多少勢いは弱まったものの、相変わらず全く止みそうにない雪の中を馬に更に小一時間
ほど進ませ、男は自分の家のある村へと戻ってきた。そして男が馬車を家の前に止める
やいなや、彼の帰りを今や遅しと待ちわびていた五歳ほどの、彼の子供と思しき女の子が
大急ぎで駆け寄ってくる。男は馬車から降りると身をかがめ、女の子を抱え上げた。
「パパ！お帰りなさい！！」
「ああ、いい子にしてたか？」
「うん！」
「そうかそうか、お前にもお土産あるからな。ちょっと待ってろ。」
言いながら子供を降ろし、馬車の幌を開けると、男は目が点になった。見ず知らずの金髪
の少女が、荷車の中に座っているのである。そして少女は、自分の存在に呆気に取られて
いる、口の周りに無精ひげを濃くはやし、がっしりとした体格の三十代後半の男性に思い
切り気まずそうな、ひきつった笑顔で挨拶をした。
「ど、どおもぉ・・・」
「い、いつの間に・・・いやそれ以前に見ない顔だけどあんた一体・・・」
「私、アリス・ランフォードって言います。ごめんなさい、驚かすつもりはなかったん
です。ただ、逃げたくて・・・」
「逃げる？一体なにから？」
「え、えっと・・・」
男にそう聞かれると、アリスは言葉に窮せざるをえなかった。ありのままを言ったところで
絶対に信じてくれるわけはない。単なる冗談と解されるか、更に疑われるかのどちらかで
あろう。しかしアリスが何と言ってこの場を切り抜けようかを必死に考えていると、男は
ニコと笑い、「言いたくなきゃ言わなくていいさ。」と言うと、アリスを家の中へ入れた。
そして男の奥さんも、思わぬ来客に一瞬驚いた顔をしたが、男が事情を話すとアリスを快く
受け入れ、アリスのために着替えとスープを用意してくれた。
「ありがとうございます。こんな・・・」
「おいおい、子供は遠慮するモンじゃないぜ、それにこの星じゃ村らしい村はここしかない
から、客なんかありがたいくらいだしな。あ、そう言えばまだ自己紹介していなかったな
俺の名前はディック、それとこっちが女房のシェリーと娘のチコってんだ。」
男は酒の入ったグラスを片手に、笑いながらそう言った。そしてその日は、アリスにとって
フレオに来てから初めて、心が落ち着く思いがした。夫妻も心から自分をもてなしてくれた
し、チコも自分の事を気に入ってくれたらしくアリスの膝の上に座って離れようとしない。
また、夫妻からフレオについても色々と教えてもらった。この村の名は「希望の村」ホープ
と言い、開拓者や流刑者が協力して作り上げてきた村だという事、寒いなりに生物の生態系
は確立されており牧畜が主でたまに狩りを行って生活をしているという事だった。
そうしてしばらく談笑した後、アリスはチコを寝かしつけ、自分もベッドに入った。しかし
翌朝の夜明け頃、アリスは妙にうるさい鳥の鳴き声に目を覚まされた。
「なに？うっるさい鳥・・・まあいいか・・・寝よ」
アリスは寝ぼけ眼をこすりながら布団をかぶり、また眠ろうとした。しかし
何か様子がおかしい。廊下からディックのバタバタとした足音がするのである。
アリスは嫌な予感がして布団から飛び起き、ディックに何がおきているのかを尋ねた。
「何がおきてるんです？」
「大鷲だ！どこから来たのか知らないが、時々出て来ちゃあ村の家畜をさらって
いっちまう！ずっと仕留められずにいたが、今日こそ決着をつけてやる！」
ディックは早口にそう言うと壁に掛けてある弓矢を手に取り、大急ぎで表へと駆け出して
いった。そしてアリスが窓から表の様子を見ると、ディックだけではなく、ほとんどの
家の男が弓矢などの得物を手に今度こそ大鷲を仕留めようと表に出ており、しかも皆、
目が大なり小なり殺気立っている。この村の人がどれだけその大鷲の被害に遭っている
かがよく分かる気がした。そして数秒後、羽を広げると２メートルは軽くありそうな
大鷲が牧場めがけて飛来していった。
「ヤロウ！いつまでの調子に乗るんじゃねえ！」
男の一人が大鷲めがけて矢を放つ。しかし大鷲はそれを軽くかわすと脇目もふらずに
牧場の家畜めがけて爪を立てて急降下し、そして一頭の体ををつかんだが、その瞬間、
爆発がおこった。火薬が埋め込まれたダミーだったのである。そして大鷲が怯んだ隙に
男達は一斉に手持ちの矢を雨と浴びせた。しかし効かなかった。矢が外れているのでは
ない、確実に命中しているのにも関わらず、体には傷一つついてないのである。そして
大鷲は威嚇の雄叫びをあげると、人々に襲いかかっていき、矢が通じずに戦意を失った
人々をその鋭い爪とくちばしで一人、また一人と切り刻んでいった。
「どうしよう・・・このままじゃ・・・」
表の様子にアリスはいてもたってもいられなくなり、救急箱を持って表へ飛び出して
行き、怪我で身動きの取れないディックの所へと駆け寄っていった。
