そしてその頃ホールの中…
「………」
長いキスを終え、唇を離しても、シェリーの腕はまだゴーツのことを解放して
いなかった。まだ夢心地といった顔で、ボーッとゴーツのことを見上げている。
「どうした…？」
「なんか…クラクラする」
「そっか」
微笑んでゴーツは、シェリーの頭を優しく撫でた。
そして彼が静かにその場に腰を下ろすと、当然、シェリーも一緒に座り込む。
そこでシェリーはようやく、腕を放した。
「あ…あのさ、ゴーツ」
腕は放しても、肩はぴったりとくっついたままだった。
吐く息さえも感じられそうな至近距離で、たどたどしくシェリーが言う。
「ん？」
「今の私達ってさ…その…恋人、なんだよね？」
「あ、ああ」
少し言葉を詰まらせながらゴーツは答えた。真正面からそう言われると、さ
すがに少し照れ臭い。
でも、気がつくとシェリーの方がもっと恥ずかしそうにしていた。
自分でしておいた質問と、自分の望んだ答えに撃沈して、耳まで真っ赤に
した顔を膝に埋めている。
「なんて言うか…キャラ変わったな」
「し、仕方ないでしょお！こ、恋人とか初めてだし、殴り合いと違って経験値も
低いんだし、何をどうすればいいのか分かんないんだから！」
「殴り合いの経験値が高いってのもアレなんだけどな」
「…私とバトろうと思ってたクセにそんなこと言うんだ…」
「ぐ…」
「…ゴーツなんて、そのまま私と戦って、ゲイルで打ち上げられて、テンペスト
で貫かれて、ついでにキン肉バスターでも喰らってればよかったんだ…」
「それは…死ぬな。確実に」
「…知らない」
そう言ってシェリーは拗ねてそっぽを向いてしまった。
もっとも背けたのは顔だけで、相変わらずくっつけた肩は離そうとしない。
そしてそんなシェリーに、実はゴーツも大ダメージを受けていた。
（ヤバい…）
相手に気づかれないよう、こっそり軽く呼吸を整えながら心の中でゴーツ
はつぶやいた。
自分の方が４つも年上だし、シェリーは想像以上にウブだし、自分がある
程度は余裕を見せて彼女をリードしないといけない自覚はある。
けれどシェリーの一挙手一投足はさっきからゴーツの心の経絡秘孔を貫
通しまくっていた。
（ああくそもうすげえ可愛いって言うかいいのかよこんな状況）
抱き締めたい衝動を抑えながら、ゴーツは隣のシェリーをチラ見した。
シェリーは相変わらず拗ねている。チラ見で見えるのは彼女の横顔だけ
だけれど、そんな横顔も可愛いとゴーツは思った。
（でも）
ゴーツは思う。
目の前にいるのは、可愛いだけの女の子じゃない。
立ち合ったら、まず確実に負ける。
初めて会ったときは互角だった。けれどあれからシェリーは何人もの強
敵と戦い、そして勝ち抜いてきた。
自分と戦ったときは未完成だった武神の咆哮を使いこなすようになった。
ゲイル、そしてテンペストという新技まで編み出し、物にした。
防御面でも空気の流れを読むという防御法を身につけ、長足の進歩を
遂げた。
自分の方が持久力はあるだろうが、そもそも今のシェリー相手に持久戦
に持ち込めるのか、正直無理だと思う。
（でも）
ゴーツはまた思う。
それでも、シェリーは自分が守る。
思い上がりかもしれない。
身の程知らずかもしれない。
けれどこの年下で、ウブで、ちょっとお嬢様なところがある、大好きな女
の子は自分が守る。そのためにどうすればいいのか、心も決まっている。
それは自分なりの、けじめのつけ方だとも思う。
「何よ」
そんなゴーツの視線に気づき、ジト目で口をペンギンみたいにとんがらせ
てシェリーが言う。
「なんでもねえよ」
クスと笑ってゴーツは答える。
「見とれてただけだ」
「見っ…」
照れ隠しに、ゴーツはあえて軽口で答えた。けれどその一言でだいぶ肌
色に戻っていたシェリーの顔がまた赤くなりかける。
「っ…」
シェリーはそこで反射的に歯を食いしばった。そして数回、ゆっくり深呼吸
