そして二人はホールに向かって歩き出した。その道中、シェリーはジェニファー
に、父とどんな話をしたのかを聞いてみる。
「大したこと言ってないわ」
不安げなシェリーを気遣うように、ジェニファーはあえて軽く答える。
「私が伝えたのはあなたとアルケミストの、戦いの結果だけ。もっとも、言われな
くても分かってたみたいだけど」
「分かってた？」
「二人とも勘がいいから、何か感じたんじゃない？とりあえず、部屋での話はして
ないわ。そこは、あなたの管轄だと思ったから」
「ありがと。そうね…やっぱり、私の口から言わないとね…」
か細い声でそう言うと、シェリーはもう何も言わなくなった。そこから二人はほと
んど無言でただ駅に向かい、ただ地下鉄に乗り、ただ待ち合わせの場所に向か
った。
「お待たせしました」
二人が待ち合わせの場所についたのは、寮を出て２０分くらいしてからだった。
ジェニファーはエヴィンに一礼して挨拶するが、隣にいると思ったゴーツはいない。
「あれ？ゴーツは…」
「ちょっと席をはずしてるだけだ。すぐに来るさ」
「ふ〜ん」
相槌を打ってシェリーはエヴィンのことを見た。本人は気にする様子もないが服
はかなりボロボロで、それが戦闘の激しさを物語っている。
「着替えいるなら何か探してきたのに」
そんな父に対してシェリーは、心配するよりも無頓着さに呆れてため息をついた。
「ん…そうか？ま、多少は汚れてるが…」
「そんなんだから、いつまで経ってもコーディネートがママ任せなのよね。アーサー
だって、もう少し身なりに気ぃ使ってるわよ」
「ハハ…」
エヴィンは苦笑で娘のツッコミをやり過ごそうとした。
ちなみにシェリーは戦闘後シャワーを浴びる時間があったし、着替えてもいた。
服装は七分丈のジーンズに薄いピンクのカジュアルなシャツ、彼女の持ち服の
中では、かなり女の子らしい格好と言える。
「あ…ゴーツ」
ゴーツがやってきたのは、エヴィンの言うとおりそれから間もなくだった。ただ
その顔は、いつもの彼とは少し違う。
「よう…ってなんか色々あったってツラしてんな」
自分が思っていたのと全く同じことを逆に言われても、シェリーはあまり驚かな
かった。目薬をさしても、父親に軽口を叩いても、根っこのテンションの低さは隠
し切れていなかったらしい。
ちなみにここに来る前、化粧品も貸そうかとジェニファーに言われたが、むしろ
不自然だと断っていた。
「ジェニファー、ここのカギ貸してくんねえか？少しシェリーと、二人で話がしたい」
「え…」
さっきの言葉には驚かなかったが、今度の言葉には驚いた。
それでシェリーはゴーツよりもまず、父エヴィンの顔を見た。
けれどその顔は能面のように無表情で、縦にも横にも首を振らない。
ジェニファーも、そんな彼の反応を見てか、無言でドアのロックを開けた。
「中の構造は…」
「軽く確認した。表に書いてあったからな」
それだけ言うとゴーツは、静かに中へと入っていく。
シェリーはそれでもまだためらいがあったが、何か周りの空気と見えない力に
背中を押され、ゴーツを追って中へと入った。
そして二人の姿が見えなくなると、ジェニファーはエヴィンに話しかけた。
「トライデントと戦ったことまでは聞いていました。でも、それだけでは済まなかっ
たのですね」
「そうだな…本当に、いろいろあった。けど、それを言うならシェリーのあんな顔
も初めて見た」
ため息をついてそう言うと、エヴィンはベンチに腰を下ろす。
「来てよかったよ。どうなるか分からないことは色々あるけど…来てよかった」
まるで自分に言い聞かせるかのように、エヴィンはそうつぶやいた。
「………」
人気のないホールの中、ゴーツは後ろを振り向かず真っ直ぐに歩いていた。
ホールの中には二人以外誰もおらず、照明も空調もついていない。今は昼間
だから暗くて不自由を感じることはないが、それでも薄暗いし、少し蒸し暑いし、
