赤レンガでできた家、その茶色いドアを前にして、アレンは身動きが取れずにいた。
ここに来てから経った時間は、ほんの数分にも満たないであろう。しかし、その僅かな
時間が、今のアレンにはとてつもなく長いものに感じられた。
ディックに教えられて来た家・・・話の中で聞いていた家の特徴からして、ここがそれである
という事はまず間違いがない。そして彼らの言う「アリス」が自分の探しているアリスと同一
人物である事も、９９％明白である。しかしそれでも、アレンは胸の中の不安を拭い去る事が
できず、目の前のドアをノックできずにいた。
もし、この家が違う人の家だったらどうしよう、もし彼らの言う「アリス」が自分の探してる
アリスと別人だったらどうしよう・・・そうなった時のことを考えると頭の中が真っ白になり
そうになる。今までのどんな時よりも怖く、そして緊張する。そんな事を考えると、待ちに
待った、夢にまで見た時が目の前に迫っているというのに、アレンはその夢にまで見た
瞬間のための最後の一歩を踏み出せずにいた。そしてそんなアレンにきっかけを与えて
やろうと思いギゾが後ろから声をかけた。
「おいアレン！こっちは寒くてしょうがないんだ、お前が嫌なら、俺が聞くぜ。」
「い、いいよ！自分でやる！！」
自分の前に出ようとするギゾを右手で遮りながらアレンは慌てた口調でそう言うと、ドアの
方へもう一歩踏み出し、目を閉じて大きく深呼吸をし、意を決した後ドアを数回、強く
ノックした。
それから数秒の沈黙の後、家の中から女性と思しき人の足音が聞こえきて、アレンの胸の
鼓動は更に高まる。そして足音がドアのすぐそばで止まると、目の前のドアは静かに、
そしてゆっくりと開いていった。
「はい・・・あの、どちら様でしょうか？」
そう言いながらドアを開けたのは、アリスではなかった。初対面の、朱色の髪が美しい女性
である。その女性に対してアレンはさっきまでの緊張を引きずったまま、やや上擦った、
大きな声で答えた。
「アレン・ハランツと言います！！」と。
「アレン・・・ハランツ？まさかあなたが！」
朱色の髪の女性は驚きとともにアレンを見つめた。そしてそれから何かを言おうとしたのだが
その言葉が言葉としての形にならないうちに、家の奥からもう一つの足音がアレン達のいる
玄関へと凄い勢いで駆けてくる音がした。そして・・・
「アレ・・・ン？」
「アリス・・・か？」
互いに見つめあったまま、体が硬直する。けれど二人の動きは動きは完全に止まっては
おらず、全身がかすかに震えていた。瞳は互いを見つめあったまま瞬きもせず、胸の鼓動は
嫌でも高まってくる。呼吸も、乱れてくる。そして二人の目元に涙が溢れ、少しおぼつかない
足取りで一歩、また一歩とゆっくりと歩み寄ると、涙をボロボロ流しながら、強く抱きしめあった。
「アリス・・・無事でよかった・・・」
「アレン・・・どうやってこんな所まで・・・」
震える声を絞り出すようにしてそう言ったが、それから先の言葉を二人は続けることができな
かった。けれど言葉に出さなくても気持ちは十分に伝わってくる。テオはそんな二人の様子に
少しだけ貰い泣きをするが、ギゾは意地を張ってなんとか堪えていた。ミューだけは今一つ
状況が掴みきれていないが、アレンの話は聞いていたので、内心非常に驚きながらも微笑みと
ともに二人の再会を見つめていた。
それから全員は家の中に入り、これまでの経過を話し合った。このわずか一ヶ月の間に双方の
身に起きた事はあまりに多く、そして複雑である。そしてその中にはいくつか接点もある。
これらをまとめ、接点を探す事はこれからの行動を決定する上で重要に思われたからである。
まず最大の接点はルラキルだった。アリスをさらい、アレンの前にも立ちふさがった人物、
そしてその名はもちろんミューも知っている。その彼が今、ネオアリサの総督政府にあって
筆頭宰相の職についているという情報は、ミューの眉を曇らせた。そしてそのミューの話に
よると、ルラキルという男が二千年前に活躍した伝説の英雄、オラキオの双子の兄で当時の
オラキオの民の中で弟と双璧をなす存在であったが終戦直前に戦乱により最愛の妻子を失い、
それから行方をくらました事、そして今から一千年前にアリサ三世を統べる指導者として復活
を果たしたが、実は彼の目的は己を絶望させた世界の滅亡であった事、そして妻子を失った
彼の心につけこみ、彼を狂わせた者こそが千年ごとに蘇る邪神、ダーク・ファルスだという
事である。またそのダークファルスを滅ぼすのには”ネイ”と名の付く武器が不可欠であり
そのうちの３つまではミューがここに来る時に何とか持ち出すことに成功したが、残り二つは
持ち出しに失敗し、行方不明であるという事も教えてもらった。
もっとも、そう色々と言われても、アレンには話が大きすぎる上に現実離れしているように
感じられて正直あまりピンとは来なかった。ただ、それらが本当だとしたら、世界の破滅を
願う彼とダーク・ファルスが最大の権力を持っている総督に近づくのは自然であるし、総督と
ダーク・ファルスの間に何らかのつながりがあろう事も予想できた。
「でもガズニさんは・・・」
そこまで話が進むと、アレンはガズニのことを思い浮かべた。たしかに彼は自分を逮捕しようと
した。しかしそれは単純に自分の違法行為に対しての事のように思える。もしかしたらガズニは
そういう事を知らないのかもしれない。いや、少なくともアレンはそう信じたかった。しかし
アレンにとって何よりも心がかりなのは、彼の両親についてである。
