〜始まりの終わりとなる日々に〜
第二部第五十六話 傷だらけの来訪者
「ゴーツの写真を妹さんに…ねえ」
数分後、なんのかんので立ち直ったシェリーから話を聞いたジェニファーは思わ
ず眉をひそめた。
「何か不味かった？」
「妹さん、アルケミストに憧れてるって言ってなかった？」
「…あ」
言われてシェリーはそのことを思い出す。
「だからあなたに彼氏ができたって聞いたとき、それがアルケミストじゃないって確
証がほしかったんじゃない？」
そう言ってジェニファーはフゥとため息をつく。
「ま、私も片棒担いだから偉そうなこと言えないけど。今さら言い繕いもできないだ
ろうし」
「…できないかな？」
「そりゃあんな写真（＝満面の笑顔で肩組んで顔がくっつきそうなくらいに近づけて
ピースサインしてる写真）送っといて、“実はただの友達です”なんて言ったって」
「まあ、説得力のカケラもないわな」
「………」
横から口を挟むゴーツの肩に、シェリーは軽く裏拳を入れた。
「で、でもさ、アルとジニーなんてもう接点ないでしょ普通に考えて」
「普通に考えればね。ま、悩んでどうなるって問題でもないだろうからこの話はここ
までにして」
そう言って話を切り上げると、ジェニファーは手提げ鞄の中からサンドイッチでも
入っていそうな紙袋を取りだした。
「はいこれ、財団からシェリーに」
「私に？」
「そ。そのために本部まで行ってきたんだから。まあ、もうちょっと帰りが遅かった方
がよかったのか、それとも早かった方がよかったのか…」
「…なんかそれ、わりと当分言われそうな気がするんだけど」
「フフ…」
シェリーのぼやきに、ジェニファーは笑って否定も肯定もしない。
「まったく…」
シェリーは、そんな相手の反応にため息をつきながら袋を受け取った。
「…？」
受け取った瞬間、シェリーの眉がピクリと動いた。重さ、そして袋の上から感じる
手触りからして、絶対にサンドイッチじゃない。
少し緊張しながら開けると、中に入っていたのは一組の青いオープンフィンガー
の格闘技用グローブだった。
「これって…」
つぶやきながらシェリーはグローブを改めて手に取った。生地は通常の格闘技用
グローブと比べてやや薄い。またこの手のグローブにしては珍しく、手の平全体も露
出部がなく生地で覆われている。そしてその、手の平部分には普通のグローブには
絶対にない、円盤状の電子回路が埋め込まれていた。
「ブレイブナックルか？俺が知ってる型とは違うが」
横から覗きこんでゴーツが言う。
「いいえ、たぶんもっといいものよ」
「じゃ、これをつけて拳と拳を突き合わせると、鋼鉄シェリーに変身できるとか？」
「…さすがに、そこまで期待されると困るかしら」
「大丈夫、本気で言ってるワケじゃないから」
「本気で言ってたらさすがにドン引きよ。ともかく」
呆れた顔をシェリーに見せると、ジェニファーは改めて解説をはじめた。
「ナックル型フォトンリアクター『レブヒート』、それがこれの正式名称よ」
「レブヒート？」
「聞いたことのある名前だな。シェリー酒とジンジャーエールのカクテルだったか？」
「よく知ってるわね。名前の響きといい、シェリーの武器にはぴったりだと思って」
「へえ…私は飲んだことないけど、たしかに」
言いながらシェリーはレブヒートを両手に嵌めてみた。つけ心地は悪くない。軽く
腕を振ってみても違和感は感じないし、このまま殴り合いをしても大丈夫そうだ。
衝撃吸収性も上々で、単なるグローブとしても最高級品だろうと思う。
「んでこれ、フォトンリアクターとか言ってたけど、それって何なの？」
「読んで字の如しよ。事前の充填または戦闘中の格闘エネルギーで発生した力を
フォトンとして内部に蓄積、それを任意のタイミングで放出することにより、敵に向
かって撃ち出すことができる」
「…つまり、格闘ゲームみたいな気弾が撃てるようになるってこと？」
波○拳のポーズを取りながらシェリーが言う。
