〜始まりの終わりとなる日々に〜

第二部第五十九話 いつか来てほしいその日のために

「バードって人に…会うことできる?」
「………」
 少し緊張した声でユエリが言うと、シェリーは無言で彼女に顔を近づけた。
「えっ…」
 キスでもする気かと他の二人がドキリとし、ユエリも少し仰け反るような距離で、
シェリーはまずユエリの瞳をじっと見つめる。
「シェ、シェリー?」
 戸惑い気味なユエリに答えず、シェリーはそれからユエリの顔を上から下まで、
まるで目ききの鑑定士が年代物として持ち込まれた壺や絵画を鑑定するような
目つきで凝視した。
「どうして?」
 顔を離して、少し不思議そうな顔でシェリーは聞く。
「どうして、って…」
「仇を討ちたいって目じゃないから」
「うん」
 シェリーの質問にユエリは素直に頷く。
「正直、昨日までは心のどこかで自分の手で仇を取りたいって気持ちを諦めきれ
てなかった。けれど今は、最後にもう一度お爺ちゃんに会えたから。…まあ、ちょ
っと慌ただしかったけどね」
「そっか」
 偽りの無い言葉にシェリーは満足げに微笑む。
「じゃあ単にお祖父さんの最期を見届けた人に会ってみたいってことなのね?」
「えっと…もちろんそれもあるけど、それだけじゃない」
「…?じゃあ、なんで??」
「だって強いんでしょ?」
「………」
 瞬間、狭くて人口密度の高い寮室に冷たい空気が流れ込んだ。予想外の言葉
に、シェリーの目も点になる。
「そ、そりゃまあ目茶苦茶強いけどさ…私が死ぬのを覚悟するくらいに」
「らしいわね。前にアーサーから(第二部四十六話で)聞いたことがあるわ。剣の
達人なんだって」
「ええ。あれから私も強くなったと思うけど、ガチで来られたら今でも勝ち目ないと
思う。だから、パパも出張ってきたんだし」
「ガチでか…たしかに師匠の場合、エモノも普通の剣じゃないしな」
「師………匠?」
 ゴーツの横槍にユエリはピクリと反応する。
「あれ?言ってなかったか?ま、不肖の元弟子ってヤツだ」
「………」
 その言葉で再び、狭い部屋に冷たい空気が流れた。ユエリは少しの間、ポカン
と間の抜けた顔で沈黙する。
 そしてフゥとため息をつき、少し呆れた顔をシェリーに向けた。
「キースの弟でバードの元弟子…ずいぶん面白い人つかまえたのね」
「つ、捕まえたって…」
「まあ、正しくは“捕まえた”って言うより“捕まった”よね」
「ちょっ…ジェニファー!」
「…捕まった?」
 ジェニファーの言葉にユエリの眉がピクッと動いた。訝しげな顔に、少し前のめり
な姿勢。無関心であろうとしているけれど、興味津津なのを抑えきれていない。
「たしかに出発する時も“彼氏なんて興味ない”みたいなこと言ってたから正直驚い
たけど…」
「あ、やっぱりそうなのね。まあ実際この子、顔は悪くないのに化粧っ気ないし、硬
派と言うかウブって言うか…どっちかって言うと後者なのかしらね。基本お嬢だし」
 言ってジェニファーはニヤリと、からかいの目をシェリーに向ける。
「ただまあ、そんな子でもあんなことがあったりしたらねえ」
「…あんな事って、どんな事です?」
 その言葉に、ユエリはさらに引きこまれた。前傾姿勢で目を輝かせ、食い入るよ
うにジェニファーの話を聞こうとする。ゴーツも少し困った顔はしているけれど、積
極的にブレーキをかけてくれそうな様子はない。
「ちょっとジェニファー、いい加減に」
 言いかけた瞬間、ユエリに見えない角度でジェニファーが目配せをした。
(……あ)
 瞬間、彼女が何を言いたいのか分かった。ジェニファーはジェニファーなりに、ユ
エリの関心をバードから逸らそうとしている。たしかにそれなら恋バナは最強で、事
実効果も抜群だろう。
(けど…)
 ジェニファーが“それはねえ”と言った瞬間、シェリーの心の中で何かがプチという
音とともに切れた。
「それとこれとは別なのよぉっ!!!」
 そう叫びながらシェリーは、ユエリの両肩を掴んでガクガクと揺らす。
「言いなさいよ!なんなのよそのバードが強いから会いたいって理由はっ!?」
「ちょっ、シェリー、私骨にヒビ…」
「いつからあんたは“俺より強い奴に会いに行く”とかそういう人生哲学持っちゃった
ワケ!?どんなイメージチェンジよっ!?着たきり胴着に鉢巻き締めて、世界飛び
回るつもり!?」
「いや別にそういう意味じゃ…」
「じゃあ何なのよ!?キレイさっぱり洗いざらい」
 そう言いかけるシェリーの頭上に、ジェニファーの拳骨が落下した。

