〜始まりの終わりとなる日々に〜

第二部第六十四話 グレイト・グランド

「こちらにあるのが、旧パルマ時代の巨匠、エリオサールによる油絵『パパオパの涙』で
ございます。対になる絵画も存在したという記録も断片的には存在しますが、盗難事件
により失われたとのことで詳細は明らかになっておりません」
「盗難…犯人は捕まったんですか?」
「残念ながら結局最後まで…もう三千年以上も昔の話ですから。この一枚が残っている
だけでも、僥倖と言うべきなのでしょう」
「そうですね…」
 解説を聞きながらユエリは残念そうに相槌を打つ。シェリーが国王に謁見しているとき、
残りの三人はガイドに連れられて、王城内の見学ツアーを楽しんでいた。
 いや、正確に言うと『女性陣は』滅多に無いこの機会を楽しんでいたが、ゴーツは一人
上の空だった。
(大丈夫なんだろうなシェリーは…)
 ツアーが終わり、エントランスホールに戻ってきてもそこにまだシェリーはいなかった。
ゴーツは左手で髪を掻くフリをしながら、青いバンドのスポーツウォッチに目をやる。シェ
リーが奥の部屋に消えてから、もう一時間以上が経過していた。
「そんなに気になる?」
 からかい口調でジェニファーが小突いて言う。
「ちっ違えよ、髪がちょっと痒かっただけだ」
「それにしちゃさっきから随分頭掻いてるわね。ちゃんとシャンプーしてる?嫌われちゃう
わよ?」
「チッ…」
 ゴーツは返す言葉もなく苦々しい顔で舌打ちをする。
「そういうお前らは気になんねえのかよ。完全に観光客モード入りやがって」
「気にならないことは無いけれど、あの二人ならきっと大丈夫かなって思って」
「そうそう、それにシェリーでしょ?何かあったらあったで、とっくに大騒ぎになってるわよ」
(それは…信頼してるってことなのか?)
 だとしたらちょっと悔しいと思う。そしてそんなことを考えているうちに、ようやくシェリーと
エヴィンは戻ってきた。
「ずいぶん遅かったじゃ」
 ゴーツの言葉はそこで止まった。いつもと違うブレザーにスカート姿のシェリーに、完全
に目を奪われ、心を撃ち抜かれる。
(をぅっ……)
「ど…どうかな?この恰好」
 駆け寄ると照れて、ちょっと緊張気味にシェリーは聞いてくる。
「私は結構気に入ってるんだけど…」
「なんつーか…反則だろ」
「反則??」
「すげえ似合ってるってことだよ」
「アハッ…」
 その言葉にシェリーは満面の笑みを浮かべて、同じく満面の笑みのゴーツとまず右手で
ハイタッチをかわした。そして続けざまに両手のロータッチを互いにし、流れるような動きで
右肘、左肘を交差するかのように押し付けあう。そして最後に両腕を挙げ、頭上で拳の底
と底を軽くぶつけ合った。
「…何をやってるんだ?あの二人は」
「付き合いはじめたばかりの二人ですから、行動に意味を求めるのは無意味かと思います」
 依頼人の手前、そして親の手前『バカップル』という言葉はジェニファーはあえて封印した。
(つくづく、帰ったあとのネタを提供してくれるわね)
 そんな二人の隣で、内心ユエリも苦笑する。
「とにかく、予定より遅くなりましたけど食事にしませんか?外まで案内する人も待っている
ようですし」
 そう呼びかけるジェニファーの一声で一行はようやく城を出る。そして遅い夕食にありつく
ことになった。五人はタクシーに分乗し、最初に予定していたレストランに向かう。
「結局ここにするの?正直、ドタキャンした挙句また来ましたって気まずいんだけど」
「不可抗力だったし料理も予約していなかったけど彼らだって何がしかの準備はしていただ
ろう。そのままにしたら申し訳ない」
「義理堅いって言うかなんて言うか…オヤジらしいって言えばその通りなんだけど」
(あの…ジェニファーさん?)
(なに?)
(昨日もそうだったけどゴーツさん、あの人のことオヤジオヤジって言ってるけど、その…ま
さかシェリーともうそこまで…)
(フフ…あれは彼が勝手に言ってるだけ。エヴィンさんももう言い返すのが面倒になったみ
たい)
(あ、そうなんですか…)
 ジェニファーの答えにユエリはさすがに少し、ホッとした顔を見せた。

