〜始まりの終わりとなる日々に〜

第二部第六十五話 旅ごころ

「さてと…」
 寮の中へと消えていくゴーツを見送ると、シェリーは一人、来た道を戻り始めた。
「へへ…」
 まだキスの感覚が残る唇を指先でそっと撫でると、シェリーの顔は思わずニヤける。
(いけないいけない、今はとにかく、勉強頑張るって決めたんだから)
 言い聞かせながら、それでもさっきのことを思い出すと、顔が熱くなって口元も緩ん
でくる。
(…もうちょっと、表情落ち着けてから帰った方がいいかしら?)
 そんなことを考えながら歩き続けると、シェリーの足は勝手に購買部の前にたどり
着いていた。店の中ではもう片付けがはじまっているようだけれど、閉店まであと5分
くらいは時間があった。

「ただいま〜」
 シェリーがそう言って寮の自室に帰ってきたのは、それから十分くらいしてからのこ
とだった。
「ごめん、待った?」
「ううん全然」
 暇潰しに部屋の漫画を読んでいたユエリは、それをパタンと閉じて笑う。
「むしろ朝まで帰ってこないんじゃないかって思ってたから」
「ハ、ハハ…」
 存外に鋭いユエリの皮肉に思わず言葉が詰まる。
「それはまだ無いわよ。ゴーツだって、今晩中に修行しに行くとか言ってたし」
「へぇ、じゃあもう出かけちゃったんだ」
「うん、その筈」
「じゃ、それが無かったら朝帰りだった?」
「…なんか今日は、妙にツッコミ厳しくない?」
「そうかしら?」
 シェリーの言葉にユエリはすっとぼけて笑う。そんなユエリに、シェリーは今しがた購
買部で買ってきたものをビニール袋のまま手渡した。
「何これ?」
「クッキーよ、こっちで食べてるオススメ品。手ぶらもなんだろうから、お土産にどうか
なって思って。片方がうちで、もう片方が司祭さん」
「ありがと。必ず渡しとくわ」
「あと、そこの棚にある漫画とか、適当に持ってっちゃっていいわよ。どれも読み飽き
たのばかりだし、シャトルの中ってホントに暇なんだから」
「…いいの?」
「もちろん。あと、そのかわりってワケじゃないけどみんなにはちゃんと勉強頑張ってる
って伝えといてよね」
「分かってるわよ」
 そう言って、ユエリは笑う。
「そうでなくても今回はいろいろお世話になっちゃったんだから。ホント、楽しかったわ」
「良かった。たまには遠出も悪くないでしょ?」
「まあね。どうやってここに来たのか、なんでここにいるのか、分からないことだらけだ
し色々紙一重だったけど」
「それはそれで、結果オーライってことで。いいトコだと思うわよ?ネオパルマ」
「そういう言葉が出てくるってことは、シェリーも楽しんでるみたいね、ここでの生活」
「そうね。いろんな人に会って、戦って、腕もあげて、王様にまで面会できて、たまには
勉強も頑張って…怖い目に遭ったこともあるけど、楽しんでる」
「今の言葉、ホントは勉強が真っ先に出てくるべきなんだと思うけどね」
「ですよねえ」
 シェリーがそう言って悪戯っぽく笑うと、ユエリも釣られて笑った。
「さてと、私ちょっと寝るわ。長旅になるし、そっちも少しは予習が必要なんでしょ?これ
以上勉強の邪魔しちゃ悪いから」
「ええ。ユエリ、明るいのは平気?」
「これでも寝床を選ばないのは特技だから」
「助かるわ。2、3時間くらいは頑張ることにする。おやすみユエリ」
「うん。おやすみ姉さん」
「…え?」
 ユエリの言葉に、思わずシェリーの目が丸くなり、ユエリを二度見する。
「………ユエリ…今、なんて…?」
「なんて、って…いつも私のこと妹とかって言ってるからたまには合わせてあげようかな
って思って」
「へぇ〜」
 言いながら、シェリーの表情がみるみる崩れて、ニヘラ〜とした顔つきになって、ユエ
リににじり寄る。
「な…なによ」
「いや〜、初対面のときにはあんなに殺気立ってたユエリの口から“姉さん”なんて言葉
が出てくる日が来るなんて、夢にも思わなかったわ」
「う…あ、あのときは…」
「ね、もう一度言ってくれる?」
「い、言わないわよ!ほら受験生!予習予習!」
 相好を崩しまくりなシェリーに、ユエリは顔を真っ赤にして首を振った。