 ゴン

 という、離れてても聞こえる鈍い音とともにシェリーは脳天を押さえてうずくまる。
「ごめんなさいね。バードから話逸らそうとしたんだけど、ちょっと刺激が強すぎたみ
たい」
「え…あ、はあ」
 茫然とした顔でユエリは言った。そしてその視線はそのまま、うずくまるシェリーと
そんなシェリーを慰めるゴーツへと向く。
「大丈夫か?なんかすげえ鈍い音がしたが」
「うう…ジェニファーがぶった…受験生の頭をぶった…せっかく育てた貴重な脳細胞
が…パパにもぶたれたことないのに…」
「…お前、それは絶対何かのネタだろ」
「…ネタはネタだけど少なくとも悪いことしてないのにぶたれたことはないわよ…」
「やっぱりぶたれたことあるんじゃねえか。て言うかあのオヤジが拳固くらわすなん
て、どんな悪事をやらかしたんだ?」
「う、それは…」
 微妙に墓穴を掘って言葉に詰まって、恨めしげな目を向けてくるシェリーの頭を、
ゴーツは優しく撫でた。そんなゴーツにシェリーは無言で、遠慮がちながら甘える
ようにもたれかかる。ゴーツはそんな彼女をクスと笑うと、頭を撫でていた手を肩
に回して、そして優しく抱き寄せた。
(………)
   そしてそんな二人の様子を見て、ユエリはまた言葉をなくしていた。
「どうしたの?」
「え?いや、えっと…すごいなって」
「バカップルぶりが?」
「い、いやそうじゃなくって。ああいうシェリーって初めて見たから」
「それは、どういう意味で言ってるのかしら?」
「ひ、人に頼ってるって意味ですよ!?変な意味じゃなくって!!」
「ま、そういうことにしとくわ」
 軽く笑ってジェニファーは言う。
「でもまあ、ここまで来たら気になるわね。なんであなたが、バードに会いたいと思う
のか。教えてくれる?」
「いいですよ。元々隠しだてするつもりもなかったことですし」
 ユエリはそう言うとジェニファーとゴーツ、それに何か釈然としない顔をしながら姿
勢を正したシェリーに対して、彼女なりの理由を話しはじめた。

