バタン！
即座にドアを閉めるとシェリーはそのまま流れるような動きで１８０度振り返り、エヴィン
の前に立ち塞がった。
「あ、ご、ごめんパパ、ちょっと部屋間違えちゃった。ご、五階だったわ私の部屋」
「…ドアにシェリーと書いてあるが？」
「え…そ、そう？」
額に汗を浮かべながら、シェリーは横目で表札を見る。
「あ、こ、これさあたぶん張り替えちゃったんだわ。昨日ちょっと飲みすぎて泥酔しちゃっ
てたから。や、やあねえ」
「シェリー…普段の嘘は下手だな」
「そ、そんな心外だわお父様私がいつ嘘なんてうわわわわっ…」
突然後ろのドアが開くと、そこに寄りかかっていたシェリーは腕をばたつかせ、思い切
り無様に倒れそうになった。もちろん、普段だったら絶対ありえないことだが、つまりそれ
だけ動揺してた。
「シェリー！」
倒れそうな我が子にエヴィンは慌てて手を差し伸べた。けれどシェリーがその手を掴む
よりも早く、誰かが彼女を後ろから抱きとめる。
「…なに騒いでんだお前？」
「ゴ…ゴーツ…」
見上げると、すぐ真上にゴーツの顔があった。シェリーは飛び退き、顔を赤くし、身構
える。
「な、なんでアンタが部屋にいるのよ…」
「なんでって聞かれてもちょっと寄っただけで他意は無いんだが…て言うか」
ゴーツは視線をエヴィンに向けた。寮のドアは薄い。だからもちろん、表での会話は全
部ゴーツにも聞こえていた。
エヴィンの前に一歩進むと、ゴーツはニコと微笑んだ。そして恭しく一礼をする。
「はじめましてお義父さん」
スパァン！！
「何すんだいきなり！」
「それはこっちの台詞！なんでうちのパパへの第一声がそれなのよ！！」
「何だよじゃあちょっと古風に“はじめまして親父殿”とかの方が良かったのか！？」
「違う！」
「じゃあゴッドファーザーとかビッグダディとか」
「なんでマフィアの親玉みたいな呼び方になるのよ！て言うか父親系の呼び方から離れ
なさいよ！」
「…ジェニファーさん」
ギャーギャー言い合う二人を後目に、エヴィンは苦笑しているジェニファーに話しかける。
「この二人はいつもこんな感じなんですか？」
「はい。基本的にはいつもこうした雰囲気です」
「そうですか」
そう語るエヴィンの表情は、少し和らいだようにジェニファーには見えた。
「ゴーツ・ドーシュ君だったかな？」
肩に手を置き、優しげな声でエヴィンは言う。
「あ、ああ」
「娘から話は聞いていた。異国の地で仲良くしてくれたことには感謝している。もっとも」
その言葉を境にゴーツの肩を掴んでいたエヴィンの握力が一気に強まった。
「君のような息子を持った覚えはないのだが」
「へっ…」
万力のような力で左肩を締め付けられながら、しかしゴーツは不敵に笑う。そして彼も
また、エヴィンの肩に手を置き、そして握力を一気にこめる。
「悪いけど、こちとらアンチェインを名乗っているんでね。あんたのことをどう呼ぼうが、
俺の勝手だ」
「アンチェインねえ…うちのバカ娘と同じようなことを言う」
「悪かったなあバカ息子まで同じことを口走っちまって」
「バカ息子？私に息子は一人しかいない。そしてその息子はバカでもなければ自分のこ
とをアンチェインだなどと口が裂けても言ったりはしない」
「ふふふ…」
「ハハハ…」
お互い口元は笑いながらも、目を微塵も笑っていない。互いに肩を掴む握力は無制限
に強くなる。そして、先に額に脂汗を浮かべたのはエヴィンの方だった。
「どうした親父？顔色が悪いぜ」
「だから言っているだろう、君に父親呼ばわりされる筋合いはないと！」
言うと同時にエヴィンの親指がゴーツの肩にあるツボを押した。
「！？」
瞬時に体から力が抜け、ゴーツの膝がガクリと落ちる。だが膝が地面につく、まさに紙
一重のところでゴーツは踏み止まった。
「セコイ真似してくれるじゃねえか…」
エヴィンを見上げ、少しずつ体勢を戻しながらゴーツは言う。だがエヴィンにも悪びれる
様子は見られない。
「君の方が若いし体格もいいんだ。これくらいはしてもいいだろう？」
「ああ。別に文句はねえよ。正面からじゃ勝ち目がないって認めたようなものだからな」
「…思っていたより、口は達者なようだな？」
「拳はもっと饒舌だぜ？なんなら語ってみるかい？」
「拳か…」
ゴーツの提案（？）にエヴィンはニヤリと笑う。
「悪くないな。本番前にウォームアップはしたいと思っていたところだ。それに君とだったら、