そしてその頃…

「…そういうワケでアーサー、今度の休みにジニーと一緒にユエリをアレンお爺ちゃん
達の所に連れて行ってくれ。今日の話の流れから考えてあの二人が絡んでないとは
思えない」
「…分かった」
「そっちはどうだ?変わりないか?」
「ううん、平和なものだよ。拍子抜けするくらいに。父さんの方は色々大変みたいだね。
何かこっちで動けることはある?」
「いや、とりあえずいつも通りに過しててくれて大丈夫だ。ただ、放課後はなるべく早く
家に帰ってきてくれ」
「………うん…」
「?どうかしたか?」
「いや、何でもないよ」
「それならいいんだけど。無理はするなよ。お前のことだ、拍子抜けするとか言ったって
なんのかんので神経を研ぎ澄ましているんだろう」
「ハハ…まあ、どうしてもね」
「悪いがあと少しだけ辛抱してくれ。困ったことがあったらマークを頼ればいい。あいつも
若隠居で暇してるから、今回のもいい気晴らしだなんて言ってたからな」
「…でも、それでマークさんにケガでもさせたりしたら…無関係なのに」
「なにも戦うことだけが協力じゃないさ」
 諭すようにエヴィンは言う。
「色々なところにコネを持ってるし、あらゆる意味で場数も踏んでる。相談するだけでも、
きっと力になってくれる」
「そうか…うん、そうだね」
 そう答えると、アーサーは一つ呼吸をおいた。
「ねえ父さん」
「ん?」
「前にディルナさんに大怪我負わせた相手、それがどんな相手なのか、なんでずっと静
かなのが気がかりなんだけど、父さんの方には何か情報来てない?」
「直接は来ていないな。ディルナさんも結局最期まで、何も教えてくれずじまいだったし。
ただそれでも少しは情報もつかめてきた」
「どんな?」
「まず彼女は教団の最高幹部、S級の一人だということだ」
「え?彼女??」
「ああ、コードネームはブラウニー。少なくとも外見は若い女の子で頭には常にフードを
かぶっているらしい」
「フードを…」
「細かい理由は分からないがどんなに暑い日もフード姿らしい。教団での役割も不明だ。
この季節、もう雨でもふらない限りフードをかぶるような人間もいないだろう。だからもし、
そういう相手を見かけたら絶対に近づくな。たとえマークやジニーと一緒であってもだ」
「マークさんや…ジニーと?」
 瞬間、アーサーは喉元まで出かかった“なんでジニーも?”という言葉を呑み込んだ。
そんなの、ちょっと考えればすぐ分かる。
 ジニーはマジックが使える。回復だけじゃない。攻撃のマジックだってたとえ当てよう
とはしなくても、相手の射程距離外から敵の周辺にバラ撒くだけで十分な牽制になる。
「わかってるよ、みんなを危険に晒すような真似はしない」
 そんなエヴィンの言わんとする意味を十分に汲み取りながら、アーサーはあえて見当
外れと言うか、当り障りのない言葉を返す。そして5分ばかり学校のことや家のことを
話してから、アーサーは電話を切った。

