「なるほどね」
冷蔵庫から出した冷たいお茶を口にしてアーサーが言う。
「この年になって親のノロケを聞くことになるとは思わなかった」
「ノロケって別にそういうのじゃ」
「ね！ね！じゃあパパも、電話切る前ママのこと“リビア先輩”って言ってたの？」
興味津津にそう聞いてくるのはジニーだった。そんなジニーを見てリビアは
「まあ、一応ね」
と照れ臭そうに言い、そして末娘の顔を見てふと
「あなた、最近シェリーに似てきたわね」
とつぶやく。
「そう？」
きょとんとした顔でジニーが言う。
そしてアーサーはその隣で、うんうんと同意じみた顔で首を縦に振っていた。
「なんて言うか、雰囲気がね。あ、別に暴力的って意味じゃないからな？」
「それは分かってるわ。でもそっか…お姉ちゃんに似てきたかぁ…」
そう独り言を口にするジニーの表情に拒絶は見られない。なんのかんので、シ
ェリーとジニーは仲が良い。
「で、父さんなんだって？」
「まあ、早速いろいろあったみたいだけどね…」
そう聞いて来るアーサーに、リビアは電話での内容を一通り話した。
「姉さんに…彼氏？」
シェリーに彼氏ができたこととエヴィンがシーレンと戦ったこと、二つのうちで
アーサーは明らかに前者に衝撃を受けていた。
「やっぱりあなたもそこに反応するのね。ほんと、うちの男性陣ときたら」
「そりゃまあね」
人差し指でメガネを直し、アーサーは苦笑する。
「姉さんと付き合ってくれる人なんか、ありがたすぎて神棚にあげて拝みたいく
らいだ。ありえないと思うけど、いきなり僕に“今日から俺を兄さんと呼べ”とか
言ってくるような相手でもなければね。で、どんな人なの？」
「えっと…名前なんて言ったかしらね。たしかゴーなんとかって言って、シェリー
よりもいくつか年上だって言ってたわ」
「年上！？」
その一言に、沈黙を守っていたジニーが目を輝かせて身を乗り出した。
「なんでそこに反応するんだ？」
「え！？あ、う、ううん！な、なんでもないの！！」
ジニーは顔を真っ赤にし、両手を顔の前でブンブン振りながら言う。でも満面
の笑顔は元に戻らない。
（アルケミストさんじゃないんだ！アルケミストさんじゃないんだ！！アルケミスト
さんじゃないんだ！！！ありがとうゴなんとかさん！！！！）
ゴーツに対して、ここまでの謝意を示したのはたぶんジニーが初めてだろう。
もっともその謝意は、かなり黒い。
「あ、ママ、ちょっとパソコン借りるね！」
居ても立っても居られないといった様子でさっきグラスに注いだ牛乳を一気飲
みに飲み干すと、呆気に取られる二人をしり目にジニーは足早に駆け去った。
…そしてそれから数時間後…
「う〜ん」
放課後、シェリーは一人、自室でパソコンを前ににらめっこをしていた。
と、外からドアをノックする音と、ゴーツの声が聞こえてくる。
「シェリー、いるか？」
「あ、ゴーツ。うんどうぞ。開いてるよ」
「おう…って何してんだ？」
「いや妹からメール来てたんだけどね」
軽くため息をついてシェリーが言う。
「あんたの写真がほしいんだってさ」
「俺の？」
「そ。パパがママにゴーツのこと口走ったら早速メールが来てさ。どうしたもんか
なあと」
「どうしたもんって、あるだろ写真」
「まあね」
腕組み足組みをした姿勢で、シェリーはまたひとつため息をついた。
実際、メールはもう書き終わっていて写真も添付してあった。昨日二人が付き
合いだした記念にと、半ば強引にジェニファーが撮ったものだ。
財団の多目的ホールには当然記念記念撮影などに使う写真室があって器材
も揃ってる。昨日話がひと段落したあとジェニファーに半ば強引にそこに連れて
こられた。
最初は二人が横に並んだだけの、ありふれた写真になる筈だった。だが多少
（？）悪ノリしたジェニファーの
「二人とももっと近寄って！ていうか肩組んで！！」
とか
「シェリー表情が固い！隣の彼氏さんみたいにもっとスマイル！ほらほら空いて
る手も遊ばせてないでサムズアップとかピースサインとか！」
やら
「ああちょっと待って。シェリーの髪型、ちょっと直すから」
といった演技指導（？）やら簡単なメイクやらが入りまくった結果、一枚の写真
として客観的に見たら自分史の中で過去最高、けれど、本人が冷静になって見
たらかなり気恥ずかしい一枚に仕上がる結果となっていた。
ちなみにゴーツは大満足で即、携帯の待ち受けに採用している。
「正直妹にこの写真送るのはちょっと照れるのよね。でも写真として見たらこれ
以上はないって一枚だし…」
