〜始まりの終わりとなる日々に〜

「ふぅ…」
　エヴィンに向かってはそう言い切ったアーサーだったが、彼がいつもより重い腰を上げて
ユエリの家に着いたのは一時間近くしてからだった。ちなみに普通に行けば、のんびり歩い
ても二十分とかからない。
「あらアーサー」
「あ…ユエリ」
　前庭で箒を持っているユエリを見て、アーサーは間の抜けた声をあげた。
「どうしたの？私が掃除してるのがそんなに変？」
「いや、変ってことはないけど…マレジア司祭とかは？」
「なんかここ一帯の教会の集会があるとかでちょっと前にピーターさんと一緒に出かけて行
ったわ。今日は遅くなるかもしれないって。司祭に何か用だったの？」
「いや、そういうワケじゃないけどさ。気配がしなかったから、聞いてみただけ。それより、掃
除してるんだったら手伝おうか？」
「ありがと、助かるわ」
　遠慮なくそう言うとユエリはアーサーに箒を預け、自分は礼拝堂の掃除に取りかかった。
（とりあえず、自然に中に入れたからいいのかな。司祭がいないのなら話もしやすい）
　庭に散らばっている落ち葉やゴミをきれいに掃き集めながらアーサーはそんなことを考える。
　そして箒での掃除が終え、次に壁の気になる汚れを落としたりしていると、礼拝堂の片づけ
を終えたユエリが中から出てきた。
「ありがと、そんな感じでいいわよ」
　さっきまでよりだいぶきれいになった前庭を見てユエリは言う。
「中入ってよ。お茶くらい淹れるわ」
「サンキュ」
　言われるままに、アーサーは玄関をくぐった。