シェリーとやるよりもはるかに力と気持ちの篭った拳を振うことができる」
「ウォームアップだと…その言葉、高くつくと思っといた方がいいぜ…ってうをっ！？」
その言葉とともにゴーツがエヴィンに挑みかかろうとした瞬間、シェリーが彼を後ろから抱
き止め…いや、クラッチしていた。腰を落とし、重心を低く取る。腕はゴーツの胴に回し、頭
は彼の背中に押し当てた。
「いい加減に…」
瞬間、ゴーツは全身から重力が抜けていくのを感じた。視界は斜め上に上昇し、やがて天
井がくっきりと見える。
「しなさぁいっ！！！」
そして次の瞬間、彼の視界は天地が真逆になり、まるで遊園地のアトラクションのように急
降下した。
ズガァンッ！！
「………」
目の前で突然起きた出来事に、さすがのエヴィンも言葉を失った。突進の速さ、技の角度、
そしてタイミング…どれを取っても非の打ちどころのない、見事なまでのジャーマン・スープレ
ックス・ホールドだった。
「…ワン…ツー…」
技を決めたままの姿勢で動かない二人を見て、ジェニファーが小声でカウントを取る。だが
スリーのスの字を言いかけたところ、プロレスで言うのならカウント２．５のところで、ゴーツは
切り返し、立ちあがった。
「お前なあ…マジで痛かったぞ今の！？」
「アンタが変なことばっか口走って話の流れを細切れにするからでしょ？」
「だからってスープレックスはねえだろスープレックスは！て言うかお前、タイマンへの加勢も、
不意打ちも、背後からの一撃も、どれも嫌いだって言ってただろが！今のはいいのか！？」
「そもそもタイマンに発展させたくなかったの！」
「はいはい、ケンカはそこまで」
放っておいたらいつまでも続きそうな口喧嘩にジェニファーが割って入った。
「まったく…エヴィンさん困ってるじゃない。いつまでも本題に入れないから」
「あ、あはは…で、でもさ本題に入るんだったら場所変えない？何せ…」
言葉をそこで止めるとシェリーはツカツカとドアへと歩いた。そしてドアをバタンと開く。
「ギャラリー増えすぎちゃったから」
部屋の外で聞き耳を立てていたクラスメート数人に視線を投げながらシェリーは言った。
「や…やあシェリー」
シェリーにジロリと見られ、クラスメート達は後ずさる。
「あんた達…趣味悪いわよ？」
「え、いやあ…なんか騒がしかったし」
「そうそう、何か事件か事故でも起きたのかと思ってさ」
「い、いいのよ私達に構わず続けてくれて。ささ、どうぞどうぞ」
「構うに決まってんでしょ、はいはい散った散った」
そうしてギャラリーを追い返すとシェリーはまた扉を閉じる。
「とにかく場所変えましょう。ジェニファー、どっかいいとこない？」
「待って。今調べてる」
ポケットから出した携帯端末をいじりながらジェニファーは言った。
「３つ隣の駅前にウェンフィールド財団の多目的ホールがあるわ。今日は使用予定も入
っていないようだし、そこを使いましょう。私のＩＤカードが鍵になるし」
「多目的ホールか…いいね。助かります」
ジェニファーにエヴィンは軽く頭を下げた。
「けど、このメンバー全員で連れ立っていたら目立たない？」
「それもそうね。じゃ私はゴーツと先に行って鍵開けてるから、シェリーとエヴィンさんは後
から来て」
「そうね…ってパパ、ゴーツも一緒でいいの？」
「構わんよ」
不安そうなシェリーに対しエヴィンは即答した。
「どうせ拒否してもついて来る気なんだろう？」
「まあ、そういうことだな」
「胸張って言うことでもないと思うけど…じゃあ先に行ってるわ。シェリー、戸締りよろしく」
言うとジェニファーとゴーツは部屋を出た。
「しかしゴーツ…それにしても」
寮を出たところでジェニファーの表情が崩れ、呆れ顔になる。
「第三者として言わせてもらうけど、エヴィンさんへのあの態度は無いでしょう」
「ああ、あれか。慣れてないもんでな。何が正解か分からなかったから、とりあえずインパ
クト重視で行ってみた」
「インパクトねえ…まあ、たしかにインパクトはあったでしょうけど」
ゴーツの言葉を受けてジェニファーは深いため息をつく。
「そのインパクトがプラスかマイナスかくらいシミュレーションしてほしかったわ。けど、“慣
れてない”ねえ…」
「それがどうかしたのか？」
「いえ、たぶんあの場面、状況に慣れていた人は誰もいなかったなと思って。あんな風に