何より空気がひどく重苦しい。
「ねえゴーツ」
空気の重さに耐えかねてシェリーが後ろから声をかける。だがゴーツはそれに
も答えず、さらに前に進む。
そして目の前にある二枚戸の大きな扉を開けて中に入ると、ゴーツはそこで初
めて壁の電源スイッチを入れた。
「ここって…」
中に入り、シェリーはあたりを見渡した。空気には独特な匂いがあり、中央
には広いマットが敷かれ、それを取り囲むように平均台、跳び箱、段違い平行
棒などの器材が一通りそろっている。かなりしっかりしたジムだった。思い切り
身体を動かせる環境に、ゴーツと自分が二人きり、これがどういう意味なのか、
答えは一つしかない。
「ゴーツ」
靴を脱ぎ、マットにあがるゴーツに対し、申し訳なさそうにシェリーが言う。
「私、もう一度あなたとガチで勝負してみたいと思ってた。前に戦ったときも、
いろいろあったけど楽しかったし。けどごめん、今はそういう気分じゃ…」
「わかってるよ」
初めてシェリーの目を見てゴーツは言った。
「お前がアルケミストに勝ったって思ってたから、戦いたいと思ってた。けれど
実際に会ってみたら、そんな気持ちもどっかに行った…負けたんだな」
「うん…」
力なくシェリーは首を縦に振る。
「…じゃ、じゃあ、なんでこの部屋に？？？」
「表でジムがどこにあるかしか確認してなかった。適当なドア開けて変な部屋
だったら気まずいからな」
「変な部屋って？」
「散らかりまくってる物置とか…あとは、ベッドのある仮眠室とか？」
「…あるの？」
「みたいだぞ？」
「ぷっ…」
照れ臭そうにそう言うゴーツの言葉にシェリーは思わず吹き出した。そんな
シェリーの顔を見て、ゴーツも少しだけ笑う。
そしてシェリーは軽く息を吸い、“よし”と言い聞かせて口を開いた。
「あの子…ボイスの子供だった」
「そっか…」
その言葉を皮切りにシェリーは、アルとのやり取りを一通り、余さず語った。
そしてその表情は、また何とも言えず寂しげなものになる。
「信じらんないけど、本人ホントに気付いてないっぽいのよね。私、アルを教団
から引き離すのが正しいことだって、ずっと思ってきた。あんな子が、あんな所
こにいちゃいけないって。けど…それにあの子、すごく大事にされてる…元々
独りよがりかもしれなかった気持ちに、なんとか心の中で大義名分つけて頑張
ってきたけど、それもなんかさ…」
「シェリー…」
言葉が小さくなっていくシェリーにゴーツはもう一度、視線を向けた。そして、
いつもの彼女とは違う、物憂げで影のある表情に、心臓がドクンと脈を打ち、
雑多な感情が抑えきれずにこみあげる。
そして次の瞬間、意識が思うよりも早く、彼はシェリーを押し倒していた。
「え…」
瞬間、シェリーは何が起きているのか分からなかった。感じるのは自分が身
動きできないくらいに強く自分の両肩を押す、ゴーツの両腕の力と、背中を押
すマットの感触だけ。目の焦点すら、すぐには合わなかった。
「えっと…ゴーツ？」
ようやく焦点が合うと、近すぎるくらい近くにある、真剣で思いつめた相手の
顔にシェリーは言った。その声は他人行儀で、顔は引きつった笑い顔で、そし
て頬はだいぶ赤い。
「も、もしかして…敵だ伏せろ、とかだったりしたりする？」
「………」
「じ、実は背中に矢が刺さっていたり…」
「………」
「あ、あのさ…」
シェリーはまた口を開きかけた。
けれどそこから先、口を動かすことができなかった。
「………」
トクン・トクンという心拍音はもう、自分の耳に聞こえるくらいになっていた。
顔が真っ赤なことは鏡を見なくても熱さで分かった。
（どうしよう）
そう思っても身体に力が入らない。
腕はともかく自由に動かせる筈の両脚もピクリとも動かない。
目の前の相手を見つめながら、ただ頭の中だけがグルグルと回っていた。
（あ………）