「…ふう…」
 携帯電話を机に置くと、アーサーは自分の体をベッドに放り出し、腕枕をしながら天
井の光に目をやった。そしてこの数ヶ月、自分は何をしてきたんだろうと自問する。
 自分だって戦いと無縁じゃなかった。少なくとも、これまでの人生でやってきたケンカ
の数よりはずっと多くの実戦を戦ってきた。その中で大怪我を負う事もあれば圧倒的
な実力差の前に叩きのめされた事もあった。でもそれが自分の心を折ることはなかっ
たし、腕は数カ月前より確実に上がった。少なくともそれは自信を持ってそう言える。
「けど、それが何になる?」
 アーサーは再び自問した。姉はすでに二人のS級に直接対決で勝ち、一人とも深手
を負いながらも追い払っている。一方自分は、そのS級と遭遇さえもしていなければ、
絶対に手を出すななんて言われている。
「…すごいよな……」
 ずっと姉を身近で見てきた。才能があるのはわかっていた。マークもよくシェリーの
ことを天才だと言ってたし、それが冗談じゃなかったってことはよく分かっている。
 だから、ここまで言っておいて何だけど、戦績自体では驚きはしたけどまだ辛うじて
想定の範囲内だった。それよりもむしろシェリーが今日、国王陛下に謁見したこと、さ
らにあろうことかその場で陛下と張り合い、さらに認められたことの方が衝撃的だった。
正直、先を越されたような悔しさはこれの方が強い。

「僕も…」
 アーサーはそこから先、出てきそうになった言葉を呑み込む。そして机に向かうと引
き出しの中から参考書を取り出し、学校でやるのは一ヶ月は先になりそうなページを
開いた。

「いよぅアーサー!」
 翌日、校門をくぐったところでクラスメートのエリックが明るい声とともに彼の背中を
バシンと叩く。
「なんだか湿気た顔してんなぁ、ユエリが実家に帰ってるのが、そんなに寂しいか?」
(実家ねぇ)
 仮病だと見舞いに来られる可能性があるからそういうことにしておく、それは司祭の
口から聞いていた。もっとも実際にいるのは実家どころか、彼女のこれまでの人生で
存在すらしなかった世界なのだが。
「しかしユエリ、なんで急に里帰りなんかしたんだろうな」
「さあ?」
「もしかして…お見合いとか?」
「は?」
 思わず口がポカンと開く。
「脳ミソのどこをどう突っついたら、そういう発想が出て来るんだ?」
「わっかんねーぜ、平日急に帰郷だろ?普通の用事とは考えづらい。案外ユエリが訝
しみながら家に帰ったら部屋にドレスがかけてあって、親の取引先の若旦那と高級な
レストランで会うようなセッティングさせられたりとか、絶対に無いとは言い切れないだ
ろ?」
「言い切れるよ!」
「あれ?お前もしかして、ユエリが何しに行ったのか知ってるのか?」
「い、いやそうじゃなくって!」
 相手の妙な勘の鋭さにアーサーは思わず慌てる。
「年齢考えろよ年齢を!」
「年齢?女だったら16すぎれば結婚できるだろ?」
「いや、そりゃ法律上はそうだけどな?」
「案外親がそういう人達かもしれないし」
「いやだから」
「ユエリの両親はそんな人達じゃないってか?」
 アーサーの反応を見て、エリックはさらにニヤリと邪笑した。
「そんなこと言えるなんて、もしかしてユエリの両親に会ったことがあるとか?」
「ん?あるけど?」
 だがあまりにあっさりとした切り返しに、今度はエリックが虚を突かれた。
「なに想像してんだよ。休みの日に、たまたまこっちに来ていたのにすれ違って軽く
挨拶して話しただけ。でもとりあえず悪人とか常識が無いようには見えなかったぞ?」
 ほんのわずかな真実を混ぜることが、嘘の信憑性を飛躍的に向上させる。そんな
言葉をアーサーは忠実に実行する。
「マジかよ…って、ユエリどっち似だった?」
「父親かな」
「………」
 アーサー答えがあまりに即答でかつ迷いが無かったので、エリックも彼の話が本当
だと思わざるをえなくなる。
「な、なあ、ホントに軽く挨拶しただけか?」
「とりあえず、そういうことにしておくよ」
「??なんだよそれ??」
「こういうのは、ちょっと謎っぽくしておいた方が面白いだろ?さ、早く行こうぜ、授業が
始まる」
 そう言ってアーサーはエリックを煙に巻くことに成功した。そしてその日の残りはユエ
リがいないことを除けばほぼいつも通りに過ぎていき、そして夕方、終業のベルが鳴った。

