しかし約束の時間になっても、それから五分、十分と過ぎても、エヴィンは現れなかった。
「おかしいわね…普段ならちゃんと時間は守るし、最低でも事前に電話はくれるんだけど」
携帯電話に着歴が無いのを確認しながら、シェリーの顔に不安の影が浮かんだ。こちら
から電話を鳴らしてみても、父は出ない。と言うか電話そのものがつながらない。
「ねえシェリー」
そんな不安が伝染したかのような顔で、隣のユエリが話しかける。
「あの人…どこに行くか聞いてた？」
「ううん…」
「まさか一人で戦いに行ったり…」
「それは、考えづらいだろ」
さらに隣にいたゴーツはそう言ってシェリーの肩を軽く叩く。
「こんだけ戦力が揃ってんだ。わざわざ一人で突撃かます意味も無え」
「うん。普通に考えたらそうなんだけど…でも『トライデント』の二人とは戦ってたみたいだし…
昔馴染みだったにしても。しかもかたや真剣、かたや実弾で」
「…そういや、そうだったな…」
「…まあ、シェリーのお父さんだしね…」
「…ママは絶対、私の突撃癖はパパ譲りだって言うのよね…」
「私もそれ、ママ（エリー）に言われた…」
口々にそう言うと、みんなは黙り込んだ。全員、次の言葉が出て来ない。
そして彼らの間に嫌な沈黙の空気が流れはじめたとき、遠くから救急車のサイレンが聞こえ
てきた。
（まさか…ね）
シェリー達の額に冷たい汗が一筋流れる。早く遠ざかってほしいというその気持とは裏腹に、
サイレンの音はどんどん近く、大きくなってくる。
そして一台の救急車が彼らの前で停まったとき、胸の鼓動は最高潮に達した。目の前で停車
した白地に赤いストライプの入ったワンボックス車に呼吸も浅く、早くなる。
けれど前の助手席から出てきたのは白い服を着た救急隊員では無く、黒いスーツを身に着け
た一人の老紳士だった。年齢は６５前後と言ったところだろうか、やや細身で白い髪の毛は軽
いオールバックにまとめられ、歩く姿勢の良さが実際の背丈よりも彼を大きく見せる。誰が見て
も間違いなく、上流階級に属する老紳士だった。
「失礼。シェリー・ハランツ様でいらっしゃいますかな？」
「え？あ、は、はい」
男の問いかけにシェリーは言葉を上ずらせながら頷く。
「どうぞお乗りください。ご友人の方もご一緒にどうぞ。お父様がお待ちです」
「っ…もしかして、パパに何か？」
「いいえご心配なく。ああ、レストランの予約でしたらこちらでキャンセルいたしますので」
言って、彼は後部の扉を開ける。すると扉の中にあったのは救急車のそれでは無かった。
左右にはソファが並び、真ん中には固定式のガラスのテーブル、奥には冷えた飲み物の入れ
られた小型の冷蔵庫とグラスが並べられたそれは、完全にリムジンの物だった。唯一違う点
があるとしたら、中から外の景色が全く見えないということだろうか。
「乗ろうぜシェリー」
臆する素振りも見せず、ゴーツは乗り込み腰を下ろす。
「一応心配ねえって言ってんだし、そもそも敵さんだったらわざわざこんな手の込んだことは
しねえだろ」
「それもそうね」
意を決したようにシェリーも救急車（を装ったリムジン）に乗り込み、そして残る二人も彼らに
続いた。
四人が乗り込むと車は静かに走り始めた。走り始めて約ニ十分、信号で停まる様子は無い。
（途中で止まらないための擬態なんでしょうね）
四人の中で誰よりも落ち着いた顔でジェニファーは思った。彼女は冷蔵庫に手を伸ばし、瓶
入りの炭酸水の栓を開け、グラス（風のプラスチックのコップ）に注ぐ。そして懐から目薬の容
器を取り出すとほんの一滴、人目につかないように中身を落とした。
（薬物反応は無し…普通の市販品みたいね。まあ、彼の言う通り敵ならこんなまどろっこしいこ
とはしないだろうけど。となると…）
考えながらジェニファーはグラスに注いだそれを一息に飲み干す。
「ユエリちゃんも飲む？」
正面で不安そうなユエリに対し、ジェニファーはもう一つコップを取り、杯に注いで勧める。
ユエリはそれをぎこちなく一礼しながら受け取ると、無言で飲み干した。
「ジェニファーさん、この車、どこに向かってるんでしょう？」
「さあ？ただ私の予想が当たってるとしたらもうすぐ着くし、それに…」
「それに？」
「恰好の思い出づくりができる場所だと思うわ。二泊三日の突発旅行にはありえないくらいの」
笑いを噛み殺した顔でそう言うと、ジェニファーはもうユエリの問いかけに何も答えようとしな
かった。
「…ねえ、ゴーツは見当ついてるの？このクルマがどこに向かってるのか」
「あんまり深くは考えてなかったが…今のジェニファーの言葉で大体な」
「…？」
ゴーツはそう言うとジェニファーと顔を見合わせて笑った。シェリーとユエリは何のことか分から
なくて、やはり顔を見合わせて首を傾げる。
そしてそれからさらに十分ほど走ると、車はゆっくりと停車した。
「お疲れ様でした」
先に降りていた黒スーツの紳士が扉を開け、うやうやしく四人に礼をする。
「ここって…」
車を降りるとシェリーはあたりを見回した。目の前にあるのは壮麗な白亜の宮殿。少し先には
噴水つきの前庭が見え、近辺を長銃で武装した、赤い上着と黒いズボン姿の衛兵達が目を光ら
せている。さらに遠くには、そんな衛兵達にカメラを向ける観光客の姿も見えた。
「ここ、もしかして…王宮？」
「ええ。少し前に一緒に観光したわよね。クラスのみんなとも連れ立って」