けれどそんなシェリーも、ゴーツの顔がさらに近づいてくるとその目をギュッ
と閉じる。
（シェリー…）
それを見て、ゴーツも目を閉じた。
やがて二人は、そっと唇を重ねる。強引なアプローチとは対照的な、優しい
キスだった。
（シェリー！）
体の下でシェリーが緊張しているのが伝わってきて、そのぎこちなさもゴーツ
には愛おしかった。唇を重ねたまま右手、そして左手とシェリーの肩から放して
背中に回す。意外なほどにか細く、柔らかい背中をゴーツはギュッと抱きしめた。
このときゴーツは、シェリーも自分のことを抱きしめ返してくれることを少し期
待していた。
けれど拒否はなかったけどそれもなかったから、ゴーツは静かに腕を解いた。
顔を見ると、シェリーはまだボーッとしていた。右手は胸に当てて、左手は人
差し指と中指でそっと唇を撫でている。
「あ、あのさシェリー」
少し挙動不審な感じにゴーツは声をかけた。正直、かなり今さらなのだが。
「その…嫌…だったか？」
「…う、ううん…ただ、ちょっとびっくりして…」
ぎこちなく首を横に振ると、シェリーはたどたどしくそう言う。
「そ、そっか…」
シェリーはウソをついたりしていない、それは考えなくても分かった。
でも分かった上でゴーツはどうしてももう一つ、聞きたいことがあった。けれど
それを聞く勇気が、もうひと押し足りない。
それでしばらくまた、沈黙の時間が流れた。
隣に座っているシェリーを見ると、多少落ち着きを取り戻した彼女も何か考
えてるみたいだった。
沈黙に耐えかねたゴーツは、思わず何を考えているのか聞いてみる。
「あ、うん。ちょっと気になってたんだけどさ」
「俺に、相談に乗れることか？」
「うん。て言うか、ゴーツのこと考えてた」
「俺の？」
「うん。なんかゴーツも何かに負けたみたいな顔してたけど、それが何なのか
な〜って思って」
「い゛…」
墓穴を掘ったゴーツの額に、一筋の冷や汗が走る。
「教えてくれるよね？私も言ったしさっきのキス…初めてだったんだから」
その一言は、ゴーツにとってあらゆる意味で完璧な殺し文句だった。
観念した彼はフウと一息つくと“ま、まあ元から話すつもりだったんだけどよ”
とバツの悪そうな顔で前置きをする。
「さっき会ったんだよ。そのボイスに。アルケミストの父親に」
ゴーツはそう言って、そのときの出来事を語りはじめた。
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エヴィン、ゴーツ、エレナ、シーレン、彼ら四人の前に現れたその男は、散
歩でもするかのような足取りで彼らの方に近づいてきた。
白髪の多い、６０代半ばの紳士然とした風貌、服装は髪の色とよく似た、
しかしやや濃いめなグレーのスーツに、同じくやや暗い赤のネクタイ、一見
すると銀行か、どこかお固い企業の重役のようにしか見えない。
「ボイス…ですね」
誰よりもはやくそう言ったのはエヴィンだった。一応疑問形だが確信はある。
「そう言う君は、エヴィン・ハランツか」
「ええ」
表向きは互いに礼儀をわきまえた物言いだった。エヴィンはまず答え、相手
の出方を待つ。
だがそんなエヴィンをはぐらかすかのように、ボイスは無言で左腕をすっと軽
く挙げる。
すると上空にいたフィノが、音も無く彼の腕に舞い降りた。
「ピイ…」
ボイスの顔を見て、フィノは一回悲しげに鳴いた。
ボイスは微笑み、そんなフィノの顎先を軽く撫でる。
「君は彼のところに行きなさい。ここはもういい。言いたいことはよく分かった」
「ピイ」
人間相手に話すかのようなボイスの言葉に、鳥類であるフィノの顔が何だか
晴れやかになったようにみんなに見えた。
そしてフィノは再び大空に羽ばたき、間もなく姿が見えなくなる。
それからボイスはおもむろに、その視線をまずはエレナに向けた。
「トライデント」
「…はい」
短く答えるその声は、少し震えている。だがそれに対するボイスの言葉は、
