だがその蹴り足で跳躍したその距離は、ウソみたいに短かった。
「残念、どうやらフォトンブラストの時間切れみたいだね」
「そんな…」
たしかに自分の身を包んでいた力は霧のように散ってしまっていた。さっきまでロ
ッドが発していた輝きも消え、手の中にあるのはただの鈍器に戻っていた。
「コバムナ…」
「コバマズナカマニ…」
「ナカマニィッ！！！」
それを見て襲いかかる亡者の群れ、ユエリはそれを振り払おうとした。けれどこれ
まで一撃で消えていた彼らが、何撃も入れないと消滅しない。
「こんな所でこんなヤツに…負けられない…負けられない負けられない負けられない
！！！」
その言葉はまとわりついてくる彼らにではなく一直線にキースに向いていた。群が
る敵の波に押し潰されそうになりながらも闘志を失わないユエリの瞳、だがキースは
それをも嘲笑う。
「悪いけど、現実は非情だ。だが安心すると良い、君の友人や恩人を何人でも、す
ぐにこちらへ連れてくる」
「キース！」
「死ね」
その言葉とともにキースが指をパチンと鳴らすと、空間に身を潜めていた残りの亡
者もすべてが集まり、ユエリを包み込むように殺到する。
そして何千もの亡者に包まれた彼女の姿は一瞬にしてキースの視界から消え、声
も聞こえなくなった。
「…他愛ない…しかし亡者となった彼女を見たら、エヴィンやシェリーはどんな顔を見
せるのかな…」
想像すると、歪んだ笑いがこみあげて止まらなくなる。
だが笑い声をあげながら彼は気付いた。ユエリの気配、それがまだ消えていない
ことを。
「思いのほかしぶといようだな。執念だけは認めてやると言うべきか」
苦笑しキースは言う。それも所詮、時間の問題だろうと思う。
だが亡者達の中心にいるユエリの気配は全く消える様子を見せない。それどころ
か何か、別の巨大な力が内側から発し、取り囲んでいた亡者を吹き飛ばした！
「な…に…？」
「フン」
目を見開くキースを『別の巨大な力』の主は鼻で笑った。それは一人の老人の霊
だった。
「おじい…ちゃん…？」
口を震わせながら、おそるおそるユエリは言う。
「…ようやくお前に、病院でしたことの償いができるな」
「お爺ちゃん、そんな、私…」
ディルナの言葉にユエリは目頭が熱くなる。ディルナはしかし、そんなユエリを笑っ
て諌めた。
「たまには笑顔を、見せてくれんか」
「う…うん！」
その言葉でユエリは、瞳に涙をためたまま白い歯を見せ、精一杯の笑顔を祖父に
見せた。
「そうか…貴様がバードが討ったというディルナ・ロックフィールドか」
改めてディルナの顔を見て、キースはポンと手を叩いた。その顔は、もう平静を
取り戻している。
「何故、ここにいる？」
「居心地がよかったのでな」
事もなげにディルナは言い放った。
「妻を殺め、大量虐殺を企て、娘を裏切り孫を泣かせた大罪人、ネイソードの中に
など、導かれる筈もない」
「なるほどね」
ディルナの言葉に、キースは納得して頷く。
「それで成仏もできず、この空間に入り浸っていたら、可愛い孫娘の危機に遭遇し
飛び出したと。理屈では分かる。だが意味は見いだせない」
「………」
「取り囲むは万近い軍勢（レギオン）、さらに」
キースは指をパチンと鳴らした。瞬間、ディルナの顔が苦痛に歪む。
「グ…ッ」
「お爺ちゃん！？」
「肉体という容れ物なき剥き出しの魂、この空間でこれほど与しやすい相手はない」
「フ…ハハハ…その通りだ若僧。貴様の言葉、何一つ間違っていない」
勝ち誇る相手を前に、激痛の中でディルナはなおもふてぶてしく笑う。
「もっとも“容れ物がない”という前提が正しければな！」
（え…？）
ディルナがそう言うのと同時に、ユエリはロッドのグリップが熱を持ってくるのを感
じた。視線を向けると、輝きも増してきている。明らかに、再び力が満ちてきていた。
「お爺ちゃ」
だがそう言いかけたところでユエリの言葉は止まった。目の前の祖父は、その姿
が目に見えて薄くなってきている。目の錯覚ではなく、今にも、消えそうだった。
「お爺ちゃん！そんなまさかやめて！！」
ディルナが何をしているのか、ユエリにはすぐ分かった。ユエリはそれで顔色を変
えて祖父を止めようとする。けれど止めようとしたその手は、ディルナの体をスッと
すり抜けた。