「いらっしゃいませ。本日はわざわざ当店に再度お越しいただきまして、まことにありがとう
ございます。奥の個室が空いております。どうぞこちらへ」
 どうやらキャンセルの理由が王家絡みだというのはきちんと店に伝わっていたらしい。店
に入って突然のキャンセルを詫びたエヴィンに対し、相手の態度は予想外に下手だった。
 五人はそのまま丁重に一番奥の部屋へと案内された。ベージュ色の岩壁、部屋の各所に
配置された、柔らかく暖かい光を放つランプの間接照明、チークで作られた飾り気の少ない、
しかし品の良いテーブルと椅子、そしてワインレッドのテーブルクロス、この部屋がこの店に
とって特別な物だというのはみんな一目で分かった。
「やれやれ、かえって申し訳なくなるな。これじゃ下手なものを頼みづらい」
「いいんじゃない?そこまで考えなくても」
「そーそー、格好見れば向こうも俺らが一般人だっていうのは分かるだろうし」
「まあ、それに関してはシェリーだけは例外だと思うけど」
「ホントは早く着替えたいんだけどね〜。ちょっと動きづらいし、何より汚したくないしで。これ
下手にクリーニングも出せなさそうなんだもん」
「たしかにあまり高級な服だと傷物にしたら大変だからね。自信の無い業者だったら断るわ
よ。だからシェリー、くれぐれも食事のときは気をつけなさいよ」
「そうしといた方が良さそうね」
 そんなことを話しながら、五人は思い思いの料理を注文した。大皿料理ではなく各自が食
べたいものを頼む形のレストラン、ほどなくして彼らの前に二皿のステーキ、白身魚のムニ
エル、魚介類がたっぷり入った平打ち麺のトマトソースパスタ、ビーフシチュー、それに人数
分のミニスープとパン、そして飲み物が運ばれてくる。
「ふぅ…なんて言うか、やっっっっっっと人心地ついたわね」
 冷えたレモネードで喉を潤し、念のため店から借りたエプロンを身につけ、よく煮込まれた
ビーフシチューを味わうとシェリーは疲れきったため息とともにしみじみとつぶやく。
「まあシェリーは大変だったわよね。で、どうだったの国王陛下は?」
「なんて言うか…手強かった」
「手強い??」
「うん。悔しいけど負けないのが精一杯。正直底が見えなかった」
「…1つ聞いとくけど、まさかケンカふっかけたりしてないわよね?」
「それくらいはわきまえるわよ。譲れないことがあって、ちょっと張り合っただけ」
「『ちょっと』張り合っただけ、か…正直、横で見ていていつ国際問題引き起こすんじゃないか
ヒヤヒヤしていたんだがな」
「だから、わたしだってそれくらいの分別はあるわよ。強制送還されたくないし。て言うか王様、
パパも似たようなことをしてたって言ってたじゃない。あれはどうなのよ?」
「あれは…そうだな」
 ノンアルコールビールのグラスを片手にエヴィンは一瞬考え、言葉を選ぶ。
「陛下は僕にもネオパルマとしての史実を押し付けようとしてきた。僕はそれを、認めるわけ
にはいかなかった。それはシェリーと同じだ」
「で?そこからどうしたの?」
「僕が本来、絶対知る筈のない事実を一件突きつけた。それだけだ」
「???何よそれ???」
「いずれ話すよ。そうだな…帰国する前には少なくとも」
「ふうん」
 ちょっと不満気なジト目でシェリーは父のことを見た。
(これ以上は、きっと今は話してくれないわね。ま、いいか)
「ところでそっちはどうだったの?私とパパが王様に会ってる間」
「普通に楽しんでたわよ。じっくりお城の中見せてもらって、いろいろ話も聞かせてもらって。ま、
ゴーツはその間もずっと、あなたのことが心配で仕方なかったみたいだけど」
「うるせえ、て言うかそもそもオヤジにユエリの話するために集まったんだろ。いいのかよ、さっ
きっから脱線しっぱなしで」
「あ…うん」
 意外な方向から話を振られるとユエリは口にしていたムール貝を咀嚼し、飲み下す。そして
ナプキンで口を拭くとやや緊張した面持ちで、寮でシェリー達にした話をもう一度した。