あくまで静かだった。
「君がエレナ・バーンハイトであったときのこと、それは私にとって大切でない。
それが、君を同志として迎え入れるときに交わした最初の約束だった。私は、
己の発した声に忠実であろうと思う」
「………」
ボイスの言葉にエレナは沈黙した。それからボイスは、その目でエヴィンを
見る。
「先ほどフィノが教えてくれたよ。シェリー・ハランツが、君の娘が、アルケミス
トを打ち倒したとね」
「ええ、何となくわかっていました」
「これでダブルフェイスに続き二人目だ。これ以上、この地で好き勝手に振る
舞わせることはできない」
静かな、しかし湧きあがるような威圧感のある物言いだった。
だがその言葉にも、エヴィンの心は揺らがない。
「その言葉、そのままあなたにお返しします。これは、警告です」
「警告…それは、どういう意味かな？」
「かつてネオパルマに在ったダーク・ファルスの魂は今、永劫の宿業より解き
放たれ、再生のための眠りの内にある」
「…まるで見てきたかのように語るのだな」
「事実、見届けた」
言ってエヴィンは、その背に闇の翼を展開させた。
「自身が受け継いだもう一つの闇、アリサ三世号に在ったダーク・ファルスの
力によって。あなた達の教義がダーク・ファルスの崇拝だと言うなら、私の言
葉に従ってもらいたいものだが」
「…何をほざく」
そのとき、ボイスは初めて明確な敵意をエヴィンに見せた。
「天空より地に堕ち、節を変え、眷族を殺める。我らの教えでは、それを天魔
と呼ぶ」
声調低く、そして吐き捨てるような物言い。だがエヴィンはそれを鼻で笑う。
「あいにく、その呼び方は僕をあらわすのに適切ではない」
「ほう？」
「闇の神子…かつて人は、僕をそう呼んだ」
エヴィンは身を少し屈め、ネイソードの柄に手をかける。
「この年で再びその名を出すとは思わなかった。だがその力、衰えはない」
エヴィンの表情から感情が消え、その目に氷の刃のような冷たさが宿る。
それは彼が、おそらく生まれて初めて見せた表情だった。
「見なさいトライデント。あれこそが奴の本性だ。悪魔は常に、微笑みの仮面
をまとい人々の前に現れる」
「…ボイス…」
ボイスの言葉に、エレナは何かを言いたげだった。けれどそれが何だった
のか、第三者には分かりようもない。
ただ確実に言えるのはそんなエレナの様子なんか二人の眼中には入って
ないこと、そして両者激突の瞬間が迫っていることだけだった。
だが、そんな二人の間に、ゴーツは悠然と割って入った。
「言ったろオヤジ、せっかく有休とってネオパルマまで来たんだ。娘とのんび
り観光でもして、美味いもんでも食ってなって。あいつも普段、学食メシばっ
かりみたいだからさ」
エヴィンの動きを右腕で制しながら、からかうような口調でゴーツは言う。
「君…」
「第一、闇の『神子』って年かよ？その年で言っちゃ、さすがに寒いぜ？」
「む…」
ゴーツに何か言いかけたエヴィンだったが、その一言に思わず黙り込んだ。
どうやらそこだけは図星だったらしい。
そしてそんなゴーツとボイスの目が合った。
「君は…いつからここにいた？」
今更の台詞だった。一瞬冗談で言っているのかと二人は思ったが、どうも
本気で目に入っていなかったらしい。ボイスは、膨張させた自身の殺気を、
一度収めた。
「いつからって…気付いてなかったのかよ」
呆れ顔でゴーツは言う。だがそんな彼の声は今、ボイスの耳に入ってない。
「エヴィン・ハランツ、君は彼に、代わりをさせるつもりか？」
「ありかなと思いますよ？一応大学教授ですから」
肩をすくめてエヴィンが言う。
「教育者である以上、後進を育てるのも仕事のうち、そう言いたいのだな」
言ってボイスは、見下した視線をエヴィンに向ける。
「やはり天魔だ。甘言を弄し、若輩者を捨て石に使うか」
「怖い事を言わないでもらえますか」