子供は同行させる事はできないからといって自分一人だけをティリアに残し、両親が総督直々の
招へいによって首都ネオカミニートに行ってからもう三年になる。最初の頃は週に一回は手紙を
送ってきてくれたのに、ここ一年間何の連絡もよこしてこない。父母ともに筆まめなのに、である。
しかもここに来てから出会った、モンスターと言ってもいいような生物群、もしこれが両親の
研究の産物だとすると・・・アレンはそんな考えを頭の中から振り払いたかったが、完全に否定
する事はできなかった。それどころか研究が完成した場合、「用済み」になった両親がどうなって
しまうのかとか、そういった悪い方にばかり考えが行ってしまう。
「オレは行くよ・・・ネオカミニートに・・・」
アレンはそう言うと言葉が続かなくなった。首都には行きたい、両親の安否もこの目で確かめたい、
しかし同時に怖かった。首都に行ったところで自分にどれほどのことができるのか、そこに何が
待っているのか・・・アリスはそんなアレンの様子を見ると、右の拳で左の手のひらをポンと叩き、
アレンの方を向いてニコと微笑んだ。
「じゃ、さっさと済ませちゃいましょうか！どこまでできるかわからないけどさ！」
「アリス・・・」
「で、出発はいつにするの？」
「そうだな・・・出発は明日、村まで行ってそこで馬の一頭でも貸してもらってシャトルまで行く、
それでネオアリサに戻ろうか？」
「じゃ、今日はオフって事ね。そうとなったら練習練習！アレンも見てみる？私の腕前！！」
「え？あ、ああ。」
そう言うとアリスは席を立ち、アレンもそれについて行く。そしてアリスは自室から銀色の胸当てと
一揃いの弓矢を持ち出してきた。
「アリス・・・それは？」
「弓と矢と胸当て、見て分からない？」
「いや、それは分かるけど・・・アリスって弓できたっけ？」
「まあ見てごらんなさいって！」
アリスは歩きながらそう言うと、家の裏口から表に出た。そこには高さも距離もまちまちな、
数枚の的が立てられている。降りしきる雪の中、的に目線をやり、アリスは矢筒に手をかけた。
的までの距離は平均ざっと数十メートルという所だろうか。雪のせいで視界はかなり悪い。
アリスは弓を一本手に取り、矢の尻の部分を弓の弦にセットした。その手つきも随分と手慣
れたものである。それからアリスは的の方に目をやり、アレンが今までに見たことのないほど
真剣な眼差しを見せると弓の弦を一気に引き絞り、そして弦から手を離した。
その後アリスは矢の行方も確かめず、一本、また一本と矢を立て続けに取り出しては体の
足の位置を変えて矢を放つ。そして十数本あった矢を瞬く間に撃ち尽くすと、アリスはフゥと
ため息をついた。
「ま、ざっとこんなモンかしらね。アレン、矢を抜いてくるの手伝ってくれる？」
アリスにそう言われ、アレンは的の方へと歩いていく。そしてそこで的に刺さった矢を見て驚愕
した。全弾的の中心に命中しているのである。これが十年以上前から練習に練習を積んで来て
いた人間のやった事ならばまだ納得がいくが、アリスが弓を持っているのを見たことはない。
どう考えてもこちらに来てから練習を始めたとしか思えないのである。それでこの腕前、自分も
この一ヶ月で見違えるほどに腕を上げたが、それをも余裕で凌ぐアリスの成長の速さには、
一瞬肌寒ささえ覚えた。
「一体どうやってここまで・・・」
引き抜いた矢を手元で束ね、手渡しながらアレンが尋ねると、アリスは口元に笑みを浮かべて答えた。
「う〜ん・・・何て言うか、天賦の才ってヤツ？」と。
アリスはそう言って矢を受け取ると、またさっきの位置に立ち、さっきよりさらに短い間隔で
矢を放つ。そして今度もまた、矢は的の中心を正確に射抜いているのであった。
「ネオアリサに戻ったら弓の大会にでも出てみようかしら？それで一気にスターダムに上ったら
みんなびっくりするわね。『弓術界に超新星現る！』なんてね。」
「さあ？そう上手くいくかどうか？」
苦笑いしながらアレンが答える。しかしそこでさっきから降っていた雪が急に吹雪になってきた
ので、二人は家に引き上げる事にした。
アレンはアリスに連れられ、彼女の自室に入った。。床に紅茶色の絨毯が敷いてあり、つけたての
暖炉の炎が赤々と燃えているが、あまり飾り気のない部屋である。そこでアリスはベッドに腰掛け、
アレンはその部屋のただ一つの椅子に腰を掛け、窓の外の景色に目をやった。
「しかし・・・ここって本当にフレオなんだよな・・・」
「どうしたのアレン？急にそんな事言って。」
「いや、我ながらエラい所まで来たもんだなと思ってな。違うかアリス？」
「そうねえ、ただの旅行のつもりが、ルラキルなんてのにこんな所まで連れて来られるわ、そこで
ミューさんに会うわ、 自分がライアの子孫だなんて言われるわ・・・アレンはアレンで色々
大変だったみたいだし。」
「まあ、ね。でもフレオに来るなんてそうそうできるもんじゃないし、これはこれで悪くないかな
って気もするけど。もちろん、今こうしているから言える事だけどさ。」
「フフ・・・ありがと、アレン」
「え？何が？」
「何がって・・・ま、その・・・色々よ。」
アリスは少し照れくさそうにそう言うと、少しだけ顔をうつむかせた。アレンはそんなアリスの
様子を少しいぶかしく思いながらも、しかし大して気にとめもせず、またアリスと他愛のない
雑談をはじめた。ほんの一ヶ月前までは当たり前だったこの時間、それがどれだけ楽しく、また
貴重なものであったか、今のアレン達にはわかる気がしていた。
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