえ。せめて…ブラウニーよりも先
に戦いたかった」
「言っておくが、あのときは今より錆ついてたぞ…」
「フン…ままならねえな人生は。だが、こっちも秒単位で衰えてくあんたを嬲り殺しにはした
くねえ」
　言うとバードは刀を鞘に戻した。
「貴様…何故武器を納める！」
　両目を怒りで滾らせディルナが叫ぶ。
「言ったろう。嬲り殺しにはしたくねえってな。だから…」
　瞬間、バードの闘気が爆発的に膨れ上がった。その圧倒的なまでの威圧感、そして殺気
にディルナは思わず息を呑む。だが、すぐにニヤリと笑った。
「なるほどな…剣を納めての技が貴様の奥の手か」
「こいつを使うのは、もっと楽しんでからにしたかったが…せめてもの手向けだ」
　そしてバードは腰から刀を鞘ごと抜き、天にかざした。同時に、彼が左手の薬指に嵌めて
いた黒水晶の指輪が鈍い光を放ちはじめる。
「黒龍王…交戦（エンゲージ）だ！」
　その声に応え、黒水晶の光は一気にそのまばゆさを増した。光は瞬時に立ち上る一匹の
巨大な漆黒の龍となり、上空からバードを見据える。そして一声、天地をも震わすような咆哮
をあげると、黒龍は鞘へと吸い込まれていった。
「ほう…」
　その間、ディルナは一歩も動かずその様を眺めていた。まるで見世物でも見るかのように。
　黒龍の宿ったバードの刀は、まるで一個の生物のように変貌していた。龍の瞳がギョロリと
ディルナを見据え、刀全体が漆黒の霧と、そして妖気に包まれる。
「いくぜ…黒龍の柩！」
　バードが刀を振り下ろすと、禍々しさを増した黒龍がディルナに襲いかかった。その強烈な
破壊力で、二人の間にあったアスファルト、そして左右の建造物の壁を粉々に粉砕しながら。
「…あばよ、ディルナ…」
　静かな、そして本心から寂しげな言葉でバードは言った。二人の間にあった距離は１０メート
ルほどで左右は壁に挟まれている。間隔は３メートル弱、手足を動かすには不自由しないが、
逃げ場を求めるのは不可能な距離だった。
「………」
　目前に迫る確実な死を前に、ディルナの足は微動だにしなかった。だが彼の指には、十指
とも魔力の光が宿っている。
「うおおおおおおっ！！」
「！！」
　巨大な口を開き襲いかかる黒龍を、ディルナは両手で正面から受け止めていた。瞬間、彼
の全身の血管から血が噴きだし、足元は陥没する。
「バカな…受け止めただと！？」
「これが…これが最後の…」
　黒龍の威力に押されながらもディルナは口を開いた。一度言葉を止めると、歯をギリと軋ら
せる。
「個を滅する第一の刃…デバステイター！！！」

…
……
………

「…信じらんねえな」
　直後、茫然とした様子でバードは自身の左手を見つめていた。指輪の黒水晶には、縦に
大きな亀裂が入っている。彼の放った最大の技は、ディルナの力により内部から破壊され、
四散し、消え失せていた。
「本当に大したモンだ…敬意を払う。心からな」
「………」
　バードがそう言ってもディルナは何も言わなかった。彼の全身は、血に濡れていない所は
ない。両足で大地を踏みしめ立ってはいるものの、本当に微動だにしなかった。
（立ったまま事切れたか…）
　そう考えバードは無防備にディルナへと歩み寄る。
　しかし、そんなバードの懐に、ディルナは正拳を放っていた。バードはそれを、一歩後退し
回避する。
「…まだ、やるつもりか…？」
「当然だ…勝利の目前で、勝負を放り投げる間抜けはおるまい…」
「勝利だと…あんたのか？」
「無論…そもそもこの戦い、貴様の勝ちはどこにある？」
「ま、無えなあ。暗殺者が暗殺し損ねた時点でな。そして暗殺を防いだ時点でたしかにあん
たの勝ちかもしれねえ。だが、さっきの言葉からはまだ勝ってないようにも聞こえるが？」
「そうだ…そして次の一撃で、私の勝ちが決まる！」
「へっ…なら、付き合ってやろうじゃねえか！！」