下種の勘繰り、言外の態度に思い切りそれを表しながらエヴィンは言い
返す。
「彼はシェリーをを嫁にくれと言っている。あんなバカ娘を嫁に貰おうなんて
奇特なご仁、傷つけるなんてもってのほか、足には黄金の靴を履き、迎える
に三顧の礼をもって迎えても、過分ということにはならない」
「オヤジ…」
エヴィンの言葉に、ゴーツの口元が一瞬ほころぶ。
「ただ、シェリー・ハランツの婿としてはそうであっても、僕の息子としてなら
話は別だ。相応の力を見せてもらわなければ、我が家の絨毯を踏ませる
わけにはいかない」
「…なんだそりゃ？ま、どっちにしろさ」
その言葉を境に、ゴーツの目つきが変わった。
「こいつは、俺が潰す」
「なんとまあ…」
ゴーツの気迫を正面から受け、ボイスが言う。少し、間の抜けた声だった。
「さっきからどこかで見た顔だと思っていたが…君は、バードの養子か」
「ふざけんな！」
ゴーツは顔を真っ赤にして怒鳴る。
「単なる元弟子だ！あんなの親に持った覚えはねえ！」
「そうだったか？前にバードがそう言っていたと思ったのだが。しかし変わっ
たな」
「変わった…俺が？」
「そうとも」
ボイスは意外に嬉しそうに頷いた。
「以前の君は、心が光に覆われていた。しかし今の君は強い殺気をもって
いる。焦りがあり、劣等感があり、悔しさがある。私にはそれが、手に取る
ように分かる」
「…テメー…」
「だがそれを恥じることはない。そのような心の闇こそ、深遠を求める道行
となる。そして私は、君のような者とともに歩むため、この世に在る」
ゴーツにそう語るボイスの言葉はあくまで優しく、励ましと包容力に満ち
ていた。
けれどそんなボイスの言葉に、ゴーツは嘲笑で返した。
「クク…分かったようなこと言うじゃねえか…インチキ野郎の常套句をよ！」
（ほう…）
二人のやり取りを横で見ていたエヴィンは、彼の反応に少し安堵する。
（思っていたよりも強いな）
エヴィンは素直にそう思った。
「ガキの頃の俺が光に覆われていた？今の俺がロクでもねえ感情に満ち
てる？そんなの年喰えば当たり前だっつーの！ったく、前世の因縁持ち
だして壺とか売りつける、インチキ商売人そのものだな！」
「貴様！」
ゴーツの啖呵に顔色を変え、銃口を向けたのはエレナだった。けれどエ
ヴィンは瞬時にエレナと、彼女の背後にいるシーレンを無言で牽制する。
「…分かった、そこまで言うのなら、相手をしよう」
軽く一回息をすると、少し呆れがちにボイスは言う。と同時に、ゴーツが
全身から放つ気迫が、瞬時に一変するのを場にいた全員が感じた。
「大した気迫、それに殺気だ…だがそれだけの殺気を持ちながら、なぜ、
すぐに来なかった？そこの天魔に、卑怯な男と思われたくなかったか？」
「さあな！」
もうゴーツは、相手の言葉や動きを待たなかった。矢のような瞬発力で
間合いを詰めながら、鉄拳をボイスの顔面に振り下ろす。
ブォンッ！
そんな風切り音を立てながら放った一撃は、しかしボイスの二本指に
より受け止められていた。
「言葉は大事、声は大事だ。言わなければ分からぬ、伝わらぬ、実現も
せぬ。君がどんなに執念をこめても、私の指はそれを逃さず受け止める」
「らしい言葉だな！」
そう吐き捨てるとゴーツは次に蹴りを放った。丸太のような右脚が放つ、
鉄板をも打ち抜く威力の中段蹴り、だがそれも、ボイスは指二本でピタリ
と止める。
「ならよ！」
止められた蹴り足を引くと、ゴーツ怒涛の連撃が始まった。だがそれも
全て、ボイスの指に受け止められ続けた。
（これは…）
二人の攻防を見て、エヴィンは不思議な感じを覚えた。ボイスがゴーツ
の攻撃を防いでるのではなく、ボイスの動きにあわせてゴーツが攻撃を
繰り出しているかのように見える。
しかもそれはエヴィンだからそう感じるのではなくて誰が見てもそう感じ
るだろうとエヴィンは思った。
「ドーシュ君！」
「るせえ！」