「そういうことになるわね。ユエリ・ロックフィールドの持っていたバルキリーロッド
を解析したおかげで、十年は開発時間を短縮できたわ。射程距離は飛距離優先
にした場合で約５０メートル、弾速と威力は女性向けの護身用拳銃と同程度、バ
ランスについては調整できるけど？」
「う〜ん…」
ジェニファーの言葉にシェリーは何か考え込んでいるようだった。
やがて視線を彼女に向けると、多少申し訳なさそうに話し始める。
「そのバランスって、威力と射程距離のバランスのこと？」
「ええ。あと弾数ね」
「じゃあさ…むしろ超接近戦仕様とかにできない？」
「やっぱりそうきたわね」
ジェニファーの顔に驚きや意外性は見られなかった。どうやらシェリーがそう言い
だすことも多少は予想していたらしい。
「慣れない遠距離戦は性に合わない。それにゲイルも武神の咆哮も、出す前には
一瞬の『溜め』がいる…だから自慢の機動力で接近したあと、間髪いれずに発動
できる爆発力のある一撃がほしい、そんなとこかしら」
「さっすが」
シェリーは笑って、満足そうに親指を立てる。
「あと付け加えるなら、遠距離からの牽制はお願いしますってことかしら？別に私
も、タイマン専門ってわけじゃないんだし」
「フフ…」
シェリーの一言が嬉しかったらしく、ジェニファーは思わず微笑む。
「ま、できないことはないけど、あんたが期待するような威力となるとフル充電でも
１回出せるかどうかってトコよ？」
「じゅーぶん。んで技のモーションはこう、音速脚からフォトンを放出しながら片手
のパンチで突進してさ、それがヒットしたらもう片方の手も突きだした腕を支えな
がらかけ声とともに残りのエネルギーを一気に叩きつけるような…」
「なんかそういう技、あなたがやってるゲームで見たことある気がするんだけど」
「あ、分かった？」
「なんとなくね。じゃ、プログラム機材も持ってきたから設定し直しとくわ」
「…いいの？頼んじゃって。それ、私がやってみようと思ってたんだけど」
「構わないわよ。大した作業じゃないし、それに」
そこで言葉を止め、ジェニファーはゴーツの方を見る。
「シェリーに用事があるんでしょ？」
「…悪いな、気ぃ使わせちまって」
「い〜え別に」
白い歯を見せ、皮肉っぽくジェニファーは言う。
「ただし即日返却でお願いね。授業サボらせたら、クライアントに怒られるから」
「ＯＫ。それで強制送還とかになったらたまんねえからな」
ニコと笑ってゴーツはシェリーの方を見る。
「そんなワケでシェリー、ちょっと付き合ってくれるか？」
「イヤ」
シェリーの即答にゴーツが、そしてジェニファーが凍りついた。
「あの…シェリー？」
珍しく呆気に取られたジェニファーが、おそるおそるといった口調で聞いてくる。
「だって分かるもん。ゴーツが何を言いたいのか」
「………？」
「決意表明とか、聞きたくないから」
「決意…表明？」
訝りながらジェニファーの首が、今度はゆっくりゴーツの方を見る。
そしてその視線の先にいるゴーツの顔は、見事にそれが図星であることを物語
っていた。
「なんで、分かった？」
「昨日自分で言ってたじゃない。もっと強くなりたい、それにパパを戦わせたくない。
そんでパパはバードと戦おうと思ってこっちに来てる。そのあたりをまとめたらバカ
でも分かるわよ」
「ハハ…たしかに、そうだな」
力のない笑みを浮かべながらゴーツは言う。そして一度上げた腰を、また椅子に
下ろした。
「私、席を外した方がいいかしら？」
一気に重くなった空気の中でジェニファーが聞いてみる。
けれどシェリーが無言で首を横に振るのを見届けると、今度はその視線をゴーツ
に向けた。
「本気…なの？」
「ああ」
「勝ち目、あると思ってる？」
「師匠相手にそう言い切れる生き物がいるのならお目にかかりてえな。別に人間に
限定はしねえ。まあ、そうは言っても俺だって無策で突っ込むつもりもないけどな。
準備くらいはするさ」