「僕のことを知っていてる、妙に馴れ馴れしい口調のシェリーやユエリと同年代の二人か…」
「心当たりある?」
「………」
 ステーキナイフをテーブルに置くと、エヴィンは手を膝において少し考えた。みんなの視線も自
然とエヴィンに向く。エヴィンは顎に手を当ててさらに考え、やがて視線を上に向けると困ったよ
うに眉をひそめた。
「なんて言うか…何とも言えない顔してるわね」
「まあ、ね」
 困り顔のエヴィンがユエリに答える。
「オヤジ、心当たりはあるのか?」
「無くはない…無くはないんだけど…」
「パパがそういう反応するってことは…あ」
 父の考えに気づくと、シェリーも同じような顔になった。
「どうしたんだよ?ふたりとも微妙な顔して」
「パパ、ひいお爺ちゃん達のこと考えてるでしょ」
「うん。過去のことを知ってて二人組で僕のことをそんな風な呼び方してくる相手なんて、あの
二人しか当てはまらない」
「ひい爺さんたち…?」
「ああ。僕から見たら母方の祖父母、アレン・ハランツとアリス・ハランツだ」
「アレンとアリス…?ん?なんかその名前、教科書のラストの方で名前見た気がするんだが」
「そっか…僕の頃はともかく、今なら載ってるかもな」
 遠い目でそう言うと、エヴィンは手酌でノンアルコールビールをグラスに注ぎ、もう一口飲む。
「第二惑星の初代総督やっていたからな。けどそれだけじゃない。あの二人は若いとき、仲間
達と一緒にダークファルスと戦った。アリサ三世時代から三千年以上生き延びたダーク・ファル
スと」
 言ってエヴィンは、親指を自分の心臓に押し当てる。
「そのダークファルスは今は僕の中にいて、ずっと護ってくれている。ボイスとの戦いで君にも
見せた闇の力、その正体がそれだ」
「………」
「どうした?」
「なんつーか…代々トンデモねえ家系だったんだな」
「たまたまだよ。僕の親は荒事に縁が無かったし、シェリーにしたってなあ。…もう少しおしと
やかに育ってくれることを期待していたんだが」
「そりゃ贅沢ってモンよ。こんだけ素直に可愛く育ったのに、そのうえおしとやかだなんて」
「どの口が言うんだか」
「だって間違ったこと言ってないし。それに、きっとどう育てても突撃体質は変わらなかったん
だから、そこは諦めてもらわないと。ねえユエリ?」
「そこで私に振る!?」
「だってさっきも言ってたじゃない。突撃気質は父親譲りだって言われたって」
「う…そ、そりゃ言ったわよ?でも少なくとも私の方がだいぶマシよ。自分から暴れまわったり
しないし、アンチェインとか言わないし、お化け屋敷飛び蹴りで破壊したりもしてないし」
「ぐ…」
「あの話は笑えたな。てか気をつけないとな。その二人が今度はシェリーの枕元に立ったりし
たら、さすがにご先祖様相手に反撃できねえだろ」
「えっと…いや、死んでないから」
「へ?」
「生きてんのよ。ふたりともだいぶ弱ってるけど九十代半ばにしちゃ十分なくらいに。ゴーツの
言うとおりだったらパパも私もあんな変顔しないんだけど。ってユエリの方は?」
「私の世界でも健在ね。今は老人ホームに住んでて、年に何回も会わないけど」
「そうか」
 ユエリの答えに、エヴィンは少しだけ嬉しそうな顔をした。
「け、けどよ、人物像としてはその二人に間違いないんだろ?生きてるんだったら尚更、本人
に直接、何か思い当たるフシが無いか聞いてみりゃいいじゃないか」
「それもそうか」
 言ってエヴィンは一瞬間を置く。
「とは言え、二人ともさすがに年だから電話での長話は辛くなってきている。僕はまだしばらく
こっちにいるし早く話をしたいのなら週末にでも直接聞きに行ったらいい。アーサーやジニー
と一緒に行けばたぶん話も通じるし、二人も喜ぶ」
「…そうね、そうさせてもらうわ。どうせネオアリサに戻ったら戻ったで、机には仕事が山積み
で、それどころじゃないんでしょう?」
「ハハ…面目ない。と言うか、正直それについてはあんまり考えたくないんだが」
 図星を突かれてエヴィンはバツが悪そうに頭を掻いた。
「アーサー達には僕からも話をしておくよ」
「そうしてもらえると助かるわ」
 ユエリがそう言うことで、この話はとりあえず終了になった。それからみんな今日一日の事を
雑談まじりに報告し合いながら食事を楽しむ。外の景色が見えない、まわりの雑音も入ってこ
ないゆったりとした雰囲気の部屋の中で話は弾み、シェリーが寮の前に戻ってきたときにはも
う11時を少し過ぎていた。