「ユエリ」
涙ぐむ孫の頭に手を乗せ、ディルナは優しい頬笑みを向ける。
「必ず勝てよ」
そう言い残すと、ユエリに返事をする時間も与えず、ディルナの姿は消滅していた。
「勝手すぎるわ…」
残されたユエリは、やり場のない怒りと呆れの入った声でつぶやく。
「…せっかく会えたのに、言いたいことだけ言って、やりたいことだけやって、さよなら
も言わせずに消えちゃって…これだから独居老人は」
言いながらしかし、手の中ロッドはこれまでにない力に満ちていた。
だがそれも、キースの目には脅威には写らない。
「ああそして自己満足だ。さっきのをまたやった所で、結果は同じ。あの老いぼれが
したことは、己の前にある虚無の現実からの逃避にすぎない」
「…フフ」
「どうやら考えは同じようだな。その笑いは、死への恐怖からか。止めはしない。思
う存分に笑うがいい」
「違うわ…こういう笑いは…勝利の笑いよ！！！」
急にトーンをあげたユエリの一喝、同時に手にしたロッドは真っ白な光を一直線に
放つ、二本の柱となった。
「フォトンブラストじゃない…これは…」
「おおおおお…」
「おぉおおおぉ…」
動揺するキースのそばで、亡者達の視線は、みな光の柱へ向いていた。
そして発する彼らの声は、確実にどこか、安堵感のような物が存在する。
（お爺ちゃん…）
心の中でユエリはつぶやく。
（この人達を、天国に連れてってあげて…）
（…ああ、わかった）
「え…？」
聞こえてきた声に、ユエリは思わずあたりを見回した。今の声は、絶対に空耳なん
かじゃない。
その証拠に、声にはまだ続きがあった。頭の中に直接響いて来るその言葉を、ユ
エリはそのまま口にする。
「これがフォトンアーツ、バルキリーロッドの持つもう一つの力」
落ち着いた声でそう言うと、ユエリはロッドを頭上に振り上げる。
「！貴様ら！散開しろ！！」
瞬時にキースは指示を出した。だが彼らはそれに従わない。まるで走光性を持つ
昆虫のように、一斉に光の柱へと群がりだして止まらない。
「そして、三又矛（トライデント）第四の刃…」
「やめろっ！！！」
指示が届かないとみるや、キースは叫び、これまでとは逆に間合いを詰め、ユエリ
に一撃を加えようと飛びかかる。だが彼の手が届くよりも遥かに迅く、両手のロッドは
振り下ろされていた。
「バルキリーメナス！！！！！」
そして光の柱は周囲にいた者全てを巻き込むような、縦横無尽の軌跡を描く。
数瞬後、光が消え、虚無の空間の中で残っているのはユエリとキースだけだった。
「………」
キースは、ゆっくりと顔をあげると辺りを見回した。
彼も、無傷ではない。全身傷の無いところは一つとして無く、その身は朱に染まっ
ている。バルキリーメナス、『脅威』の名に相応しいその威力の前に、彼も防御する
のが彼の精一杯だった。
「…自分の軍団が…全滅だと…」
虚空に目を泳がせ、キースは声を震わせた。傷も含めてこれは何かの悪い夢、
そう信じたい
「悪いけど、現実は非情よ」
棒立ちのまま、ユエリはつぶやく。
「貴様ぁ！！！」
剥き出しの憎悪とともにキースは叫んだ。血走らせた目は、悪鬼の形相、怒りの
ままに放ったディストーションは、有無を言わさずユエリを捉えた。
「こんな未熟者の小娘に二度も煮え湯を飲まされるとは…！いやジジイだ！あのジ
ジイが全てを狂わせたんだ！！前回も！今回も！！」
キースのありったけの魔力がこもったディストーションだった。時空をも歪曲させる
強烈な力場の中、ユエリの身体はズタズタにされてゆく。だがそれでもユエリは歯を
食い縛り、うめき声ひとつあげようとしない。
「泣き声はどうした！うめけ！叫べ！詫びろ！命乞いをしろ！！貴様のその身が原
形を留めているそのうちに！！」
「…っ…マ…」
その身をボロボロにされながら、ユエリはキースの呼び掛けに応えるように小さく
口を開き、言葉を発した。
「なんだぁ？助けてママってかぁ！？この期に及んでバカか貴様は！！」
「マイラ！ユウラ！！」
「な！？」
ユエリの言葉でロッドは三たび、輝きを放った。
「これくらいっ！！」
直後、ユエリは完全な力技でディストーションの力場から抜けだし、キースのガラ空
きの懐に潜り込む。自分へのダメージで再びロッドにエネルギーを溜める、身体を張