「おじさん！」
「戻ってろアリス！お前もやられるぞ！！」
「でも止血をしないと・・・」
アリスは救急箱を開け、ディックの肩口を包帯できつく縛った。思いの外、傷は深く
出血はひどい。きちんとした手当が必要に思えた。しかもその間にも大鷲は他の人
を無差別に襲い、怪我人は増えてゆく一方なのである。
「どうしよう・・・これじゃ、らちが明かない・・・何とか、何とかしないと・・・」
アリスが困惑の表情を浮かべて当たりを見回すと、自分の手元にディックの持ち出した
弓と数本の矢があることに気付いた。ミューが自分に渡そうとした武器も弓矢であった
事は覚えているし、歴史の本か何かでライアが「弓聖」と呼ばれるほどの弓の名手で
あったと書かれていたのも覚えてはいるが、彼女自身は弓矢を使うどころか持った事
さえない。いわゆる「ずぶの素人」である。そんな自分が、弓を握ったところで大の
大人十数人がたばになっても傷一つつけられなかった大鷲を倒すことなどどう考えても
できるとは思えなかった。
けれどアリスは弓を取った。
ついさっきまで否定したくてしょうがなかった『ライアの力』に、初めて頼りたいと
思った。そんなのが本当に自分の中にあるのなら、そしてその力がディック達を守る
ことができるのなら出てきてくれと心の底から願いながら、左手に弓を握り、右手で
矢の尻のくぼんだ部分を弦にセットした。
「分かる、分かるわ・・・弓のグリップはこう持って、矢はこうつがえて・・・」
アリスは完全に勘のみを頼りにした。いや、それ以外に頼りにできるものがないと
言った方が正しいかもしれない。ディックの弓はアリスには相当弦が堅かったが、力
一杯弦を引き絞り、空中にいる大鷲めがけて矢を放った。しかし矢は惜しいところで
外れてしまった。
「外した！？」
アリスは急いで次の矢を用意しようとした。しかし自分を攻撃してきたアリスに
対し大鷲は猛スピードで突っ込んでくる。その攻撃は紙一重で急所を外し、肩に
軽い傷を負うだけですんだが、一撃目を外した敵は、空中で方向転換しその鋭い
爪とくちばしで再びアリスめがけて襲いかかってきた。ただ、最初の一撃があまり
にも猛スピードだったため大鷲はかなりオーバーランし、アリスとの距離はかなり
開いていたので、アリスがもう一本矢を準備するのには十分な時間があった。
「今度ははずさない・・・はずせない！！」
アリスは矢をつがえ、敵を見据えたまま一つ深呼吸をし、敵が自分の直前まで飛来
してくるのを待った。時間にすると一秒も無いかもしれない。しかしアリスには、
その時間が異様に長く感じられた。大鷲の動きの一つ一つが、スローモーションを
見てるかのようにはっきりと感じ取れた。
「まだよ、まだ・・・落ち着いて、狙いを定めて・・・」
敵はスピードを上げ、口からは威嚇の奇声を上げ、鋼鉄のような爪でアリスの首筋の
頸動脈に正確に狙いをつけ、更に高度を落とした。そしてあと０.１秒後にはアリスの
首筋を掻き切ろうというその瞬間、アリスは敵の大きく開いた口めがけ、引き絞った
弦から手を離した。
「見えた！そこっ！！」
アリスは弦から右手を離すと同時に、頭を少しだけ左にずらした。結果大鷲の爪での
一撃はアリスの急所を外し、アリスの放った矢は大鷲の口から脳までをものの見事に
貫いていた。
「やったの！？」
アリスが弓矢を持ったまま大鷲の方へと駆け寄ると、大鷲はもう絶命していた。そして
村の人々は歓呼の声とともにアリスを取り囲んだのだが、当のアリスは半ば放心状態で
自分がやった事に今一つ実感がわかずにいた。しかしその直後、放心状態の自分の目の
中に、この星でディック達以外では唯一の見覚えのある顔が飛び込んできた。
「ライア様、探したわよ・・・」
「ミ、ミューさん・・・」
「さ、帰りましょう。」
そう言うやミューはアリスの手首を強くつかみ、アリスを連れていこうとしたが、それ
を止めようとディックが、肩の傷を抑えながら二人の間に割って入ってきた。
「アリス、こいつかい？あんたが逃げてきた相手ってのは・・・」
「う、うん・・・」
「あんたが何者だか知らないが、アリスはこの村の恩人なんだ。あんまり手荒に扱うと
この村の人間は黙っちゃいないぜ・・・」
ディックはミューを睨み付け、ドスのきいた声でそう言ったが、ミューは怒るでもなく
蔑むでもない。顔色一つ変えずディックの方を向くと、「所詮俗世の人間には関係の
ない事だわ」と抑揚のない声で言った。そしてその言葉に頭に血が上ったディックは
ミューに更に食ってかかろうとしたが、アリスはそれを止め、「きっとまた遊びに来る
から」とだけ言うとミューに手を引かれ、足早に村をあとにしていった。
そしてそのままアリスは数百メートルを無言で歩き、村の灯も見えなくなり、あたりに