「コーヒーと紅茶、どっちにする？」
「どっちでもいいよ。ユエリの飲みたい方で」
「じゃ、紅茶にするわ。ちょっと待ってて」
　言いながらユエリはカップにポット、リーフなどを手際よく用意した。その手つきと足取りは
軽く、彼女には珍しくハミングなんかを口ずさんでいる。
「なんか、妙に機嫌よくないか？」
「あ、分かる？」
　アーサーの指摘を否定せず、笑いを噛み殺した顔でユエリが答える。そしてポケットに隠し
ていた物を差し出して見せた。
「預けてたロッドが戻ってきたから」
「ロッド…バルキリーって言ったっけ」
　ディルナが作り、エリーから引き継いだユエリ愛用のツインロッド、当初はただの鈍器だと
思っていたがジニー奪回のためのキースとの戦いの中で、それが秘めていた力、『フォトン
ブラスト』が発動し、ユエリの危機を救った。
　けれど戦いの後、彼女は未知の力を警戒し、エヴィンを通じてウェンフィールド財団に預け
調査を依頼していたのだった。言いながらアーサーはそんなことを思い出す。
「あのとき発動したのは防御用のフォトンブラストだったけど、攻撃用のフォトンアーツってい
うのも内蔵されてるって言ってたわ。どっちもフォトンの圧縮や放出、形状化に使われてる
技術はオーパーツって言っていいレベル、おかげでフォトンの研究が１０年は進んだって感
謝されちゃった」
「へえ…」
　ユエリの説明にアーサーは素直に感心する。
「研究材料として言い値で買うから引き取らせてくれとも言われたけど、それは断ったわ」
「そりゃあ、手放せないよな…すごく、大切な物なんだし」
「そうね…」
　ロッドをじっと見つめ、ユエリはつぶやく。
「今度会ったときはこれについても話を聞きたい。それに何より…きちんと私の方を振り向か
せたい」
「………」
「アーサーも手伝ってくれるわよね？」
「………そんな…」
　そう語るユエリの言葉を受けて、アーサーは震える声で切り出した。
「そんなことしなくてもあの人は…あの人の心は…ちゃんとユエリを向いてるよ…」
「…アーサー？」
　表情を一変させ、今にも泣き出しそうな顔のアーサーに、ユエリの表情も不安と訝しさで変
わる。
「だってさ…だってあの人は…」
「どうしたのよ…何を、急に…」
「あの人は最期に…最期に間違いなくユエリのことを想っていたんだからっ………！」
「………………最期………ですって？」
　その一言にユエリは茫然となった。瞳孔が開き、無言のまま硬直する。
　が、即座にアーサーの肩を両手で掴むと、激しく彼を揺さぶった。
「どういうことよ！？冗談で言ってるんじゃないわよね！」
「冗談で言うかよ！こんなこと！！」
　ユエリの腕を振りほどいてアーサーが叫ぶ。
「ご、ごめん…」
　我に返るとユエリは気まずそうに視線を逸らし、うな垂れながら謝った。ただ、その呼吸はま
だ荒い。
「でもなんで…なんでお爺ちゃんが…」
「落ち着いて…落ち着いて聞いてほしい…」
　自分の心も落ち着かせるためにそう言うと、アーサーはゆっくりと話し始めた。
「今日父さんがネオパルマに着いたんだけど…ジャン・フランって知ってるか？官房長官の」
「まあ、名前くらいは…知り合いじゃないけど私の世界でも議員やってるし…」
「知らないんだ…とにかくその人が、こっちの世界でのエリーさんの結婚相手なんだ…つまり
ディルナさんから見たら義理の息子、その人がネオパルマで教団に命を狙われた」
「………」
「ディルナさんはその暗殺者と戦って、命を落としたらしい。ジャンさんと、大使館の人達を護っ
て。そしてあの人は、最後の力を振り絞って…現場にＹＵＥって血文字で書き残した…」
「…ＹＵＥ…」
　ディルナが書き残したという言葉を、ユエリはオウム返しに繰り返す。
「きっと最期にユエリのことが心配になったんだろうって、父さんが言ってた…僕も、そう思う」
　言い終わるとアーサーは少しだけ、冗談めかし笑う。
「父さんがその話を聞いていてよかった。じゃなかったらユエリが容疑者の最有力候補だ」
「…そうね…」
（しまったな…）
　ユエリの緊張を和らげようと思って言った一言だったが、アーサーは即座にそれが『外した』
と理解した。そしてしばらく、二人の間に重苦しい沈黙が流れる。
「ねえアーサー」
　ため息をつくと、やがて静かな、まるで感情の無いような声がユエリの口から出た。
「犯人…誰だか知ってるの？」
「目星なら」
　一瞬たりとも躊躇わずアーサーは即答した。ここまで来たら全部言う、そんな気持ちでもう
腹は決まっている。
「バードって人だろうって、父さんが言ってた」
「バード…」
「剣の達人らしい。姉さんも戦って重傷を負わされた。相手が本気じゃなかったのと武器が
木刀だったから重傷で済んだみたいだけど」
「…そう…」
　とても静かな、感情のゆらぎなどまるでないような声でユエリはつぶやいた。
　けれどアーサーは、そんなユエリの言葉に眉をピクと動かす。
「ユエリ今…仇を討ちたいって思った？」
「…よく分かったわね」
「分かるさ。そろそろ付き合いも長いんだ」
　苦笑いしながらアーサーが言う。
「それで、やめとけって言うつもり？」
「いいや」
　首を横に振りそう言うと、アーサーは少し寂しそうに笑った。
「あの人の仇を討ちたいって気持ちは僕にもある。そりゃ、ユエリと同じにって言うつもりは
ないけど。けど…無理なんだ。やめるとか手伝うとかそういうの以前に」
「無理って…どういうこと？」
　乗ってくるのでもなく止めるのでもないアーサーの態度に、ユエリは少し不安げに聞く。
「電話で父さんが言ってたんだ…バードは、自分が止めるって。だから僕らには間に合わ
ない。父さんは子供に嘘ついたり、騙したり、約束を破ったりしない…そっちでもそうだろ？」
「………」
　口元を小刻みに震わせながら、ユエリは小さく頷く。
「それじゃあ、きっとそれがエヴィンって人の本質なんだろうな。どんな生き方をしようが、名
前がエヴィン・ハランツだろうが、エヴィン・ロック・フィールドだろうが」
「本質…そう…かもね…」
「ああ。だからもう…仕方ないんだよ…」
「………………」
　仕方がない、そう言われユエリは無言になった。椅子に座ったまま微動だにしない。それ
を見つめるアーサーもまた、動けなかった。だがやがて、ユエリは目頭を押さえ震えだす。
「う…く…ひくっ…えぐっ…」
「ユエリ…」
「う…うあぁああんっ！！」
　仇討ちという行動が消えたことで、ユエリは感情を爆発させ、ディルナの死をただ悲しむ
ことができた。咽び泣くユエリの隣にそっと寄り添うと、アーサーはその肩に優しく手を置く。
「………」
　肩に手を置いたまま、アーサーは硬直した。“大丈夫か？”その一言さえも、言いだすこと
ができなかった。
　そしてそんなアーサーの胸に、ユエリは額を軽く押し当てた。
「…ユ、ユエリ？」
「大丈夫…でもごめん…もうちょっとだけ、こうさせてて…」
「う、うん」
　ユエリの言葉にアーサーはぎこちなく答えた。幸いユエリからは見えていないけれど、その
顔は少し赤い。
「ありがとう」
　そう言ってユエリが顔を離したとき、もう二十分近くが経っていた。泣きはらした顔を見られ
たくないのか、それとも彼女も顔が赤いのか、ともかく視線はあわせない。
「顔、洗ってくる」
　ユエリはそう言い残すとフラフラとした足取りで洗面所へと歩いて行った。そしてユエリがパ
タンとドアを閉じたその音で、アーサーの力も抜けた。
「ふう…」
　背もたれによりかかり、アーサーは深いため息をついた。そんな彼の目に、シャツについた
涙の痕がとまる。
（やっぱり女の子なんだな…戦えば、僕よりずっと強いのに）
　シャツについた涙の跡を見てアーサーは心の中でそうつぶやく。
「くそ…最期に気にかけるくらいなら、なんでもっと直接話したり…優しくしてやらなかったんだ
よ…あのときユエリ、どれだけ傷ついたって思ってるんだ…」
　目をつぶり、感情を押し殺した声でアーサーはつぶやいた。歯を食い縛り、両手の拳は、爪
が喰いこむくらいに強く握られている。言い表しようのない悔しさ、無念さが胸を覆う。
　だがそれも、戻ってきたユエリがドアを開ける音で我に返った。
「…平気か？」
　心配そうに声をかけるアーサーに、ユエリは無言で頷く。しかしその顔は、ちょっとしたことで
すぐにまた泣き出しそうなようにアーサーには見えた。
「なあユエリ、どっか行こうか。天気もいいし」
「そうね…ちょっと付き合ってくれる？」
「もちろん」
　ユエリの返事にアーサーは胸を撫で下ろす。そして少しだけ笑うと、二人は家を出た。