をすると顔色はまた元に戻ってくる。
「あ、今度はこらえた」
「そろそろ多少は免疫つけてかないと身がもたないからね…て言うか“今度
は”ってもしかして人の反応楽しんでない？」
「いや別にそういうつもりはなかったんだが…でもまあ、たしかに楽しいかも
な」
言ってゴーツはケタケタと笑う。
「年上だからっていい気になって…大体ねえ」
「ん？」
シェリーは何かつぶやくとスクと立ち上がった。
そしてスタスタと数歩あるき、いぶかしげな顔のゴーツをビシ！と指さす。
「べっ、別に私はゴーツのことなんか何とも思ってないんだからね！」
「……………シェリー？」
「はい？」
あまりに急なシェリーの変化に、ゴーツは完全に虚を突かれる。
「何が…どうした？」
「ツンデレ風味」
「ツンデ…ああ、前に何かで聞いたことあるな。（レネゲイツの）メンバーの誰
かが言ってたような。てかなんで急に？」
「いや、人の態度や反応がどうとか言うから？いっそこういうのはどうかなと
思って？て言うか一度このセリフ言ってみたくて？」
「それ、絶対最後のが一番デカいだろ」
「不満？」
「いや不満とかそういうのじゃ」
そう言いかけるゴーツだったが、彼の言葉は途中で止まった。
何が彼の言葉を止めたのかというと、シェリーの顔に他ならなかった。その
瞳からは光沢が消え、まばたきもしない。死んだ魚のような目でゴーツをじっ
と見つめていた。そしてダランとした右手には、見えないナイフが握られてる
かのように感じさせ、えもいわれぬ圧力をゴーツに与える。
「あの…シェリーさん？」
「………」
「今度のは…なんだ？」
「ヤンデレ…」
「ヤン…？って怖えよ！純粋に！さっきのはちょっと可愛いと思ったけど！！」
「やっぱり？」
目の色を元に戻し、シェリーは悪戯っぽく笑う。
「なるほど、ゴーツを問い詰めたいときは、この目で迫ればいいワケね」
「…それは、マジで勘弁してほしいな」
「フフッ」
「ハハッ」
そして室内に、二人の明るい笑い声が響き渡った。
と、それで顔を見上げた拍子に、壁掛け時計の針が目に入る。
「やば…」
二人がここに入ってから、すでに一時間以上が経過していた。
「さ、さすがにそろそろ戻った方がいいわよね？」
「だな、オヤジも痺れ切らしてるだろうし」
「ジェニファーが何吹き込んでるか分からないしね。て言うかパパのことオヤ
ジって言うの、もう定着？」
「さすがに本人も根負けしたっぽくてな。もう何も言わなくなった」
「そう…」
シェリーは苦笑し、立ち上がる。そしてゴーツも、同時に立ち上がった。
そして二人は来た道を早足に戻った。一分足らずで、エヴィン達が待って
いる玄関の直前まで戻ってくる。
と、そこでシェリーは慌ててあることに気づいた。
「あ！ちょっとゴーツ！タンマ！タンマ！！」
「タンマってまたずいぶん古い言葉だな…どうかしたか？」
「手！手！！」
「ん？あ」
シェリーに言われて初めて、ゴーツは自分がシェリーと手をつないでること
に気がついた。たぶん立ち上がってからずっとそうだったんだろう。あまりに
自然にそうしていたから二人とも気がつかなかった。
「あっぶな〜」
シェリーはそう言い、ため息をついて手を離す。
「当分、秘密ってことか？」
そう言うゴーツの顔は、少し不満げに見える。
「ごめん。隠すつもりはないんだけど、何て言ったらいいのか分からなくて。
言葉の準備ができたら、ちゃんと話すから」
「言葉の準備ねえ、いつ頃できそうだ？それ」
「だからちょっと待ってって。なるべく早いうちに整えるから」
「仕方ねえな」
シェリーの言葉に、ゴーツはやれやれといった表情で笑った。
そして十秒後
「ようやく出てきたわね」
ガラス戸の内側に二人の姿が出てきたのを見て、あきれ気味にそう言
ったのはジェニファーだった。
エヴィンは横のベンチに座り、何食わぬ顔で缶コーヒーを飲んでいた。