そこまで言うとシェリーはしばらく沈黙し、ゴーツの顔をチラと見る。
「ちなみにゴーツは、これ送っても気にしない？」
「ああ。大歓迎だ」
「言うと思った」
ゴーツの言葉にシェリーは少し照れ臭そうに、けれど嬉しそうに微笑む。
そして軽く息を吸い込むと“えい！”のかけ声とともに送信ボタンを押した。
「送っちゃった」
「反応が楽しみだな。で、どんな子なんだ？」
「あれ？写真とか見せたことなかったっけ」
「ああ。弟や妹がいるって話は聞いてたけどな」
「そうだっけ？」
意外そうな顔をし、シェリーはマウスをいじった。
ハードディスク内の写真を格納しているホルダ、その中で家族と書かれてる
ホルダを開ける。
「これが、手っ取り早いかな」
「へえ…」
そう言ってシェリーが開いた写真を見るなりゴーツは優しそうな顔で感嘆の声
をあげた。
ジニーの入学祝いにと家族五人でこの春撮った記念写真だった。真ん中には
主役のジニーがいて、その左右にエヴィンとリビアが座っている。そしてシェリー
とアーサーの二人は、後列で直立に立っていた。
「いい写真だな」
飾らないゴーツの感想だった。
「ありがと」
シェリーはその言葉に心からの喜びを浮かべた微笑でこたえる。
「ママがリビア、弟がアーサー、そんで写真よこせって言ってきた妹はジニー」
一人一人を指さしながらシェリーが言う。
「へえ…妹、けっこう似てるな。シェリーも昔はこんな顔してたのか？」
「髪型は違うけどね。昔から基本ショートだったし。あ、でも性格はもっと違うかな」
「たしかに、いかにも大人しそうだもんな。姉貴と違って」
ゴーツが笑ってそう言うとシェリーは口をとんがらせて軽くゴーツの胸を叩いた。
「しかし楽しみだな」
「？なにが？？」
「リビアさんをお袋と呼び、ジニーやアーサーに兄さんと呼ばれる日が」
「だからゴーツ、正式交際二日目でどこまで考え飛んでんのよ。気が早いって言う
か妄想たくましいって言うか…てか、うちのパパをオヤジ呼ばわりに続いて…本人
が聞いたらどんな顔することやら。とくに弟が」
「ま、そんときはそんときだ。しかしジニーにアーサーか…なあシェリー、下の兄弟
ってどんな感じなんだ？」
（あ…）
ゴーツの何気ない一言にシェリーはピクと反応する。そしてゴーツもそれに気付
いた。
「気にすんなよ」
笑って今度はゴーツがシェリーの肩をポンと叩く。
「あのとき（第二部第四十二話）も言ったろ。うちの兄弟は、お前のとは違う。身内
傷つけられたからってマジギレできるお前がなんて言うか…羨ましいと言うよりも
信じられなかった。そんなの実際にゃありえないって思ってたからな」
「ゴーツ…」
「だから楽しみなんだよ、そういった輪の中に自分が入るのが」
「…またそーやってさりげなく、アピール入れるワケね」
呆れ顔で笑いながらシェリーは言った。
「ま、実際下の兄弟いなかったから、そう呼ばれてみたいってのはあるんだけどな」
「へえ…なんなら私が言ってあげよっか？ゴーツおにいちゃん（はぁと）って」
「………」
その一言で、ゴーツは頭を抱えて撃沈していた。
「あれれ？どうしちゃったの？おにーちゃんっ」
ニヤっとした邪笑を浮かべ、シェリーはゴーツをのぞきこむ。
「ごめん、すまん、やめてくれ、ある意味死んだ魚みたいな目で見られるよりキツイ
わ…」
「失礼ねえ。けど…」
その一言でシェリーの笑いにもう一段黒さが加わる。
「なるほど、よ〜くわかったわ。ゴーツのセクハラ防ぐには、先制攻撃に限るわけね」
「セク…ハラ？」
キョトンとした目で、ゴーツはシェリーの言葉をオウム返しに繰り返す。
「もしかして…自覚なかった？」
「え？いや…ってもしかして最初お前のこと敵だって思ってケンカ仕掛けたこと？」
「そんなのセクハラでもなんでもないわよ。むしろ、素敵な出会いだったって今なら
言える」
ニコと笑ってシェリーは言う。
が、次の瞬間その瞳はジト目に変わった。
「私が言いたいのはそれから先のことよ。動けないのいいことに問答無用で抱き
上げたり、どさくさに紛れて胸さわったり、いきなりプロポーズしてきたり、酔い潰
れてるのをいいことに部屋に連れ込んで服脱がそうとしたり挙句の果てに押し倒
してキスまでしたり…他にも色々あったと思うけど」
「ぐ…」
言われてみれば、心当たりは山ほどあった。とぼけていたワケでもないのだが、
事実を列挙されるとぐうの音も出ない。
「なんか…これから先も事あるごとに今のネタ言われ続けそうな気がするんだが」
「そりゃ当分言うでしょうね〜それこそいずれ、“パパはママにね”とｋ」