「うん。いや、たしかに来たわよ？来たけどさ…でもこれ…」
シェリーは後ろを振り返り、そしてまたジェニファーの方を向いた。
「そのときとはゲートを挟んで見える景色と立ち位置が逆って言うか…ここ、お城の『中』よね？」
「みたいね」
「フツー、観光客だったら絶対入れない場所よね？」
「それはまあ、当然」
「なんで私ら、そんな所に…」
「それは僕から説明するよ」
横から聞こえてきた聞き覚えのある、そして少し懐かしい声にシェリーはビクと横を向いた。
「ジャンさん！？」
（ジャン…？）
その名前にユエリはピクと反応した。もっとも当のジャンには、それに気づいた風は無い。
「二年ぶりってところかな？元気にしてたかいと言うのは聞くまでもなさそうだね。こっちに来てか
らの武勇伝、エヴィンさんから聞かせてもらったよ」
「ハハ…まあ、たぶんロクな言い方してないと思うけど。あ、紹介するわね。こっちが寮での私の
ルームメイトのジェニファー・シウムと友達のゴーツ・ドーシュ、それに…」
言いかけたところでシェリーの口がピタと止まった。いつもの調子でユエリを紹介するのには、
あまりに相手が悪すぎる。
「それに、あの…あ、アーサーのクラスメートでちょっとこっちに遊びに来てる」
「ユエリ・ロックフィールドだね？君のことも少しは聞いてるよ」
「え…？」
「ディルナ・ロックフィールドが亡くなったとき、地面にYUEという彼の血文字が残されていた。犯
人の手がかりに違いないと言ったら、エヴィンさんが慌てて君のことを教えてくれた」
「は、はあ…」
たしかにそんな話を、アーサーの口から聞いたことがある。
「はじめまして。僕の名前はジャン・フラン。この世界でエリーの夫をやらせてもらっている」
柔和な笑みを浮かべながら、ジャンは右手を差し出した。
「あ…ユエリ・ロックフィールドです。はじめまして…」
少し戸惑いながらユエリは差し出された手を握った。握手をしながら、ジャンは改めてユエリの
顔を見る。
「なるほど…たしかに二人の子供だと言われたら、そう信じるしかない顔をしてる」
そう言って笑いながら、ジャンはユエリの手を握り返した。
「…なあシェリー、あの人、どっかで見た気がするんだが」
「そりゃセンセイだからね。ネオアリサ政府の官房長官」
「官房…とんでもないところに知り合い持ってるんだな。やっぱりオヤジが大学教授だからか？」
「ううん、パパとは中学高校時代からの付き合いだし。家も近所だったから私ら兄弟にとって小さ
いときから叔父さんみたいな感じだった。…って、ジャンさんが手配してくれたの？」
「ああ」
シェリーの問いにジャンは首を縦に振る。
「この前こっちでテロリストに命を狙われたからね。そのことを公にしない代わりに、エヴィンさん
を国王陛下に会わせていただきたいとお願いした」
「こっ…じゃ、じゃあパパって今…」
「ああ、国王陛下と話をしている」
「………よろしかったのですか？」
硬直するシェリーの傍らからジェニファーが口を挟んだ。ゴーツも同じ疑問を持っているらしく、
似たように疑問を顔に浮かべている。
「政府の要人が襲撃に遭う、それを伏せることへの見返りならばもっと外交上利益があることも
言えたのでは？」
「それはしたくなかったからね。僕の命を救ってくれたのは妻の父親…僕にとっては義理の父だ。
義父の犠牲を外交のカードにはしたくなかった。かと言って何も要求しないと言うのもいつまでも
ボールを手元に置いているようで落ち着かない。エヴィンさんが陛下と会いたいとこぼしたのは、
僕にとっても渡りに船だった…あ、この話、総督には内緒だからね」
バツが悪そうに笑いながらジャンは言う。そしてそんなジャンの言葉と表情が、ユエリにはたま
らなく嬉しかった。
（こういう人なんだ…）
こういう人が、こっちの世界ではママと結ばれている。だったらこっちの世界のママは、きっと幸
せに違いない。心からそう思えた。
「シェリー様、ご準備はよろしいですか？」
シェリー達がジャンと話をしていると、先の老紳士は正面に回りそう話しかけた。
「ご準備？」
「ええ、これからあなたを陛下の御前にご案内いたします」
「陛下…つまり王様に？私も？？」
「ええ」
言って老紳士は微笑んだ。シェリーは思わず、少し仰け反る。
「陛下はエヴィン様の話に大層ご興味を持たれたようでした。そしてご息女も近くにいると聞かれ
るや、それならばぜひ会ってみたいと、そう仰られました。それゆえ、こうしてご案内させていただ
いたわけでございます」
（パパ…一体どんな話したのよ）
心の中でシェリーは思わず父にツッコむ。
「ご友人の皆様にはその間、他の者が城内を案内いたします。さ、どうぞこちらへ」
「えっと…私、宮中のマナーとか全然勉強してないんですけど。服も普段着だし…」
「陛下は若気を愛されるお方です。細かい礼儀など気にはなされません。お召し物は移動中に
ご用意いたしました。まずは女官が、化粧室にご案内いたします」
「………」
シェリーはすがるような目でジェニファーを見た。
「早く行きなさいよ」
ウィンクし、右手の親指を立ててジェニファーは言う。
「一国のトップのありがたすぎるお申し出。断ったり待たせたりする権利は、庶民には無いわよ？」
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