「…あのさゴーツ」
今度はシェリーが口を開く。あえて軽口なゴーツに対し、ため息まじりの重い口調。
視線は、うつむいたままで誰とも目を合わせない。
「そういうのはさ、付き合う前に済ませといてくれると助かったんだけど。て言うか口
説くときは近所に越してきてまで口説いておいて、いざ付き合うとなったら命をかけ
ての戦いに行きますってひどくない？」
「そう言われるとものすごく辛いし、そう言われるんじゃないかとも思っていた。けど
な…言い訳になるかもしれないけど“だからこそ”なんだ」
「…何よ、それ…」
不満を隠さないシェリーの問いかけにゴーツは深く息を吸い込み、静かに語り始
めた。
「俺は、お前を守れる男でありたいと思ってる。お前のこと好きになればなるほど、
その気持ちは強くなる。そうなると何て言うか…シェリー・ハランツを守るためには、
本人守るだけ足りねえんだ。そりゃ今はシェリーの方が強いだろうけどそれでも…
それでも俺にとっちゃ女なんだよ」
「ゴーツ…」
その言葉で、シェリーはようやく頭を上げて相手の顔を見る。
少しボーッとしたようなその表情を見て、ゴーツは少しだけ笑った。
「それにさ、俺はお前とずっと張り合って、一緒に肩を並べて歩いてたい。だから」
と言いかけたところで、ゴーツの言葉が止まった。いつの間にか、シェリーの顔
がくっつきそうなくらいに接近している。
「シェ」
一瞬呆気に取られたゴーツがまた口を開きかけた瞬間、シェリーの両手はゴー
ツの頬をつまんでいた。怒っているのでもなく、笑っているのでもない。妙な感じ
の無表情のまま、つまんだ頬を軽く左右に広げるように引っ張った。
「ふぉい、ふぇりー？」
開いたままの口でゴーツが間の抜けた声を出すと、シェリーは口元に笑みを浮
かべ、クスクス笑いながら手を離した。
「気持ちはよく分かったわ」
不敵ともいえる笑みを浮かべシェリーは言う。ある意味、いつものシェリーらしい
笑顔。
「正直、その気持ちはすごく嬉しいわ。特に私を、ちゃんと女の子として見てるとこ」
「…そりゃまあ…な」
ちょっと照れ臭そうにゴーツが返す。
シェリーはそんな相手の反応に嬉しそうに微笑みながらも、“けどさ”と自分の言
葉を続けた。
「けど？」
オウム返しにゴーツが返すと、シェリーは少し考え、そして照れ臭そうに顔を赤く
しながらまた口を開く。
「うちの両親、基本すごく仲良いんだけどさ。それでも年に何度かケンカするのよ」
「………？」
急に何を言い出すんだとゴーツは怪訝な顔をする。
同時に、隣にいたジェニファーも似たような表情でシェリーの言葉を見守った。
「でもそういうとき、ママが怒ってたり呆れてたり、いじけてたりする顔は何度も見た
けど、悲しんでる顔ってのは見たことないって気付いた。なんでかなって思ったら、
パパは絶対にママを悲しませないって、学生時代にそう約束したんだって、中三の
とき、酔ったパパから聞きだしたんだ」
言ってシェリーは懐かしそうな顔で笑う。
「そのとき私、そんな二人が漠然と羨ましかった。いいなあって」
「シェリー…」
懐かしむような、それでいて少しさびしそうなシェリーの言葉を受けて、ゴーツは
言葉を失い、そしてそんな彼にジェニファーが横槍を入れた。
「ゴーツ」
横槍と言ってもただ一言、彼の名前を呼んだだけだけだった。
けれどその言葉の裏には“分かってるわね”というニュアンスがありありと込め
られている。
「………」
ゴーツは無言で天井を見上げた。その眉間には皺が寄っているが、口元は力
なく苦笑いしている。
「…惚れた弱みって奴か」
そのままの姿勢で目を閉じ、ため息を一つつくと、少し悔しそうな声でゴーツは
つぶやいた。
「ねえゴーツ」
つぶやいたまま動かないゴーツにまた顔を近づけ、微笑みながらシェリーが言う。
「て言うかさ、そんなこと言うならまずパパに勝ってみせてよ」
「オヤジに…？」
「そ。身贔屓入るかもしれないけど、私にとって、これまで戦ってきた相手のナン