った賭けだった。
「お爺ちゃんも、あなたを天国に連れてきたくはなかったみたいね…けどむしろ良か
ったわ！こいつを！あなたに叩きこめるんだから！！」
言葉と同時に投げつけた閃光の蹴りが、キースの鳩尾に突き刺さった。今度の手
応えは、さっきのとは違う。
（こいつで決める…）
苦痛で歪んだキースの顔を横目に見ながら、ユエリは左足を相手の右肩に乗せる。
「バカが！！」
「！！」
だが敵の顎先を狙ったユエリの右膝蹴り、キースはそれをがっしりと受け止めた。
そして彼女の右脚を、残った魔力で粉々に吹き飛ばそうとする。
けれどそれよりも速く、ユエリはロッドを手放していた。素手になった両手でキース
の頭をしっかりと掴み、脳天に渾身の頭突きを叩きこむ。
「かっ…」
「もらったぁっ！！」
自分の足を掴む力が緩むや、ユエリはそのまま足を引き抜き、若干無理のある姿
勢ながらも膝蹴りをキースの顔面に叩きこむ。
「バルキリー…ストライクっ！！！」
最後はがっちりと握り合わせた両手の拳に余力の全てをこめて、キースの頭にもう
一発叩きこんだ。ユエリは着地し、そのまま息を切らして膝をつく。
（前に同じようにシェリーに返されたからね…改良くらいするわよ）
心の中でユエリはつぶやく。けれどさっき受けたダメージが今になって全身を駆け
巡ってきて、、この格好でさえ辛かった。
「………」
（今ので倒せなかったら、さすがに…）
微動だにしないキースを前にユエリは思った。
そしてそんなユエリの前で、キースはピクリと動いた。それを見て、ユエリの膝も反
射的に動き出す。
（いざとなったら案外動くのね）
立ち上がりかけながら、まるで他人事のようにユエリは思った。
ただそれでも、そこから目の前にいる相手が音も無く前のめりに倒れた瞬間には、
残りの力も抜けてペタンと尻もちをついた。腰が抜けて、もう本当に指一本動かない。
（…終わった、の…？）
だがそう思った瞬間、それまでまだ安定していた空間が激しく動きだした。
（時空歪！？）
嵐の中をたゆたう小舟のようになりながら、そんな言葉がユエリの頭をよぎった。
キースの姿も、一瞬でその波に呑まれてもう見えない。
「ハハ…お決まりの展開ね…」
時空の波に跳ね上げられながら、ユエリはそう言って瞳を閉じる。
ただその閉じ際に、胸のあたりで何かが一瞬、ピカと光るのが見えた。
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「…それで、気が付いたら知らない場所にいて、看板見てそこがネオパルマだって
こととか、シェリーの通ってる学校ってとこからそう遠くなさそうだって分かって…」
「それで、ここまで歩いてきたってワケね。どっから歩いて来たのよ？」
シェリーがそう聞くと、ユエリはそのとき近くにあった駅の名前を言う。
「…それ、ここの最寄駅から五つ先なんだけど」
「…お金、持ってなかったから」
「そりゃそうよね…ってだったら交番行けば電車賃くらい」
「行けるワケないでしょ」
言いかけるシェリーの言葉をジェニファーが横から遮った。
「滞在ビザどころかパスポートも無い、渡航履歴もないうえに全身傷だらけじゃあ」
「あ…それもそうね」
「それでユエリさん」
シェリーが頷くのを見ると、今度は視線をユエリに向ける。
「明後日財団所有の定期貨物船がネオアリサに出るわ。騒ぎになる前に、それで帰
りなさい。乗るときは荷物に紛れこむことになるけど、乗ってからの椅子と食事くらい
用意しておくわ。機内上映は、我慢してもらうけど」
「はい…あ、ありがとうございます」
その提案に、ユエリは素直に従った。
そしてジェニファーには、そんなユエリの反応は少し意外だったらしい。
「ずいぶん聞き分けいいのね。誰かと違って」
「誰のこと言ってんだか。あ、でも明後日ってことは明日は一日空きよね？せっかくだ
から、どっか見てく？」
「………」
シェリーがそう言うと、ユエリは天井を見上げ、そして下を向き、何か真面目な顔で
考え込む。
そしてまた顔を上げると、おそるおそると言った様子で口を開いた。
「バードって人に…会うことできる？」
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