「ずいぶん遅かったな」
あきれ気味にそう言うと、エヴィンは空き缶をゴミ箱に捨てた。ゴミ箱の
中には、同じ銘柄の空き缶ばかりずいぶんたまっている。
「ごめんごめん、つい色々話し込んじゃってさ」
作り笑いを浮かべシェリーは二人に謝った。
「そうか。でもまあ、さっきよりは明るい顔してるな」
「うん。おかげさまでね、ちょっといろいろあったけど」
「俺達付き合うことになったから」
「！！！！！！！！！！！！！」
その瞬間、シェリーの周りの時が止まった。
というか、ハランツ父子の時が止まった。
一瞬の沈黙、そして時は動き出す。
「あ・ん・た・っ・て人はぁっ！！！」
音速どころか光速をも超えた速度でゴーツの背後を取ると、シェリーは
強烈なスリーパーホールドをゴーツに仕掛けた。
「もう馬鹿！最低！信じらんない！！！」
「うぐぐ…ぎ、ギブギブ」
「ちゃんと私から言うって言ったでしょお！」
「い、いやあの様子だと何年かかるか分からなかったし、それに何て言う
か、前フリだったら悪いな〜って」
「どこの“絶対押すな”の漫才トリオよ！灼熱の熱湯風呂にでも入りたい
！？」
「…残念ながら彼氏ができても女の子っぽくはならなそうですね」
二人の痴話ゲンカを生暖かい笑顔で見守りながらジェニファーは言った。
エヴィンはその言葉に対し力ない笑いを浮かべただ頷く。その笑みが何
に対してのものなのかは、本人しか分からない。
「まあとにかく」
コホンと咳払いし、ジェニファーはシェリーを見る。
「シェリー、あなたのその態度がゴーツの言葉を全肯定してるんだけど」
「う………」
ジェニファーの言葉でシェリーの全身が瞬時に硬直する。
「ついでに言うとその体勢、ゴーツの後頭部に思い切り胸が」
「わああああっ！！」
追撃の一言でシェリーは大慌てで技を解いた。そして咳き込むゴーツを
後目に両手の人差し指を突き合わせながら、上目遣いでエヴィンとジェニ
ファーのことを見る。
「え…えっとさ、まあ、実際彼の言うとおりなんだけど…」
たどたどしい物言いでシェリーの弁解が始まる。
「その、こっちにいるゴーツ…さん、と、お付き合いすることになりまして…
あ、でも勉強や戦いはきちんと頑張るって言うかその」
「勉強はともかく戦いは別に頑張らなくていいんだがな。とにかくシェリー」
優しい父親としての声でエヴィンが言う。
「父さんが母さんと付き合いだしたのは１５のときだ。１８のお前に彼氏が
できたからってとやかく言うつもりはない」
（…よく言うわ）
心の中でジェニファーは全力で突っ込みを入れる。
「たださっきも言ったけれど暴力はやめろ。お前のは簡単に、じゃれ合い
（のレベル）を超える」
「はい…あ、あの、ごめん…」
「気にすんなよ。今のは、俺も悪かった」
言ってゴーツはニコと笑う。
「ちょっと嬉しすぎてな。言わずにいられなかった」
「…バカ」
互いに照れながらそう言うと、すぐに二人は楽しそうに笑いだした。
「なんて言うかさ」
そんな二人の様子を見てジェニファーがつぶやく。
「私、あの二人にはやくくっついてほしかったんですよ。そうすれば仕事の
負担も減るんじゃないかって思って。でもあんなの毎日見せつけられると
なると、むしろ負担が増えそうです」
「それは…頑張ってくれとしか言いようがないな」
エヴィンはそう言ってジェニファーを慰める。
ただそんな彼の顔も、少し寂しそうに見えた。
（こんなとき、マークがいればな）
エヴィンはまずそう考える。そして次にリビアがこの話を聞いたらどんな
顔をするかと思い、そして最後にアーサーやジニー、そしてユエリは今どう
しているんだろうかと考えた。
（みんな、元気でやってるといいんだが）
どこまでも青い人工の空を見上げ、エヴィンはそうつぶやいた。
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