「責任…っていうのともちょっと違うかな。ただ、いつかのために会っておきたい。私
の、独りよがりかもしれないけど」
「いつかの…ために?」
 言ってることの意味が分からず、シェリーはユエリの言葉を繰り返す。
「ねえシェリー、お爺ちゃんの昔のこと、お父さんから聞いたことある?」
「ん?ううん?」
 ユエリの問いに、何の気なしにシェリーは首を横に振る。
「やっぱり口の堅さは本質なのかしらね。…子煩悩とかと同じで」
 シェリーの反応にユエリはそう言って笑うと、瞳を閉じてしばらく考えた。
「昔、パパとお爺ちゃん、戦ったことがあるのよ」
「あ……」
 ユエリと初めてまともに話をしたとき、そんなことを言っていたのをシェリーは思い
出した。
 あの時、エヴィンは何かに気付いたような素振りを見せていた。ただ自分にはそれ
がどういう意味なのか分からなかったし、そのことについてそれから深く追求もしてい
なかった。それがどういう意味だったのか、今さらながら、シェリーの心臓がドクンと
脈打つ。
「今から三十年前、ネオアリサとネオパルマ、二つの世界の命運を賭けて二人は戦っ
たわ。そして死闘の果て、勝ったのはエヴィン・ハランツ。彼はお爺ちゃんを止めて、
ネオパルマのダークファルスもやっつけて、二つの世界を同時に救った。…こっちの
世界ではね」
「こっちの世界では、って…そっちじゃもしかして…パパが、負けたの?」
 おそるおそる聞くシェリーに、ユエリはコクリと頷く。
「パパからダークファルスの力を奪い取ったお爺ちゃんは、全ての力を使ってネオパ
ルマを破壊したわ。ダークファルスに支配されたそれがネオアリサに衝突して、二つ
の世界を滅ぼす前に」
「………」
「それからすぐに、お爺ちゃんは自分の命を絶った。まだ中学生だったママを残して。
それがまさか、こんな形で、会うことになるなんてね」
 言ってユエリは、一呼吸いれる。そしてシェリー達に向けたユエリの視線は、どこか
透き通るようなものがあった。
「それだけでも、こっちに来て良かった」
「ユエリ…」
「うちのパパ、私が小さかったとき時々すごくうなされてたのよ。でも私は何もできな
くて、ママもすごく辛そうな顔してて…それがすごくイヤだった。最近はだいぶ落ち着
いてきたんだけど」
 そこでユエリはまた、視線を上げる。
「こっちの世界に飛ばされて、ネオパルマがまだあって、陰のない“パパ”を見たとき、
ここがどういう世界なのかすぐに分かった。ここがどんな世界なのか、知りたいのと
同時に知るのが怖くもあって、何をしたらいいのか分からなくて…」
「とりあえず私らより強いことを証明しようとしたと…闇討ちで」
「…だからそれは悪かったって」
 気恥ずかしそうに下を向くユエリだったが、すぐにまた顔を上げた。
「けど、何の因果かこうしてネオパルマがある世界に来て、しかも現地に来ちゃった
からには会ってみたいのよ。元いた世界じゃ決して会うことのできないネオパルマの
人達、それもできるだけ、すごい人達に。元の世界に戻ったあと、パパやママにネオ
パルマにはどんな人がいたのか話せるためにも。今はまだ、無理だと思うけど」
「なるほどね」
 ユエリが話し終わると、シェリーは軽くため息をついた。
「気持ちはよく分かったわ。でもやっぱり、バードに会わせるのはリスクがありすぎる。
みんなもそう思うでしょ?」
「言うまでもないわね」
 シェリーの問いかけにジェニファーは即答した。
「こっちの『人物』に会いたいって言うのなら、代わりになりそうな人を紹介するわよ。
学者政治家芸術家、お笑い芸人にレーシングドライバー、今日の明日だからご期待
に沿えるか分からないけど、急いでアポ取ってみましょうか?」
「ありがと。ね、ゴーツも危険だと思うでしょ?」
「ああ」
 どこか悔しそうな、少し重い口調で、ゴーツは答えた。
「自分が振う刃がもたらす結果に、一切の責を持たない。そういう信念を持っている
男だ。殺人狂とは言わねえが、自分が戦った相手の孫、しかもそれなりの力がある