感じたことを伝えようとするエヴィンに、ゴーツはそう叫んで返す。
「アンタの言いてえことは分かってる！その上でだ！！」
言うやゴーツのラッシュのスピードが一気に上がった。
「む…」
ボイスは少し眉をひそめ、それでも攻撃を防ぎ続ける。
だがついに、ゴーツの放った右のボディブローがボイスを捉え、そして
相手を数メートル先の壁まで吹っ飛ばした。
「ボイス！」
壁に叩きつけられうずくまるボイスにエレナが駆け寄る。
けれど彼女がボイスのそばにいくよりも前に、ボイスはゆっくりと立ち
上がった。
「こちとらレネゲイツ、アンタがどんな力を持っているかくらい知ってる」
立ち上がるのを待ちながら、エヴィンにも聞こえるようにゴーツは言う。
「あんたは呼び名の通り自分の言った言葉を能力としてその身に纏うこ
とができる。大方ここに来る前に、防御系の言葉を纏っていたんだろう」
「…よく知ってるな」
「この情報掴むのに苦労したからな。ついでに言うと言葉を相手に纏わ
せることはできないことや、複数同時に纏うこともできないってのも知っ
てるぜ」
知識を披露しながら、ゴーツは再びファイティングポーズを取る。
「攻撃に回せば防御はできねえ！防御も俺の力なら超えられる！さあ
どうする！」
間合いを詰め、懐に飛び込み、ガラ空きの胴体めがけ渾身の一撃を
放つ。
だがその結果、吹き飛ばされていたのはゴーツ本人だった。
「な…」
「簡単なことだ」
今度はゴーツが起き上がるのを待ちながらボイスが言う。
「私への攻撃は全て本人に跳ね返る、そう言えば事足りる」
「………」
「それにさっきの防御壁を超えたのも、君が初めてではない。バードや
ブラウニーは、息も切らさず超えてのけた」
「フン…」
立ち上がり、ゴーツは服の埃を払う。
「だったら今度の反射も乗り越えてみせるさ。同じく限界はあるんだろ？」
「だろうな。双方にリスクがありすぎて、ブラウニーにもバードにも、あえて
挑ませはしなかったが」
「上等！」
「…勝負ありだ」
「……？」
「君はもう負けている。同志となるのなら受け入れる価値は上がったが、
敵として戦う値打ちは砂の一粒ほども存在しない」
「な…ん、だと…？」
「分からない？ボイスの言葉の意味」
虚を突かれたゴーツにエレナが横から言う。
「力が足りなければ自分が致命傷を負う、その状況なのにあなたの心に
は悲壮感や覚悟が皆無だった。無論、それを超越するものもない。つま
り、いざとなったらエヴィンく…・ハランツが助けてくれる、その程度の心意
気しか持ち合わせていない。彼には引っこんでろと言いながらね」
「ち、違う！」
「違わないわよ。エヴィン、あなたもそう思うでしょ？」
「それはどうかな。ただ、そんな厄介な能力が相手だったら、僕が最大火
力を叩きこむべきだとは思っている」
そう言うとエヴィンはネイソードを少しだけ鞘から抜き、その刃を見せた。
同時に背には闇の翼を展開させ、両者の力は互いに無限の高まりを見
せる。
「スぺリオンバースト、眷族を殺めた力、結果はいずれかの消滅のみ。受
けてみますか？ボイス」
「いや…さすがにやめておくことにしよう」
「それが賢明ですね、お互いにとって」
言葉とともにエヴィンはネイソードを鞘に納める。同時に翼の力も消えた。
「良い物を見た」
そう言い残すと、ボイスの姿は忽然と消えた。同時にエレナとシーレンも。
「ドーシュ君…」
うずくまって動かないゴーツに歩み寄り、エヴィンは声をかけた。ただエヴ
ィンをもってしても、なんて言葉を続けたらいいのか分からない。勢いとは
言え、いらん物を見せたという後悔もある。
「ずりいよ、あんな隠し玉…」
「想いが受け継がれた大切な力だ。僕には過ぎた物だし、見せびらかす物
じゃないと思ってる。だから隠した」
「俺がボイスと戦ってるとこ…内心笑って見てたのか？」