挑発で返すエヴィンさんも、いくら焦っていたって言ってもいきなり投げ技かますシェリー
も。“我々は皆、どこか少しおかしい”そんな慣用句そのままの状況だったわね」
「他人事みたいに言うけどな」
歩きながらゴーツも皮肉っぽく笑う。
「急に横でカウント取り出すお前もなかなかいつもと違ってたぞ？」
「あれはつい思わず。プロが見たらスカウトしそうなくらいの決まり方だったんだもの」
「もしかして、プロレス好きなのか？」
「ま、嫌いじゃないわね。今度みんなで見に行く？」
笑ってそう言うと、ジェニファーは歩くペースを速めた。
「ねえパパ…」
戸締りを確認し、カバンに入っていた荷物のいくつかをポケットに移し替えながら、シェ
リーの表情はどこか不安げだった
「さっきのゴーツのこと…怒ってる？」
「いいや」
娘に不安を紛らわすように、エヴィンは軽く首を横に振る。
「むしろお前の問答無用さに度肝を抜かれたな。引っ叩いたり投げ飛ばしたり…あんな
ことしてると友達なくすぞ？」
「あ、あれはまあ…ちょっとパニクってたって言うか」
「あとでちゃんと謝っておくように」
エヴィンにそう言われ、シェリーはバツが悪そうに頷いた。そんなシェリーを見てエヴィン
は少し笑う。
「それにしても家じゃいつも周囲を振りまわしていたお前をああも振り回す人間がいるって
のは意外だったな」
「まあね」
シェリーは軽く肩をすくめる。
「こっちに来てから振り回されっぱなしよ。ゴーツもそうだしア」
自分の言いかけた名前がＮＧワードであることに気付き、シェリーは言葉を止める。幸い、
エヴィンは気付いていないようだった。
「どうかしたか？」
「ううん別に。ところでパパ…バードと戦うつもりなんだよね…」
「一応な。だから、これからする話に彼がついてくることも拒まなかった」
「！！」
エヴィンがそう言うと、シェリーは驚きの目で父のことを見た。ゴーツとバードの関係に
ついて、シェリーはエヴィンに話をしていなかった。隠すというより、言い出せずにいた。
「その話一体誰から…ってジェニファーに決まってるわよね」
「ああ。お前からは言いだしづらいだろうからと言っていた。彼が今も、バードのことを師
匠と呼んでいることもな」
「そう…でも、別にゴーツは」
「分かっている」
不安げに言葉を返そうとするシェリーに、エヴィンは優しく微笑んだ。
「さっきのお前とのやり取りを見ていれば分かるさ。彼はお前を不幸にするようなタイプの
人間じゃあない」
「パパ…」
心の荷が一つ下り、シェリーの表情がほころびかける。
「ただし、苦労は山ほどかけそうなタイプだがな」
「は、ハハ…」
その一言でシェリーの表情はほころびかけたまま引きつった。否定したいが、あいにく
材料が見当たらない。
「それに、彼が本当に僕を親父と呼びたいのなら、それ相応のハードルは設けるぞ」
「パパ気が早い。私まだ１８よ？それより先に、したいこともやらなきゃいけないことも山
ほどあるっての」
「それもそうだな。じゃ、じっくりいかせてもらうとするか。行こう、そろそろいいだろう」
言うとエヴィンは部屋を出た。
（パパ…）
その背中を見ながら、シェリーの胸を別の不安がよぎる。ジェニファーがゴーツのことを
エヴィンに報告しているのなら、他のことはどういう風に告げているのだろうかと。
（特にあの子のことはね…）
エヴィンの背後で、シェリーの表情は次第に硬くなる。と、誰か右隣から話しかけてきた。
「どうしたんですお姉さん、浮かない顔して」
「ちょっと悩み事がね…て言うか誰のせいだと思ってるのよ」
「誰のせい？なんか僕のせいみたいに言いたげですね」
「そうに決まってんでし…って！？！？！？」
かぶりを振り、シェリーは辺りを見回した。隣には誰もいない。
（幻聴？）
一瞬シェリーはそう思ったが、それにしては声がはっきりしすぎていた。
「空耳とかじゃないですよ」
今度は左隣から声がした。その声にシェリーはまた振り返る。するとそこには、さっきま
では間違いなく誰もいなかった場所には、シェリーがよく知る少年が立っていた。
「ひどいなあ。拗ねちゃいますよ？」
驚きで言葉も出ないシェリーに、アルケミストはそう言って微笑んだ。
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