　アーサーは何も言わずユエリについて行った。そして無人の小さな公園に着くと、ユエリは
少し懐かしそうに辺りを見回す。
「初めてお爺ちゃんに会ったのはここだった」
　問わず語りにユエリは言う。
「人の顔みるなり好き放題言って怒らせて、こっちが怒って挑んだら返り討ち…最悪の初対面
だったわね。これ以上ないくらいに」
「これ以上ないくらいに最悪ねえ」
　ユエリの言葉にアーサーは皮肉っぽい笑いとジト目で応える。
「夜道で問答無用に襲いかかるのよりはマシだと思うけど？」
「あ、あのときはまあ…若気の至りって言うか…その.........反省してるわよ」
　顔を真っ赤にして、バツが悪そうにユエリは口ごもった。それを言われるとミもフタもない。
「よろしい」
　得意げに笑いアーサーは言った。そしてその後に
「少しは元気出てきたみたいだな」
　と付け加える。
「元気…そうね」
　言われた言葉にユエリは微笑で応える。
「ねえアーサー、お爺ちゃん、こっちに戻ってくるの？」
「ああ、その予定だって父さん言ってた。ジャンさんもエリーさんにちゃんとお別れをさせたいって
言ってたし、そのへんはツテとかコネとかで何とかするって。…あの人が護ろうとしたこの星で眠
らせてあげたい…そう言ってた」
「そう…それなら」
　微笑に決意が加わった、自信の戻った目つきがユエリに宿る。
「戻ってきたお爺ちゃんに、しょげた顔は見せられない。目一杯駆け抜けてみせる。お爺ちゃんが
作った、バルキリーと一緒にね」
「ユエリ」
　彼女の顔つきがあまりに急に変わったことにアーサーは一瞬呆気に取られた。けれどすぐに、
彼もまたユエリと同じ顔つきになる。
「それなら、僕も付き合わせてもらう。やられっぱなしは性に合わないから」
「頼りにさせてもらうわ」
「へえ…」
　予想外の一言にアーサーは驚く。と、そんな二人に後ろから話しかける声があった。