自分達二人以外誰もいなくなるとうつむきながら口を開いた。
「ミューさん・・・話してよ、本当の事・・・」と。
「私はウソなんかついてないわ。」
ミューは素っ気なくそう言うと、また歩きだそうとした。しかしミューがいくら腕を
引っ張ってもアリスは歩こうとしない、そんなアリスを叱ろうとミューが後ろを振り
向くと、アリスは今にも泣き出しそうな顔でミューの瞳を見つめていた。そしてその
口から発せられる声は、少し震えていた。
「違う・・・たしかに今まで言ってきたことは言ってきた事で本当だろうけど、ミュー
さんが私の腕を掴んでる間、何ていうか、ミューさんがすごく悲しんでる感じがした
から・・・ここまでついて来たのも、それを聞きたかったから・・・」
「！！」
「感じるの、ミューさんと会ったり、ライアペンダントの声を聞いたりしているうちに
私の中の、『ライアの力』っていうのが少しずつ目覚めていくのが。だから今は、
ミューさんが必死になって自分の心にウソをついてるのもよくわかる・・・」
「ライア様・・・」
「教えて、私には知る権利があるわ。」
アリスがまた口調を変え、厳しい口調で問い詰めるようにミューに言うと、ミューは
アリスから目をそらし、うつむき加減に話しだした。
「・・・・・・二代目ライア様が野に下り、シーレンも、私と一緒にずっとリーク王家に
仕えてきたもう一人のアンドロイドもダークファルスとの戦いで負った、修理不能な
ほどのダメージが原因で間もなくその機能を停止した・・・ノイン様とルナ様は普通の
人間、何百年も生きられるわけはない・・・」
ゆっくりとした口調である。また、それまでのミューの、ある種の冷たさばかりが感じ
られた機械的な口調とは正反対の、人間的な弱々しい口調であった。
「ダーク・ファルスを滅ぼすのに必要な二つの力、明のテクニックであるグランツと
暗のテクニックであるメギド・・・私は千年前にその二つのうちの一つ、グランツの
力を手に入れたわ。でもメギドとグランツ、その力を手に入れるのには資格がいるの」
「資格？」
「グランツの力の源は優しさ、メギドの力の源は怒り、そして本当に心優しき者のみが
本当の怒りを知り、メギドの力を得ることができる。そして本当の悲しさを知る者
のみが本当の優しさを知りグランツの力を得る事ができる、それを知った時思ったわ、
グランツの力が悲しみを知る者にしか会得できないのならもうそんな資格を持つ人が
これから先出てほしくないって！私一人で十分だって！！」
「ミューさん・・・」
「無理だと思ったわ、誰も本当に悲しい思いをしなくてすむ世界を作るなんて。だけど
それでも私にできる限りの事はやろうと思った。けど、リーク王家は代を重ねる毎に
私を敬遠し、浪費も多くなってきた。私がいさめても段々と聞かなくなってきて、
ついに今から百数十年年前、フレオの開拓責任者という名目でここへと流された・・・
もちろん、宇宙船の類は全部取り上げられて・・・」
「そんな事が・・・それで、この星に・・・」
「それでも何か、私にやれる限りの事はやろうと思ったわ。終身刑者やまだ少しだけ残
っていた開拓者の人達をまとめ上げて、村を作って・・・でも流れる月日とフレオの
厳しすぎる自然環境は、ここでもともに笑い、共に働いた人達を奪っていった・・・」
「何百人も、私の愛する人達が先立っていって、私はダーク・ファルスを倒す事だけに
専念する事に決めたわ。そして人との心の交わりを絶てばもう、苦しい想いをしなくて
すむと思ったから・・・でもそうしたらそうしたで、淋しくて、昔の思い出が頭から
離れなくて・・・何度も忘れようとしたけど、なかなか忘れられなくて・・・私もう、
どうしたらいいのか分からなくて・・・」
「ミュー・・・さん・・・」
アリスは両手でミューの右手を握り、顔をその手に押しあてた。そして、涙を流した。
ミューの心の中から流れてくる悲しみ、それがアリスには人一倍敏感に感じ取られ、
胸を締め付けられる思いがした。けれどアリスにはミューにかける言葉が見つからず、
ただ泣くしかできなかった。そしてミューも、そんなアリスの心を察し、左手でアリス
の背中を軽く撫でるようにした。
「感じる・・・私じゃとても耐えられない、ものすごい悲しみがミューさんの心から
流れてくるのが・・・人を愛すれば苦しんで、愛さなくても苦しんで・・・・・・」
「ライア様・・・」
「私は１５年しか生きていない、だから千年以上生きてきたミューさんの気持ちは、
なんとなくしか分からない。けど、どっちにしろ苦しい思いをするんだったら、
少しでも楽しい事があった方がいいと思うよ・・・」
「ありがとう・・・・・・アリス・・・」
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