　そうしてバードとディルナは、最後の立ち合いをした。

　バードは駆け、ディルナもゆっくりと敵に向かって行く。

　バードは刀を振い、ディルナは拳を放った。

　そして二人の身が交差したとき、バードの身には傷一つつかず、しかしその刀は血に染
まっていた。

　肉を斬り、骨を断つ。完全なまでに致命の一撃。今度こそ、ディルナは受け身も取れず、
その場に崩れ落ちた。

　だが、腕に残っていたのはいつもの感覚なのに、体に残っていた感覚は全くの別物だった。

「…なんでだ？」
　後ろを振り返りバードは言った。
「なんで、斬られたとき笑っていた…？なんで俺は、こんなに敗北感に包まれている…？」
「フフ…」
　満足そうな笑みを浮かべながら、ディルナはゆっくりと仰向けになった。
「今から三十年前…私はこの地を、ネオパルマを吹き飛ばそうとした。この地に巣喰ってい
た、ダークファルスもろともな…」
「…なに…？」
「そうしてネオアリサを護ることが自分の大義だと信じていた…だがそれは…私が信じてい
た大義は…まだ年端も行かぬ小僧に食い止められ、打ち砕かれた…」
「エヴィン・ハランツのことか…」
「そうだ…だが、それでも自分の罪が消えるわけではない…だから…だから私は…ネオパ
ルマの人間によってこの人生に幕が引かれることを望んだ…それが…」
　そこでディルナはまた笑った。
「その相手がネオパルマ最強の剣士…しかも息子を護ってだなんて最高だろう…」
「息子…？まさかジャン・フランは…」
「義理の…息子だ」
「…なるほどな」
　全ての疑問が解け、バードの表情はさっぱりしていた。
「俺はあんたに踊らされていたってわけか。そりゃたしかに完敗だな。だったら…一杯おごら
せてくれねえか？」
　懐からウィスキーの入ったスキットルを取り出しバードは言った。蓋を開け、もはや身動き
のできないディルナの口元にうやうやしく近づける。
「…美味い…」
　コクリと一口飲みディルナは言った。
「もっと飲むか？」
「ああ」
「ほどほどにしとけよ。血が止まらなくなる」
「ほざけ」
　互いにニヤリと笑い合うと、ディルナはもう一口、ウィスキーを口にした。だがもう一口どうか
と勧めると、ディルナはそれは断った。
「最後に少し、物思いをしたいのでな」
「そうか」
　言うとバードは、スキットルをディルナの元に残して立ち上がる。
「それじゃあ俺はそろそろ行くぜ。酒は、飲みたくなったら適当にやってくれや」
「ああ」
　その言葉を別れの挨拶に、ディルナとバードは別れた。

「………」
　バードが去った後、ディルナの周囲にはただ沈黙が残されていた。実際は車の通る音や周
囲の雑音も多少はあるのだが、それらはもう彼の耳には入らない。
「エヴィンよ…死に損なえるのも二度までみたいだな。しかし本当に…」
　瞳を閉じ、走馬灯のように流れる過去の記憶を振り返りディルナは呟いた。
（本当に…思いのままに生きた人生だった…）
　心の底からそう思った。自分がいなくてもエリーは幸福な人生を歩んでいるようだった。その
子もまたそうだった。教団の存在はまだあるものの、それもきっと、エヴィンあたりが何とかす
るだろう
「生きているときは一人で生きていたと思っていたが…所詮周囲が自力で幸福を掴んでいた
から、だから安心できたのだな…」
　自嘲気味にそう言うとディルナは一人笑う。
「しかしこんな悪党が、ここまで思い残すことがなく人生に幕を引けるとはな…申し訳のない気
持ちさえする…」
　そんなことを思いながらディルナは全身の、残りわずかな力も抜いた。そして近づいてくる己
の死に、静かにその身を委ねる。

・
・
・
・
・

（………！）
　刹那、ディルナは閉じていた両目を見開いた。その目には、さっきまでのある種悟りきった表
情は一片たりとも残されていない。
（違う…まだ…まだ死ねなかった…）
　ディルナはゆっくりとその身を半回転させ、足を動かした。右足の裏が地面を踏み付け、震え
ながらも立ち上がろうとする。
「ユエリ…私は…私はあの子になんてことを…」
　過去の追憶、その最後に出てきたユエリの涙ぐんだ表情、そして駆け去る彼女の足音が、ディ
ルナの脳内で何度も繰り返される。
「あの子は…あの子に私は…」
　言葉で自分を叱咤激励しながら、ディルナは左足も動かした。やがて両足が地面を踏みしめ、
彼は立ち上がりかける。
　だがそれも、一瞬のことだった。次の瞬間、わずかな風にバランスを失ったその身は、再び前
のめりに崩れ落ちる。
「ダメか…ダメなのか…頼む…罪を…私に罪を償わせてくれ！！」
　だがディルナがいくら叫んでも、彼の身体は言うことを聞こうとはしなかった。
「この身が動かないのなら、せめて声だけでもいい…話を…電話の、一本だけでも…」
　だがそれも、所詮はかなわぬ願いでしかない。そのことは、ディルナも十分に分かっている。
やがてディルナは、まだわずかに動く右腕を動かすと人差し指で血を拭い、それを地面に当てた。
「ならば…せめ…て…」

　ディルナ・ロック・フィールドが息を引き取ったのは、それから間もなくのことだった。

「始まりの終わりとなる日々に」トップに戻る

オンライン小説のコーナーに戻る

トップページに戻る