「そんなことはない。少なくともあの手数の多さと速さは僕には真似できない。
それに少なくとも、君は教団の総帥を相手に真正面から挑んだ」
「そりゃどうも…」
座り込んだまま、ゴーツはしばらく考え込む。そしてゆっくり立ち上がった。
「さっきの俺、やっぱりオヤジのことアテにしてたと思う」
「そうか」
「そこだけはあいつに感謝だな。俺は弱い。色んな意味で。ずっと目を逸ら
してきた物に、少しは向き合いたくなってきた。そうしないと俺、シェリーと
肩を並べられない気がする」
「…うちのバカ娘を、ずいぶん高く買ってくれるんだな」
「そんなんじぇねえよ…だから、その、ちょっと鍛え直してくるからそれをシェ
リーに伝え」
「言うのは構わないが」
エヴィンはそう言って、ゴーツの言葉を途中で遮る。
「あの子の性格からして、 黙ってどっか行ったら確実に嫌われるぞ？」
「ぐ…」
エヴィンの指摘に、ゴーツは文字通りぐうの音も出ない。
「分かったよ。そんじゃ、行こうぜオヤジ、とりあえず最初の待ち合わせの
場所にさ」
ムシャクシャ混じりの声でそう言うと、ゴーツはまた歩きはじめた。
----------------------------------------------------------------------------
「…って言うのがまあ、これまでの流れだ。正直、カッコいい所が何一つない話
なんだが」
「ちょっと待って…ゴーツ、どこか行くつもり…？」
不安げな顔でゴーツを見つめ、シェリーが言う。その表情もまた、ゴーツにとっ
ては初見だった。
「そのつもりで来た。そうでないと、今の俺じゃお前と、シェリー・ハランツと対等に
なれないって、そう思った」
「そんなこと！私、そんな大した女じゃ」
「大した女だよ。そしてそんな、Ｓ級を二人も破ったシェリー・ハランツに手合わせ
願って、ブッ飛ばされて踏ん切りつけたいと思ってた。けど…」
「けど？」
逆接の一言にシェリーの耳がピクと動く。
「けど、落ち込んだお前を見て、自分のヘマを話してたら、話してるうちになんて
言うか…な」
「ゴーツ…」
「正直言って、今の俺の気持ちをどういう風に言えばいいのかすら分からない。
こんがらがってるし、整理をつけなきゃいけないことも、モヤモヤする物も山ほど
ある。けど、そういうの全部超えて根っこにある気持ち、それは…」
「それは…」
「お前が欲しい」
「ちょっ…」
ダイレクトすぎる物言いに、シェリーは思い切りむせた。
古典的漫画表現だったら、たぶんずっこけていた。
「あんたねえ…屈託のない笑顔で吐くセリフそれ！？」
実際シェリーがそう突っ込まずにはいられないくらい、そう言うゴーツの顔は
晴れやかだった。色んな気持ちを全部飲みこんで、思う気持ちをド直球にぶつ
けた、言葉に似合わない爽やかな笑顔、それはシェリー・ハランツが初めて見
る、ゴーツ・ドーシュの顔だった。
そしてそんなストレートな言葉、ストレートな笑顔は、シェリーを悪い気持ちに
させなかった。
と言うかむしろ、ドキドキさせた。
絶望的な気持ちになっていた自分、それに向けられた、憎からず思っていた
相手の開放的な好意に、シェリーは最初、呆れ気味に相手を見上げた。
けれどすぐに顔が熱くなって、うつむいてしまう。これまでゴーツに対しては
照れや恥ずかしさで顔が熱くなったことはあったけれど、今回のそれは明ら
かに違っていた。
「ゴーツ…」
うつむいたままシェリーは、自分の足元を見ながらゆっくりとゴーツの元に歩
み寄る。そして彼の胸板に、ポフと頭を埋めた。
「嬉しい…」
「シェリー」
少し戸惑うゴーツの声を聞きながら、シェリーはゆっくりと頭を上げた。そして
瞳を閉じ、二人は二度目の口づけをする。今度は、シェリーの腕もゴーツを優
しく抱きしめていた。
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