 放課後、アーサーは腕時計に目をやった。話からするとユエリの乗ったシャトルは何
時間か前に出発している。ネオアリサに戻ってくるのは明日の朝くらい、さすがにその
日は学校には来ないだろうし、疲れているだろうから家に行くのも悪い気がする。そう
なるとユエリに会うのは早くて明後日になるだろう。
(それで週末にはジニーも連れてひいお爺ちゃんの所に行って…)
(ひいお爺ちゃん………アレン・ハランツ………)
 アーサーは小声で、曽祖父の名前をつぶやいた。

 ネオパルマに旅立つ二日前、エヴィンは改めて若いときの話を自分とジニーにしてく
れた。そして同時に彼が知る限りでのアレン、そしてアリスの過去の話も。それは、今
から80年近くも前の話だった。
 曽祖父が政治家として、第二惑星の総督として多大な功績を残したことは知っていた
し、アーサーもそんな曽祖父と、自分がその末裔であることも誇りに思っていた。ただ
彼もまた自分と同じくらいの年齢のときに旅に出て、結果的にこの星を護るために戦い
を繰り広げた、そのことは知らなかった。
「………」
 アーサーは壁に寄り掛かり、しばらく考える。そしてひとつ小さく頷くと、ポケットから
携帯電話を取り出した。

 そして20分後

「マークさん…ごめん、急に呼びだしちゃって」
 アーサーとマークは町中の小さな喫茶店にいた。二人はやや奥まった席に座り、テー
ブルの上にはコーヒーとオレンジジュースが置かれている
「気にすんな。エヴィンには何かあったら頼むって言われてるし、それにな」
 ジュースを片手にマークは身を乗り出してニヤッと笑う。
「お前ら兄弟のことは、みんな本当の甥や姪みたいに思ってる。全員生まれた日に病
院に駆けつけ、ツラも見てるんだ。んで、なんだ深刻な顔して。エヴィンのいない間に何
か不穏なことでもあったのか?」
「そういうのじゃないんだけどさ…」
 言葉に詰まって、アーサーはコーヒーを一口飲んだ。その場に沈黙の空気が流れる。
マークは発言を急かすような事はせず、穏やかに笑いながら次の発言を待った。
「旅に、出たいんだ…」
「ほう…」
「父さんから留守を頼むって言われて、そのときは僕も納得した。いや、今もそれは納得
している。この家を護る、それが僕のやるべきことだって…けど、今の自分の力で何がで
きるのかって…それに週末、ジニーやユエリと一緒に、アレンひいお爺ちゃんに会いに行
くことになって…それが、怖いんだ…」
「怖い?九十をとうに過ぎた爺さんに会うのが?」
「ジニーはライアの力を、ひいお婆ちゃんと同じ力を覚醒させて、ユエリは僕じゃ到底敵
わない相手との戦いに勝って、生き延びた」
「なるほど。そんな二人を古兵の前に連れて行って、自分だけがって思われるのが怖い
ってか」
「………」
 両手を膝の上に置いて、アーサーはコクリと頷いた。
「あの爺さん、そういうの気にするタマじゃないぞ?」
「そうかもしれないけど…でも父さんも、ひいお爺ちゃんも、僕くらいのときに旅に出たん
でしょ?姉さんだってネオパルマに行ってからぐっと腕を上げて、しかも王様に認められ
るくらいになった!だったら…」
「今の話、他の人には?」
「誰にも言ってない…マークさんが最初だよ」
 アーサーは縋るような目を向けながら、身を乗り出した。
「この星の外に出たいとまでは言わない!週末までの4日だけでいいんだ…それでこれ
から先の、きっかけだけでも掴めたら…それくらいなら旅費だって、預金をおろせば何と
かなるから」
「預金、か。万年金欠のシェリーの口からじゃ絶対出てこないセリフだな」
「ま、まあね。今でも毎月少しずつ貯めてるし」
「そうか…」
 マークはアーサーの目を見て、しばし考える。
「わかった。とりあえず、リビアさんの所に行こうか」
 コクリと、自分に言い聞かせるように頷いてから立ち上がると、マークはそう言った。

第二部第六十五話 完

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