となっちゃなおの事、刀を抜かない理由はねえ」
「でしょ?ほらユエリ、元弟子だった人だってそう言ってるんだから」
「…けどよ」
「…けど?」
「話は違うがユエリって言ったな。お前…どうやってこの世界に来た?」
「え…?」
 瞬間、ユエリの瞳が泳いだ。
「答えにくいんだったら質問変えるぜ。さっきの長話、どこで仕入れた?」
「し、仕入れたって…」
「オヤジの口が堅いのは本質、そう言ってた割には、随分詳しいなと思ってな」
「ゴーツまさか…ユエリのこと、何か疑ってる?」
「疑ってなんかいねえよ」
 不安げなシェリーの言葉をゴーツは一笑し立ち上がる。
「初対面の相手が二人もいるんだ。言いづらいこともあるだろうと思ってさ」
「あ〜、ま、それもそうね」
 釣られるように立ち上がりながらジェニファーも言った。
 けれどそんな二人を、ユエリは慌てて止めた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「ん?」
「別に隠すとかそういうつもりは無いわよ。ただ…」
「ただ?」
「知らないうちに知ってたのよ」
「「「は???」」」
 気まずそうにユエリが言うと、三人の声は物の見事に同タイミングでこだました。
「ほらね…」
 その反応にユエリはと眉をひそめ、頬を膨らませる。
「いや拗ねられたってホントに意味不明だし」
「主語と目的語が、すっぱり抜けおちてるわよね…」
「まあ、それで分かれって言う方が無理があるわな」
「………」
 三方向からの同時ツッコミを受け、ユエリは沈黙した。
 そして数瞬、うつむいたまま沈黙していた彼女だったが、やがてそのまま、誰とも
視線を合わせずに口を開く。
「二人が苦しんでるワケを、小さいときからずっと知りたかった。でも絶対教えてくれ
なかったし、下手に聞こうとするとすごく怒られた」
「ユエリ…」
「それでも気になった、でも教えてもらえないし、言いたくないことなら無理に聞いて、
パパやママを傷つけたくなかった。だから高校に入るくらいになるとこれは知らない
方がいいんだって自分を納得させて考えないようにしてた。けど…」
「けど?」
「いつの間にか、頭の中にそれが入ってたのよ」
「いつの間にかって…」
「パパとお爺ちゃんが戦う姿、吹き飛ばされるネオパルマ、お爺ちゃんの自害、パパ
とママの苦しみ、それが異常なくらいにはっきりと」
「…夢を見て、それをそのまま信じたとかじゃなくて?」
「ううん。うまく言えないけど、そんな曖昧な物じゃなくって…まるで自分が、その場に
居合わせてたみたいに」
 慎重にそう言うシェリーに、ユエリは首を強く横に振り答えた。
「じゃあ、それっていつからなの?」
「それが分からないのよ…こんなにはっきりと覚えているのに、それがいつからなの
かはまるで…正直不思議で仕方ないんだけど」
「…こっちに来る前から知ってたってのは間違いないのね?」
「うん。って、信じてくれるの?」
「疑う理由もないでしょ」
「ありがと」
 そう言うユエリの顔は呆れたような、でもやっぱり嬉しそうな顔だった。そしてそんな、
幸せそうな顔でシェリーのことをじっと見る。
「なに?」
 笑いながらそう聞いてくるシェリーに、ユエリは少しの間何かを考え込んだ。
 そして“よし”と小さく頷くとまたシェリーの方を向いて口を開く。
「あのさシェリー」
「?」
「聞いてほしい話があるんだけど…」
「どんな話?」
「私が…こっちの世界に来たときの話」
「!?」
 その一言で三人の目が一斉にユエリの方を向く。
「正直、迷ったのよ。かなりムチャクチャな話だから信じてもらえるか不安だったし」
「なに言ってんのよ」
 ユエリの不安を、シェリーは一言で笑い飛ばす。
「信じるに決まってんでしょ。教えてよ。何があったのか」
 軽く胸をポンと叩き、自信満々の笑顔でシェリーは断言した。

第二部第五十九話 完

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