「そんなとこで何やってんだ、ご両人」
「「エリック」」
　後ろから話しかけてきた級友の名前を、異口同音に二人は呼んだ。
「あ、もしかして邪魔しちまったか？」
「何の邪魔だよ何の」
「そりゃまあ、ねえ。純なオイラにゃ言えねーや」
「…」
　ニヤニヤ顔でそう言うエリックに対し、ユエリ無言の「しっぺ」が手の甲に飛んだ。
「痛えなオイ！」
「あんたがぶたれるような妄言いうからでしょ」
「て言うかエリック、ぶたれるの分かって言ってないか？」
「人を変な趣味もってるみたいに言うなって。ま、立ち話もなんだしどっか入ろうぜ。オゴるからよ」
「どうしたんだよ珍しい」
「いや、さっきちょっとお馬さんでひと山当ててな。万券とまではいかなかったがまあ、あぶく銭は
儚く消えてのあぶく銭だ」
「お馬さんってお前…ギャンブルは未成年と」
「学生は禁止じゃなかったかしら？」
「いんだよ細けぇことは。さ、行こうぜ！」
　二人の肩に手を回しエリックは言った。そして半ば強引に二人を引っ張っろうとする。
「やれやれ…こりゃ付き合うしかないか？」
「そうみたいね」
　言って二人はエリックを間に挟みながら互いの顔を見て笑う。
「ほらさっさと行こうぜ！二人の世界に入ってないでよ！！」
「はいはい」
　苦笑して二人はエリックの後を追いかけた。
　小走りに走りながらユエリは色々なことを考えていた。ディルナのこと、アーサーのこと、そして、
こんな自分に優しすぎるほどに優しいこの世界のことを。
（今はただ、この世界で精一杯に生きてみよう。あらゆる意味で、精一杯に）
　それが、ユエリの決意だった。

　一方その頃、ネオパルマ…

「え…パパ？」
　寮に戻ってきたシェリーはかなり驚いた眼でエヴィンを見た。
「来るとは聞いてたけど…連絡くれれば迎えに行ったのに」
「したんだけどな。電話、つながらなかったぞ？」
「え？」
　エヴィンに言われ、シェリーは携帯電話の電池が切れていたことに気付く。
「あ、そういや昨日充電してなかった」
「やれやれ…案外広かったから迷ったぞ。まあ、そんなことはいいとしてシェリー、いろいろ話を聞
きたいんだが」
「いいわよ別に。部屋、散らかってるけどそれで良ければ」
「今更驚かんよ」
　苦笑してそう言うと、エヴィンはシェリーについて行った。
「いつ着いたんだっけ、昨日？」
「いや、四時間くらい前だ。ホテルに荷物を置いてジャンさんの所に寄って、それからこっちに来た」
「けっこうな強行軍ね。そのわりには疲れてなさそうだけど」
「ビジネスクラス使ったからな。機内ではゆっくり休ませてもらった」
「え〜いいな〜」
　ビジネスクラスの響きにシェリーは本気で羨ましそうな顔をする。
「エコノミーってホント、荷物（扱い）なんだもん」
「それは仕方ないな。父さんは自分で稼いだ給料で乗っているんだし、お前の方が時間に余裕も
ある。それに若いんだ」
「ま〜ねぇ〜」
　そんな雑談をしながら、二人は廊下を歩いた。途中すれ違った何人かが、エヴィンのことを何者
なのかといぶかるような目でチラと見るが、とりあえず気にしない。
　そしてシェリーが自室のノブをひねると、鍵は開いていた。
「あ、ジェニファー先に帰ってたん…」
　扉を開き、そう言いかけたところでシェリーの言葉は止まり、時間と魂は凍りついた。
　刺客がいたのかというとそうでない。ジェニファーはいるし、敵もいない。
　彼女が傷つき倒れていたのかというとそれも違う。机に向かい、書類に目を通している。
　ただ何がシェリーにとって致命的だったかというと…ゴーツ・ドーシュがそこにいたことだった。

「始まりの終わりとなる日々に」トップに戻る

オンライン小説のコーナーに戻る

トップページに戻る