そこでシェリーは慌てて言葉を止めた。
とんでもない失言をしたと頭の中が一瞬真っ白になる。
問題発言を理由に辞任の会見している政治家がどんな気持ちか、痛いほど分
かった。
「………あ、あのさ…今、なんか空耳」
儚い願いを胸に、シェリーはゴーツの顔にそっと、その視線を向けた。
だがゴーツの思いっきりニヘラ〜とした笑顔を見た瞬間、シェリーは自分の願い
がシャボン玉のように弾けて消えたことを知る。
「気が早いなあシェリーは」
ゴーツのその一言で、シェリーは『ボン』という音とともに頭から煙を出し、顔を
木製の机に沈め沈黙した。
「ち、違う…違うの…」
そのままの姿勢でうわ言のようにシェリーは言った。ゴーツはそれに答えずに、
シェリーの横に置いてあった辞典を無言で手に取る。
「フム…語るに落ちるは“問うに落ちず語るに落ちる”の略。問いつめられると用
心してなかなか白状しないことも、自分勝手にしゃべらせると人は案外白状して
しまうものである…か。シェリー、この言葉知ってたか？」
ページをパラパラとめくり、読み上げたうえでゴーツは言った。
「…ろして…」
相変わらずの姿勢で、さらにボリュームの小さくなった声でシェリーは言う。
「ん？」
「いっそ殺して…」
「いいのか？死んじまったら俺の言ってきたことをネタにし続けることもできなく
なるぞ？」
「…そーやって慰めるフリして追撃する…いじめだ…いじめっ子がいる…」
「まったく」
完全にいじけが入ったシェリーの態度にゴーツは苦笑し、そしてその肩をまた
ポンと叩く。
「分かったよ。さっきのは空耳、何も聞いてない。それでいいだろ？」
「あ、ありがと…」
顔を上げ、まだ半分泣きが入った顔でゴーツを見つめ、シェリーは言う。
「いいさ別に。けど、あそこまで嫌がられたらさすがにちょっとへこむぜ？」
「う…」
そう言われてシェリーは申し訳なさそうにうつむいた。
そしてもう一度上目づかいでゴーツの顔を見、またうつむき、軽く息を吸う。
「シェリー？」
そんな彼女をいぶかり、ゴーツは顔を近づける。
と、そんな彼にシェリーはそっと、寄りかかるように抱きついていた。
「お…おいシェリー？」
完全な不意打ち、ゴーツの言葉にも焦りが滲み出ている。
「ごめん…えっと…これはなんて言うかその…おわび…」
顔を赤くしながらゴーツの耳元でシェリーはつぶやく。
「お、お詫びってそりゃどーもって言うか」
そこでゴーツは、一瞬言葉を止めた。
けれどわずかな沈黙の後、ゴーツもシェリーをギュッと抱きしめる。
「えっ…」
「そんじゃ俺も、過去のセクハラ行為のお詫びってことで」
「もう…」
「ハハ…」
「フフ…」
互いに肩越しに、二人は照れ臭そうに微笑み合う。
そしてジェニファーが帰ってきたのは、そんな絶妙すぎるタイミングの時だった。
「ただい…」
何気なくドアをあけ、そう言いかけるジェニファー。だがそんな彼女も一瞬沈黙
した後、虚無の表情でクルッとターンして来た道を引き返そうとする。
「わ！ちょ、ちょっと待った！！！」
呪縛（？）が解けたシェリーは大慌てでジェニファーの肩を掴み止める。
「ごめんねえ空気の読めないルームメートで」
「い、いや空気読めてなくないから！むしろベストタイミングだったから！」
「あらそう？まあちょっと本部に用事思い出したわ。今後のことも考えて、部屋の
鍵とか防音とか、いろいろ強化してもらわないと」
「そ、そうじゃなくって！て言うか誤解だから！！」
「誤解？“用事を済ませて部屋に戻ってみたら、バカップル二名が明るいうちから
いちゃついてた”これのどこに誤解があると？」
「い、いやあれには深いワケが…て言うかバカップルって酷くない！？」
「違わないと思うけど？て言うか昨日の夜も服装だの髪型だの、中学生みたいな
恋愛相談を延々と」
「ちょっそれは…ああもうゴーツも何か言ってよ！」
「とりあえず…ドア開いてるぞ」
「！？」
たしかに、ジェニファーが帰ってきたことで部屋の扉は全開だった。当然、今の
会話は周辺廊下には筒抜けになっている。そして廊下には騒ぎを聞きつけた暇
な寮生が何人も集まり、ニヤニヤとした顔と視線を自分に向けていることに今更
ながら気付いた。
「やっぱり…やっぱり殺して…」
閉じた扉にもたれかかり、そしてズルズルとその場に崩れ落ちながらシェリーは
力なく呟いた。
「始まりの終わりとなる日々に」トップに戻る
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