バーワンはエヴィン・ハランツ、これは揺るいでないんだから。それともゴーツも、
さすがにパパと正面切ってやりあう自信はない？」
「なっ･･･シェリ、てめ･･･」
顔を赤くし、歯噛みをしながらゴーツは言葉を詰まらせた。もっともその表情は、
どこか笑いをこらえているようにも見える。
そしてそのままゴーツは、シェリーの背中をバシンと叩いた。
「痛っ」
わりと本気で痛かった一撃に、シェリーは思わず身を丸める。
「ほんっとにお前ってヤツは…」
「いい女でしょ？」
「まったくだ」
ドヤ顔のシェリーに張り合って、ゴーツも白い歯を見せて笑い、そして立ち上が
った。
「？結局どっか出かけるの？」
「ああ。ちょっとレネゲイツの方にな。シェリーも来るか？俺は泊まるが、今なら日
帰りまだ間に合うだろ」
「あ、うん。って…」
そこで急に、シェリーの声がトーンダウンした。言葉からさっきまでの歯切れの
良さが消え、気恥ずかしそうにドアを見る。
「「あ〜」」
シェリーが何を恥ずかしがっているのか、二人ともすぐに分かった。たしかにさっ
きのあれから、さほど時間は経っていない。
「なんなら、出てくタイミング少しずらすか？」
「ま、それもわざとらしいと思うけどね」
固まるシェリーにゴーツは苦笑しながらも優しく語りかけ、ジェニファーはまたも、
茶々を入れる（ただし彼女の言うことは間違っていない）
シェリーはそんな二人の言葉に一瞬迷いを見せるが、すぐにゴーツに歩み寄る
と、彼の前にその手を差し出した。
「行こ！」
顔は笑顔、でもまだ少し表情が固い。声も少し甲高くて、素人目にも緊張してい
るのが分かるような態度だし、事実シェリーの顔も少し赤くなっていた。
「いいのか？」
笑いながらゴーツは、シェリーが差し出した手を握ろうとする。
「まあ、正直今さら変に言い繕っても墓穴掘るだけになりそうだし。ゴーツもこっち
の言い分聞き入れてくれたっぽいし。それに…」
「それに？」
口ごもるシェリーに、ゴーツは首を近づけて問い詰める。
「それにまあ…ね。なんて言うか…あ、べ、別に無理にとは言わないけど」
「口が裂けたって言うかよ」
ゴーツはそう言って、差し出された手を笑って握る。
「ただ、どっちかって言うと手は握るよりも組んだ方がいいんだが」
「あ〜いや、それはまだちょっと心の準備が」
「んじゃ抱きかかえるとか」
「…それ、もっとＮＧだから」
「実績あるのに？」
「あれは実績って言わない！」
（…まったくこのバカップルは）
そんな二人のやりとりを、ジェニファーは椅子に座って肩肘をついたまま、生暖か
い目で見守っていた。
けれどそんな二人がドアに手をかけようとした瞬間、反対側から誰かが扉をノック
する。
「はい？」
タイミングの良すぎる来訪者に一瞬ドキリとしながら、とりあえず握った手は離して
シェリーはドアを開ける。
だがドアを開けると、ノックした主は無言のまま、力なくその身をシェリーにもたらせ
かかってきた。
「え…？」
事態が呑み込めず、半ば硬直したままシェリーはもたれかかってきた相手を受け
止めた。
「シェ、リー…」
シェリーの腕の中で、相手はか細い声でそうつぶやいた。
名前を呼ばれたシェリーは、絶句しながら視線を下に向ける。
下げた視線の先にいたのは、全身に傷を負った一人のボロボロな女の子だった。
その子の髪は青みがかった黒の長髪で、体格はシェリーよりもいくぶん小柄だった。
そして彼女のズボンには、二本の警棒のようなロッドが、無造作にねじこまれている。
「うそ…」
シェリーはその少女を知っている。知っているけれど、ここにその子がいることが信
じられず思わず一回目をこする。
、
「ユエ…リ…？」
それでもやっぱり腕の中にいるその少女の名前を、シェリー恐る恐る口にした。
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