「じゃあ明日朝七時にユエリ連れてスペースポート行くから。寝坊しないようにね。あと、少しは
予習くらいしときなさいよ。明日の午前中、あなたの苦手科目が集中してるんだから」
 ジェニファーはそう言い残すと、近所に予約していたビジネスホテルに引き上げて行った。
 そしてトイレに行きたいからと言うユエリに鍵を渡し、彼女の姿が寮の奥の方に消えて行くと
シェリーはまるで糸が切れたみたいに、ゴーツに力なくもたれかかった。
「お疲れさん」
 もたれかかるシェリーを左腕で抱き寄せて、ゴーツは耳元でささやく。二人はそのまま、すぐ
そばにあったベンチに腰を下ろした。
「やっと二人きりになれたね。朝から一緒にいたのに」
「そうだな」
 クスと笑ってゴーツが言う。その顔は、くっつきそうなくらい近い。
「ん……」
 ゴーツにもたれかかったまま、シェリーは少し首をもたげた。自分のいる寮も、他の寮も、ま
だ周囲を見渡すと、ほとんどの部屋に灯りがついている。きっとどの部屋も今頃、必死で勉強
してるんだろう。
(ちょっと成績良くなったからって、油断してると危険ね)
 机にかじりつく彼らの姿を想像してシェリーは思う。部屋ではユエリも待っている。トイレ云々
というのはきっと気を遣ってくれた口実なんだろうというのもわかっている。トイレは共同で廊下
にあるし、もちろんユエリもそれを知っているから。けれど今は、あとほんの少しだけでいいか
ら、こうしていたかった。
「そういや、さっきは悪かったな」
「え?」
「ひい爺さん達、勝手に殺しちまって」
「そんなの気にしちゃいないわよ。あれじゃ誤解しても仕方ないし、第一トシもトシなんだから」
「サンキュ」
「だから気にしてないって。それよりゴーツは明日からどうすんの?なんか特訓するとか言って
たと思うけど」
「ああ。これから部屋で軽く支度して、バイクでレネゲイツの方に戻る」
「これから!?」
「晩飯のとき飲まなかったのは、オヤジに合わせてからだけじゃないからな」
「そうなんだ…事故んないでね。バテてるだろうから」
「ま、ダイジョブだ。時間も無いしな。オヤジがネオパルマにいるうちに、ケリつけなきゃいけな
いんだろ?だったら早く動かんと」
「まあ…ね」
 ちょっとバツが悪そうに言うと、シェリーはベンチから立ち上がる。
「じゃあせめて、(ゴーツの)寮の前まで一緒に行きましょ?」
 笑ってそう言うと、シェリーは右手を差し出した。

 互いに指を相手の指の間に滑り込ませ、ギュッと握ると二人は歩き出した。ゴーツが入って
いる寮までは、のんびり歩いて4、5分くらい離れている。そよ風が気持よく、少しひんやりとし
た夜だった。
「そういえば、私が王様と会ってるとき心配だったの?」
「…まあ、ちょっとだけな」
「なんで?」
「なんでって言われても困るが…ただ、何となく心配だった。漠然とな。ジェニファーとユエリは
平然としてたけど。あの二人の方がシェリーが戦っている姿を俺より見てきてる。その差なの
かもな」
「いやあ、同性なんてそんなモンでしょ」
「そっか…」
 シェリーの言葉に思わず目をしばたかせる。
「言われてみりゃ、そういうもんか」
 悩んでた自分がおかしくなって、ゴーツは思わず笑い出した。たしかに、その通りだと思う。
空いていた右手で、自分の頬をペチンと叩いた。
「どしたの?」
「あ〜、いや、ちょっとつまらんこと考えちゃってな」
「??ま、いいならいいけど。それより特訓ってどれくらいやるつもり?」
「まる一週間ってトコだな。制限時間キツイし、ちょっと根を詰める」
「そ。じゃあ私も、その一週間はいつも以上にお勉強頑張りますかね。彼氏ができて成績が
落ちた、なんて言われたくないし」
「ああ。頑張ろうぜお互いに。そうしてた方が、次に会うときの楽しみが増える」
「ええ」
 二人がそう言って頷くと、ゴーツの宿舎はもう目の前にあった。それに気づくと二人は足を止
めて、手はつないだまま見詰め合う。
「じゃあゴーツ、気をつけて」
「シェリーもな」
「うん」
 名残惜しそうに、二人は短い言葉のやり取りを交わした。そして空いていた腕で互いを優しく
抱きしめると、街灯の光がかすかに届かない暗がりの中でそっとキスをした。

第二部第六十四話 完

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